ベトナムの教育と子ども
神田 嘉延

われわれは、フエ師範大学、教育省、フエのストリートチルドレン救済のための「子どもの家」を訪ねました。そこでの見聞を中心にして「ベトナムの教育と子ども」についてまとめてみました。わずかの見聞でベトナムの教育と子どもの現状についてのべるのは心苦しいですが、見聞したことを感想をも含めて書かせてもらいます。

(1)フエ師範大学学長との懇談
フエ師範大学では、訪問団と学長との懇談をもつことができました。学長からはフエ師範大学の概況とフエ市の文化・歴史について丁寧な話を伺うことができました。
 フエの町はグエン王朝の都であったことから、歴史的文化財や芸術の盛んな土地柄をもっています。王宮跡はユネスコの世界遺産条約の指定を受けました。フエは、学問も昔から盛んで、国の有能な指導者をたくさんだしたところです。ホーチミンもフエのクオック・ホック学校で若い頃に勉強しています。
 フエ師範大学は1976年に設立されました。自然科学学部、社会科学学部、国民教育学部、外国語学部がありますが、初等教育、中等教育の教員を養成する大学です。スタッフは400名で、そのうち教員は300名です。フエ師範大学は、初等教育と中等教育の教員を養成する大学です。学生数は、4000名を数えています。修士課程の学生が200名で将来的には博士課程をつくる計画です。現職の教師の再教育をフエ師範大学として実施しています。
 教員養成では複数の教科がもてるようにカリキュラムの工夫をしています。例えば、音楽、スポーツに能力があれば、数学を教えながら、それらの教科が教えることができるようにしています。教育養成では大切な分野でありますが、障害児教育、幼稚園教育の教員養成は、予算的にむずかしいので早急につくることは不可能です。将来的にはつくっていく計画です。大学の整備には、ヨーロッパのEUから援助を受けています。
 師範大学での教育実習は、卒業する前の2ケ月間と2年、3年のときの観察実習を実施しています。教員の採用は地方によって異なりますが、卒業してだいたい教員になっています。しかし、外国語を専攻した学生は、教員になる比率は25%と少ない現状です。外国語学部は5年制です。
 ベトナムでは校舎が不足していますので午前と午後の2部授業が一般的です。1クラスの生徒数も50名ほどです。ベトナムでは、家庭が貧しく学校に行けない子どもがいます。教育の問題を考えていくうえで経済のことが大きくあります。とくに、農村では厳しい状況があります。農村では女性の地位が低い。政府としては原則的に平等主義をとっていますが、現状では難しい問題があります。市場では女性によって商品を売ったり、買ったりということですので、女性が経済を担っているようにみえます。しかし、社会的には女性の地位は低く、国民的に解決しなければならない問題が多いのです。
 露天での自由市場での女性の活躍はわれわれもベトナム訪問して非常に目についたところでした。この問題についての話題も学長との懇談のなかでだされました。学長としての見解は女性の社会的地位がベトナムでは低く、教育としても大きな課題であるということでした。
 フエ師範大学の教員養成では、人間として生きていくための基礎知識を大切にした教育を実施しています。初等普通教育としての科目は、ベトナム語の読み書き、数学、科学、運動、音楽、絵画です。ベトナムの歴史などは、ベトナム語のなかで教えられています。ベトナムでは、基礎普通学校を6歳から入学し、15歳の9年間までを就学することにしています。6歳から11歳までの5年間を初等教育として、12歳から15歳までを第2段階の基礎普通学校としています。9年間の基礎普通学校を卒業した後に中等普通学校や各種の普通専門学校に入学するしくみになっています。
 師範大学以外に5つの大学がフエにあります。科学大学、農林大学、芸術大学、医学大学、経済大学があります。また、1年から2年は、一般教養を学ぶ基本大学があります。
