「正義の戦争」とアメリカ−原爆と劣化ウラン弾を結ぶもの−
木村 朗(鹿児島大学、平和学専攻)
はじめに
「戦争と大量殺戮」の20世紀から「平和と人道主義」の21世紀への転換は、第二次世界大戦直後から本格的に開始された「冷たい戦争」(以下、「冷戦」)が
基本的に終結(1989年〜1991年)して以降、「平和の配当」を求める世界中の人々の共通の願いであった。しかし、そのような期待は、すぐに1990年代
になって生じた湾岸危機・戦争やそれに続くボスニア紛争等によって大きく揺らぐとともに、20世紀末のコソヴォ紛争でのNATO空爆、21世紀初頭のア
メリカ主導によるアフガニスタンへの「報復戦争」やイラクに対する「予防戦争」、という形での「21世紀型の戦争」の発動によって完全に裏切られるこ
とになった。この21世紀における「新しい戦争」は、「テロとの戦争」(以下、「対テロ戦争」)とされ、第二次世界大戦後における「新しい戦争」であった
「冷戦」に代わるものとなった。こうした変化を一挙に加速させることになったのが、2001年にアメリカで突然生じた9・11事件であった。この9・11事
件は真珠湾攻撃にも擬せられたが、これを契機に「世界は変わった」と言われ、世界は急速に戦争モード一色に覆われることになった。アメリカのブ
ッシュ政権は新保守主義者(ネオ・コンサーバティブ)が主導権を握り、「新しい戦争(対テロ戦争)」を掲げ、アフガニスタンに続いて、イラクに
対しても一方的攻撃を国連や国際世論を無視する形で強行したのである。

しかし、こうしたアメリカを中心とする世界の急速な軍事化・専制化の動き、すなわち新保守主義者による「新しい帝国秩序」の形成とは逆の潮流が、国連を中心とする民主的かつ平和的な「多元的世界秩序」の構築を求める「世界(あるいは地球)市民主義」の萌芽、世界的規模での反戦・平和運動の高揚や反グローバリズム運動の登場となってあらわれている(注1)

今日の国際社会で最も問われているのが、「アメリカ問題」、すなわち、アメリカは本当に民主主義国家なのか、あるいはアメリカ外交の本質的性格とは何か、という問題である。それはまた、国際社会はアメリカをどのようにしたらコントロールできるのか、あるいはアメリカ市民による政府の統制はいかにすれば可能となるか、という問題でもあろう。

具体的に言えば、アメリカによって行われた「新しい戦争」では、いずれの場合も当初掲げられた戦争目的・動機の裏づけとされた根拠・証拠が薄弱というよりも意図的に操作されたものであったことが判明している。戦争手段・方法という点でも、劣化ウラン弾・デージー・カッター等をはじめとするあらゆる新型の非人道的兵器を大量に使用しており、明らかな人権侵害・戦争犯罪であるとの非難の声が世界的な市民ネットワークから上がっている。それにもかかわらず、アメリカはこうした批判に一切耳を傾けることなくそれをあくまでも「正義の戦争」として今日にいたるまで正当化しようとしている。

また、アメリカは、第二次世界大戦をアメリカにとっての「正義の戦争」として位置づけており、戦争末期に日本に対して行った2度にわたる原爆投下を、早期終戦・人命救済という理由付けでこれまで一貫して正当化している。さらに、第二次世界大戦直後から急速に世界化した「冷戦」の原因・責任をもっぱら「ソ連の膨張主義」にのみ求め、「冷戦の終結」を「資本主義の勝利」とみなす、きわめて一方的で傲慢な立場を取り続けている。

そこで、本稿では、「正義の戦争」とアメリカという視点から、(ある意味で、それぞれが「世界大戦」というべき性格をもっているとも言える)「冷戦」と「対テロ戦争」という二つの「新しい戦争」が世界秩序におよぼした影響を比較検討し、とくに過去においてトルーマン政権によって行われた原爆投下と現在のブッシュ政権による劣化ウラン弾使用をつなぐアメリカ外交の本質的共通点、第二次世界大戦中から現在にまで続くアメリカにおける民主主義のあり方について根本的に考えてみることにしたい。

 

1.9・11事件とブッシュ政権による「対テロ戦争」 の発動

1)9・11事件と「二つの記録」(真珠湾攻撃と原爆投下)

 2001年にアメリカで起きた、9・11(いわゆる「同時多発テロ」)事件は、それを契機に「世界は変わった」と言われるほどに全世界に大きな衝撃をあたえた。この事件発生からまもなくして、アメリカ政府は、この事件の首謀者がオサマ・ビンラディンであり、モハメド・アタをリーダーとする19人のイスラム教過激派グループによる犯行である、と公式に発表した。世界最強国家であると自他ともに認めるアメリカの経済(世界貿易センタ−)と軍事(ペンタゴン)の中枢が、ハイジャックされた民間旅客機による自爆攻撃という最も原始的な方法で破壊されたというのである。もしこの公式発表が真実だとすれば、それはアメリカの安全(全能)神話が一挙に崩壊し、「軍事力によって市民(国民)の安全は守れない」ようになったこと、すなわちアメリカがこれまですすめてきた「力による平和(=力は正義なり)」、あるいは「国家(軍事力)中心の安全保障」がもはや意味をなさなくなったことを示している。

この事件直後にアメリカのメディアは、アメリカの本土が攻撃されたのは日本による真珠湾攻撃(1941年12月7日)以来のことであり、それはアメリカにとって予測不可能な出来事であったと伝えた。多くのアメリカの政府・メディアの関係者がこの9・11事件を、「奇襲」と「自爆」という二重の攻撃という意味で、日本の真珠湾攻撃や神風特攻隊の再来に見立てようとしたのも記憶に新しい。また、世界貿易センタ−(WTC)ビルの崩壊現場は、そこで犠牲になった人々を追悼するなかで、いつのまにか「グラウンド・ゼロ(爆心地)」という名称が用いられるようになった。

このような見方は、9・11事件をとらえるうえで、本当に妥当な説明であると言えるものであろうか。ブッシュ大統領が「21世紀の真珠湾攻撃」と呼んだように、彼らが9・11事件を真珠湾攻撃と対比させようとするのは、日本の真珠湾攻撃が何らの正当性をもち得ない卑怯な騙し討ち・奇襲攻撃であり、それと9・11事件を重ねることで、完全な被害者であるアメリカが今後どのような報復行動を取ろうと一切の責任を問われることはないというレトリックを自己の利益と考えたからに他ならない。しかし、真珠湾攻撃自体は結果的に「奇襲攻撃」という形になったが、あくまでも軍事基地を目的とした限定的な攻撃であり、民間人を巻き添えにする自殺(特攻)攻撃でもなかった(注2)。アメリカ政府には事前にハイジャック攻撃を含む数多くのテロ情報が内外から寄せられていたことが判明しており、9・11事件はブッシュ政権が主張しているような「アメリカにとって予測不可能な出来事」では必ずしもなかった。そればかりでなく、アメリカ政府の公式発表とその後に明らかになった実際の事実関係とが大きく矛盾していることや事件前後にブッシュ政権が不可解な行動をとっていたという事実等が次第に明らかになっており、9・11事件が防止可能であったばかりでなく、アメリカ政府が大きな嘘をついて国民を欺こうとしているのではないか、あるいはブッシュ政権があの事件と何らかの形で関わっていたのではないか、という驚くべき疑惑がアメリカ国民の中にも急速に広がりつつあるという現実がある(注3)

