21世紀における平和秩序の構築を求めて−今こそ、原爆(核兵器)と

劣化ウラン兵器の禁止・廃絶を!

木村 朗(鹿児島大学教員・長崎平和研究所客員研究員、平和学専攻)

はじめに−核戦争の危機と核廃絶のチャンス

現在の世界は、核をめぐる正反対の二つの動きがせめぎ合っているという状況にある。すなわち

、一方では、イランや北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国を略す)への核兵器およびミサイルの拡散をめぐって国際的な緊張が生じている。この問題について、米国はイラン・北朝鮮両国に対して一貫して強硬姿勢を取り、国連安保理での経済制裁決議の採択から武力制裁への道を模索している。日本を含む国際社会がこうした米国の姿勢にこのまま同調することになれば、最悪の場合は核兵器(新型戦術核兵器)の先制使用を含む核戦争の危機が現実のものとなりかねない事態とななっている。また、ヒズボラによるイスラエル兵二人の拉致への報復として、米国の支持・後押しを得たイスラエルによるレバノン侵攻が7月12日はじまり、多くの民間人を含む犠牲者を出した。国連による仲介が紆余曲折の上ようやく実って何とか一時的停戦が実現したものの、米国・イスラエル・トルコによるイラン・シリア攻撃が囁かれるなど余談を許さない状況である。

他方では、核兵器を生物・化学兵器とともに国際法上で非合法化すべきだとする国際的な

提言がつい最近出された。この画期的な提言は、世界の有識者でつくる「大量破壊兵器委員会」(WMDC=ハンス・ブリクス委員長)によって国連のアナン事務総長に6月1日に手渡されたものである。この提言には法的拘束力はないとはいえ、核軍縮をテーマとする特別首脳会議の開催や国連軍縮会議(ジュネーブ)の再活性化の要求などきわめて重要と思われる具体的な方策も提起しており、今後の軍縮交渉に大きな影響を与え、核廃絶のチャンスとなる可能性を秘めていると評価できる。また広島・長崎への原爆投下から61年目にあたる今年の夏に、被爆地・広島における二つの重要な会議(7月15/16日の「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」や8月3〜6日の「劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会・ICBUW」)が開催されたことも特筆すべき出来事であろう。

このような核をめぐる危機とチャンスが同時進行している国際状況の中で、私たち市民は、それぞれの問題をどのようにとらえればいいのか、またこれからいかなる選択を行うべきなのか。本稿では、過去から現在につながる核兵器をめぐる危機の連鎖を読み解くという視点を重視しながら、これらの問題を考えることにしたい(拙著『危機の時代の平和学』法律文化社、2006年、の特に第8章「原爆神話からの解放と核抑止論の克服−『正義の戦争』とは何か」を参照)。

 

1.核兵器(原爆)問題をめぐる過去と現在−「被害」と「加害」の二重構造を越えて

アジア太平洋戦争末期に米国によって日本の広島・長崎に対して行われた原爆投下は、人類にとって核時代の幕開けを告げたばかりでなく、戦後世界における冷戦開始の合図となった。この冷戦は、大戦末期における米ソ間の戦後構想をめぐる対立から生じたものであり、ある意味で戦争(それも最初の核戦争)の産物であった。また、冷戦は、米国を中心とする西側陣営とソ連を盟主とする東側陣営との間での世界市場・勢力圏をめぐる権力政治的対立と社会体制のあり方をめぐるイデオロギー的対立という二重の相克を意味していた。この米ソ対立を中核とする東西冷戦では、東西(あるいは米ソ)双方によって「力による平和」が追求され、また核による「恐怖の均衡」によって世界秩序・社会体制ばかりでなく、人間の心の中までが日常的に支配されることになった。

