国際協力研究科 M1 981DA54I 千知岩 正継
国際機構法レポート

コソヴォ紛争に対する国際社会の対応
〜地域的国際機構による対応を中心に〜
  1. はじめに
  2. コソヴォ紛争の歴史的背景
  3. コソヴォ紛争と国際社会
  4. 国際社会による対応の特徴と問題点
  5. おわりに

T はじめに
 ボスニア内戦を終結させたデイトン和平合意(1995年12月14日)から約3年、バルカン地域では新たな武力紛争が繰り広げられている。すなわち、即時の独立を求めるコソヴォ解放軍(KLA)を中心としたアルバニア系住民と独立要求を押さえ込もうとするセルビア治安当局との武力衝突である。今回のコソヴォ紛争は分離独立を巡る紛争であり、かつ内戦であるという点では、ボスニア内戦に類似している。しかし、現在のコソヴォ紛争は内戦に止まらず、アルバニア、マケドニア、ギリシャ、ブルガリア、トルコ及び新ユーゴを巻き込む大規模な国際紛争に拡大する可能性を内包している。この点ではボスニア内戦よりも深刻だといえよう。それだけに、ボスニア内戦で蹉跌を踏んだ国際社会が今回のコソヴォ紛争に対してボスニアの教訓をどれだけ活かせるかが注目される。
 従って本稿は、コソヴォ紛争に対する国際社会の対応を検討することで、その特徴と問題点を明らかにし、暫定的ながらも一応の評価を下すことをその目的とする。その際には、とりわけ地域的国際機構による紛争解決の試みに注目したい。というのも、近年では地域的国際機構が紛争解決に積極的に関与することが顕著な傾向になっていると考えられるからである。具体的には、ボスニア内戦での北大西洋条約機構(NATO)による空爆や平和維持活動、アフリカのシエラレオネ内戦における西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の平和維持活動等を指摘できよう。また、このような傾向に加えて、地域的国際機構と国連の関係の在り方など、検討すべき課題があると考えるからである。
 そこで本稿は、まず初めに、コソヴォ紛争の歴史的背景と経緯及びコソヴォ紛争に対する国際社会の対応を概観する。次に、それを踏まえて、地域的国際機構の欧州安全保障協力機構(OSCE)及びNATOと国連による対応の特徴及び問題点を明らかにする。特に、国連憲章と安保理決議の文言から判断してNATOの空爆が法的に正当な措置なのかを検討したい。そして最後に、コソヴォ紛争の今後の展開について若干の私見を述べてみたい。
 なお、現時点においてコソヴォ紛争は進行中であるため、本稿の対象とする時間的範囲は、パリ郊外ランブイエでの和平交渉の開始の時点(1999年2月6日)までとする。

U コソヴォ紛争の歴史的背景
 コソヴォ自治州、正式にはコソヴォ・メトヒヤ自治州は、そもそも第二次世界大戦後のユ−ゴスラヴィアにおいて、1946年にセルビア共和国に属する自治州として設立された。コソヴォ住民の約8割から9割がアルバニア系住民であり、セルビア人は1割にも満たない。しかし、現在までコソヴォ自治州で支配的地位にいたのは、基本的に少数派のセルビア人であった。このようなセルビア人支配に対して、多数派のアルバニア系住民は不満を抱いていたのである。
 このような不満が爆発したのが、1968年11月のコソヴォ暴動であった。この暴動では、アルバニア系住民の権利拡大及び自治州の共和国昇格が主張された。1981年3月には、経済的不満を理由としたコソヴォ事件が起きた。というのも74年憲法によって共和国と対等の地位が認められ経済主権が与えられるなど、コソヴォ自治州には大幅な権限が与えられていた一方で、ユーゴの最貧困地域であるコソヴォの生活水準が依然として改善されなかったためである。これ以降も、セルビア人とアルバニア人の対立は継続し、特に87年からはセルビア人による反アルバニア人デモが行われるようになった。コソヴォ内でのアルバニア系住民によるセルビア人に対する迫害や脅迫といった逆差別がその原因であった。
 そして88年11月に74年憲法が改正され、さらに89年2月にはセルビア共和国憲法も改正されたことから、コソヴォ自治州の自治権は再度制限されることになった。しかし、91年6月にクロアチアとスロヴェニアの両共和国が独立を宣言したことから、アルバニア系住民も同年10月に主権国家宣言を行い、「独立国家」を目指すようになる。さらに、92年5月にはコソヴォ共和国議会の選挙が行われ、大統領にイブラヒム・ルゴヴァ(Ibrahim Rugova)氏が選出された。ルゴヴァ氏は、非暴力を方針とした独立運動を展開していく。

