纐纈 厚著『(市民講座)いまに問う 憲法九条と日本の臨戦体制』(凱風社、2006年11月)の薦め

                                                木村 朗(鹿児島大学教員、平和学専攻)

 憲法改正を最重要課題として登場した安倍新政権によって、防衛庁の「省」昇格と自衛隊の海外活動を「本来任務」に格上げする関連四法と同時に、国家に忠実な従属的国民の育成を狙いとする改正教育基本法が昨年12月に成立するにいたった。なぜ日本は「平和憲法」の下で事実上の「戦争国家」「軍事社会」への道を本格的に踏み出すという「倒錯した危機的状況」を招くことになったのであろうか。

 本書は、このような「平和憲法を破壊するものは何か」という疑問に真正面から答えるとともに、憲法九条の原点に立ち戻って、日本の軍事化を阻み、アジア諸国民との共生と平和を実現するための具体的方策をも提示しようという意欲的な力作である。著者は、『有事体制論』『近代日本政軍関係の研究』『文民統制』などの著作に見られるように日本近現代史・現代政治軍事論、とりわけ軍事史・軍制史の専門家であり、その鋭い問題意識と優れた分析能力は、ここ数年に著者が国内外(日本国内ばかりでなく、中国、台湾、韓国などアジア諸国も含む)で行った講演や諸雑誌に発表した評論等を「軍事社会」と「憲法九条」「アジア民衆との和解と共生」をキーワードに再構成した本書においても如何なく発揮されている。

 また本書は、「グローバル化、非対称化、軍事化、管理・監視化」されていく日本の現実に、私たち市民一人ひとりはどう向き合っていったらいいのか、どう受け止めたらいいのかを問題提起するために凱風社が立ち上げた企画「〈市民講座〉いまに問うシリーズ」の第2作目(第1作目は「ヒバクシャと戦後補償」)に当たるもので、著者にとって『有事法の罠にだまされるな!』(2002年)に続く、凱風社編集部との共同作業の結晶でもある。

著者によれば、米軍再編は、ポスト冷戦時代における新しい米軍事戦略(先制攻撃戦略と単独行動主義)とそれに対応する米軍の戦力再配置を、また「グローバリゼーション」はアメリカの利益獲得対象地域が地球規模に拡大することを意味しており、圧倒的な軍事力を発動して自国資本主義の利益(企業利益)を維持・拡大する点は現在の「新冷戦構造」も旧冷戦構造と一致する。そして、日本の再軍備と日米安保は、資源と市場の確保という米資本主義の利益の保守・拡大が最大の目的であり、日米安保再定義や米軍再編に伴う日米同盟関係の強化にもこの目的が貫かれている。

 さらに、「日本の軍事化」という視点から米軍再編問題を考えれば、日米軍事同盟路線の進化・拡大とともに、日本の「臨戦国家」(著者の言葉)への道が決定しつつあることが見えてくる。米軍再編は、自衛隊の組織再編を促すと同時に、日本政治の総保守化、「民主主義に支えられた経済発展から軍事に支えられた経済発展へ」の転換をもたらすことになる。「戦後レジームからの脱却」を掲げて登場した安倍政権は、米軍再編を追い風に集団的自衛権行使正当化論や憲法・教育基本法の見直しなど一気に強権的な保守体制、すなわち「軍事社会の到来を不可避とする政治体制」の構築を図ろうとしている。

こうした著者による現状分析は、日本の置かれた現状とその本質を政治・軍事面ばかりでなく経済・社会面からも鋭く突いたものであり、強い説得力を持って私たちに迫ってくる。また、実はこうした日本の外交・防衛政策の根本的見直しを米軍再編によって実現することこそがアメリカの目的であるという指摘には評者も深く頷かされた。著者のユニークな着眼点は本書の中の随所に見られるが、特に今日の日本の軍事化・右傾化の根本原因を考える上で大変説得的なのが、「積極的従属」論である。すなわち、米軍再編と連動した日米同盟関係の強化路線は、戦後日本の「対米従属」という強いられた政治選択の結果ではなく、東アジアにおける日本多国籍企業の利益拡大という経済的利益を考慮した上での「対米従属」の積極的な選択であるという指摘である。また、日本の今日の「軍事化」が自衛隊制服組、多国籍化する企業、世論の三位一体の関係で進行しており、日本社会に内在していた軍事化と「ファシズム」体質を全面展開しようとしているという指摘も重要であろう。

 日本の軍事化を自民党新憲法案を題材に具体的に見てみると、それは「国際貢献」を口実にして「自衛軍」が世界的規模で展開して米軍と共同軍事行動を可能にするとともに、対内的には「自衛軍」が国内の緊急事態への対応として治安維持活動を行うことを正当化する内容となっている。これは明らかに日本が平和国家から「派兵国家」「戦争国家」に転換するばかりでなく、民主主義社会から「軍事社会」「監視社会」へと変容することを意味している。この「国民に銃口が向けられる可能性(と危険性)」の指摘は何よりも注目される必要がある。

それでは、こうした状況に私たちはどのように対処すればいいのであろうか。ここでも、著者は具体的な政策を積極的に提示してくれる。それは、「自立的で主体的な平和主義の確立」を目指すことであり、いまいちど原点に立ち返って憲法九条の活性化と実現を構想することによって「武力による平和」ではなく「武力によらない平和」への道を切り開くことである。私たちはいま新たな「戦前」への道を歩もうとしている。私たちは現実を正面から見すえて自らの置かれた位置を確認し、「本物の自由を獲得する意志」を持続するには何をすればいいのかを見つけだしていかなければならない。

最後に、評者が最も強い共感を覚えた、市民レベルでの連帯・交流の強化を通じての「アジア民衆との和解と共生」の実現を長年地道に実践している著者ならではの含蓄ある言葉をご紹介したい。「私たちはいま試されている。私たちに平和共存を実現する行動力と智恵があるかどうかをー。私は断言したい。あらゆる機会を通して連帯の輪を拡げ、共に手を取って行動していけば、必ず道は開けると。」

                                              (『図書新聞』2808号、2007年2月3日発行に掲載)