しかし、1980年代末に東側陣営の急速な崩壊という形で冷戦が終結すると、新しい世界秩序が模索される中で冷戦期には封じ込められていたさまざまな矛盾が表面化すると同時に、戦後処理に伴う未解決の様々な問題が浮上した。すなわち、これまで冷戦構造の下で押さえられていた、民族・宗教対立の激化、南北・南南問題の深刻化、環境破壊の進行、人口爆発と飢餓・貧困の拡大、大量難民の発生といったさまざまな矛盾が一挙に目に見える形で噴出した。さらに、東京裁判・ニュルンベルク裁判の見直しが浮上し、米国が行った日本への原爆投下の是非と核兵器の合法性・違法性、日本軍が行った重慶大爆撃、南京大虐殺、七三一部隊、強制連行、従軍慰安婦(戦時性奴隷)等さまざまな残虐行為・戦争犯罪とそれに対する戦後補償・戦後責任の追及などが改めて問われることになったのである。

こうした中で、米国は戦後一貫して日本への原爆投下の正当性を主張し続けている。日本への原爆投下を正当化する論理は、「原爆投下こそが日本の降伏と戦争の早期終結をもたらしたのであり、その結果、本土決戦の場合に出たであろう50万人から100万人にのぼる米兵の犠牲者ばかりでなくそれ以上の日本人やアジア人の生命をも同時に救うことになった」という早期終戦・人命救済説であり、今日の米国においても支配的な見解となっている。この早期終戦・人命救済説が必ずしも事実に基づいたものではなく、戦後権力(占領軍・日本政府など)によって意図的に作り出された「原爆神話」であることが次第に明らかになりつつある。

戦後50年を経た時点で起きた米国でのスミソニアン原爆展論争や二〇世紀末に行われたコソヴォ紛争でのNATO空爆、9・11事件後のアフガニスタン・イラク攻撃の正当性をめぐる議論との関わりで、日本への原爆投下の意味と背景を改めて問い直す動きが生まれていることが注目される。また、「原爆神話」を肯定する立場が、核による威嚇と使用を前提とした「核抑止論」の保持と密接不可分の関係にあることはいうまでもない。

一方、戦後の日本では、毎年8月6日と9日の「原爆の日」に、広島・長崎両市が「平和宣言」を発表し、その中で原爆被害の恐ろしさと核兵器廃絶、「核と戦争のない世界」の実現を世界中の人々、とりわけ核保有国の指導者に訴えてきた。近年では、原爆投下の「被害者」としての視点ばかりでなく、先の大戦での日本の「加害者」としての立場に言及することが多くなっている。こうした一定の肯定的な変化が見られる一方で、安保体制の下で米国の「核の傘」に依存する日本政府は、現在でも原爆投下を正当化し核兵器の保有・使用を肯定している米国政府を正面切って批判することができず、原爆投下を「戦争犯罪」として明確に告発する被爆者たちの声を依然として無視している。

こうした現状を打開していくためには、原爆投下の本当の意味と真実を明らかにし、日米間ばかりでなくアジアを含む全世界の共通認識を育てていくことが特に重要である。その鍵を握っているのが、「被害」と「加害」の二重性、「戦争」と「原爆」の全体的構造の把握(あるいは戦争の記憶と被爆体験の統一)、という複合的視点であろう。この点で注目されるのが、「外国人被爆者・在外被爆者こそが、日本軍国主義と米国原爆帝国主義に挟撃された二重の被害者である」という故鎌田定夫先生(長崎平和研究所創立者)の言葉である。この言葉には、広島や長崎では日本人ばかりでなく日本の侵略戦争・国家総動員体制の下で強制連行された多くの外国人が被爆したという事実、広島・長崎の被爆構造にはアジア太平洋戦争における「日本軍国主義」による加害・被害とともに米国の「原爆帝国主義」による加害・被害が二重に刻印されているという認識が見事に表現されている。

被爆者が年々高齢化している今日、広島・長崎の被爆体験を思想化して後世・未来の世代に継承することは焦眉の課題となっている。また、本当の意味での、過去の戦争責任の清算を戦争被害者・被爆体験者がなお生存されている現在の時点で行うことが大きな意味をもっている。しかし残念ながら、今日の日本の状況は、それとは逆の方向に向かいつつあるといわねばならない。

 