V コソヴォ紛争と国際社会
 アルバニア系住民とセルビア治安当局との武力衝突というかたちでコソヴォ紛争が本格化した理由として、以下のことが考えられる。まず第一に、アルバニア系住民内での独立運動が分裂し、独立のためには武力行使をも辞さないとする急進派勢力が台頭していたことである。すなわち、非暴力による独立を掲げるコソヴォ民主同盟のルコヴァ氏の運動に満足できない一部の急進派勢力が、コソヴォ解放軍(KLA)を称し、ゲリラ活動を開始していたのである。第二に、KLAが実力行使に訴えるうえで必要な武器弾薬等が、アルバニアからコソヴォに流入していたと考えられる。具体的には、97年のアルバニア政変時において、同国の武器庫から約7万5千丁の軽火器が流出したと指摘されており、これらの武器の一部がKLAの手に渡ったと推測される。また、セルビア治安当局がKLAの大規模な掃討作戦に乗り出した契機は、米国のゲルバード・駐ユーゴ特別大使がKLAをテロ組織だと指摘したためだといわれる。すなわち、テロ組織の掃討が国際的な常識である以上、ミロシェヴィッチ・新ユーゴ大統領は、特使の指摘をKLA掃討に関する米国のお墨付きだと考えたのであろう。
 こうした背景の下、1998年2月にセルビア治安当局がKLAの掃討作戦を開始し、これにKLAが反撃するかたちで武力衝突が拡大した。そしてセルビア治安当局によるKLAの掃討作戦の過程で、女性や子どもを含む多数の非武装市民が犠牲になっていることがマスメディアによって放送されたことから、国際社会の対応が始まる。まず、98年3月9日に米英仏独伊露から成る連絡調整グループ(Contact Group)の緊急外相会議がロンドンで開かれ、新ユ−ゴに対する制裁措置の強化が合意された。また3月31日には国連安全保障理事会が、新ユーゴへの武器輸出禁止を求めた安保理決議1160を採択。 5月にはミロシェヴィッチ大統領とルゴヴァ氏の直接会談が実現し、同月22日からプリシュティナで初交渉が開始された。しかし事態が好転しないことから、6月には新ユーゴへの威嚇効果を狙い、NATOがアルバニアとマケドニアで大規模な空軍演習を実施した。NATOによる空爆という威嚇にもかかわらず、23日のホルブルック・米国特使とミロシェヴィッチ大統領との会談は物別れに終わり、米国はKLAを交渉相手として認知する方針に転換することになる。9月23日には、新ユーゴ政府とアルバニア系住民の指導者双方に敵対行為の停止を求める安保理決議1199が採択された。他方でNATOは、コソヴォへの軍事的介入を協議するため、非公式の国防相会議を開催し、限定的空爆の警告を発することで合意。さらに、10月10日にソラナ・NATO事務総長がコソヴォ紛争への軍事介入について加盟国が基本合意したと発表。このようにNATOによる軍事介入が現実味を帯びてきたことから、10月13日にはホルブルック特使とミロシェヴィッチ大統領との交渉が成立し、新ユーゴが安保理決議の遵守と国際監視団受入に合意したことで、NATOによる空爆は回避された。16日には、OSCEと新ユーゴ政府がOSCEによる検証団の設立に合意。25日には、OSCE常設理事会の決定に基づき、完全非武装のコソヴォ検証団( KVM:Kosovo Verification Mission )が設立される。検証団の任務は、ユーゴ政府による安保理決議遵守の検証、停戦維持の検証、兵力移動の監視、難民及び避難民の帰還支援、選挙監視や自治政府設立の支援、人権促進と民主制の構築、OSCE常設理事会と国連安保理事会への任務の推移に関する報告といった多岐にわたるものであり、OSCEにとっては野心的な試みだったといえよう。しかし、こうしたKVMのプレゼンスにもかかわらず、KLAとセルビア治安当局との戦闘は繰り返されていた。特に、99年1月にはコソヴォのラチャク村でアルバニア系住民の死体が40体ほど発見され、これがセルビア治安当局による虐殺だと断定されたことから、NATOによる空爆が再度検討されることになる。さらに、同月29日に連絡調整グループは外相会議を開催し、ユーゴ政府とアルバニア系住民側に同グループの和平案をたたき台にした和平交渉に参加するように呼びかけ、紛争当事者双方に対しNATOによる軍事介入を警告した。さらに、同月30日のNATOの大使級理事会では、空爆実施の判断をソラナ事務総長に一任することが決定された。こうしたNATOによる威嚇を背景に、2月6日からパリ郊外ランブイエでコソヴォ和平交渉が開始されたのである。