また、世界貿易センタ−(WTC)ビルの跡地を、たとえ犠牲者を追悼する気持ちからとはいえ「グラウンド・ゼロ(爆心地)」と称することは、いまだにその後遺症に苦しみ続けている多くの被爆者にとっては受け入れがたいものではないだろうか。なぜならば、そうした見方は、アメリカ国民の原爆投下・被爆者問題への無理解・無関心の反映であり、原爆投下直後から現在にいたるまでその使用を一貫して正当化しているアメリカ政府や圧倒的多数のアメリカ人が、その破壊の規模と残虐性・非人道性等において到底比べるべくもない原爆投下を[単なる大きな爆撃・爆発程度]と同じ性格のものとしか理解していないことを示していると思われるからだ。

9・11事件の原因・背景については、(アメリカ政府の公式発表を前提とするものではあったが)これまでにノーム・チョムスキーやエドワード・サイードをはじめ多くの論者が、アメリカ主導のグローバリゼーションによる貧富の極端な格差という矛盾やアメリカが過去に行ってきた世界的規模での恣意的な対外的軍事行動に対する怨嗟の蓄積、とりわけ中東・パレスチナ問題での「ダブル・スタンダード(=二重基準)」の適用、すなわちイスラエルへの一方的肩入れと湾岸戦争終結直後に始まり9・11事件の時点でも続いていたイラクに対する非人道的な徹底した経済制裁(子ども・女性・老人等150万人以上の犠牲者を出したといわれる)と絶え間のない執拗な空爆の実施等、さまざまな直接的および間接的な原因を指摘している。特に注目されるのが、9・11事件自体が問題発生の原因・起点ではなく、それまでのアメリカの対外的行動がもたらした当然の結果・報復でもあるというチャルマーズ・ジョンソンに代表される見方である(注4)

しかし、9・11事件後のブッシュ政権は、こうした貴重な教訓を学ぼうとする姿勢を一切見せなかった。ブッシュ政権の最初の対応は、「アメリカがなぜ狙われたのか」、「なぜアメリカがこれほど憎まれなければならないのか」という設問を発すること自体がテロリスト側を利することになるという論理で、9・11事件の原因・背景を追求することを断固拒否するものであった。こうした中で、9・11事件やそれに関連していると見られた炭疽菌事件の真相究明を求める、犠牲者の遺族を含む多くの人々の声も完全に封殺されることになったのである。

ブッシュ政権が最初に手をつけたのは、国内におけるテロ対策の強化に名を借りた情報統制と人権侵害であった。9・11事件直後に、この事件に関係したとの一方的嫌疑でアラブ・中東系の人々約1200人を逮捕令状なしに拘束・長期拘留し、2001年以降に渡米したアラブ・中東出身者に対する事情聴取や留学生への監視強化を多くの反対を抑えて実施した。さらに同年10月6日には、テロ実行の協議やテロ活動への支援をも取り締まりの対象とした愛国者法(Patriot Act)を成立させた。この法律は、テロ関与の疑いがあると当局が判断した移民・外国人の拘留期限を延長し、通信の傍受や携帯電話・Eメール記録等の強制的な開示を可能とする、等を主な内容としていた。特に問題なのは、「テロ」・「テロリスト」の定義があいまいで当局に大幅な裁量権を持たせることになったことだ。その結果、テロ対策という名目で、合衆国憲法で保障された市民の基本的人権が過度に制限され、愛国心の異常な高揚とテロへの恐怖・不安が広がる中で、移民・外国人に対する差別と迫害等の新たなヘイトクライム(憎悪犯罪)を生むことになった。また、本来権力の乱用を監視・抑止するはずの議会およびメディアは、こうした重大な問題を真剣に追及することもなく、ひたすら沈黙するか、あるいは政府当局が発表する情報を一方的に流すのみであった。まさに、9・11事件を契機に、権力とメディアが一体化した翼賛状況・体制が一挙に形成されたと言えよう。換言すれば、「国家」([国民]ではない)の[安全]のためには「自由」や「人権」が多少制限・犠牲となっても仕方がないとするような「監視社会」・「警察国家」が当然のことであるかのように登場することになったのである。

2)「対テロ戦争」の発動と「正義の戦争」の復活−世界戦争と新世界秩序の形成−
9・11事件直後にブッシュ大統領は、21世紀における「新しい戦争」、すなわち21世紀型の戦争」としての「対テロ戦争」を宣言し、「世界はアメ
リカの側に立つのか、テロの側に立つのか」という二者択一を国際社会に強要した。こうした善と悪、文明と野蛮、正義と邪悪を対立させる単純な二
分法的思考は、ブッシュ政権が9・11事件以後に行う内外政策の本質的特徴となっていく。また、アメリカは、9・11事件以後、自国の安全・国益(真
の安全・国益ではない!)のためには国連の権威や同盟国の意思、他国の主権を躊躇なく無視して行動し、自国民の一部も含む世界の人々の人権を勝
手に制限することも構わないという形で「帝国化」した。これは、冷戦終結後にアメリカが喪失しつつあった国際社会への支配的影響力・コントロー
ルを再び取り戻そうとする試みであった。そして、ブッシュ政権の巧みな情報操作によってテロへの恐怖やイスラムへの偏見を一方的に煽られたアメ
リカ民も、日常生活への不安から国際法秩序や憲法秩序を破壊して暴走する自国政府を支持することになったのである。

9・11事件後のブッシュ政権は、対外的には司法・警察・金融・情報等各分野にわたる「国際反テロ同盟」の構築に取り組む一方で、9・11事件の実行犯として一方的に断定したアルカイダやオサマ・ビンラディンを匿っているという理由でアフガニスタンのタリバン政権に対して報復的な軍事行動に直ちに打って出た。また、それに続いて、政権発足以来敵視し続けてきたイラクのフセイン政権に対して、大量破壊兵器保有疑惑を突然持ち出し、国連安保理での武力行使容認決議の採択に失敗したにもかかわらずイラクへの攻撃を国連と国際世論を無視して敢えて強行した。こうした一連のアメリカの軍事行動をどのようにとらえたらよいのであろうか。

もちろん、確固たる証拠を提示することなく一方的に行ったアフガニスタンへの攻撃や、アメリカによって持ち出された大量破壊兵器保有疑惑自体がそもそも何の根拠もない「でっち上げ」であったことが判明したイラクへの攻撃が、両者とも国連安保理の支持さえも欠いた、明らかな自衛権の濫用であった。アメリカは、9・11事件以前にも自国が中心となって行った湾岸戦争やNATO空爆等を「正義の戦争」として正当化してきた。そして、9・11事件を理由に、「対テロ戦争」の一環として強行したアフガニスタン戦争・イラク戦争では、その傾向を一層強めて「正義の戦争」を絶対視するような論理を前面に打ち出すことになったということだ。このことは、アフガニスタンに対するアメリカの軍事作戦名がイスラム側からの抗議を受けて「不朽の自由」(enduring freedom)へと変更されるまでは「限りなき正義」(infinite justice)とされていたという事実やブッシュ大統領が当初は中東地域での米軍の戦いを「十字軍」とみなす不用意な発言を行っていたという事実に端的に表れている。ブッシュ政権は、9・11事件を「テロリスト」によるアメリカの自由と民主主義への挑戦とし、それを「絶対悪」と位置づけ、それと戦うアメリカを「絶対善」として国際社会に一方的にアピールした。「正戦論」で著名な政治学者マイケル・ウォルツァーや「文明の衝突論」のサミュエル・ハンチントンらアメリカ内外の多くの知識人も「われわれは何のために戦うか」という文書を発表してアメリカの対アフガニスタン戦争を全面的に擁護したのである。

