原爆(核兵器)と劣化ウラン兵器の禁止・廃絶を求めて−戦後61年目の視点から考える

     木村 朗(鹿児島大学教員・長崎平和研究所客員研究員、平和学専攻)

広島・長崎への原爆投下から61年目の夏がまもなく過ぎようとしている。日本では、8月15日に小泉首相が靖国神社を公式参拝した波紋・衝撃もすでに過去の出来事であるかのように、現在では次期総裁選をめぐる情報がマスコミを通じてあわただしく駆けめぐっている。

現在の世界においては、核をめぐって危機と好機の相反する状況の同時進行が見られる。すなわち、一方では、イランや北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国を略す)への核兵器およびミサイルの拡散をめぐって国際的な緊張が生じている。米国や日本などの強行姿勢などもあって、最悪の場合は核兵器(新型戦術核兵器)の先制使用を含む核戦争の危機が現実のものとなりかねない、きわめて危険な状況となっている。また、ヒズボラによるイスラエル兵二人の拉致への報復として、米国の支持・後押しを得たイスラエルによるレバノン侵攻が7月12日はじまり、多くの民間人を含む犠牲者を出した。国連による仲介が紆余曲折の上ようやく実って何とか一時的停戦が実現したものの、米国・イスラエル・トルコによるイラン・シリア攻撃が囁かれるなど予断を許さない状況となっている。

他方では、核兵器を生物・化学兵器とともに国際法上で非合法化すべきだとする国際的な提言が世界の有識者でつくる「大量破壊兵器委員会」(WMDC=ハンス・ブリクス委員長)によって6月1日に出された。また、7月15/16日には被爆地・広島で、「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」が開催され、トルーマン大統領ら被告15人全員に有罪判決が出された。さらに、8月3〜6日に同じく広島で「劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会・ICBUW」が開催され、被爆地広島から世界へ向けたDU廃絶行動への参加を呼び掛ける「ヒロシマ・アピール」が採択された。

本稿では、このような状況・背景を踏まえて、戦後61年目の視点から、原爆(核兵器)と劣化ウラン兵器の禁止・廃絶をめぐる諸問題を考えることにしたい(1)

 

1.原爆投下問題への新しい視座について

1)冷戦史の見直しとの関連で

80年代から90年代初頭において生じた旧ソ連・東欧諸国の急速な脱社会主義化とその結果としての冷戦の終結は、「冷戦とは何であったのか」という問題を改めて世界に提起することになった。冷戦の起源・責任については、従来、ポーランド問題に代表されるような東欧でのソ連の膨張主義や国際共産主義運動を通じた世界革命の追及に主因を求めるソ連責任論が一般的であった。現在でもそうした見方が主流であるとはいえ、それとは異なる有力な見解も現れ始めている。当時のソ連の能力・条件からしてソ連側が冷戦開始のイニシアティヴを取ったという見方は一方的で米国の側にも大きな原因があったとする米ソ共同責任論や、冷戦の起源を第二戦線創設問題やギリシャ内戦問題や原爆開発・投下問題に求める米国主要責任論がそれである。この問題では、第二次大戦で2700万人もの犠牲者など甚大な損害を被っていた当時のソ連には冷戦を発動させるだけの能力も意図も基本的になかったという点で米国主要責任論の立場がより説得力があると思われる。また冷戦開始の主要原因を、第二次世界大戦中から戦後直後にかけての国際関係の劇的な構造変化に対する米英両国を中心とする西側諸国の「過剰反応」にあったとみなすことができよう(2)

そこで、ここでは冷戦の起源との関わりで、最近の原爆投下研究の現状とその新しい特徴を考えることから始めたい。まず、なぜ広島・長崎に原爆が投下されたのかという原因・背景、あるいは米国側の動機・目的として、これまで主に、@早期終戦および人命救済のため−米国の公式見解、A ソ連に対する威嚇・抑制(「原爆外交」:対日参戦の影響力の封じ込め)、B 日本の「卑怯な」真珠湾攻撃に対する「報復(復讐)」とその背景にある人種差別観の存在、C 新型兵器の実戦使用による人体実験のため(マンハッタン計画の一環)、D 約20億ドルという巨大な開発費用の「回収」のため−議会・国民からの強い圧力の存在、E ルーズベルトの負の遺産とマンハッタン計画実施機構の「はずみ」、F米国指導者(トルーマン、バーンズ、グローブズ等)の野心と人種的偏見、等が指摘されてきた。