2.劣化ウラン兵器と枯れ葉剤による新しい被害−「グローバルヒバクシャ」という視点の意義

原爆投下に関わる被害との関連で、今日注目され始めているのが「グロルーバルヒバクシャ」という新しい視点である(こうした視点から核・原爆や戦争・紛争をめぐる問題を総合的に問うている作品として、肥田舜太郎/鎌仲ひとみ (共著)『内部被曝の脅威−原爆から劣化ウラン弾まで』 ちくま新書、2005年、およびグローバルヒバクシャ研究会(編集)/前田哲男監修『隠されたヒバクシャ―検証=裁きなきビキニ水爆被災』凱風社、2005年、を参照)。

これは、「ヒバクシャ」をいわゆる「ヒロシマ・ナガサキ」の原爆犠牲者に限定するのではなく、より広い視点から核被害者を把握していこうとするものである。すなわち「グロルーバルヒバクシャ」とは、ウラン鉱山での採掘作業に狩り出された労働者や核(原爆)開発・実験に動員された労働者(その多くは「先住民」たちであった!)・科学者・兵士(核戦争状況下での戦闘能力を試された「アトミック・ソルジャー」)、そして核(原爆)開発・実験に巻き込まれた周辺住民・漁民(マーシャル諸島やネバダ、セミパラチンスクなどに住んでいた人々や偶然に実験海域に通りかかって被害を受けた日本のマグロ漁船・第五福竜丸の乗員も)はもとより、核・原子力の「平和利用(より正しくは「産業・商業利用」)である原子力発電所・原子力関連施設で働く人々とその風下地域住民など、いわゆる放射線「被曝」を受けた核被害者たちを含めた概念である。この中には特殊な事例としてマンハッタン計画の一環として行われた「人体実験」の対象とされた民間人(その多くがマイノリティーで、重病患者や受刑者などが含まれていた)やチェルノブイリ・スリーマイル島や東海村などでの原発事故に遭遇した多くの人々も当然含まれる。また、より広義の意味では、これから述べる劣化ウラン兵器と枯れ葉剤の使用によって被害を受けた人々も「グローバルヒバクシャ」の中に位置づけることができるであろう。劣化ウラン兵器と枯れ葉剤が大戦中のマンハッタン計画との関連の中で研究・開発されたばかりでなく、その当初の使用対象が日本であったという事実も注目される。

この「グロルーバルヒバクシャ」という新しい視点によって、「ヒロシマ」の前にも「ナガサキ」の後にも「ヒバクシャ」が生まれていたばかりでなく、現在でも増え続けているという事実が自然に見えてくる。また、「唯一の被爆国」としての日本というこれまでの原爆被害に関する認識が、(外国人被爆者・在外被爆者の問題と並んで)いかに浅薄なものであったかも知ることが出来よう。また、この劣化ウラン兵器を含む放射能兵器(枯れ葉剤そのものは放射能兵器ではないがその有毒性に置いて類似の効果・影響を持つ)の特殊性は、その後遺症が戦後も長く継続するという被害の永続性とともに、その恐るべき影響・効果が戦闘員と非戦闘員の区別ばかりでなく、敵味方の区別さえも越えてあらわれるという、被害の無差別性と二重性という点においても注目されなければならない。以上のことを踏まえた上で、ここでは、劣化ウラン兵器と枯れ葉剤による被害の問題を考察したい。