W 国際社会による対応の特徴と問題点
 第一の特徴として、地域的国際機構による積極的な紛争解決・予防の試みを指摘できよう。例えば、EUによる経済制裁の実施、OSCEによる検証団の派遣、NATOによる空爆の威嚇等がある。ここでは、OSCEによるKVMの派遣及びNATOの空爆について検討する。
結論から言えば、こうした地域的国際機構の紛争解決に向けた積極的関与は、それが紛争の平和的解決に徹する限りにおいては国連憲章とも合致するものである。具体的には、紛争の平和的解決義務に関する国連憲章第6章33条1項は、平和的手段の一つとして、「地域的機関又は地域的取極の利用」を認めている。さらに、憲章第8章52条はその第1項で、「この取極又は機関及びその行動が国際連合の目的及び原則と一致することを条件とする」と規定したうえで、第2項及び第3項で、地域的機関又は地域的取極による紛争の平和的解決を奨励している。ただし、憲章54条は、地域的機関又は地域的取極による行動について、安保理への通報義務を規定している。従って、OSCEのKVMは、その任務が平和的なものであることに加えて、その任務の推移に関して安保理へ報告している以上、コソヴォ紛争の解決に向けた地域的国際機構による平和的手段の一つとして法的に正当な措置だと考えられよう。事実、安保理決議1160(3月31日)はコソヴォ紛争の平和的解決に向けたOSCEの努力に対して支持を表明し、さらに決議1203(10月24日)はOSCEによる検証団の設立を歓迎している。OSCEの活動は、こうした安保理決議によっても裏書きされていると言えよう。しかし、こうした法的な正当性はさておき、要員数2000人と予定されていた検証団は実際には800人程度の要員数で活動することとなった為、その実効性には問題があったといえよう。
 OSCEによる紛争解決とは対照的に、NATOがコソヴォ紛争の当初から警告していた空爆の実施が、果たして国連憲章との整合性をもつ措置なのかは重要な問題である。確かに、これまでのところNATOによる空爆は回避されている。だが、依然としてNATOが空爆の可能性を排除していないのも事実であり、この措置が法的に妥当なものかどうかを国連憲章及び安保理決議との関連で検討することが必要であろう。
まず、空爆という措置が武力行使による強制行動である以上、先述の憲章第33条1項及び52条1項・2項・3項の規定からNATOによる空爆を正当化することができないのは当然である。そこで、地域的国際機構が強制行動を発動するための根拠として、憲章第53条と第51条が考えられる。まず憲章第53条によれば、安保理はその権威の下における強制行動のために地域的取極又は地域的機関を利用することができる。だが、地域的国際機構による強制行動については、「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基づいて又は地域的機関によってとられてはならない」と規定している。すなわち、地域的国際機構のNATOによる空爆が正当化されるためには安保理の許可、要するに安保理決議による承認が不可欠なのである。では、NATOの空爆を承認する安保理決議は存在したのかどうかが重要となる。そこで、コソヴォ紛争関連の安保理決議の中で武力行使の可能性を示唆している唯一の決議として、安保理決議1199(9月23日)を検討する必要がある。同決議は、新ユーゴにおけるコソヴォ情勢の悪化がこの地域における平和及び安全に対する脅威となることを確認し、さらに安全保障理事会が憲章第7章の下で行動することを確認したうえで、次のように述べている。
本決議と決議1160において要求された具体的措置がとられない場合は、この地域における平和及び安全の維持又は回復のための更なる行動及び追加的措置を考慮することを決定する。
つまり、この決議は、今後事態の進展如何によっては「更なる行動及び追加的措置」を発動しうる可能性を示唆したに留まり、具体的にどういった措置がとられるかは今後の安保理の意思決定に左右されることを述べたにすぎないのである。従って、この決議が、地域的国際機構に対して、より具体的にはNATOに対して強制行動の発動を承認したとは到底考えられないのである。しかし、NATO加盟国の中でも特に米国はNATOによる空爆を当初から一貫して主張している。米国政府は、NATOの空爆実施の為には安保理決議による承認が望ましいが、必ずしも不可欠ではないとの立場をとっている。そこで、NATOの空爆を正当化するために米国が主張しているのが、コソヴォ紛争の継続が引き起こす不安定な情況に対する集団防衛である。すなわち、国連憲章第51条で認められる集団的自衛権である。NATOはそもそも集団的自衛権に基づく地域的な軍事的国際機構として設立されたことを考えれば、この正当化は理解できないこともない。しかし、一般的に自衛権の発動が正当化される為には、武力攻撃の発生が存在していなければならない。だが、NATO加盟国に対して武力攻撃が行われていない以上、欧州地域の不安定化を根拠に自衛権発動を認め、空爆を正当化するのは法的にみて困難だと考えられる。かくて、NATOによる空爆は、今だ行われていないとはいえ、十分な法的根拠を欠く措置といえよう。ただし、ランブイエでの和平交渉がNATOによる威嚇を背景として始められたことを考えれば、NATOによる軍事介入の警告が限定的ながらも重要な役割を果たしているのも事実である。いずれにせよ、KLAとセルビア治安当局との戦闘が収拾されない場合には、コソヴォでの無益な殺害を阻止するという人道的観点及び近隣諸国への紛争の拡大防止という政治的観点からも、NATOの空爆が不可避となるのも十分考えられる。このような事態に備えるべく、事後的ながらもNATOによる空爆を承認する安保理決議が早期に求められよう。
 こうした地域的国際機構の積極的関与が目立つ反面、国連によるコソヴォ紛争解決への関与が不十分だったことが、第二の特徴及び問題点であろう。だが、より正確には、欧米諸国が、国連よりもNATOを用いた紛争解決に熱心であったというべきかもしれない。その理由としては、新ユーゴに対するNATOによる武力行使容認決議を安保理で模索するとなると、ロシアの反対が予想されるため、意図的に国連をバイパスしたのだと考えられる。また、NATOの設立50周年とNATOの東方拡大プロセスの第1段階完成を目前に控え、NATOの存在意義を改めてアピールする必要があったとも考えられよう。さらに、ロシアを除く欧州諸国は、米国のコミットメントを確実に取り付けるためにもNATO重視を選択したのだろう。確かに、こういう背景があるにせよ、国連としても紛争の大規模な拡大を防ぐためにも、マケドニアに展開中の国連予防展開軍(UNPREDEP)をアルバニアの同意のもとに、アルバニアに拡大展開させるなどの措置をとるべきであっただろう。また、より大きな問題としては、紛争解決における地域的国際機構の役割が拡大する中で、国連はそうした活動にどのようなコントロールを及ぼすのか、さらには、地域的国際機構と国連との協力・分業体制をどのように定義するかが問われているといえよう。
 最後に言及すべき問題点として、コソヴォ紛争への国際社会の対応が、概して遅かったことであろう。確かに、早期の段階で連絡調整グループによる対新ユーゴの制裁措置強化が決定され、空爆の威嚇も行われていた。しかし、そのような制裁措置だけでなく、早期の段階でのKVM等の大規模な検証団の派遣が実現されるべきであっただろう。