また、主に日本側から見た原爆投下研究の最近の新しい特徴として、A.「原爆投下の必要性・正当性」を中心とする政治・軍事上の問題から、「原爆投下の道義性」を問う人道上・国際法上の問題へ、B.冷戦の起源としてのソ連抑止説(戦後世界での米国の優位性確立とソ連の影響力封じ込め)から人体実験説(新兵器の実戦使用での威力の確認)へ、C.アウシュヴィッツ、南京大虐殺との「ジェノサイド(大量殺戮)」としての共通性への注目、 D.真珠湾攻撃と原爆投下の相殺説から、重慶爆撃と原爆投下の共同加害説へ(「被害」と「加害」の重層性、「人道に対する罪」としての「無差別爆撃」と「大量殺戮」=無差別都市爆撃の延長線上としての原爆投下という位置づけ)の4つの傾向を指摘できる。

早期終戦および人命救済のためという米国の公式見解は、新しい確認された事実によって研究者の間ではすでに説得力を失っているといえる。また特に、冷戦の起源としてのソ連抑止説(戦後世界での米国の優位性確立とソ連の影響力封じ込め)から人体実験説(新兵器の実戦使用での威力の確認)へという最近の新しい研究の傾向が注目されよう。周知のように、日本への原爆投下は早期終戦及び人命救済のためであったという考え方は米国政府の今日にいたるまでの公式見解であるばかりでなく、現在でも多くの米国国民がそれを疑うことなく信じている。また、残念なことに、日本政府が戦後こうした米国の見解を強く否定せずにあたかも受け入れたかのような姿勢に終始したこともあって、日本国民のかなりの部分も、この公式見解をそのまま鵜呑みにしているという現実がある。しかし、こうしたいわゆる「原爆神話」が必ずしも事実に基づいたものではなく、あくまでも戦後権力(占領軍・日本政府等)によって意図的に作り出された「虚構」そのものであることが次第に明らかになりつつある。

日本でのこれまでの原爆投下研究は米国側の影響もあって、どちらかといえば、原爆投下が軍事的に本当に必要であったのか、あるいは必要でなかったのかという問題を中心に論じられてきた。こうした問題設定を通じて、もし軍事的に必要であったならば原爆投下は正当化できる、また逆に軍事的に必要でなかったのならば正当化できない、という形で議論が展開されてきたと言える。しかし、こうした従来の議論のあり方を批判するものとして、人道的観点から見れば、そもそもナチス・ドイツの脅威を理由とした原爆の開発自体が誤りであり、ましてや原爆の使用は決して正当化することのできない非人道的行為であったとする筆者も共有する見解がある。そして、この見解は、(後述する)原爆投下を「戦争犯罪」として位置づけ、国際的な司法の場で裁こうという最近の動向と結びついている。

次に、この立場を前提とした上で、原爆投下の原因・目的について、ここで改めて考えてみたい。「早期終戦及び人命救済のために原爆投下は必要かつ正当であった」とする米国側の公式見解を批判する見解として、これまでもっとも有力であったのが冷戦の起原としてのソ連抑止説である。これは、「(日本への−筆者)原子爆弾の投下は、第二次大戦の最後の軍事行動であったというよりも、寧ろ目下進行しつつあるロシアとの冷たい外交戦争の最初の大作戦の一つであった」(英国のP.M.S.ブラッケット教授)や「原爆外交」(米国のガー・アルペロヴィッツ教授)という言葉に示されている立場であり、多くの点で基本的に同意できるものである。

この戦後世界での米国の世界的な覇権確立とソ連の影響力・発言力の封じ込めの原爆投下という考え方は、確かに戦後直後に本格化する冷戦との関係をみれば今日でも非常に説得力のある見解であると言えよう。しかし同時に、それとは異なる隠された要因があったのではないかというのが筆者の立場・見解である。すなわち、「原爆投下は新型兵器の実験、とりわけ人体実験を含むものであった」という解釈・評価がそれである。ここでその詳細を論じる余裕はないが、現時点で筆者は、原爆投下にはもちろん複数の原因・目的があったのであり、そのなかでもソ連抑止説と人体実験説が特に重要で両者の関連や投下要因における比重等を今後明らかにしていかなければならないと考えている。また、原爆投下の犯罪性・残虐性として、大戦中における非戦闘員の大量殺戮という「戦争犯罪」「人道に対する罪」ばかりでなく、戦後(特に占領期における)被爆者の救済放置とモルモット扱い(治療に名を借りた実験データの収集等)、さらに原爆被害の隠蔽と「原爆神話」の意図的な捏造という情報統制・世論操作を含めてその全容と責任を明らかにする必要がある。そして、こうした視点からの真相解明が進めば、さらに冷戦そのものが歴史的必然であったというよりも、むしろ意図的に作り出されたものであったという隠された真実が浮かび上がるのではないだろうか。