劣化ウラン弾(劣化ウラン兵器の中の一つ)をめぐる問題が日本を含む先進諸国のメディア・新聞各紙に登場するのは、NATO軍によるユーゴ空爆に参加して帰還したNATO軍兵士の中から白血病・癌などの症状で数名の死者を出すという事態に直面した2000年末以降のことであった。劣化ウラン弾の危険性については、すでに1991年の湾岸戦争後に「湾岸症候群」と呼ばれる被爆に起因する障害が帰還した多国籍軍兵士(特に米英軍兵士)の間で表面化し、劣化ウラン弾使用との関連が多くの専門家によって指摘されていた。また、ボスニア紛争の際にも劣化ウラン弾の使用とその後遺症が注目を集めていたばかりでなく、コソヴォ紛争でもNATO空爆の最中から劣化ウラン弾使用による深刻な人的被害と環境破壊が懸念されていたのである。そして実際に、湾岸戦争では約100万発(300トン相当)、ボスニア紛争では10800発、ユーゴ空爆では31000発の劣化ウラン弾が使用されたばかりでなく、アフガニスタン戦争・イラク戦争ではそれ以上の大量の劣化ウラン弾が市街地にでさえ使用されたと指摘されているのである。湾岸戦争からの帰還兵ばかりでなく、すでにボスニア紛争・コソヴォ紛争やアフガニスタン戦争・イラク戦争からの帰還兵の中からかなりの死者が出ているのである。

次に、このような報道の仕方が「異常」と思われるのは、ユーゴ空爆に参加して帰還したNATO軍兵士の健康問題のみが注目されているからである。NATO軍によるユーゴ空爆が本当に「人道的目的」であったならば、コソヴォやセルビア・モンテネグロ(そして、ボスニア、イラクも)の投下対象となった地域住民(アルバニア人ばかりでなく、セルビア人・モンテネグロ人も当然含まれる)全体の生命・健康問題がまず第一に考えられなければならない。しかし、NATO空爆の最中もそうであったように、現実にはNATO軍兵士の犠牲回避が最優先されているのである(いうまでもなく、コソヴォ紛争に先立つ湾岸戦争・ボスニア紛争、さらにはNATO空爆後に行われたアフガニスタン戦争・イラク戦争にもあてはまる)。このことは、「人道のための戦争」・「正義の戦争」と宣伝されたNATOによるユーゴ空爆が、実は「アルバニア系住民の保護・救済」のためなどではなく、NATO自体の利益(生き残り・存続強化)のためであったことと無関係ではない。

劣化ウラン弾は、敵側の戦車・装甲車などを破壊する目的で「貫通性」を高めるために放射性弾頭を用いた一種の「(核爆発のない)核兵器」(米英軍の戦車・戦闘機などに装備)であり、強い重金属毒性とともに放射能毒性を持っている。それが、米国が日本に投下した原子爆弾やヴェトナム戦争で使用した枯れ葉剤などと同様の非人道的兵器、「悪魔の兵器」であることは明白である。NATO空爆(あるいは湾岸戦争・ボスニア紛争)における劣化ウラン弾の使用は、明らかな「国際人道法違反」・「戦争犯罪」であり、勝つため(自国民の犠牲を最小限にするため)には手段を選ばない米国流の戦争の特徴を如実に物語っているといえよう。そのことと関連して注目されるのは、湾岸戦争の際の「湾岸症候群」と比べて顕著なのは、「湾岸症候群」にかかった多国籍軍兵士の多くが米英両軍の兵士であった(米英両国首脳は、劣化ウラン弾の危険性をその段階でもある程度知りながら戦場での勝利・犠牲回避を優先してそれを使用したといわれる)のに対して、今回の場合(「コソヴォ症候群」、あるいはボスニア紛争の場合も含めて「バルカン症候群」と呼ばれる)は、米英両軍を除く他のNATO軍(特に、ドイツ、イタリア、ベルギ−、ポルトガル、ドイツなどの兵士)から多く犠牲者が出ていることである。これは、劣化ウラン弾の危険性を知る米英首脳が自国軍兵士の安全には配慮しながら(米英軍は劣化ウラン弾の最多投下地域の担当からなるべくはずされ、また米英軍が劣化ウラン弾を回収する際には汚染防止措置がとられたといわれる)、他の同盟国首脳やNATO軍兵士にも知らせずにそれを使用・放置したからである。NATO空爆の際に生じた中国大使館「誤爆」事件でも示されたような米国の単独行動主義・秘密主義がここにもあらわれているといえよう。