ここで、「正義の戦争」とは何かを考えるために、これまでの歴史上における人類の戦争観を把握しておく必要があるであろう。人類の戦争に対する代表的な見方としては、次の三つの戦争観、すなわち、中世における「正戦論」、近代の「無差別戦争観」、20世紀に入ってからの「戦争の違法化」という考え方がある(注5)。「正戦論」は4世紀のアウグスチヌスから始まる考え方で、神の意に添う戦争は正しいとするものであり、ローマ法王がその判定権を持つというキリスト教的な考え方である。その後、宗教的権威が衰え、1648年のウェストファリア条約以降の国際社会になると「無差別戦争観」に取って代わられる。それは、主権国家の絶対性を前提とし、主権国家には国益実現の手段として「戦争をする権利」があり、戦争に正義も不正義もなくあらゆる戦争は合法であって許される、という考え方であった。そして、20世紀に入って生じた二度にわたる悲惨な世界大戦を通じて、戦争の残忍さを前提にすべての主権国家を「法の支配」の下において戦争に厳格なルールを当てはめ、さらにあらゆる戦争は基本的には全て違法であって禁止されるという「戦争の違法化」の新しい考え方にようやく到達する。それは、原爆使用による核被害を含む戦争の悲惨さ・残忍さを経験した人類が再び同じ過ちを繰り返してはならないという強い非核・反戦の意思を表明したものであった。その具体的現れが、1920年の国際連盟規約、1928年のパリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約、)1945年の国連憲章であった。

 しかし、冷戦の終結と時を同じくして生じた1990〜91年の湾岸危機・戦争では、クウェートに対するイラクの明白な侵略行為への国際社会の当然の制裁として米軍中心の多国籍軍による武力行使が正当化され、湾岸戦争を「正義の戦争」とみなす論調が生まれた。また、1999年に起こったコソヴォ紛争への対応として行われたNATO空爆では「正義の戦争」とともに「人道のための戦争」という正当化がなされた。極端な人権侵害等の人道的な破局を防ぐためには国際社会は積極的に介入する必要があり、そのための武力行使は正当化されるという、いわゆる「人道的介入」論の登場である。

このように、近年、アメリカを中心に、「正義の戦争」や「人道的介入」等を大義名分とした武力行使を正当化する、既成事実の積み重ねによって既存の国際法原理を否定し、新たな国際社会の規範作りを行おうとする傾向が顕著となっている。湾岸戦争の場合は、国連安保理での武力行使容認決議自体があったとはいえ、そもそものイラクのクウェート侵攻の重要な契機・原因にアメリカが深く関与していたばかりでなく、湾岸危機の最終局面においてクウェートからの撤退に応じる姿勢を見せていたイラクに戦争という最終手段に敢えて訴えたアメリカの対応は、きわめて欺瞞に満ちたものであったと言わざるを得ない(注6)。また、NATOによる対ユーゴ空爆は、国連安保理の承認の欠如という法的な手続き上の瑕疵、目的と手段の不均衡(劣化ウラン弾等の大量使用や民間施設への攻撃等の戦争遂行手段の非人道性)、目的と結果の乖離(アルバニア系住民の救済・保護の失敗、ミロシェビッチ政権の政権基盤の強化)等から、法的・形式的にはまさに主権国家に対する侵略行為であり、政治的・実質的にも不必要かつ非人道的な行為であったと言えよう(注7)

ダグラス・ラミスも指摘しているように、正戦論、すなわち「正義の戦争」理論には二つの側面・要件がある(注8)。一つは、戦争の「目的」に関することで、「防衛(自衛)」等の正統な戦争目的や正当な理由・動機の存在である。もう一つは、戦争の「手段」に関することで、戦争では何かのルール(例えば、非戦闘員を殺してはいけない、捕虜を殺してはいけない、残酷な武器、毒ガス、体の中で爆発する軟らかい金属でできている銃弾とかは使ってはならない等々)を守るべきというのが正戦論の基本である。これに第三の側面として、戦争発動のための手続き的な(法的かつ形式的な)正統性の確保を付け加える必要がある。この三つの要件を満たして初めて「正義の戦争」とみなされるということである。この点で、先に述べた、湾岸戦争やコソヴォ紛争でのNATO空爆、9・11事件後のアフガニスタン戦争・イラク戦争等が、こうした厳密な意味での「正義の戦争」に当てはまらないことがわかるであろう。重要なのは、「正義の戦争」は戦争そのものを絶対的な善と考えているのではないということだ。それは、ブッシュ大統領の「十字軍」発言が示唆したような、いわゆる「聖なる戦争」・聖戦論、すなわち「絶対的な正義」対「絶対的な悪」との戦いとは本来は性格が大きく異なるものであることに注意を払う必要がある(注9)

ここで改めて確認しておきたいことは、「特定の国あるいは特定の国家群」によって「人道的介入権」や「自衛権」の名の下に国連を無視する形で行われたNATO空
爆やアフガニスタンに対する「報復戦争」やイラクに対する「予防戦争」等によって、第二次大戦戦後の国際社会がこれまで積み上げてきた「内政不干渉」や「武力
不行使」、「国家主権の尊重」、「民族自決権」といった国際法上の基本原則が恣意的に踏みにじられたということである。このように冷戦終結後の国際社会(また特
9・11時件以後の世界)においては、アメリカを中心に、戦後の国際社会がこれまで積み上げてきた民主的な法秩序の根幹が今日根底から揺さぶられていると言
えよう。アメリカの真の狙いは、既存の国際法では正当性をもたない人道的介入権や先制的自衛権を事実上の新しい国際法の基本原則として国際社会に受け入れ
させることにあると考えられる。そして、ある意味で冷戦が「第三次世界大戦」であったとするならば、まさに「対テロ戦争」は「第四次世界大戦」と位置づけられようとし
ており、この新しい「人為的な(つまり、作られた)世界戦争」を通じて新しい世界秩序、すなわち「新しい帝国秩序」が形成されようとしているわけである。むろん、この
ような権利をアメリカだけに認めることは、アメリカに世界の統治権・決定権を委ね、「法の支配」を放棄して「力の支配」に屈することを意味している。
この問題は、アメリカが国際刑事裁判所の設立や活動に反対してさまざまな妨害活動を行い続けていること、アメリカ一国のみで独自の軍事裁判・戦
犯裁判を国際法やアメリカ国内法も及ばないキューバのグアンタナモ基地等で行っていること、アフガニスタンやイラクでは収容者に対して残虐な虐
待・拷問が日常的に行われていることと密接に関連している。国連の枠の外でアメリカが一方的に行ったアフガニスタン戦争およびイラク戦争とその
結果に対して、両国でいまだに戦闘・抵抗闘争が継続されているのが現状であるにもかかわらず、米英軍主導の占領を既成事実として一部の国々ばか
りでなく国連までもが容認するかのような状況がすでに生じているだけに、きわめて重大である。世界で唯一の絶対的な「主権国家」として、国際法の解
釈・運用をも恣意的に行おうとするアメリカの「単独行動主義」を国際社会が容認してはならない。

 

2.原爆投下問題の見直しと無差別爆撃の歴史的変遷
1)冷戦の起源と原爆投下問題の見直し

80年代から90年代初頭において生じた旧ソ連・東欧諸国の急速な脱社会主義化とその結果としての冷戦の終結は、「冷戦とは何であったのか」という問題を改めて世界に提起することになった。冷戦の起源・責任については、従来、ポーランド問題に代表されるような東欧でのソ連の膨張主義や国際共産主義運動を通じた世界革命の追及に主因を求めるソ連責任論が一般的であった。現在でもそうした見方が主流であるとはいえ、それとは異なる有力な見解も現れ始めている。当時のソ連の能力・条件からしてソ連側が冷戦開始のイニシアチブを取ったという見方は一方的でアメリカの側にも大きな原因があったとする米ソ共同責任論や、冷戦の起源を第二戦線創設問題やギリシャ内戦問題や原爆開発・投下問題に求めるアメリカ主要責任論がそれである(注10)。この問題では、第二次大戦で2700万人もの犠牲者など甚大な損害を被っていた当時のソ連には冷戦を発動させるだけの能力も意図も基本的になかったという点でアメリカ主要責任論の立場がより説得力があると思われる。また冷戦開始の主要原因を、第二次世界大戦中から戦後直後にかけての国際関係の劇的な構造変化に対する米英両国を中心とする西側諸国の「過剰反応」にあったとみなしている。そこで、ここでは冷戦の起源との関わりで、最近の原爆投下研究の現状とその新しい特徴を考えることから始めたい(注11)