結論として言えることは、原爆投下は軍事的に不必要でかつ政治的には有害であったばかりでなく、道徳的かつ法的な観点から見ても正当化することはできない明らかな戦争犯罪(日本・日本人に対して、というよりも、国際社会・人類全体に対しての「人道に対する罪」)であったということである。換言すれば、早期終戦あるいは人命救済という「人道上の理由」で原爆投下がなされたという「原爆神話」は、原爆投下を正当化するために、あるいは第二次世界大戦における最大の(ある意味ではナチス・ドイツを凌ぐほどの)「戦争犯罪」であることを覆い隠すために戦後になって米国(部分的には日本政府)によって作られた「虚構の論理」であった。なぜなら、原爆(投下)が戦争を早期終結させたのではなく、「原爆が第二次世界大戦の終結をもたらしたというより、むしろ戦争終結を遅らせたということだ」(米国のマ−ティン・シャ−ウィン教授)という指摘(3)に示されるように、原爆(その開発の完成と実戦での「実験的」投下という本当の目的)があったために戦争終結が遅れたのだというのが歴史的事実・真相であった。また原爆投下によってソ連参戦前に日本が降伏すれば(例えソ連参戦後に日本が降伏した場合であっても)対日占領政策を含むアジアでの戦後のソ連の影響力拡大を封じ込めることができるという狙いがあった。原爆投下のもう一つの隠された目的は、原爆の破壊力・効果の確認と人体への影響力の測定という、新型兵器の実戦使用とそれによる都市全体の破壊と住民の皆殺しという人体実験でもあった。さらに、原爆投下は国際社会全体への威嚇と戦後秩序における米国の覇権確立という目的も含んだものであり、その結果、当時の国際環境からして必ずしも歴史的必然性はなかった冷戦を壮大な無駄遣いである核軍拡競争をともなう形で生じさせることにもなった。また、こうした原爆開発・投下の背景として、第二次世界大戦中に着手されたマンハッタン計画を契機に形成され、第二次世界大戦後に推進された強大な核・原子力政策の下で肥大化する軍産学複合体の存在と無関係ではないことを強調しておきたい。

2)無差別爆撃と大量殺戮というアプローチの有効性

原爆投下問題を見直す場合のもう一つの重要なアプローチとして、無差別爆撃と原爆投下の関係を問う視点、すなわち「無差別爆撃による大量殺戮の延長としての原爆投下」がある。そこで、無差別爆撃と大量殺戮という視点から、まず無差別爆撃の起源から原爆投下への歴史的変遷を概観し、次にその無差別爆撃の今日的形態との共通性を考えてみたい。

まず「非戦闘員(民間人)の大量殺戮」という明らかな戦争犯罪としての無差別爆撃の起源は、戦略爆撃の思想および実践の変遷と密接な関連をもっている。この「戦略爆撃」という言葉は、当初は軍需施設・工業地帯への「精密爆撃」を意味しており、必ずしも最初から「無差別爆撃」と結びついたものではなかった。しかし、兵器の性能・破壊力が向上して戦争がしだいにエスカレートし、「総力戦」の様相を呈するなかですぐに都市住民や都市全体の破壊を目的とする無差別爆撃へと変わることになった。無差別爆撃は、スペインのゲルニカに対するナチス・ドイツの爆撃からはじまり、日本軍による重慶爆撃、米英軍によるハンブルク・ドレスデンなどへの爆撃、そして日本の東京・大阪・名古屋などへの大空襲、最後に広島・長崎への原爆投下へとつながることになった。こうした戦略の残虐さの段階的な上昇と比例して、交戦当事国における人道的価値・倫理的基準は急速に後退・低下することになる。

そうした戦争の変質と人道的・倫理的基準の転換を背景として注目されるのが、日本軍によって引き起こされた重慶爆撃である。これは、1931年の満州事変から上海・南京・武漢への日本軍による攻撃・占領が続く中で行われた、当時の中国の国民党政府が本拠を置いていた臨時首都・重慶に対する初めての長期的戦略爆撃であり、当初から無差別爆撃の様相を色濃く呈していた。

この重慶爆撃は、1938年2月18日から1943年8月23日までの 5年半の長期間にわたって行われ、死者11、889人、負傷者14、100人を出し、破壊した家屋17,608戸であったといわれる(4)。前田哲男氏は、重慶爆撃を「ヒロシマに先行するヒロシマ」と位置づけ、その特徴として、第一に、重慶爆撃は都市全体の破壊、あるいは都市住民の生命の剥奪そのものを狙った攻撃であったこと、また第二に、空軍力のみによる攻撃であったこと、さらに第三に、それが相手国(指導者および民衆)の戦争への継続意志の破壊、すなわち戦意喪失が目的であったことの3点を挙げている(5)

このような中国の首都・重慶に対する日本軍による残虐な無差別爆撃は、「戦略爆撃のブーメラン」(前田氏)という形で、その後の日本に対する米国の攻撃、すなわち東京・大阪・名古屋などへの無差別爆撃から広島・長崎への原爆投下へとなって返ってくる。そして、日本軍による重慶爆撃と米軍による日本への原爆投下に共通する特徴として、以下の諸点を挙げることができる。

