「原爆神話と核抑止論の欺瞞性を越えて−21世紀における平和秩序の構築のために」

               木村 朗(鹿児島大学教員・長崎平和研究所客員研究員、平和学専攻)

1.原爆投下60年の節目を迎えて−負の遺産の克服と新しい課題への挑戦を

わたしたちは、今年の夏(2005年8月6日・9日)に、広島と長崎への原爆投下からちょうど60年を迎える。それはいうまでもなく、戦後60年、すなわちアジア太平洋戦争(および第二次世界大戦)終結60周年という節目とも重なる。こうして歳月が確実に過ぎ去る中で、戦争と原爆をめぐる様々な問題の多くが基本的に解決されたとは到底言えない厳しい現状がある。原爆犠牲者数の正確な確認を含む被爆の実相や原爆症のメカニズムの解明も多くの人々の努力にもかかわらず、まだ完全には明らかになっていないばかりか、在外被爆者・外国人被爆者を含む、日本内外の犠牲者・被害者への謝罪・補償も十分には行われていない。日本の戦争責任や戦後責任・戦後補償が根本的になされることなく曖昧なままで今日に至ったことが、最近の日本と中国、韓国・北朝鮮などの近隣諸国との関係において、靖国公式参拝問題・教科書問題などをめぐる感情的対立・摩擦を生じさせる大きな原因となっている。そして、東京裁判では裁かれなかった米軍による無差別爆撃や原爆投下、あるいは日本軍による毒ガス使用や七三一部隊が行った細菌戦・人体実験などの戦争犯罪といった、戦後長い間隠されてきた「もう一つの戦後処理」に伴う諸問題が、21世紀初頭の現在まで未解決なままで残されていることを指摘しなければならない。そして、日本内外におられる被爆者や戦争体験者の方々の高齢化が急速に進む状況の中で「被爆・戦争体験の風化」が多くの方々によって憂慮されており、次の世代に戦争と原爆の記憶と証言をいかに継承していくかが緊急かつ重要な課題となっている。

2001年に起きた9・11事件以後、世界と日本とをめぐる状況は急速に悪化しつつある。日本政府は、米国によって発動されたアフガニスタン戦争・イラク戦争に対して直ちに日米同盟協力の強化のための自衛隊派遣を決定・実施し、国内においても情報操作・言論統制をも可能とする有事法制を導入した。そればかりでなく、核・ミサイル問題や不審船・拉致問題をめぐる北朝鮮との緊張激化を利用する形で、米国のミサイル防衛構想への共同参加や、集団的自衛権の行使を可能とする従来の政府見解の事実上の変更、あるいは平和憲法の放棄を前提とした「戦争のできる国」作りに向けた動きを加速化している。

ブッシュ米政権は、「ミサイル防衛」構想の推進と並んで、核兵器先制使用を「前提」に、必要であれば「先制攻撃」によって敵対する国の「体制転換(政権打倒)」を圧倒的な武力によって実現するという、「ブッシュ・ドクトリン(予防戦争・先制攻撃戦略)」を打ち出した。この恐るべき新しい戦略では、地下貫通型の新しい小型核兵器の開発とそのための核実験再開などの必要性が強調されており、弾道迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの一方的な離脱や包括的核実験禁止条約 (CTBT) の死文化に続き、いまやNPT体制までが崩壊の危機に瀕していると言えよう。

さらに、米国によって行われた「新しい戦争」では、劣化ウラン弾をはじめとするあらゆる新型の非人道的兵器が大量に使用されており、国際的非難が集中しているにもかかわらず、米国はそれをあくまでも「正義の戦争」として正当化しようとしている。また、このこととの関連で言えば、今年はヴェトナム解放・統一30周年とも重なっているが、米国が第二次世界大戦後に犯した「もう一つの戦争犯罪」であるヴェトナム戦争における枯れ葉剤使用とその被害をめぐる問題もあらためて注目をする必要がある。