まず、なぜ広島・長崎に原爆が投下されたのかという原因・背景、あるいはアメリカ側の動機・目的として、これまで主に、@早期終戦および人命救済のため−アメリカの公式見解、A ソ連に対する威嚇・抑制(「原爆外交」:対日参戦の影響力の封じ込め)、B 日本の「卑怯な」真珠湾攻撃に対する「報復(復讐)」とその背景にある人種差別観の存在、C 新型兵器の実戦使用による人体実験のため(マンハッタン計画の一環)、D 約20億ドルという巨大な開発費用の「回収」のため−議会・国民からの強い圧力の存在、E ルーズベルトの負の遺産とマンハッタン計画実施機構の「はずみ」、Fアメリカ指導者(トルーマン、バーンズ、グローブズ等)の野心と人種的偏見、等が指摘されてきた。

また、主に日本側から見た原爆投下研究の最近の新しい特徴として、A.「原爆投下の必要性・正当性」を中心とする政治・軍事上の問題から、「原爆投下の道義性」を問う人道上・国際法上の問題へ、B.冷戦の起源としてのソ連抑止説(戦後世界でのアメリカの優位性確立とソ連の影響力封じ込め)から人体実験説(新兵器の実戦使用での威力の確認)へ、C.アウシュヴィッツ、南京大虐殺との「ジェノサイド(大量殺戮)」としての共通性への注目、 D.真珠湾攻撃と原爆投下の相殺説から、重慶爆撃と原爆投下の共同加害説へ(「被害」と「加害」の重層性、「人道に対する罪」としての「無差別爆撃」と「大量殺戮」=無差別都市爆撃の延長線上としての原爆投下という位置づけ)の4つの傾向を指摘できる。

早期終戦および人命救済のためというアメリカの公式見解は、新しい確認された事実によって研究者の間ではすでに説得力を失っているといえる。また特に、冷戦の起源としてのソ連抑止説(戦後世界でのアメリカの優位性確立とソ連の影響力封じ込め)から人体実験説(新兵器の実戦使用での威力の確認)へという最近の新しい研究の傾向が注目されよう。周知のように、日本への原爆投下は早期終戦及び人命救済のためであったという考え方はアメリカ政府の今日にいたるまでの公式見解であるばかりでなく、現在でも多くのアメリカ国民がそれを疑うことなく信じている。また、残念なことに、日本政府が戦後こうしたアメリカの見解を強く否定せずにあたかも受け入れたかのような姿勢に終始したこともあって、日本国民のかなりの部分も、この公式見解をそのまま鵜呑みにしているという現実がある。しかし、こうしたいわゆる「原爆神話」が必ずしも事実に基づいたものではなく、あくまでも戦後権力(占領軍・日本政府等)によって意図的に作り出された「虚構」そのものであることが次第に明らかになりつつある。

日本でのこれまでの原爆投下研究はアメリカ側の影響もあって、どちらかといえば、原爆投下が軍事的に本当に必要であったのか、あるいは必要でなかったのかという問題を中心に論じられてきた。こうした問題設定を通じて、もし軍事的に必要であったならば原爆投下は正当化できる、また逆に軍事的に必要でなかったのならば正当化できない、という形で議論が展開されてきたと言える。しかし、こうした従来の議論のあり方を批判するものとして、人道的観点から見れば、そもそもナチス・ドイツの脅威を理由とした原爆の開発自体が誤りであり、ましてや原爆の使用は決して正当化することのできない非人道的行為であったとする見解がある。そして、この見解は、原爆投下を「戦争犯罪」として位置づけ、国際的な司法の場で裁こうという最近の動向と結びついている。

次に、この立場を前提とした上で、原爆投下の原因・目的について、ここで改めて考えてみたい。「早期終戦及び人命救済のために原爆投下は必要かつ正当であった」とするアメリカ側の公式見解を批判する見解として、これまでもっとも有力であったのが冷戦の起原としてのソ連抑止説だ。これは、「原爆爆弾の投下は、第二次大戦の最後の軍事行動であったというよりも、寧ろ目下進行しつつあるロシアとの冷たい外交戦争の最初の大作戦の一つであった」(英国のP.M.S.ブラッケット教授)や「原爆外交」(アメリカのガー・アルペロヴィッツ教授)という言葉に示されている立場であり、多くの点で基本的に同意できるものである。

この戦後世界でのアメリカの世界的な覇権確立とソ連の影響力・発言力の封じ込めの原爆投下という考え方は、確かに戦後直後に本格化する冷戦との関係をみれば今日でも非常に説得力のある見解であると言えよう。しかし同時に、それとは異なる隠された要因があったのではないのかというのが筆者の立場・見解である。すなわち、「原爆投下は新型兵器の実験、とりわけ人体実験を含むものであった」という解釈・評価がそれである。ここでその詳細を論じる余裕はないが、現時点で筆者は、原爆投下にはもちろん複数の原因・目的があったのであり、そのなかでもソ連抑止説と人体実験説が特に重要で両者の関連や投下要因における比重等を今後明らかにしていかなければならないと考えている。また、原爆投下の犯罪性・残虐性として、大戦中における非戦闘員の大量殺戮という「戦争犯罪」「人道に対する罪」ばかりでなく、戦後(特に占領期における)被爆者の救済放置とモルモット扱い(治療に名を借りた実験データの収集等)、さらに原爆被害の隠蔽と「原爆神話」の意図的な捏造という情報統制・世論操作を含めてその全容と責任を明らかにする必要がある(注12)。そして、こうした視点からの真相解明が進めば、さらに冷戦そのものが歴史的必然であったというよりも、むしろ意図的に作り出されたものであったという隠された真実が浮かび上がるのではないだろうか。

結論として言えることは、原爆投下は軍事的に不必要でかつ政治的には有害であったばかりでなく、道徳的かつ法的な観点から見ても正当化することはできない明らかな戦争犯罪(日本・日本人に対して、というよりも、国際社会・人類全体に対しての「人道に対する罪」)であったということである。換言すれば、早期終戦あるいは人命救済という「人道上の理由」で原爆投下がなされたという「原爆神話」は、原爆投下を正当化するために、あるいは第二次世界大戦における最大の(ある意味ではナチス・ドイツを凌ぐほどの)「戦争犯罪」であることを覆い隠すために戦後になってアメリカ(部分的には日本政府)によって作られた「虚構の論理」であった。なぜなら、原爆(投下)が戦争を早期終結させたのではなく、原爆(投下)があったために戦争終結が遅れたのだというのが歴史的事実・真相であった。また原爆投下によってソ連参戦前に日本が降伏すれば(例えソ連参戦後に日本が降伏した場合であっても)対日占領政策を含むアジアでの戦後のソ連の影響力拡大を封じ込めることができるという狙いがあった。原爆投下のもう一つの隠された目的は、原爆の破壊力・効果の確認と人体への影響力の測定という、新型兵器の実戦使用とそれによる都市全体の破壊と住民の皆殺しという人体実験でもあった。さらに、原爆投下は国際社会全体への威嚇と戦後秩序におけるアメリカの覇権確立という目的も含んだものであり、その結果、当時の国際環境からして必ずしも歴史的必然性はなかった冷戦を壮大な無駄遣いである核軍拡競争をともなう形で生じさせることにもなった。また、こうした原爆開発・投下の背景として、第二次世界大戦中に着手されたマンハッタン計画を契機に形成され、第二次世界大戦後に推進された強大な核・原子力政策の下で肥大化する軍産学複合体の存在があったことを指摘しておきたい(注13)