第一点は、無差別爆撃を正当化する戦争目的と軍事の論理である。これは、無差別爆撃によって一般国民に「衝撃」と「恐怖(畏怖)」を与えて、敵国民の戦意・継戦意思を喪失させるのが最大の戦争目的であるということだ。この点は、「衝撃と畏怖」あるいは「イラクの自由」と命名された米英軍などによるイラク攻撃作戦の目的(戦闘員の戦意喪失および非戦闘員の戦争継続・抵抗意思の剥奪)とも共通している。

第二は、無差別爆撃をしても敵との距離が遠いために、相手側の死傷した姿などの惨状を直接目にすることはなく、良心の呵責や罪悪感を感じずにすむという点だ。この点は、アウシュビッツ、南京などでの大量殺戮と無差別爆撃・原爆投下との大きな違いでもある。このことは、安全な遠隔地からのハイテク兵器によるピンポイント爆撃という「戦争のゲーム化」にも形を変えて現れていると言えよう。

第三点は、早期終戦・人命救済、すなわち戦争を短期間で終結させて犠牲者を最小限にできるという正当化の論理である。だが、これは勝つためには手段を選ばないという野蛮な戦争のやり方を、あたかも「人道的方法」であるかのようにいう非常に欺瞞的な動機づけであると指摘せざるを得ない。

第四に、無差別爆撃を行う場合に、新型兵器の実験や訓練という要因が常にともなうという点である。例えば、重慶爆撃では、新しい「零式戦闘機」、あるいは新しい爆撃機「一式陸上攻撃機」、新しい焼夷弾「新四号」などが用いられた。また、重慶爆撃はその後の日米戦争の前哨戦としての性格、すなわちそのための「訓練」を兼ねていたともいわれている。最近のアフガニスタン戦争およびイラク戦争において、劣化ウラン弾やクラスター爆弾ばかりでなく、デージー・カッター、サーモバリック爆弾、電磁波爆弾などのあらゆる新型兵器が実戦で使用されたことは記憶に新しい。

第五は、第一次世界大戦・第二次世界大戦とともに登場した「総力戦」という考え方である。それは、戦争の勝敗を決するのは最前線での戦闘能力を支える、銃後・後方におけるその国の経済力と国民全体の総合的な団結力であるという戦争観であり、この「新しい国民戦争」に勝つためには本国の産業基盤を破壊することが決定的に重要な意味をもつことになったのである。そして、「戦闘員と非戦闘員の区別」や「軍事目標に限定した戦略爆撃」という道徳的規範が次第に失われ、都市全体の破壊や全住民の抹殺を目的とするような無差別爆撃が行われるようになったと言うことだ。

この点に関連して注目されるのが、植民地主義と人種差別主義の結合という点である。これは、自分たちの側が「正義」・「民主主義」であって、邪悪な敵や劣っている民族に対してはどのような手段を用いても構わないというある種の人種的な偏見や差別に基づく考え方である。その結果、敵国の軍事・政治指導者ばかりでなく一般国民も等しく邪悪であるという「敵の悪魔化」・「敵の非人間化」が行われて、異教徒撲滅あるいは害虫駆除と同じような感覚で敵国人の皆殺しや大量殺戮さえ正当化されるようになる。東京大空襲や二度にわたる原爆投下を平然と行い、その悲惨な結果を知った上でなおそれを正当化する姿勢の背後にはこのような考え方があったのである。また、日本軍による真珠湾攻撃や連合軍捕虜虐待などに対する怒り・憎しみとそれに対する報復・復讐という感情・心理がそれに拍車をかけたことも事実であろう(6)

以上から、無差別爆撃を正当化する論理は、そのまま原爆投下を正当化する論理と重なることがわかるであろう。しかし、このような考え方は、根本的には植民地主義や人種差別主義に根ざしたものであり、人道的観点からも決して容認できないことは明らかである。特に問題なのは、こうした無差別爆撃や原爆投下を正当化する考え方が、過去ばかりでなく現在においても形を変えて生き続けているということだ。すなわち、冷戦終結直後の湾岸戦争で「正義の戦争」という考え方が復活し、その後のボスニア・コソヴォ紛争やアフガニスタン戦争・イラク戦争でも「人道のための戦争」「平和のための戦争」という形で拡大・強化されている(7)。しかし、こうした考え方は、「空からの(国家)テロ」ともいうべき無差別爆撃の非人道性・残虐性を覆い隠す、きわめて偽善的かつ欺瞞的な考え方であると言えよう。

 