米国は、ブッシュ政権に至るまで、第二次世界大戦を米国にとっての「正義の戦争」として位置づけており、大戦末期に日本に対して行った2度にわたる原爆投下を、早期終戦・人命救済という理由付けでこれまで一貫して正当化してきている。しかし、このような原爆投下の正当化は、真相の隠蔽や歪曲された事実を前提として作られた「原爆神話(虚構の論理)」であることは明らかである。そして、このような誤った歴史認識が、今日においても未だに米国ばかりでなく日本を含む世界中の人々の間にかなり浸透しており、それが核兵器の保有・威嚇・使用を正当化する核抑止論と結びついて強い影響力を持ち得ている。従って、こうした歴史的事実にそぐわない原爆投下にまつわる神話・認識を克服することこそが、現代の国際社会にとっての重大な課題の一つとなっている。

「一種の核兵器」(厳密には「放射能兵器」)とも言われる劣化ウラン弾使用をめぐる問題は、原爆投下問題や枯れ葉剤使用問題などとも本質的に共通する問題を含んでいる。この問題を米国が行う、「正義の戦争」「人道(平和)のための戦争」という名の「(偽りの)作られた戦争」「終わりのない戦争」との関連で追求し解決することが急務となっているのではないだろうか。さらに言えば、核戦争の被害者である「被爆者」だけでなく、もう一つの「被曝者」、すなわち核実験や原発事故の被害者、ウラン鉱山や原子力関連施設で働く労働者や周辺住民への放射能被害なども含めた「グローバル・ヒバクシャ」という新しい視点・問題意識から、核・原爆や戦争・紛争をめぐる問題を総合的に問うことも求められている(肥田舜太郎 / 鎌仲 ひとみ (共著)『内部被曝の脅威−原爆から劣化ウラン弾まで』 ちくま新書、グローバルヒバクシャ研究会(編集)/前田 哲男監修『隠されたヒバクシャ―検証=裁きなきビキニ水爆被災』凱風社を参照)。それは、特に「人体実験」と「情報操作」、あるいは「秘密主義(権力)」と「営利追求主義(資本)」といった、現代国家における民主主義の根本的なあり方(権力・資本と民衆・メディアとの関係など)と直接に関わる問題であるだけに、今日の世界における最も緊急性が高い最重要課題となっていると言っても過言ではない。

 

2.原爆(核兵器)問題をめぐる過去と現在−「被害」と「加害」の二重構造を越えて

アジア太平洋戦争(あるいは第二次世界大戦)末期に米国によって日本の広島、長崎に対して行われた原爆投下は、人類にとっての核時代の幕開けを告げたばかりでなく、戦後世界における冷戦開始の合図ともなった。冷戦は、大戦末期における米ソ間の戦後構想をめぐる対立から生じたものであり、ある意味で戦争(それも最初の核戦争)の産物であった。また、冷戦は、米国を中心とする西側(資本主義)陣営とソ連を盟主とする東側(社会主義陣営)との間での世界市場・勢力圏をめぐる権力政治的対立と社会体制のあり方をめぐるイデオロギー的対立という二重の相克を意味していた。この米ソ対立を中核とする東西冷戦では、東西(あるいは米ソ)双方によって「力による平和」が追求され核による「恐怖の均衡」によって世界秩序・社会体制ばかりでなく心の中まで日常的に支配されることになった。

しかし、1980年代末に東側(社会主義)陣営の急速な崩壊という形で冷戦が終結すると、新しい世界秩序が模索される中で冷戦期には封じ込められていたさまざまな矛盾が表面化すると同時に、戦後処理に伴う未解決の様々な問題が浮上した。すなわち、これまで冷戦構造の下で比較的おさえられていた、民族・宗教対立の激化、南北・南南問題の深刻化、環境破壊の進行、人口爆発と飢餓・貧困の拡大、大量難民の発生、人権侵害の拡大、テロ・麻薬の増大といったさまざまな矛盾が一挙に目に見える形で噴出するとともに、戦後のドイツ・ポ−ランド間における国境線の見直しとその最終的画定、連合軍が行った大戦中および大戦直後の強姦・略奪などの犯罪、東京裁判およびニュルンベルク裁判の全般的見直し・再検討、アジア太平洋戦争末期に米国が行った日本への原爆投下の是非と核兵器の合法性・違法性、日本軍が行った南京大虐殺・七三一部隊・強制連行・「従軍慰安婦(戦時性奴隷)」等さまざまな残虐行為・戦争犯罪とそれに対する戦後補償・戦後責任の追及などが改めて問われることになったのである。