X おわりに
本稿では、コソヴォ紛争に対する国際社会の対応を検討してきた。とりわけ、地域的国際機構による積極的な紛争解決の試みに焦点をあてて検討したところ、暫定的ながらも以下のことが明らかになったといえよう。まず第一に、OSCEによる紛争の平和的解決の一環として派遣されたKVMは、国連憲章の精神に合致し、さらに安保理決議によっても肯定されていること。しかし、こうした法的根拠の正当性にもかかわらず、大幅な要員不足のために、その実効性が削がれてしまったこと。第二に、NATOによる空爆の威嚇は、紛争当事者を和平交渉に参加させるうえである程度の有効性を持ちつつも、法的な観点から考慮した場合、国連憲章及び安保理決議によって正当化しうる措置ではないこと。しかしながら、人道的・政治的観点から考えて空爆が不可避となる事態も十分予想されることから、早期の安保理決議による承認が不可欠であること。第三に、OSCEとNATOの積極的な関与とは対照的に、国連による紛争解決の試みが乏しかったこと。また、NATOによる空爆等の強制活動に対して、国連はどのようなコントロールを及ぼすのかが課題として残されていることも指摘できる。第四に、紛争勃発の早期の段階での国際社会による大規模な対応が不可欠であること。KVMのような監視団を早期に十分な要員数で、かつ即座に派遣する必要があったと考えられる。
最後に、パリ郊外のランブイエで行われている和平交渉について私見を述べてみたい。NATOによる空爆の威嚇のもとに、新ユーゴ代表とアルバニア系住民代表との間で集中的な交渉が行われている。新ユーゴ代表は、コソヴォ自治州に大幅な自治を付与することには同意してはいるが、コソヴォの独立と同自治州におけるNATO軍の駐留には断固として反対している。他方で、アルバニア系住民側は、NATO軍の駐留を望み、独立の是非を問う住民投票を3年後に開催することを強く主張している。このように、両者の主張は食い違っており、折り合いをつけるのは困難であるように思われる。そこで、この手詰まりを打開する措置として、新ユーゴ政府の面子も考慮し、NATOにかわって、OSCEや国連の監視団ないしは平和維持軍を派遣すべきであろう。仮にNATO軍を派遣するとしても、セルビアに同情的なロシアにも参加を求めるなどの措置を考えるべきであろう。また、ロシアがNATOの空爆や域外派遣に警戒していることを考えてみても、より妥当な措置だといえるのではなかろうか。しかし、アルバニア系住民の独立要求に関しては、欧米諸国も原則的にアルバニア系住民の独立を認めないとする方針を掲げている以上、今後とも難航する交渉案件だと考えられる。
 いずれにせよ、国際社会はコソヴォにおける停戦や人権情況の監視のために、国際的な監視団ないしは中立・非強制的な平和維持軍を大規模に派遣する必要があろう。しかし、そのような国際的な監視の目は、セルビア治安当局によるアルバニア系住民の人権侵害等を監視するためだけに向けられるべきではなかろう。セルビア人に対するアルバニア系住民の差別に加えて、KLAによるアルバニア系住民の強制的な動員、親セルビア的とされるアルバニア系住民の殺害、KLAの武装解除などについても監視の目を向けていく必要があろう。ボスニアの悲劇から約3年、バルカン地域に多民族共存の環境を構築するために国際社会は何をなし得るのかが、今改めて問われているのである。