2.劣化ウラン兵器と枯れ葉剤による新しい被害−「グローバルヒバクシャ」という視点の意義

原爆投下に関わる視点として、これまでに触れた4つの視点に加えて、今日注目され始めているのが「グロルーバルヒバクシャ」という新しい視点である(8)。これは、「ヒバクシャ」をいわゆる「ヒロシマ・ナガサキ」の原爆犠牲者に限定するのではなく、より広い視点から核被害者を把握していこうとするものである。すなわち「グロルーバルヒバクシャ」とは、ウラン鉱山での採掘作業に狩り出された労働者や核(・原爆)開発・実験に動員された労働者(その多くは「先住民」たちであった!)・科学者・兵士(核戦争状況下での戦闘能力を試された「アトミック・ソルジャー」)、そして核(原水爆)開発・実験に巻き込まれた周辺住民・漁民(マーシャル諸島、ビキニ環礁・エニウェトク環礁やネバダ・セミパラチンスクなどに住んでいた人々や偶然に実験海域に通りかかって被害を受けた日本のマグロ漁船・第五福竜丸の乗員も)はもとより、核・原子力の「平和利用(より正しくは「産業・商業利用」)である原子力発電所・原子力関連施設で働く人々とその風下地域住民など、いわゆる放射線「被曝」と受けた核被害者たちを含めた概念である。この中には特殊な事例としてマンハッタン計画の一環として行われた「人体実験」の対象とされた民間人(その多くがマイノリティーで、重病患者や受刑者などが含まれていた)やチェルノブイリ・スリーマイル島や東海村などでの原発事故に遭遇した多くの人々も当然含まれる。また、より広義の意味では、これから述べる劣化ウラン兵器と枯れ葉剤の使用によって被害を受けた人々も「グローバルヒバクシャ」の中に位置づけることができるであろう(劣化ウラン兵器と枯れ葉剤が大戦中のマンハッタン計画との関連の中で研究・開発されたばかりでなく、その当初の使用対象が日本であったという事実も注目される(9)

この「グロルーバルヒバクシャ」という新しい視点によって、「ヒロシマ」の前にも「ナガサキ」の後にも「ヒバクシャ」が生まれていたばかりでなく、現在でも増え続けているという事実が自然に見えてくる。また、「唯一の被爆国」としての日本というこれまでの原爆被害に関する認識が、(外国人被爆者・在外被爆者の問題と並んで)いかに浅薄なものであったかも知ることが出来よう。さらに、この劣化ウラン兵器を含む放射能兵器(枯れ葉剤は放射能兵器ではないがその有毒性に置いて類似の効果・影響を持つ)の特殊性は、その後遺症が被爆(あるいは被曝)後も長く継続するという被害の永続性とともに、その恐るべき影響・効果が戦闘員と非戦闘員の区別ばかりでなく、敵味方の区別さえも越えてあらわれるという、被害の無差別性と二重性という点においても注目されなければならない。以上のことを踏まえた上で、ここでは、劣化ウラン兵器と枯れ葉剤による被害の問題を考察したい。

劣化ウラン弾(劣化ウラン兵器の中の一つ)をめぐる問題が日本を含む先進諸国のメディア・新聞各紙に登場するのは、NATO軍によるユーゴ空爆に参加して帰還したNATO軍兵士の中から白血病・癌などの症状で数名の死者を出すという事態に直面した2000年末以降のことであった。劣化ウラン弾の危険性については、すでに1991年の湾岸戦争後に「湾岸戦争症候群」と呼ばれる被曝に起因する障害が帰還した多国籍軍兵士(特に米英軍兵士)の間で表面化し、劣化ウラン弾使用との関連が多くの専門家によって指摘されていた。また、ボスニア紛争の際にも劣化ウラン弾の使用とその後遺症が注目を集めていたばかりでなく、コソヴォ紛争でもNATO空爆の最中から劣化ウラン弾使用による深刻な人的被害と環境破壊が懸念されていたのである。そして実際に、湾岸戦争では約100万発(300t相当)、ボスニア紛争では10800発、ユーゴ空爆では31000発の劣化ウラン弾が使用されたばかりでなく、アフガニスタン戦争、イラク戦争ではそれ以上の大量の劣化ウラン弾が市街地においてさえ使用されたと指摘されているのである。湾岸戦争からの帰還兵ばかりでなく、すでにボスニア紛争・コソヴォ紛争やアフガニスタン戦争・イラク戦争からの帰還兵の中からかなりの死者が出ているのである(10)

次に、このような問題に関する報道の仕方で「異常」と思われるのは、ユーゴ空爆に参加して帰還したNATO軍兵士の健康問題のみが注目されているという事実である。NATO軍によるユーゴ空爆が本当に「人道的目的」であったならば、コソヴォやセルビア・モンテネグロ(そして、ボスニア、イラクも)の投下対象となった地域住民(アルバニア人ばかりでなく、セルビア人・モンテネグロ人も当然含まれる)全体の生命・健康問題がまず第一に考えられなければならない。しかし、NATO空爆の最中もそうであったように、現実にはNATO軍兵士の犠牲回避が最優先されているのである(いうまでもなく、コソヴォ紛争に先立つ湾岸戦争・ボスニア紛争、さらにはNATO空爆後に行われたアフガニスタン戦争・イラク戦争にもあてはまる)。このことは、「人道のための戦争」・「正義の戦争」と宣伝されたNATOによるユーゴ空爆が、実は「アルバニア系住民の保護・救済」のためなどではなく、NATO自体の利益(生き残り・存続強化)のためであったことと無関係ではない(11)

