第13回日本平和学会九州・沖縄地区研究集会 大会宣言
「基地なき民衆の安全保障を求めて」
わたしたちは、いわゆる沖縄サミットを約
40日後のひかえた6月17・18日の2日間、在日米軍基地の
75%が集中する沖縄の地で、『基地なき民衆の安全保障』を共通論題とする研究集会を行いました。
周知のようにいわゆるサミットは、第
3世界の資源ナショナリズムに対抗する先進工業国の経済会議として始まり、その後、
NATOと日安保の政治的・軍事的結束を誇示する場としての性格を帯び、現在では、ロシアを加えた
G8が、国連の枠外で世界政治を取りしきる場として毎年開かれています。ここでは、毎回「経済的繁栄」や「平
和」が語られています。しかし、世界的に見てもひとつの国の内部を見ても、貧富の
格差は急速に拡大しつづけています。また、
NATOのユーゴ攻撃やロシアのチェチェン攻撃に見られるように大国による軍事力の行使も絶えません。つまり、サミットで語
られる「経済的繁栄」とは、一部の大国やその中の特権階級の利益の追求であり、
「平和」とは、その利益を保証する経済体制や国内的国際的秩序の維持に他ならない
のです。だからこそ、日本政府や稲嶺県政が「平和発信の場」と強調する沖縄サミッ
トを、クリントン大統領は「日米同盟の戦略的重要性を示す良い機会」などと公言し
てはばからないのです。このような「平和」は、私たちが求めてやまない平和とは、
まったく相反するものです。
私たちの願う平和とは、地球上のすべての人々が、自然環境を大切にし、限られた
資源や富をできるだけ平等に分かち合い、決して暴力(軍事力)を用いることなく、
異なった文化・価値観・制度を尊重し合って、共生することです。沖縄の民衆が、半
世紀にわたる苦難の歴史的体験を通して得た確信は、こうした状態を創り出すことこ
そが、民衆に真の安全を保障するということなのです。
にもかかわらず、最近では、このようなわたしたちの平和への願いやそれに向かっ
ての努力を非現実的と嘲笑し、既成の世界秩序を維持するために軍事基地を容認する
ことが現実的であるかのように言いなす言説が、沖縄の中からさえも登場してきてい
ます。しかし、わたしたちは、数日前そうした言説こそが、いかに時代遅れで非現実
的なものであるかということを立証する歴史的出来事を目撃しました。朝鮮半島にお
ける南北首脳会議の実現です。わずか
20年前には暴動の扇動者として死刑判決までうけた人物が、韓国の大統領となり、反国家団体が占拠すると称していた地を訪れて、
その地域の指導者と固い握手を交わし、お互いの立場を認め合って、統一という共通
目標に向かって、問題解決に協力していこうと約束したのです。もちろん、これで東
アジアの全ての問題が一挙に解決するかのような手放しの楽観は許されません。しか
し、南北首脳会議の実現が、理想に向かって現実を変えようとする民衆の絶えざる努
力が生み出した、ささやかではあっても確実な成果であることは誰も否定できないで
しょう。
さらに言えば、1ヵ月前に終わった国連本部での
NPT再検討会議において、「窮極的な核廃絶こそもっとも現実的だ」と固執しつづけてきた核保有国とこれに追従して
きた日本政府の主張が、圧倒的な国際世論の前に完全に孤立し、その際州法酷ではつ
いにこれを撤回、改めて核兵器廃絶を最優先課題として、その誠実な実行を約束せざ
るを得なくなりました。これらの事実は、わたしたちを大いに勇気づけ、確信を与え
てくれます。
わたしたちは、二日間にわたるわたしたちの討議が同じ目的を持つ多くの人々の論
議や大衆行動とともに、大国の軍事力によって維持される世界秩序を、異なった文化
・価値観・制度の下にある民衆の共生関係に創り変えていく上で多少の寄与はなしう
るものと確信します。
今後とも、わたしたちは、志を同じくする人々と共に戦争と核兵器および基地・軍
事同盟が支配する現実を、民衆による、民衆のための平和な関係に創り変えていくた
めに、それぞれがおかれている場で、努力を続けたいと思います。
2000年6月18日 第13回 日本平和学会九州沖縄地区研究集会参加者一同