 

2)無差別爆撃と大量殺戮−その歴史的変遷と今日的形態

原爆投下問題を見直す場合のもう一つの重要なアプローチとして、無差別爆撃と原爆投下の関係を問う視点、すなわち「無差別爆撃による大量殺戮の延長としての原爆投下」がある。そこで、無差別爆撃と大量殺戮という視点から、まず無差別爆撃の起源から原爆投下への歴史的変遷を概観し、次にその無差別爆撃の今日的形態との共通性を考えてみたい。

まず「非戦闘員(民間人)の大量殺戮」という明らかな戦争犯罪としての無差別爆撃の起源についてであるが、それは戦略爆撃の思想および実践の変遷と密接な関連をもっている。この「戦略爆撃」という言葉は、当初は軍需施設・工業地帯への「精密爆撃」という意味で用いられたものであり、必ずしも最初から「無差別爆撃」と結びついたものではない。しかし、兵器の性能・破壊力が向上して戦争がしだいにエスカレートするなかですぐに都市住民や都市全体の破壊を目的とする無差別爆撃へと変わることになった。無差別爆撃は、スペインのゲルニカに対するナチス・ドイツの爆撃からはじまり、日本軍による重慶爆撃、米英軍によるハンブルク・ドレスデン等への爆撃、そして日本の東京・大阪・名古屋等への大空襲、最後に広島・長崎への原爆投下へとつながることになった。こうした戦略の残虐さの段階的な上昇と比例して、交戦当事国における人道的価値・倫理的基準は急速に後退・低下することになる。そうした戦争の変質と人道的・倫理的基準の転換を背景として注目されるのが、日本軍によって引き起こされた重慶爆撃である。これは、1931年の満州事変から上海・南京・武漢への日本軍による攻撃・占領が続く中で行われた、当時の中国の国民党政府が本拠を置いていた臨時首都・重慶に対する初めての長期的戦略爆撃であり、当初から無差別爆撃の様相を色濃く呈していた。

前田哲男氏は、重慶爆撃を「ヒロシマに先行するヒロシマ」と位置づけ、その特徴として、第一に、重慶爆撃は都市全体の破壊、あるいは都市住民の生命の剥奪そのものを狙った攻撃であったということ、また第二に、空軍力のみによる攻撃であったということ、さらに第三に、それが相手国(指導者および民衆)の戦争への継続意志の破壊、すなわち戦意喪失が目的であったということ、の3点を挙げている(注14)

この重慶爆撃は、1938年2月18日から、1943年8月23日までの 5年半の長期間にわたって行われ、死者11、889人、負傷者14、100人を出し、破壊した家屋17,608戸であったといわれる(中国・重慶市で2003年12月に開催された「重慶爆撃65周年国際シンポジウム」での報告資料より)。

このような中国の首都・重慶に対する日本軍による残虐な無差別爆撃は、「戦略爆撃のブーメラン」(前田哲男氏)という形で、その後の日本に対するアメリカの攻撃(東京・大阪・名古屋等への無差別爆撃と広島・長崎への原爆投下)となって返ってくる。

そして、重慶爆撃と原爆投下に共通する特徴として、以下の諸点を挙げることができる(また、これらの点は、現在のアフガニスタン・イラク戦争にもそのまま当てはまる)。

第1点は、無差別爆撃を正当化する戦争目的と軍事の論理である。これは、無差別爆撃によって一般国民に「衝撃」と「恐怖(畏怖)」を与えて、敵国民の戦意・継戦意思を喪失させるのが最大の戦争目的であることだ。この点は、「衝撃と畏怖」あるいは「イラクの自由」と命名された米英軍等によるイラク攻撃作戦の目的(戦闘員の戦意喪失および非戦闘員の戦争継続・抵抗意思の剥奪)とも共通している。

第2点は、無差別爆撃をしても敵との距離が遠いために、相手側の死傷した姿等の惨状を直接目にすることはないために良心の呵責や罪悪感を感じずにすむことだ。この点は、アウシュビッツ、南京等での大量殺戮と無差別爆撃・原爆投下との大きな違いでもある。このことは、安全な遠隔地からのハイテク兵器によるピンポイント爆撃という「戦争のゲーム化」にも形を変えて現れていると言えよう。

第3点は、早期終戦・人命救済、すなわち戦争を短期間で終結させて犠牲者を最小限にできるという正当化の論理である。だが、これは勝つためには手段を選ばないという野蛮な戦争のやり方をあたかも「人道的方法」であるかのように言う非常に欺瞞的な動機づけであると指摘せざるを得ない。

第4点は、無差別爆撃を行う場合に、新型兵器の実験や訓練という要因が常にともなうことである。例えば、重慶爆撃では、新しい「0式戦闘機」、あるいは新しい爆撃機「一式陸上攻撃機」、新しい焼夷弾「新四号」等が用いられた。また、重慶爆撃はその後の日米戦争の前哨戦としての性格、すなわちそのための「訓練」を兼ねていたともいわれている。最近のアフガニスタン戦争およびイラク戦争において、劣化ウラン弾やクラスター爆弾ばかりでなく、デージー・カッター、サーモバリック爆弾、電磁波爆弾等のあらゆる新型兵器が実戦で使用されたことは記憶に新しい。

第5点は、第一次世界大戦・第二次世界大戦とともに登場した「総力戦」という考え方である。それは、戦争の勝敗を決するのは最前線での戦闘能力を支える、銃後・後方におけるその国の経済力と国民全体の総合的な団結力であるという戦争観であり、この「新しい国民戦争」の勝つためには本国の産業基盤を破壊することが決定的に重要な意味をもつことになったのである。そして、「戦闘員と非戦闘員の区別」や「軍事目標に限定した戦略爆撃」という道徳的規範が次第に失われ、都市全体の破壊や全住民の抹殺を目的とするような無差別爆撃が行われるようになったということだ。

この点に関連して注目されるのが、植民地主義と人種差別主義の結合という点である。これは、自分たちの側が「正義」「民主主義」であって、邪悪な敵や劣っている民族に対してはどのような手段を用いても構わないというある種の人種的な偏見や差別に基づく考え方である。その結果、敵国の軍事・政治指導者ばかりでなく一般国民も等しく邪悪であるという「敵の悪魔化」「敵の非人間化」が行われて、異教徒撲滅あるいは害虫駆除と同じような感覚で敵国人の皆殺しや大量殺戮さえ正当化されるようになる。東京大空襲や2度にわたる原爆投下を平然と行い、その悲惨な結果を知った上でなおそれを正当化する姿勢の背後にはこのような考え方があったのである。また、日本軍による真珠湾攻撃や連合軍捕虜虐待などに対する怒り・憎しみとそれに対する報復・復讐という感情・真理がそれに拍車をかけたことも事実であろう(注15)