劣化ウラン弾は、敵側の戦車・装甲車などを破壊する目的で「貫通性」を高めるために放射性弾頭を用いた一種の「(核爆発のない)核兵器」(米英軍の戦車・戦闘機などに装備)であり、強い重金属毒性とともに放射能毒性をもっている。それが、米国が日本に投下した原子爆弾やヴェトナム戦争で使用した枯れ葉剤などと同様の非人道的兵器、「悪魔の兵器」であることは明白である。NATO空爆(あるいは湾岸戦争・ボスニア紛争)における劣化ウラン弾の使用は、明らかな「国際人道法違反」・「戦争犯罪」であり、勝つため(自国民の犠牲を最小限にするため)には手段を選ばない米国流の戦争の特徴を如実に物語っていると言えよう。そのことと関連して注目されるのは、湾岸戦争の際の「湾岸戦争症候群」と比べて顕著なのは、「湾岸戦争症候群」にかかった多国籍軍兵士の多くが米英両軍の兵士であった(米英首脳は劣化ウラン弾の危険性をその段階でもある程度知りながら戦場での勝利・犠牲回避を優先してそれを使用したといわれる)のに対して、旧ユーゴ紛争の場合(「コソヴォ症候群」、あるいはボスニア紛争の場合も含めて「バルカン症候群」と呼ばれる)は、米英両軍を除く他のNATO軍(特に、ドイツ、イタリア、ベルギ−、ポルトガル、ドイツなどの兵士)から多く犠牲者が出ていることである。これは、劣化ウラン弾の危険性を知る米英首脳が自国軍兵士の安全には配慮しながら(米英軍は劣化ウラン弾の最多投下地域の担当からなるべくはずされ、また米英軍が劣化ウラン弾を回収する際には汚染防止措置がとられたと言われる)、他の同盟国首脳やNATO軍兵士にも知らせずにそれを使用・放置したからである。NATO空爆の際に生じた中国大使館「誤爆」事件でも示されたような米国の単独行動主義・秘密主義がここにもあらわれていると言えよう。

こうした事実がこれまで明らかにならなかった理由は、米英首脳が意図的に劣化ウラン弾に関わる情報を隠蔽してきたためばかりでなく、ボスニア政府やコソヴォのアルバニア人指導者が平和履行部隊(IFOR)・平和安定化部隊(SFOR)やコソヴォ展開部隊(KFOR)の縮小・撤退を恐れて抗議・公表を控えたこと、また米英以外のNATO加盟国指導者が米欧間の亀裂・対立を恐れて真相究明に及び腰であったこと、そしてイラクの場合には、その当時、「独裁者」フセインが「勝利」を演出するために自国の被害・犠牲を最小限に見せかけようとしたことなどがあげられる。

NATO諸国(とりわけ米英)首脳がまず行うべきことは、コソヴォおよびセルビア・モンテネグロ(そして、当然ボスニア、イラク、アフガニスタン)での住民の健康調査・治療と劣化ウラン弾の処理・汚染防止であり、徹底した実態調査(因果関係の徹底究明と現地調査の早期実施)・責任者処罰と被害住民への謝罪・補償である。劣化ウラン弾の使用禁止・廃棄が必要であることは言うまでもない。この点で、米国の同盟国でかつ「唯一の被爆国」であり、沖縄の鳥島での演習(1995年〜96年)で1520発の劣化ウラン弾が使用された事例がある日本も無関係ではない。この問題で明確な立場・見解を示そうとしない日本政府は、そうした曖昧・無責任な対応・姿勢を根本的に転換して、米国に対して、未だに沖縄の嘉手納基地に劣化ウラン弾が貯蔵されているという情報をまず確認し、劣化ウラン弾の持ち込みと配備・使用への反対姿勢を明確に打ち出すべきである。

9・11事件後に米国によって行われたアフガニスタン・イラク攻撃(「新しい戦争」・「対テロ戦争」!?)では、湾岸戦争で初めて登場した劣化ウラン弾をはじめとするあらゆる新型の非人道的兵器が大量に使用された。米国は、国際的非難が集中しているにもかかわらず、それをあくまでも「正義の戦争」として正当化しようとしている。また、これとの関連で、米国が第二次世界大戦後に犯した「もう一つの戦争犯罪」であるヴェトナム戦争における枯葉剤使用とその被害をめぐる問題にもあらためて注目する必要があろう。米軍による枯葉作戦は、ケネディ政権下の1961年から始まり71年まで続いた。その目的は、農地を砂漠化して当時勢力を強めつつあった南ヴェトナム解放戦線を一掃することであった。枯れ葉剤の散布総量は約9万キロリットルで、その中には劇毒性の発ガン物質であるダイオキシンが大量に含まれていた。その結果、戦争中ばかりでなく、戦後も今日にいたるまで現地のヴェトナム人(戦闘に従事した解放軍兵士と戦闘に直接関わらなかった地域住民、その両者の家族)ばかりでなく米国人(帰還米兵とその家族)からも多くの疾病や健康被害が生じ続けている(12)