 学長との懇談の後に、師範大学の構内の施設見学を行いましたが、校舎も実験設備も悪く、教育の条件整備はかなり不十分であるように思えました。ベトナムの大学の夏休みは6月1日から9月5日までですので、われわれ訪問時には多くの教師が大学にいない状況でした。ベトナムは学校の教師は給料だけでは生活できない状況で、大学教師も例外ではありません。多くの教師はアルバイトをして生活を支えているのです。

(2)ODA無償援助による学校建設の苦労
 学長と教育省等の通訳をしてくれたナムさんは訪問団の関さんがハノイ貿易大学で教鞭をとっていた教え子であったということから様々な便宜を与えてくれました。そして、大変親切にベトナムの教育の現状について知識を与えてくれました。日本のODAの無償援助で5年間で195の学校建設をするプロジエクトが現在ベトナムで行われていますが、かれは、ベトナム側の工事を遂行する責任をもたされている人物です。ベトナム人と日本の建設業者との文化の違いから事業遂行のために大きな苦労をしている悩みも聞かされました。仕事が忙しく家族との語らいがないほどということです。
 この事業は、1年間に45ケ所を建設するプロジエクトです。一期で予算は20億です。現地の日本の建設会社の責任者は、利益的に考えればうまみのある仕事ではないとのべていました。日本の建設業者は1ケ所の事業でないので経費が膨大にかかるということです。日本のゼネコンとしてのODAの事業は、一カ所での大規模工事が理想ともらします。
 45ヶ所という工事現場をもっていることですので、ベトナム側とのコミュニケーシュンに苦労しているのが現実のようです。日本のコンサルタント業者の作った設計図によって、いっぺんに45ケ所をやりとげることは様々な困難があります。それぞれの地域の実状も異なりますし、資材や労働力の確保など目標どおりにいきません。
 ベトナム側で資材を調達する条件ですが、現地にすべてまかせれば納期どうりに資材が入ってこない。そこで、45ヶ所の資材をまえもって一斉に準備する方法をとっています。それぞれの地域の実状にあわせていては工事が期限どうりにいかないということです。さらに、期限内に計画どおり仕事をやりとげることが理解されない苦労など多いのです。日本の現地建設業者の話しでは、日本でやれば半分の期間ですむということです。45ケ所を年度末にやらねばならないことはベトナムでの現地資材調達方式では、大変なことのようです。
 しかし、継続性をもつことによって、ロスを防ぐことができるようになったということです。ナムさんは、大変つらい仕事でありますが、ベトナムの子どもの学習を保障するためには学校建築は緊急に必要ともらします。経済的に貧しいベトナムにとって、先進国の援助がなければ学校建築は遅れるということですので、自分としては続けなければならないと語気を強めていました。

(3)ベトナム教育省の国際部との懇談
 教育省では、1時間ほどでしたが、忙しいなか国際部の副部長と日本担当の専門官が対応してくれました。教育省の国際部の副部長さんは、ベトナムの教育の現状について丁寧に説明してくれました。
 教育界でもドイモイ政策を積極的に展開しています。経済のドイモイのためにもそれを担う人材が必要です。この人材を養成するのは教育の仕事でもあります。国営企業から民間の企業の移行がすすみ、経済も国家計画経済から市場経済へと変わっています。市場経済の知識が必要になっています。外国語や世界市場の勉強も必要です。学生が今まで勉強していなかった分野をいろいろと開発しなければなりません。
 学校教育の内容も大きく変わっているのです。教師も大きく変わらなければ教育指導ができません。教師の再教育の課題がでているのです。大学のしくみも各大学で判断できるように自治をもたせるようにドイモイ政策で変わったのです。また、単科の専門大学から総合大学化ということで再編成が行われています。
 ベトナムの教育界は大学も含めて、インフラ整備、教師の意識改革・学校の管理運営の自治化、学生の意識改革と3つの改革をかかげています。教育改革のなかで、もっとも困難なことはインフラ整備が進まないことです。経済の市場化と教育改革でもっともむずかしい問題は教育の条件整備であります。ドイモイ政策以前は、各学校の経費は政府が基本的にまかなっていましたが、経済の市場化によって、国が支払ってくれるのは一部になりました。他は、学校管理主体が自分で集めなければなりません。教育資金が絶対的に不足しているのがベトナムの現状です。