以上から、無差別爆撃を正当化する論理は、そのまま原爆投下を正当化する論理と重なることがわかるであろう。しかし、このような考え方は、根本的には植民地主義や人種差別主義に根ざしたものであり、人道的観点からも決して容認できないことは明らかだ。特に問題なのは、こうした無差別爆撃や原爆投下を正当化する考え方が、過去ばかりでなく現在においても形を変えて生き続けているということだ。すなわち、冷戦終結直後の湾岸戦争で「正義の戦争」という考え方が復活し、その後のボスニア・コソヴォ紛争やアフガニスタン戦争・イラク戦争でも「人道のための戦争」「平和のための戦争」という形で拡大・強化されている。しかし、こうした考え方は、「空からの(国家)テロ」ともいうべき無差別爆撃の非人道性・残虐性を覆い隠す、きわめて偽善的かつ欺瞞的な考え方であると言えよう。

 

3. ブッシュ政権の新しい核先制使用戦略と劣化ウラン弾使用問題をめぐって
1)新しい核先制使用戦略の登場とブッシュ政権の暴走

ブッシュ政権の強大な軍事力による「世界的覇権」の再編・強化という「一国覇権主義」は、具体的には、「ミサイル防衛」構想の推進と並んで、2002年1月にアメリカ防総省が議会に提出した報告書「核戦略体制の見直し(NPR)」に見られる。特に注目されるのは、核兵器先制使用を「選択肢」の一つとして確保するという方針を明確にしていることだ。これは、ブッシュ大統領が同じ1月に行った演説で、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」として名指しで非難し、これら「ならず者国家」「テロ(支援)国家」に対しては従来の核抑止力は機能せず核兵器による先制攻撃を行うのが最も効果的だ、と表明した事実とも合致している。つまり、こうした「ならず者国家」「テロ(支援)国家」が核・生物・化学兵器といった「大量破壊兵器(WMD)」をアメリカやその同盟国に対して用いる可能性が生じた時には、アメリカは核兵器によって敵を先制攻撃して大量破壊兵器関連施設を破壊する選択肢を取ることも辞さないというわけだ。

 このように、ブッシュ政権の新しい核戦略では、核攻撃に対する抑止力だけでなく、大量破壊兵器に対する抑止力としての新しい役割を核兵器に持たせようとしている。ここでの核兵器は従来の「使えない兵器」ではなく、「使える兵器」として考えられているのが新しい特徴だ。この新しい貫通型核爆弾の破壊効果を確認するためにも核実験が必要になるとの予測もある。

ブッシュ米政権の新核戦略のもう一つの特徴は、ミサイル防衛構想の推進のために、弾道迎撃ミサイル(ABM)制限条約から一方的に離脱したことにもよくあらわれている。これは、冷戦時代のソ連との「相互抑止」の前提となっていた「相互確証破壊」戦略の事実上の放棄であり、核軍拡を宇宙にまで拡げてまでもアメリカの「絶対的かつ一方的優位」を確保しようとする狙いがある。これによってアメリカはロシア等の意向に縛られることなく自由かつ無制限に世界各地で相手を問わずに軍事介入を行うことが可能となったわけである。

アメリカの攻撃的な姿勢は、2002年9月20日に公表された「アメリカの国家安全保障戦略」の中でさらに明確になる。ブッシュ大統領は、「ブッシュ・ドクトリン」(予防戦争・先制攻撃戦略とも称される新しい戦略)で、冷戦期に抑止と封じ込めを中心としてきた従来の政策を転換し、冷戦後におけるアメリカの圧倒的な軍事力の優位を前提に、大量破壊兵器を持つ「テロリスト」や「ならず者国家」に対しては必要ならば単独でも先制攻撃を行って政権を転覆させる「予防戦争」を打ち出した。これは9・11事件後のアメリカの新しい安全保障政策の集大成とも言えるもので、国際協調、すなわち国連や同盟国・友好国との国際的な協力よりも国益を優先的に考える、アメリカの「新しい帝国主義」的な考え方を鮮明に反映したものと言える。そして、この「ブッシュ・ドクトリン」を先取りしたのがアフガン戦争だとするならば、それを全面的に適用した最初の事例がイラク戦争であった。

 このイラク戦争に対しては、国連安保理での武力行使を容認する新決議の採択如何にかかわらず、その正当性に当初から強い疑義が出されていた。湾岸戦争後のイラクは、多国籍軍による徹底した攻撃・破壊とその後の一方的な経済封鎖や米英両国によって勝手に設けられた飛行禁止空域での25万回以上にもなる空爆、さらに湾岸戦争で大量に使われた劣化ウラン弾の後遺症等によって多くの人的あるいは物的損害を受けて国力は大幅に弱体化していた。米英両国が主張したイラク攻撃の最大の理由である大量破壊兵器の開発・保有とその隠匿、アルカイダ等のテロ組織とのつながりは、最近のアメリカ議会の最終報告によって何ら根拠がなかったことが判明している。また、それに代わる論拠として持ち出されている独裁的なフセイン政権の下での人権抑圧からの「解放」を目的とした人道的介入も、緊急性という点だけを考えてもNATO空爆以上に正当性を持ち得ないことは明白だ。米英両国が掲げた戦争目的がいかに欺瞞的なものであったかは、NATO空爆やアフガン戦争でも使われた劣化ウラン弾やクラスター爆弾だけでなく、あらゆる新型爆弾をも使用して放送局・浄水場・発電所・石油関連施設等の民間施設を躊躇なく破壊し、「誤爆」によって多数の民間人を殺傷しても気にもかけない、その汚い戦い方がよく示している。

2)劣化ウラン弾使用問題の意味−情報操作と真相究明−
劣化ウラン弾使用問題が表面化したのは、1999年のNATO軍によるユーゴ空爆に参加して帰還したNATO軍兵士の中から白血病・癌等の症状で数名の死者
を出すにいたってからのことである。劣化ウラン弾の危険性については、すでに1991年の湾岸戦争後に「湾岸症候群」と呼ばれる被爆に起因する障害
が帰還した多国籍軍兵士(特に米英軍兵士)の間で表面化し、劣化ウラン弾使用との関連が多くの専門家によって指摘されていた。また、ボスニア紛
争の際にも劣化ウラン弾の使用とその後遺症が注目を集めていたばかりでなく、コソヴォ紛争でもNATO空爆の最中から劣化ウラン弾使用による深刻な
人的被害と環境破壊が懸念されていたのである。そして実際に、湾岸戦争では約100万発(300t相当)、ボスニア紛争では10800発、ユーゴ空爆では
31000発、さらにアフガニスタン戦争やイラク戦争でもより大量の劣化ウラン弾が使用されたとされ、すでにイラク・アフガニスタンやボスニア・コソ
ヴォからの帰還兵の中からかなりの死者・障害者が出ているのである(注16)。NATO空爆やイラク戦争が本当に「人道的目的」であったならば、劣化
ウラン弾の投下対象となった地域住民の生命・健康問題こそがまず第一に考えられなければならない。そこでは、イラク人を筆頭にすでに多くの人々が
劣化ウラン弾による放射能汚染・金属毒性等何らかの影響で被爆・被害を受けて次々と犠牲となっているのである。しかし、現実には一方的な攻撃を行
った側の被害や犠牲回避のみが最優先されている。このことは、「正義の戦争」「人道のための戦争」と宣伝された湾岸戦争・NATO空爆・イラク戦争等
が、実は「独裁政権から抑圧される住民の保護・救済」のため等ではなく、米英軍やNATO軍等の冷戦終結後の生き残りや軍産官学複合体の利益確保のた
めであったことと無関係ではない。
劣化ウラン弾は、敵側の戦車・装甲車等を破壊する目的で「貫通性」を高めるために放射性弾頭を用いた一種の「放射能兵器」(「核爆発のない核兵器」
とも言われる)であり、アメリカが日本に投下した原子爆弾やベトナム戦争で使用した枯れ葉剤等と同様の非人道的兵器であることは明白である。こうし
た「放射能兵器」の開発の端緒をつけたのが実は第二次大戦中のマンハッタン計画であり、「放射能兵器」の人体等への被害の危険性についても当時から
認識されていたのである(注17)。「湾岸戦争からイラク戦争にいたる一連の「アメリカの戦争」における劣化ウラン弾の使用は、明らかな「国際人道
法違反」・「戦争犯罪」であり、勝つため(自国民の犠牲を最小限にするため)には手段を選ばない、原爆投下以来のアメリカ流の戦争の特徴を如実に物
語っていると言えよう。
また、特に注目されるのは、湾岸戦争の際の「湾岸症候群」と比べて顕著なのは、「湾岸症候群」にかかった多国籍軍兵士の多くが米英両軍の兵士であっ
た(米英首脳は劣化ウラン弾の危険性をその段階でもある程度知りながら戦場での勝利・犠牲回避を優先してそれを使用したといわれる)のに対して、ボ
スニア紛争・コソヴォ紛争の場合(「コソヴォ症候群」、あるいは「バルカン症候群」と呼ばれる)は、米英両軍を除く他のNATO軍(特に、ドイツ、イタ
リア、ベルギ−、ポルトガル、ドイツ等の兵士)から多く犠牲者が出ていることである。これは、劣化ウラン弾の危険性を知る米英首脳が自国軍兵士の
安全には配慮しながら(米英軍は劣化ウラン弾の最多投下地域の担当からなるべくはずされ、また米英軍が劣化ウラン弾を回収する際には汚染防止措置
がとられたといわれる)、他の同盟国首脳やNATO軍兵士にも知らせずにそれを使用・放置したからである。ここにもNATO空爆の際に生じた中国大使館
「誤爆」事件でも示されたようなアメリカの単独行動主義・秘密主義が現れている。