以上のように、「一種の核兵器」(厳密には「放射能兵器」)ともいわれる劣化ウラン弾使用をめぐる問題は、原爆投下や枯れ葉剤使用などとも本質的に共通する問題を含んでいる。それは、米国が情報操作による真相の隠蔽や歪曲された事実を前提として作られた「虚構の論理」によって正当化しようとしている点である。この問題を、米国が行う「正義の戦争」「人道(平和)のための戦争」という名の「(偽りの)作られた戦争」「終わりのない戦争」との関連で追求し解決することが急務ではないだろうか。またそれは、特に人体実験と情報操作、あるいは無差別爆撃と大量殺戮、さらに秘密主義(権力)と営利追求主義(資本)といった、現代国家における民主主義の根本的なあり方(権力・資本と民衆・メディアとの関係など)と直接に関わる問題であるだけに、今日の世界における最も緊急性が高い最重要課題となっているといっても過言ではないだろう(13)

 

3.核と劣化ウラン兵器の廃絶を実現するために−道徳的・法的アプローチの強化を

世界における核や平和・民主主義をめぐる状況は、かなり深刻なものとなっている。2001年の9・11事件以降、世界的規模での「対テロ戦争」に一環として「核先制使用」「先制攻撃」「予防戦争」を正当化する国々(特に、米国、英国、日本という新三国同盟とイスラエル)によって、主権国家であるアフガニスタン・イラク・レバノンに対するあからさまな侵略戦争・植民地戦争が行われているばかりでなく、イラン、シリア、北朝鮮(共和国政府)に対しても新たに繰り返される危機が迫っているからである。日本が取るべき選択肢は、こうした侵略行動・加害行為に加担することであってはならない。日本が憲法解釈の変更や明示的改憲によって集団的自衛権行使や一層の重武装化(核武装を含む)への道を開き、米国などが行う海外の侵略戦争にさらに加担し続けるような国になることではない14)。こうした誤った選択を再び繰り返さないためには何が必要なのか。また、現時点で市民一人ひとりがやるべきこと、個人でもやれることは何なのか。あるいは、どうすれば「もう一つの世界」が可能なのか。そのような問いに何らかの示唆をあたえてくれるであろう、自発的な市民による画期的な取り組み・動きをここでみてみよう。

7月15日に被爆地・広島のメモリアルホールで開催された「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」は、トルーマン大統領ら被告15人全員に有罪という仮判決を翌16日に出して終わった(正式判決は年末に予定されている)。この国際民衆法廷は、2004年末に非核の世界の願う市民66人の呼びかけ人からなる実行委員会(広島市立大広島平和研究所の田中利幸教授、日本被団協代表委員の坪井直、佐々木猛也弁護士の3人が共同代表)結成と呼びかけ文の公表という形で始まり、準備の都合などから当初目指した05年開催を1年延期する形で実現にいたったものである。開廷に先立って、起訴状と国家賠償を求める訴状は、7月4日米国独立記念日に米国大使館に送達されている。

ウェッブ上で公開されている「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」憲章15)は、その前文で「広島・長崎の被爆者の高齢化が近年急速に進み、『被爆体験の風化』が憂慮されている今、私たち両都市の市民は、この60年近くの核兵器開発・実験をめぐって発生して来た様々な問題と、ますます悪化する現在の世界状況に強力で有効な警告を発するため、あらためて広島・長崎への原子爆弾投下の犯罪性を徹底的に追及することを考える必要がある。つまり、原子爆弾投下の犯罪性追及という行動は、恒久的平和を願う広島・長崎の精神を再び活性化させ、どのような理由であろうと暴力と戦争を絶対に否定するメッセージを日本から世界に向けて発信することと深く連結していることは明らかである。」とその開設を求める目的を宣言し、「公正で正当な裁判により、原爆投下当時の直接の責任者であるトルーマン大統領ならびに米国政府関係閣僚、原爆開発に深く関わった科学者、それに大統領の命令を実行する上で責任のあった軍人を訴追することを目的に、この国際民衆法廷は開設され、日本の戦争犯罪人が裁かれたのと同じ規範である極東国際軍事裁判所条例により裁こうとするものである。戦争犯罪には時効がないので、原爆投下の責任は米国の現政権にも及ぶはずである。」とその立場を鮮明にしている。また、設置される国際民衆法廷は「原爆投下戦犯法廷」と位置づけられ、「国家主権による裁判」のような法的拘束力を持たないものの、原爆投下60周年を核兵器廃絶と戦争のない世界創造に向けての転機とすることを目指した「民衆主権による裁判」であることを確認している。