参考文献
柴宜弘『ユ−ゴスラヴィア現代史』岩波新書、1996年。
柴宜弘『バルカンの民族主義』山川出版社、1996年。
最上敏樹『国際機構論』東京大学出版会、1996年。
加藤政彦『バルカン―ユーゴ悲劇の深層―』日本経済新聞社、1993年。
千田善『ユーゴ紛争』講談新書、1993年。
大塚誠「『コソボ紛争』の歴史的背景」『世界』岩波書店、 1998年5月号第648号。
木村朗「国際機構の新しい役割―国連のユーゴ紛争への対応を中心に―」高田和夫[編]『国際関係論とは何か』法律文化社、1998年。
月村太郎「民族紛争の『国際化』に関する序論的考察―ユ−ゴスラヴィア民族紛争を題材に―」『国際法外交雑誌』第93巻第5号(1994年12月)
中村道「地域的強制行動に対する国際連合の統制―米州機構の事例を中心に―」田畑茂二郎先生還暦記念『変動期の国際法』有信堂、1973年。

また、インターネット(http://www.crisis...projects/sbalkans)を通じて入手した最近のコソヴォ紛争関連のレポートとして、
"The View From Tirana : The Albanian Dimension of Kosovo Crisis".
"Kosovo : Bite The Bullet,A strategy to resolve the Kosovo Crisis".
"The Albanian Question in Macedonia : Implications Of Kosovo Conflict For Inter-Ethnic Relations In Macedonia".

主要な安保理決議として、
S.C.Res.1160,U.N.SCOR,3868th mtg.,U.N.Doc.S/RES/1160(1998).
S.C.Res.1199,U.N.SCOR,3930th mtg.,U.N.Doc.S/RES/1199(1998).
S.C.Res.1203,U.N.SCOR,3937th mtg.,U.N.Doc.S/RES/1203(1998).