こうした中で、米国は戦後一貫して日本への原爆投下の正当性を主張し続けており、今日においてもその主張・立場は不変である。日本への原爆投下を正当化する論理は、「原爆投下こそが日本の降伏と戦争の早期終結をもたらしたのであり、その結果、本土決戦の場合に出たであろう50万人から100万人にのぼる米兵の犠牲者ばかりでなくそれ以上の日本人やアジア人の生命をも同時に救うことになった」という早期終戦・人命救済説であり、今日の米国においても支配的な見解となっている。

こうしたいわゆる「原爆神話」が必ずしも事実に基づいたものではなく、戦後権力(占領軍・日本政府など)によって意図的に作り出されたものであることが次第に明らかになりつつある。戦後50年を経た時点で起きた米国でのスミソニアン原爆展論争や二〇世紀末に行われたコソヴォ紛争でのNATO空爆、9・11事件後のアフガニスタンおよびイラク攻撃の正当性をめぐる議論との関わりで、日本への原爆投下の意味と背景を改めて問い直す動きが生まれていることが注目される。また、「原爆神話」を肯定する立場は、核による威嚇と使用を前提とした「核抑止論」の保持と密接不可分の関係にあることはいうまでもない。さらに問題なのは、21世紀初頭に米国で登場したブッシュ政権が、露骨な「力による平和」と「一国覇権主義」を追求しはじめ、そのための手段としての核兵器を「使える兵器」として位置づける核先制使用戦略を採用するにいたったことである。

米国のワシントン郊外の国立スミソニアン航空宇宙博物館別館で、広島に原爆を落とした米軍B29爆撃機「エノラゲイ」が一昨年12月15日から一般公開された。同機の展示はその一部が公開された1995年の原爆投下50周年に続くもので、前回と同じく、今回の展示においても原爆被害の状況については一切説明されずに、単に「すばらしい技術的成功」として展示された。このような展示のあり方については、米国国内でも批判が広がり、ピ−タ−・カズニック教授(アメリカン大学の核戦略研究所所長)などが中心となって組織した「核の歴史と現在の政策に関する全国的議論のための委員会」の呼びかけで、公開にあわせ日本から数人の被爆者を含む人々が訪米して、ともに要請・抗議を行った。また同時に、原爆展示のあり方、原爆投下の正当性の是非、現在の米国の核政策などの問題について米国の市民との対話集会も開催された。これに関連して、ブッシュ政権は同年11月24日にこれまで10年間にわたって小型核兵器の研究・開発を禁止していた法律条項を廃止し、同年12月1日には小型核兵器の研究に承認を与えて実戦使用可能な地中貫通型核爆弾の開発を促進する予算を成立させている。このように、米国の中には、過去における日本への原爆投下と現在・未来における核使用を肯定・容認するものとそれを否定・克服しようとする相対立する二つの流れが存在し、両者の勢力・考え方がせめぎ合っているのが現実である。