 

おわりに−「21世紀型の新しい戦争」の克服に向けて

   アメリカでは今日においても原爆投下を正当化する世論が圧倒的に強く、それと裏腹の関係にある核抑止論に基づく核の先制使用という選択も放棄されていない。「無差別爆撃」と「核の先制使用」の禁止という、本来ならば20世紀のうちに解決されていなければならない課題が21世紀に持ち越されているのだ。また、第二次大戦後半世紀以上も続いた「冷戦」が基本的に終了したにもかかわらず、「正義の戦争」や「人道のための戦争」という大義名分を掲げてアメリカが一方的な軍事介入・先制攻撃を圧倒的な戦力で行うというパターンがこれから先に「21世紀型の新しい戦争」として定着するおそれが出てきている。9・11事件を契機に発動された「対テロ戦争」の一環として行われたアフガニスタン戦争に続いてイラク戦争に「勝利」したブッシュ政権は、最大限の国益を確保するために、これまでの同盟関係や国際機構との関係を全面的に見直し、必要であればテーマ別の「有志国連合」や「第二の国連」を作って問題に対処するという、「新しい世界秩序(=帝国秩序)」にあくまでも執着する姿勢を見せている。

  こうした新しい世界秩序構築をめざすアメリカ外交の本質的起源は、第二次世界大戦中におけるマンハッタン計画への着手と軍産学複合体の形成、原爆開発・投下にまつわる「秘密主義」・「専制主義」と情報操作、第二世界大戦後における「原爆神話」の創造(真相の隠蔽と歴史の捏造)、捏造された「仮想敵」ソ連の過大な脅威を前提とする「冷戦」の発動、といった動き・出来事のなかに求めることができる。また、戦後のアメリカが掲げてきた「正義」や「自由」、「民主主義」という言葉が欺瞞に満ちたものであり、アメリカが主導する「新しい世界秩序」の背後には「世界支配・統治」という隠された真の目的があることが次第に明らかになってきている。そして、「アメリカ問題」の解決、すなわち、アメリカ政治における「秘密主義」「専制主義」の克服、戦争構造から平和構造への転換(過度の独占・集中の排除・禁止と軍産学複合体の縮小・解体)、暴力文化・人種差別主義の解消、平和文化・真の民主主義の創造等をアメリカ国民を中心とする世界中の市民が実現することが今日の世界にとってますます重要になっている。簡潔にいえば、アメリカ流「民主主義(自由・正義・平和)」は、内外における圧倒的多数の抑圧・差別される民衆(あるいは「マルチチュード」)の存在を前提とした「強者(帝国市民)」のための「帝国的な民主主義(自由・正義・平和)」であり、またこの隠された真実を世界市民一人ひとりが明確に認識して真の「民主主義(自由・正義・平和)」を実現・創造するための運動に参加することが求められていると言えよう。

一方、第二次世界大戦後の日本は、日米安保条約を通じたアメリカの「核の傘」の下での安全保障の確保と経済的権益の追求といった道を今日にいたるまで歩んできた。現在の小泉政権もまた、ブッシュ政権の強硬路線や先制使用戦略に対して終始追随して、アメリカによる一方的なアフガニスタン・イラク攻撃やその後の両国での占領統治に対しても「無条件に支持」する姿勢を表明してきた。特に日本国内では、9・11事件以後にアメリカと歩調を合わせるようなかたちで対テロ特措法・イラク特措法や有事関連立法等が直ちに実現・具体化された。それは、有事法制整備の最大の目的がイラクや北朝鮮等「ならず者国家」「テロ(支援)国家」へのアメリカの軍事行動を有効に支援する環境づくりにあったことや、ミサイル防衛への共同開発への参加という形で小泉政権がアメリカの新核戦略を含む世界戦略に積極的に協力する姿勢をとっていることと無関係でない。そして、政府高官から相次いで出された「非核3原則見直し示唆発言」や「核使用合憲発言」、あるいは財界からの「武器輸出禁止原則の見直し」や「憲法改正・集団的自衛権解釈見直し」発言・要求等も、こうした脈絡で考える必要がある。

しかし、こうした日米両国による強硬路線は、朝鮮半島問題を真の解決に導くどころか、イラクに続いて朝鮮半島に戦火を招来することになりかねない危険な賭けであると言わ
ざるを得ない。今日本に求められているのは、このような形でアメリカの危険な核・軍事戦略に積極的に荷担することではない。そうではなく、平和憲法と「非核3原則」の原点
にもどって日本の「非核・不戦」の意思を明確にし、核廃絶と軍備完全撤廃を目指して、世界的な民主主義・平和主義を強化する立場・方向性を主体的に選択することである。
有事法制を放棄する必要があることは言うまでもない。これまで国際社会が積み重ねてきた核軍縮の流れを一挙に逆流させようとするアメリカの暴走を欧州諸国や非同盟諸国
等と協力して歯止めをかける努力を真剣にかつ忍耐強く行うことが必要である。朝鮮半島問題では、あくまでも平和的解決を目指して、軍事的強硬路線を採るブッシュ政権を
韓国・中国とともにねばり強く説得して、朝鮮半島全体の非核化を含む北東アジア非核地帯化構想の実現に向けて努力を傾注すべきである。全世界の期待を裏切る形でのブ
ッシュ再選が現実となって2期目のブッシュ政権が発足し、イランや北朝鮮に対する新たな戦争の可能性が指摘されるようになった現在、その意味はさらに大きなものになった
と言える(注18)。真の民主主義が求められているはアメリカばかりではないことを、日本および日本人は強く自覚しなければならない。

 

< 脚 注 >

(1)   拙稿「『新しい戦争』と二つの世界秩序の衝突−9・11事件から世界は何を学ぶべきか−」日本平和学会編『平和研究(特集 世界政府の展望)』第28号(早稲田大学出版、2003年11月発行)を参照。