 中等教育までの学校は、テーブル、イス、黒板がある程度です。教具も視聴覚教材もありません。理科などの実験設備などもありません。そして、多くの学校では子どもの数に対して校舎が足りなく、午前と午後の2部授業で子どもたちは昼間1日じっくりと学校教育を受けられる現状ではないのです。
 ベトナムの出生率は非常に高いのです。子どもの数に学校の設備が追いつかない現状です。しかし、ベトナムが解放されたばかりの1947年のときの識字率は5%程度であったのですが、現在では95%までになっています。しかし、最近の新たな問題として貧困家庭の子どもに学校にいけない状況が増えています。
 1989年よりベトナム全体として、初等教育5年、中等教育前期4年、中等教育3年の12年制の教育体系が完全にスタートしました。児童・生徒の数は、1993ー1994年現在で小学校9725000人、中等教育前期3100400人、中等教育後期711100人となっています。普通中等教育後期の進学率の減少が4分の1程と目立って少なくなっているのです。学校数は初等10137、初等・中等前期合同3000、中等前期2955、中等後期638、中等前期・中等後期合同534となっています。教師は、初等2648000人、中等前期127000人、中等後期33100人となっています([VIETNAM EDUCATION AND TRAINING DERECTORY ]EDUCATION PUBLISHING HOUSE-1995よりの統計)。
ベトナムの多くの教師は2部授業のなかで、午前か午後の4時間しか働かせてもらえません。従って給料は極めて低い現状です。多くの教師は家庭教師や塾の教師で生活を支えているのです。農村では教師に対する地域の援助が不可欠です。
 大人に対する教育も積極的にベトナムでは展開しています。大人に対する識字教育をそれぞれの小学校の校舎を利用して実施しています。それぞれの段階の学校では成人むけの教育を実施しています。成人教育の施設は学校になっているのです。
 教師を先進国に送り、教師の質を高める努力もしています。教育内容は、基礎的な知識の教科を大切にすると同時に、人間的に生きていく教育を重視しています。人間を大切にして知識を与えていくという教育をしています。小学校からの基礎普通教育のなかでベトナムの文化、歴史などを教えています。

(4)ストリートチルドレンのフエ市の子どもの家
 ベトナムの中部の都市フエにおいて、ストリートチルドレン救済のための「子どもの家」を訪問しました。ベトナムには、現在5万人のストリートチルドレンがいるといわれます。ドイモイ政策のなかでも子どもの生活の貧困問題の深刻さはあとをたたないのです。
 フエ市の「子どもの家」は日本人のボランテイアのサポートによって施設運営が動いています。日本人の役割はサポーターですので、施設運営の主体はベトナム人自身にありますが、かれらは、子どもをケアーした経験がないので、ベトナム人スタッフのみで子どもの生活援助、発達援助は非常にむずかしい現状です。ここに日本人ボランテイアの役割があります。
財政的には、年間400万円程度かかります。ベトナムのフエ市からは土地の提供だけで、財政的支出はありません。日本からの民間支援によって財政をまかなっている現状です。施設をつくるときの最初は、ベトナムの子どもの家を支える会のベトナム所長の小山道夫さんの自己資金や日本からの民間援助でつくりましたが、2階の部分の施設と職業訓練センターはODAの草の根援助によって、それぞれ500万円援助によって施設拡充をしたのです。
 このストリートチルドレンの救済のための施設は、日本の多くの市民による「ベトナムの子どもを支える会」の事業活動によって財政的支えがあります。子どもの家のベトナム人のスタッフは9名です。そして、併設した職業訓練センターには6名の職員が子どもたちの自立のための指導にあたっています。子どもの家の運営委員長は市から派遣されている職員です。子どもの家で生活している子どもは女子41名、男子21名です。62名のうち48名が学校に通っています。その内訳は幼稚園2名、小学校39名、中学校6名、高校3名です。