一方、戦後の日本では、毎年8月15日の「終戦」記念日には全国各地においてさまざまな集会や催しが開かれてきた。こうした形で催される集会や催しで主に扱われるテーマは、原爆投下や沖縄戦、東京大空襲といった、どちらかといえば日本および日本人が「被害者」となる視点から戦争が振り返られるという傾向が強い。しかし、そういった視点で戦争が語られるだけで果たして本当に良いのだろうかとの声も次第に強まってきている。本来、この日は曖昧な「終戦」ではなく、まぎれもない「敗戦」を刻んだ日として認識・自覚されなければならない。まず、「アジア太平洋戦争」(あるいは「一五年戦争」)の前提となる日本による台湾・朝鮮半島に対する植民地支配から、満州事変、日中戦争、重慶爆撃、南京大虐殺、真珠湾攻撃、七三一細菌部隊、従軍慰安婦、強制連行・強制労働などへと続く日本の「加害者」としての対外膨張の歴史を正しく捉え直す必要がある。それと同時に、教育勅語・軍人勅諭に見られる国家神道による天皇の神聖化、スローガンとしての大東亜共栄圏(東亜新秩序)・八紘一宇、大政翼賛会に象徴される国家総動員体制、大本営発表を通じた報道統制、治安維持法・新聞紙法等による人権抑圧・言論弾圧などの特徴・性格をもった戦前の軍国主義的な強権政治体制をもたらした根本原因は何であるのかを改めて考える機会とすることが必要である。

また、毎年8月6日と9日の「原爆の日」には、広島・長崎両市が「平和宣言」を発表し、その中で原爆被害の恐ろしさと核兵器廃絶(「核と戦争のない世界」の実現)を世界中の人々、とりわけ核保有国の指導者に訴えてきた。近年では、原爆投下の「被害者」としての視点ばかりでなく、先の大戦での日本の「加害者」としての立場に言及することが多くなっている。こうした一定の肯定的な変化が見られる一方で、日米安保体制での「核の傘」に安住している日本国政府や原爆投下を正当化し、現在でも核兵器の保有・使用を肯定し続けている米国政府を正面切って批判し、原爆投下を「戦争犯罪」として明確に告発する被爆者たちの声を日本人全体の統一的見解として表明することが依然としてできずにいる。

こうした現状を打開していくためには、原爆投下の本当の意味と真実を明らかにし、日米間ばかりでなくアジアを含む全世界の共通認識を育てていくことが特に重要になってくる。その鍵を握っているのが、「被害」と「加害」の二重性、「戦争」と「原爆」の全体構造(あるいは戦争の記憶と被爆体験の統一)、という複合的視点であろう。この点で注目されるのが、「外国人被爆者・在外被爆者こそが、日本軍国主義と米国原爆帝国主義に挟撃された二重の被害者である。」という故鎌田定夫先生(長崎平和研究所創立者)の言葉である。この言葉には、広島や長崎では日本人ばかりでなく日本の侵略戦争・国家総動員体制の下で強制連行された多くの外国人が被爆したという事実、広島・長崎の被爆構造にはアジア太平洋戦争における「日本軍国主義」による加害・被害とともに米国の「原爆帝国主義」による加害・被害が二重に刻印されているという認識が見事に表現されている。

被爆者が年々高齢化してその平均年齢がすでに75歳を越えている今日、広島・長崎の被爆体験を思想化して後世・未来の世代に継承することは焦眉の課題となっている。また、本当の意味での、過去の戦争責任の精算を戦争被害者・戦争体験者がともになお生存されている現在の時点で行うことが重要な意味をもっている。この点でも「ただ被害者意識で訴えるのじゃなく、いかに普遍性を持つような訴えになるのかという意味で、体験そのものを、被害と加害の関係の中で、もっと構造的にとらえる。そうすれば非体験者、あるいは日本人じゃない人、若い世代にも伝承可能です。自分たちの問題として翻訳が可能なんですね。自分たちの日常体験の中に翻訳できなければ、昔のことを昔のこととして語るだけでは、伝わらないんですね」という鎌田先生の言葉は重く、その本質を突いていると思われる。