(2)   真珠湾攻撃事件については、最近になって情報開示された新しい資料を用いた研究によって、当時のルーズヴェルト政権が日本側の行動を暗号解読などによって事前に知ったうえで、第二次世界大戦への参戦を行うためにそれを政治的に利用したとの有力な解釈も出てきているのが注目される(例えばロバート・B・ステネット『真珠湾の真実−ルーズベルト欺瞞の日々』文藝春秋社(2001年)、ジェイムズ・ラスブリッジャー /エリック・ネイヴ共著『真珠湾の裏切り―チャーチルはいかにしてルーズヴェルトを第二次世界大戦に誘い込んだか』文芸春秋社(1991年)、本多勝一『「真珠湾」からイラクまで−アメリカ指揮謀略戦争の実態』朝日新聞社(2004年)の冒頭にある進藤榮一氏との対談、等を参照のこと。

(3)   9・11事件に陰謀があったのではないかという問題については、とりあえず

成澤宗男「『9・11事件』の謎Part2U@〜B」『週間金曜日』第525〜527号(2004年9月24日〜10月8日)、『真相の深層』第4号(2004年12月)の特集「全貌!!やったのはブッシュたちだ!」、森田玄・きくちゆみ監訳ビデオ『911ボウーイングを捜せ−航空機は証言する』ハーモニクスプロダクション(2004年)、グローバルピースキャンペーン編『911ボーイングを捜せ ガイドブック−航空機は証言する』合同出版(2004年)、

Jim Marrs Inside Job: Unmasking the Conspiracies of 9/11Origin Press,2004, David Ray Griffin The New Pearl Harbor: Disturbing Questions About the Bush Administration and 9/11Interlink,2004等を参照のこと。

(4)   チャルマーズ・ジョンソンは「二十一世紀には、過去数十年間の帝国主義の無謀な行為が原因で、無辜の人びとが予期せぬ報復を受けることになる。ほとんどのアメリカ人は、アメリカの名において何が行われたか、何が行われつつあるかを、ほとんど知らないかもしれない。だが、アメリカが世界支配を追求しつづけているために、すべてのアメリカ人は−個人としても集団としても−法外な代償を支払うことになるだろう。」と指摘している(チャルマーズ・ジョンソン『アメリカ帝国への報復』集英社、2002年6月、55頁)。

(5)   小論「世界秩序の掌握に失敗したアメリカ」『週刊金曜日(9・11二周年特集)』2003年9月5日号に載掲)を参照。

(6)   例えば、加藤尚武『戦争倫理学』ちくま新書(2003年)の特に第3章(31〜45頁)・第6章(70〜86頁)、ダグラス・ラミス『憲法と戦争』晶文社(2000年)の「正戦論」198〜219頁を参照のこと。

(7)   例えば、ラムゼー・クラーク『ラムゼー・クラークの湾岸戦争―いま戦争はこうして作られる』 地湧社(1994年)および同著・戦争犯罪を告発する会 (翻訳)『アメリカの戦争犯罪 』柏書房 (1992年)、『被告ジョージ・ブッシュ有罪−国際犯罪法廷への告発状』柏書房(1991年)等を参照。

(8)   拙稿「『ヨーロッパの周辺事態』としてのコソボ紛争―NATO空爆の正当性をめぐって」『日本の科学者』Vol.35.(2000年7月)、千知岩正継「国際社会における一方的人道的介入の正当性をめぐって―NATOによるユーゴスラヴィア空爆を事例に―」『比較社会文化研究』第12号(2002年)、岩田昌征『社会主義崩壊から多民族戦争へ―エッセイ・世紀末のメガカオス』御茶の水書房、2003年等を参照。 

(9)   ダグラス・ラミス『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』晶文社(2003年)の「正義の戦争はあるのか」119〜130頁および同『憲法と戦争』晶文社(2000年)の「正戦論」198〜219頁を参照。

(10)例えば、土佐弘之「世界内戦とリンチ的暴力―『市民的』不服従のアソシエーションへ―」『現代思想』(2004年8月号)および同「ポスト近代的帝国に映る過去の影―『もう一つの正戦論』の系譜―」『アソシエ』14号(2004年)を参照。

(11)例えば、山際晃編著『東アジアと冷戦』三嶺書房(1994年)、ロバート・S・マクナマラ『冷戦を越えて』早川書房(1990年)、松岡完他共編『 冷戦史−その起源・展開・終焉と日本』同文館出版(2003年)、等を参照。

(12)ここでの記述については、拙稿「無差別爆撃と原爆投下−重慶から広島・長崎へ」『長崎平和研究』第18号(2004年10月)および「『原爆神話』からの解放−『正義の戦争』とは何か」『長崎平和研究』第12号(2003年12月)、「原爆投下問題への共通認識を求めて−特に長崎の視点から」『軍縮地球市民』創刊号(2005年6月発行)を参照のこと。

(13)この問題に関する先駆的研究ともいうべきものが、芝田進午「被爆50年 これからの課題−人体実験としての原爆−」『平和文化研究』第19・20集合併号(1997年3月)、38〜56頁)であり、また最新の優れた研究論文としては、高橋博子「核時代における国家と国民―原爆医療情報と民間防衛」紀平英作編集『帝国と市民―苦悩するアメリカ民主政』山川出版社(2003年)がある。また関連文献として、笹本征男著『米軍占領下の原爆調査―原爆加害国になった日本』(新幹社、1995年)、アルバカーキー・トリビューン編『マンハッタン計画―プルトニウム人体実験』小学館(1994年)、河井智康著『原爆開発における人体実験の実相―米政府調査報告を読む』新日本出版社(2003年)等も参照。

(14)例えば、岩城博司著『現代世界体制と資本蓄積』東洋経済新報社(1989年)や産軍複合体研究会編『アメリカの核軍拡と産軍複合体』新日本出版社(1988年)等を参照。

(15)前田哲男著『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』朝日新聞社(1987年)および同「日本が戦争の歴史に加えたこと−『9・11』への補助線」磯村早苗・山田康博共編『グローバル時代の平和学2 いま戦争を問う』法律文化社(2004年)、58〜88頁を参照。

(16)アジア・太平洋戦争が「人種(主義)戦争」であったとの指摘については、例えば、ジョン・ダワー 著『容赦なき戦争』平凡社(2001年)、ロナルド・タカキ著『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』草思社(1995年)および同『ダブル・ヴィクトリー―第二次世界大戦は、誰のための戦いだったのか?』柏艪舎 (2004年)等を参照。

(17)劣化ウラン弾問題に取り組んでいる伊藤和子弁護士によれば、元国防総省劣化ウラン兵士影響プロジェクト責任者ダグ・ロッキー氏が、すでに約1万人の湾岸戦争帰還米兵が劣化ウラン弾による影響等で死亡していると語ったという(「私の視点」『朝日新聞』2004年1月27日付)。また、劣化ウラン弾については、田城明著『知られざるヒバクシャ―劣化ウラン弾の実態』大学教育出版(2003年)、国際行動センター劣化ウラン教育プロジェクト編『劣化ウラン弾―湾岸戦争で何が行われたか』日本評論社 (1998年)等を参照。

(18)例えば、山崎正勝・日野川静枝共編『原爆はこうして開発された』青木書店(1997年)の特に第5章「原爆の効果と放射能」145〜178頁を参照。

(19)次の二つの拙稿、「いま『九州・沖縄』から平和を創る−『非核神戸方式』と

地域・自治体の平和力』菅英輝編『21世紀の安全保障と日米安保体制』ミネルヴァ書房(2005年)および「新ガイドライン安保体制と『九州・沖縄』−地域から問う平和戦略の構築に向けて」石川捷治・平井一臣共編著『地域から問う国家・社会・世界−「九州・沖縄」から何が見えるか』ナカニシヤ出版(2000年9月)を参照。