こうした事実がこれまで明らかにならなかった理由は、米英首脳が意図的に劣化ウラン弾に関わる情報を隠蔽してきたためばかりでなく、ボスニア政府やコソヴォのアルバニア人指導者が平和履行部隊(IFOR)・平和安定化部隊(SFOR)やコソヴォ展開部隊(KFOR)の縮小・撤退を恐れて抗議・公表を控えたこと、また米英以外のNATO加盟国指導者が米欧間の亀裂・対立を恐れて真相究明に及び腰であったこと、そしてイラクの場合には、その当時、「独裁者」フセインが「勝利」を演出するために自国の被害・犠牲を最小限に見せかけようとしたことなどがあげられる。

NATO諸国(とりわけ米英)首脳がまず行うべきことは、コソヴォおよびセルビア・モンテネグロ(そして、当然ボスニア、イラク、アフガニスタン)での住民の健康調査・治療と劣化ウラン弾の処理・汚染防止であり、徹底した実態調査(因果関係の徹底究明と現地調査の早期実施)・責任者処罰と被害住民への謝罪・補償である。劣化ウラン弾の使用禁止・廃棄が必要であることは言うまでもない。この点で、米国の同盟国でかつ「唯一の」被爆国であり、沖縄の鳥島での演習(1995年〜96年)で1520発の劣化ウラン弾が使用された事例がある日本も無関係ではない。この問題で明確な立場・見解を示そうとしない日本政府は、そうした曖昧・無責任な対応・姿勢を根本的に転換して、米国に対して、未だに沖縄の嘉手納基地に劣化ウラン弾が貯蔵されているという情報をまず確認した上で、劣化ウラン弾の持ち込みと配備・使用への反対姿勢を明確に打ち出すべきであろう。

9・11事件後に米国によって行われたアフガニスタン・イラク攻撃(「新しい戦争」・「対テロ戦争」!?)では、湾岸戦争で初めて登場した劣化ウラン弾をはじめとするあらゆる新型の非人道的兵器が大量に使用された。米国は、国際的非難が集中しているにもかかわらず、それをあくまでも「正義の戦争」として正当化しようとしている。また、これとの関連で、米国が第二次世界大戦後に犯した「もう一つの戦争犯罪」であるヴェトナム戦争における枯葉剤使用とその被害をめぐる問題にもあらためて注目する必要があろう。米軍による枯葉作戦は、ケネディ政権下の1961年から始まり71年まで続いた。その目的は、農地を砂漠化して当時勢力を強めつつあった南ヴェトナム解放戦線を一掃することであった。枯れ葉剤の散布総量は約9万キロリットルで、その中には劇毒性の発ガン物質であるダイオキシンが大量に含まれていた。その結果、戦争中ばかりでなく、戦後も今日にいたるまで現地のヴェトナム人(戦闘に従事した解放軍兵士と戦闘に直接関わらなかった地域住民、その両者の家族)ばかりでなく米国人(帰還米兵とその家族)からも多くの疾病や健康被害が生じ続けているというのが現実である。

以上のように、「一種の核兵器」(厳密には「放射能兵器」)ともいわれる劣化ウラン弾使用をめぐる問題は、原爆投下や枯れ葉剤使用などとも本質的に共通する問題を含んでいる。それは、米国が情報操作による真相の隠蔽や歪曲された事実を前提として作られた「虚構の論理」によって正当化しようとしている点である。この問題を、米国が行う「正義の戦争」「人道(平和)のための戦争」という名の「(偽りの)作られた戦争」「終わりのない戦争」との関連で追求し解決することが急務ではないだろうか。またそれは、特に人体実験と情報操作、あるいは無差別爆撃と大量殺戮、さらに秘密主義(権力)と営利追求主義(資本)といった、現代国家における民主主義の根本的なあり方(権力・資本と民衆・メディアとの関係など)と直接に関わる問題であるだけに、今日の世界における最も緊急性が高い最重要課題となっているといっても過言ではないだろう。

 