しかし残念ながら、戦後60年目を迎えた日本の状況は、こうした方向・選択とはほど遠い地点にあると言わねばならない。冷戦終結後の日本は、湾岸戦争を契機に、外なる「国際貢献」と内なる政治・行政改革を合い言葉に外圧(米国の要求)に応える形で、上から新しい「国づくり」なるものを紆余曲折しながら強引に進めてきた。それがどんな性格をもっているのかは、国際平和協力法や周辺事態法・有事法制、対テロ特措法・対イラク特措法等を通じた軍事的な国際貢献の拡大、産業再生法や介護保険法・国民年金法にみられるような競争と効率を基本原理とし自己責任を重んじる「小さな政府」への移行、元号法や国家・国旗法にあらわれた国家主義的傾向の復活・強化、阪神大震災事件・オウム事件や北朝鮮の不審工作船事件・テポドン発射事件を口実とした国家・危機管理体制の強化といった一連の動きに明らかに示されている。それは、換言すれば、内外の危機に迅速に対応できる強いリーダーシップを備えた危機管理型高度国防国家、あるいは戦争国家・警察国家(監視社会)の構築であり、経済(超)大国から政治・軍事大国への転換であるといえよう。特に注意すべきは、誇張された「北朝鮮の脅威」を理由とした、先制攻撃能力保有論と核武装必要論が米国のチェイニー副大統領を筆頭とするネオコンの動きと連動する形でにわかに浮上表面化したことである。しかし、こうした方向・選択は、「力による平和」という冷戦型思考の復活・強化に他ならず、21世紀の世界に再び混乱と無秩序をもたらす不毛の選択であることは明らかである。世界非武装化を理想として掲げる平和憲法を持ち、非核三原則を国是とする日本が本来果たすべき役割は、現代国際社会において核兵器廃絶と全面的軍縮を実現するために努力することであろう。

 

3.NPT体制の危機克服に向けて我々に何が出来るか

 NPT(核拡散防止条約)体制の形骸化が叫ばれて久しい。その主たる原因は、第6条の核軍縮の義務に一向に真摯に向き合おうとしない、核保有五大国(とりわけ米国)の姿勢にあることは言うまでもない。さらに、ブッシュ政権の登場とその新しい攻撃的な核戦略の採用によって、今日、NPT体制は崩壊の危機にあるといえよう。そこで、この危機的な状況下において、我々は(「加盟各国」はではなく、世界各国の一人ひとりの「市民」がという意味)何が出来るのか、何をしなければならないのか、をここで考えてみたい。

今年は、原爆投下・第二世界大戦終結60周年であり、原爆投下の是非や戦争と秩序のあり方があらためて問われている。その際、原爆投下が軍事的に必要でなく、政治的に有害であったことは自明であり、何よりも、道徳的には絶対的な過ちであったばかりでなく、法的にも明らかな戦争犯罪であったことをまず確認する必要がある。そして、この「原爆投下(核兵器使用)の犯罪性と違法性」を前提にして、NPT問題を根本的に問うことが重要である。

NPT体制は、単に核不拡散、すなわち核非保有国への核の拡散防止を加盟国に強制することを目的としたものではない。むしろそれは、核保有国の核軍縮義務を明記することで核兵器廃絶の実現、核のない世界への展望を論理的必然性あるいは潜在的可能性として含むものであることが強調されなければならない。この「核不拡散の禁止・防止」と「核軍縮の義務的推進」は表裏一体の関係ではあるが、NPT体制の存続にとって決定的な鍵を握っているのが後者であることは確かである。なぜなら、核非保有国は、核保有国の核軍縮義務の誠実な履行を前提条件にして、この不平等な条約を受け入れたのであり、もしそれが履行されなければ、このNPT体制を存続させる意味の大半は無くなるからである。NPT体制の崩壊は、直ちに核拡散のなし崩し的拡大という無秩序・混乱をもたらすものではなく、それが必ずしも「最悪のシナリオ」であるというわけでもない。なぜなら、NPT体制を離脱した核非保有国だけで、新たに「核兵器禁止条約」体制を構築し、核保有国に対して、より有効な形で、核非保有国に対する先制使用の禁止や核兵器廃絶の履行を迫るという選択も可能だからである。ここで注意すべきは、NPT体制を離脱した核非保有国のほとんどは、自ら核武装への道を選択しようとするわけではなく、むしろ逆で、これまで以上に積極的に核拡散ばかりでなく、核廃絶に向けた取り組み・努力を行うであろうと予想されることである。新アジェンダ連合諸国や非同盟諸国のこれまでの活動・主張の軌跡を見れば、そのことは一目瞭然であると思われる。