 この「子どもの家」に入所している子どもたちは経済的に心配しないで学校にいくことができています。他に17名が近所で母親と一緒に暮らせるようにと20ドルの援助をして、この施設が利用できるようにしています。
 フエは若者の仕事がなく失業率は50%近くになっています。生きるために観光客相手の売春もあとをたちません。窃盗も数多くあります。戦争で障害を負った人は物乞いをしなければ生きていけません。地域で多くの人々が生きていくための職づくりをしなければならないのです。
 子どもの生活自立のために、1996年に職業訓練センターを子どもの家の施設内につくりました。子どもたちが社会にでて生活していけるようにと刺繍、ミシン、コンピュターの技術をみにつけるためです。現在65名の子どもが職業訓練センターで技術を身につけています。
 子ども家の創設によって、少なくとも80名近くの子どもの生活が保障されています。しかし、子どもの心の問題はみえません。ここに入ってくる子どもたちは想像を絶するほどの苦難な生活を強いられてきたのです。愛情が不足している子どもが多いのです。小さな子どもには絵本を与え、少年・少女たちには本が読めるように環境を整えています。また、オルガン、ピアニカなどの楽器を日本の民間団体から送ってもらっています。合唱したり、楽器をひいたり、絵をかくことによっての情操の面にも気をつかっています。
 子どもの家の施設は日本の民間援助によって1994年に設立されたものです。この中心になったのは、ベトナムの子どもの家を支える会のベトナム事務所の所長をしている小山道夫さんです。5年前まで小学校の教師をしていた小山さんでしたが、サイゴンに旅行されて、少女売春で保護されている子どもたちの実状を知り、ぎりぎりの生活を強いられた子どものたちになんとかしなければいけないとおもったとのことです。
 それから、2年間フエ大学での日本語学科の語学教師をして子どもの家の準備に奔走するのです。家族はもちろんのこと、教員の仲間からもベトナム行きに大反対にあったのですが、自己資金をもとでにベトナムの子どもの家を創設していくのです。1年半経過して「ベトナムの子どもを支える会」の支援組織が東京を中心としてできました。
 小山さんは、10年を区切に子どもの家のサポート活動を自分自身はやめる目標で運動しているといいます。現在まで4年、あと6年でベトナムとしても自立してできるのではないかと期待しているわけです。フエ市の人民委員会、フエ省の知事はわれわれの活動を支持し、スタッフを派遣してきていますが、財政的な援助、十分な専門的なスタッフの配置はありません。
 ベトナムの未来にとって非常に重要な大学の生活も極めて厳しい状況があります。学生が生活に困って窃盗をしねければならない事態も生まれています。医学生を中心にベトナムの学生に奨学金を支給する運動をも続けています。現在70名の学生に月20ドルの援助をしています。
 ベトナムでは枯れ葉剤によって多くの障害児が生まれています。ベトナム中部の障害児の医療センターづくりを現在しています。山岳地帯に囲まれたベトナムでももっとも貧しい地域は、現在でもアメリカのベトナム侵略戦争の被害に多くの人々が苦しんでいます。そこでは、枯れ葉剤作戦によって多くの子どもが障害児になったのです。医学的な知識をもって、それぞれの家庭を訪問すれば助かる子どもをたくさんいます。
 山岳地帯では、医学的な知識がなく、迷信が支配し、前世のたたりなどとして母親がまわりから批判さることが多いのです。立派な医療施設ではなく、各家庭にまわって一人一人の子どもにケアーできる多くの医療スタッフが必要なのです。各家庭をまわって個別に細かく指導できる医療スタッフの組織が急がれているのです。
 以上のように小山道夫さんは、われわれ訪問団にたいしてベトナムの子どもの現状についての人道的援助を訴えました。そして、先進国における人道援助における民間の役割、ODAの人道援助の大きな転換、日本人としてできることを教えてくれました。