3.核廃絶の実現に向けて何が必要か−発想の転換と下からの運動を

ブッシュ米政権は、「ミサイル防衛」構想の推進と並んで、核兵器先制使用を「前提」に、必要であれば「先制攻撃」によって敵対する国の「体制転換(政権転覆)」を圧倒的な武力によって実現するという、「ブッシュ・ドクトリン(予防戦争・先制攻撃戦略)」を打ち出している。これは、9・11事件以後の「新しい戦争」「対テロ戦争」の基本戦略となってる。この恐るべき新しい戦略では、地下貫通型の新しい小型核兵器の開発とそのための核実験再開などの必要性が強調されており、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの一方的な離脱や包括的核実験禁止条約 (CTBT) の死文化に続き、いまや核不拡散体制(NPT)までが崩壊の危機に瀕しようとしている。

こうした状況下において核廃絶の問題を考える際に、もう一つの重要な視点は、「核兵器(核戦争)と通常兵器(通常戦争)の有機的関連」であろう。これまで、核(兵器をめぐる)問題は特別視され、「核兵器(核戦争)」と「通常兵器(通常戦争)」という二つの問題は、区別されることはあっても、その関連が問われることはほとんどなかった。ここに実は、大きな「落とし穴」があったといえよう。なぜなら、日本への原爆投下(核戦争の開始)は、アジア太平洋戦争(通常戦争)の末期に行われたのであり、その後の朝鮮戦争やヴェトナム戦争においても、通常戦争の延長上に核兵器の使用が検討されたというのが現実だからである。換言すれば、実際には、核戦争と通常戦争とは常に重なる形で行われてきたし、今後もそうなる可能性が最も高いという事実である。また、湾岸戦争以来、非常に残虐でかつ巨大な破壊力をもつ非人道的な新兵器が、米国などによって使用されてきたこと、特に新型兵器のなかには劣化ウラン弾のような放射能兵器も含まれており、「核兵器(核戦争)と通常兵器(通常戦争)の区別」が、ますます曖昧かつ困難になっているのが現状である。

そこで、私たちは、以上のような現状を正しく認識した上で、「原爆投下(核兵器使用)の犯罪性と違法性」という問題に再び立ち戻る必要がある。なぜなら、最近の「新しい戦争」で頻繁に使用されている諸種の新型兵器は、その破壊力や残虐性から見ても核兵器と同じく、道徳的にも法的にも到底正当化できない性格のものとなっているからである。また、こうした新型兵器の使用禁止と核兵器廃絶の実現には密接な関連があるということも明らかである。特に、今日、「非戦闘員と戦闘員の区別」という人道的原則に真っ向から対立するにもかかわらず、新型兵器の使用による無差別爆撃と大量殺戮が、「正義」や「人道」の名の下に頻繁に行われているという深刻な現実を直視する必要がある。その意味で、こうした蛮行を止めさせるための具体的な努力、例えば、アフガン戦争・イラク戦争等に対する世界的規模での市民による国際戦争犯罪法廷の動きや無防備都市宣言運動の拡がりは、原爆投下や劣化ウラン兵器使用の犯罪性・違法性を問う新たな試み(被爆地・広島における7月15/16日の「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」や8月3〜6日の「劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会・ICBUW」の開催など)や核廃絶を求める原水爆禁止運動の取り組みなどと密接かつ有機的な関連があると指摘できる。

日本政府による「核の傘」を容認した上での「核軍縮」「(究極的)核廃絶」の主張は、日米安保条約という軍事同盟を是認した上での「平和憲法」・「非武装中立」の主張と同じく、世界や国際社会に対して十分な説得力を持ち得ないものであり、その欺瞞的ともいうべき曖昧な立場・発想からの根本的転換が求められているといえよう。