問題は、以上のような認識・立場を前提にして、核兵器保有国に何を迫るか、ということである。この点で最も重要な視点は、「問題なのは核兵器の数ではなく、それを使用とするドクトリン(教義)であり、政策である」(英国のレベッカ・ジョンソン女史)。核抑止論の克服(あるいは、それと裏腹の原爆投下の完全否定)は、このような視点に立ってこそ初めて可能となるのである。また、具体的な方策としては、1.非核保有国に対する核保有国による核の先制使用の放棄、2.(中央アジア5カ国の最近の合意にみられるような)非核地帯設置の拡大、3.核保有国相互間における核先制使用の放棄、4.核実験の全面的・即時禁止、5.核兵器の新たな開発・生産の即時禁止、6.核兵器の使用の全面的禁止。7.時期を明確にした形での核兵器の段階的廃棄、という手順で、核兵器廃絶に向かって着実に努力することである。

NPT体制をめぐる問題を考える際に、もう一つの重要な視点は、「核兵器(・戦争)と通常兵器(・戦争)の有機的関連」であろう。これまで、核問題は特別視され、「核兵器(・戦争)」と「通常兵器(・戦争)」という二つの問題は、区別されることはあっても、その関連が問われることはほとんどなかった。ここに実は、大きな「落とし穴」があったといえよう。なぜなら、日本への原爆投下(核戦争の開始)は、アジア太平洋戦争(通常戦争)の末期に行われたのであり、その後の朝鮮戦争やヴェトナム戦争においても、通常戦争の延長上に核兵器の使用が検討されたというのが現実だからである。換言すれば、実際には、核戦争と通常戦争とは常に重なる形で行われてきたし、今後もそうなる可能性が最も高いという事実である。また、湾岸戦争以来、非常に残虐でかつ巨大な破壊力をもつ非人道的な新兵器が、米国などによって使用されてきたこと、特に新型兵器のなかには劣化ウラン弾のような放射能兵器も含まれており、「核兵器(・戦争)と通常兵器(・戦争)の区別」が、ますます曖昧かつ困難になっているのが現状である。

 そこで、我々は、以上のような現状を正しく認識した上で、「原爆投下(核兵器使用)の犯罪性と違法性」という問題に再び立ち戻る必要がある。なぜなら、最近の「新しい戦争」で頻繁に使用されている諸種の新型兵器は、その破壊力や残虐性から見ても核兵器と同じく、道徳的にも法的にも到底正当化できない性格のものとなっているからである。また、こうした新型兵器の使用禁止と核兵器廃絶の実現とは、密接な関連があるということも明らかである。特に、「非戦闘員と戦闘員の区別」という人道的原則に、真っ向から対立する、新型兵器の使用による、無差別爆撃と大量殺戮が、今日、「正義」や「人道」の名の下に頻繁に行われているという深刻な現実を直視する必要がある。その意味で、こうした蛮行を止めさせるための具体的な努力、例えば、アフガン戦争・イラク戦争等に対する世界的規模での市民による国際戦争犯罪法廷の動きや無防備都市宣言運動の拡がりは、原爆投下の犯罪性・違法性を問う新たな試み(広島での「原爆裁判」の開催など)や核廃絶を求める原水爆禁止運動の取り組みなどと密接かつ有機的な関連があると指摘出来る。

日本政府による「核の傘」を容認した上での「核軍縮」「(究極的)核廃絶」の主張は、日米安保条約という軍事同盟を是認した上での「平和憲法」・「非武装」の主張と同じく、世界や国際社会に対して十分な説得力を持ち得ないものであり、その欺瞞的ともいうべき曖昧な立場・発想からの根本的転換が求められていると言えよう。

※ 最後に、核と戦争のない世界の実現のために、その全生涯を捧げられて亡くなられた、鎌田定夫先生と具島兼三郎先生(長崎平和文化研究所初代所長)のお二人に、心からのご冥福を祈りたい。