こうした核をめぐる正反対の二つの動きがせめぎ合っているという状況は、現在の世界において

も形を変えて続いている。イランや北朝鮮への核開発疑惑およびミサイル発射・拡散をめぐる国際問題がまさにそれである。この問題を詳述する紙幅はもう残されていないが、米国がイランや北朝鮮への敵視政策を改め、両国に対して体制保証を与えることが問題解決の近道であると思われる。一番大事なのは、「核兵器があるかぎり核戦争は避けられない。核を廃絶せよ」(ジョナサン・シェルの言葉)という視点であり、まさに「国際社会はいかにすれば米国をコントロールできるのか」という問題こそが最大の課題であるというのが結論である。すなわち、核拡散の悪循環を断ち切るためには、核軍縮ではなく核廃絶を実現することこそが必要不可欠であり、そのために世界最大の大量破壊兵器保有国である米国は、核廃絶に向けた世界的行動へのイニシアティブを発揮すべきである。私たちは、米国のイラク問題をめぐる情報がいかに嘘と欺瞞に満ちたものであったかをすでに知っているはずである。そうであれば、米国から同じく「悪の枢軸」と名指しされているイラン・北朝鮮両国に関する米国情報にも誇張・歪曲がないかを注意すべきなのは理路当然であろう。

このような危機的な状況を打開する上で、前述したブリックス氏の大量破壊兵器委員会の報告書は重要な提言を行っている。すなわち、「恐怖の兵器」と題する報告書は、「^冷戦終結後の今日においても新しい種類の核兵器、宇宙兵器、ミサイルの兵器開発競争という危機が存在する」と指摘し、イランや北朝鮮の核開発問題についてはNPTの枠組みの中での平和利用を認めつつ交渉する必要性を示すとともに、「最終的な核兵器廃絶を達成するためには、確固たる政治的意思」が必要であると論じている。この指摘は、米国がイスラエルや日本・インドに甘く、イランや北朝鮮・中国には厳しいという「二重基準」に基づいた対応をとっている現在、とりわけ重要であると思われる。

核廃絶を実現するためには、「確固たる政治的意思」とともに、それを支える市民による下からの運動が不可欠である。この点で、従来の非核自治体宣言運動から発展的に派生した「非核神戸方式」や有事法制・国民保護法制に反対する立場から最近新たな展開をみせている「無防備地域宣言運動」が注目される。それは、日本国憲法の核心でもある第九条の非暴力・平和主義とその具体化の試み(非暴力平和隊、非暴力防衛、非武装中立、完全軍縮、良心的兵役拒否など)とも共通する考え方・構想であることはいうまでもない。このような考え方・構想の根底には、「国家の安全」と「国民の安全」を区別し、後者を最優先するような新しい平和・安全保障観、「国家の安全保障」から「人間の安全保障」へ、あるいは「軍事的安全保障」から「非軍事的安全保障」へ、という平和・安全保障観の根本的転換がある。

第二次世界大戦(あるいは太平洋戦争)終結・原爆投下から61年目の夏に被爆地・広島で期せずして同時に開催された、「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」と「劣化ウラン兵器(DU)禁止を訴える国際大会」という二つの大きな国際的催しは、まだ多くの未解決の問題を残しているとはいえ、原爆(核兵器)と劣化ウラン兵器の禁止・廃絶が人類にとっての緊急の課題であることを世界に向かって訴えることが出来たという事実は大きな意味があるといえよう。

市民が主体となって地域から脱国家・脱軍事化を実現させる動き、すなわち市民による安全保障、人間の安全保障の実現を求める取り組みや市民・地域住民による自治体の平和的創造力を発展させる試みこそが、国家中心の軍事力による安全保障を克服する有効な選択肢である。いま私たちには、まさにこうした平和憲法を活かし具体化させようとする新しい発想と行動こそが求められている。とりわけ、日本にとって非常に身近な朝鮮半島で戦火を再び起こさせないためには、市民一人ひとりの思想と行動が今日ほど問われている時はないであろう。原爆神話・核抑止論を克服して核兵器廃絶を実現する道がその延長上に見えてくることは間違いない。

 

(本稿は、『軍縮問題資料』2006年9月号に掲載された原稿を修正・加筆したものです。)

※なお、本稿は、グローバルヒバクシャ研究会(高橋博子・竹峰誠一郎)編『市民講座 いまに問う ヒバクシャと戦後補償』凱風社、2006年10月発行に掲載された原稿です。