15日当日の国際民衆法廷には約250人が傍聴した。広島弁護士会の足立修一弁護士ら日韓の弁護士5人の検事団によって起訴状が朗読された。その起訴状は、「極東国際軍事裁判所条例は、日本に対してと同様に連合国にも適用されるべきであり、原爆投下は人類に対する罪である」と述べ、被告人らの犯罪を共同謀議と実行行為の二つに分類する形でまとめている。そのうえで、原爆投下が「人為的な行為としては人類史上最悪の犠牲を生んだ」として、当時の戦時国際法などに照らしてもまぎれもない戦争犯罪と人道に対する罪に当たる国際犯罪であったことを論証し、米国政府に被爆者への謝罪と賠償を求めている。

日本反核法律家協会事務局長の大久保賢一弁護士が、被告(米国)側の弁論に代わるアミカスキュリエとして、日本軍による真珠湾攻撃の報復や早期終戦のためであった、など原爆投下を正当化する意見があるとした。さらに鎌田七男広島大名誉教授と被爆者三人が証人として出廷して証言を行った。鎌田さんは放射能問題の専門家として、被爆者の染色体異常や発がん率の高さなどを証言した。また元原爆資料館長で被爆者でもある高橋昭博さんは「米大統領に原爆投下は実験であった。それは間違いだったと謝罪してほしい」と強く求めた。

2日目の16日は、荒井信一・茨城大名誉教授が「原爆投下にいたる事実関係」を、また国際法の専門家である前田朗・東京造形大学教授が「国際法からみた違法性」についてそれぞれ証言した。そして、レノックス・ハインズ判事団長が事実認定を行って起訴状の内容をおおむね認めたうえ、カルロス・ヴァルガス判事が法的結論を述べた16)

その判決文では、「原爆の破壊的な威力を知りながら市民を狙って攻撃したのは、国際法に反し人道に対する罪に当たる」と指摘して、共同謀議者としてルーズヴェルト以下9人の被告すべて、すなわち、フランクリン・D・ローズヴェルト大統領、ハリー・S・トルーマン大統領、ジェームズ・F・バーンズ国務長官、ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長、トーマス・T・ハンディ陸軍参謀総長代行、ヘンリー・H・アーノルド陸軍航空隊総司令官、レスリー・R・グローヴズ少将(マンハッタン計画・総司令官)、ジュリアス・R・オッペンハイマー(ロスアラモス科学研究所所長)の全員に対して、また実行行為者としてトルーマン以下11人の被告すべて、すなわち、ハリー・S・トルーマン大統領、ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長、トーマス・T・ハンディ陸軍参謀総長代行、ヘンリー・H・アーノルド陸軍航空隊総司令官、カール・A・スパーツ陸軍戦略航空隊総指揮官、カーティス・E・ルメイ第20航空軍司令官、ポール・W・ティベッツ中佐(エノラゲイ機長)、ウィリアム・S・パーソンズ大佐(エノラゲイ爆撃指揮官)、チャールズ・W・スウィーニー大尉(ボックスカー機長)、フレデリック・L・アシュワーズ中佐(ボックスカー爆撃指揮官)の全員に対してそれぞれ、極東軍事裁判所条例5条ロ(通常の戦争犯罪)、5条ハ(人道に対する罪)につきすべて有罪とされた。

特に注目されるのは、ハーグ規則第22条の「軍事目標主義」(戦闘員と非戦闘員の区別や軍事目標と非軍事目標の区別のできないような兵器の禁止)およびハーグ規則第23条の「(合法的な攻撃目標である敵軍の戦闘員に対する)不必要な苦痛を与える兵器の禁止」などを援用して、広島・長崎への原爆投下を故意による殺害、民間人攻撃、都市町村の恣意的攻撃、軍事的に不必要な過剰な死の惹起、あるいは非人道的兵器の使用に当たり、戦争法規慣例違反であり、かつ極東国際軍事裁判所条例第5条(ロ)の戦争犯罪であると認定されたことである17)

 そして、原爆と同じ放射能兵器に関わるもう一つの注目すべき国際大会があった。同じ広島で8月3日から6日にかけて開催された、「ウラン兵器禁止国際連合」(ICBUW、本部英国)の主催する「劣化ウラン兵器(DU)禁止を訴える国際大会」(嘉指信雄:ICBUW広島大会・現地実行委員長、森瀧春子:ICBU広島大会・現地実行委員会事務局長、振津かつみ:ICBUW評議員)がそれである。この国際大会は、4日間の期間中、海外からの約30名を含む200名以上の参加者があり、最終日(8月6日)に被爆地広島から世界へ向けたDU廃絶行動への参加と被害者への補償を呼び掛ける「ヒロシマ・アピール」を採択して成功裏に終了した。

大会初日は、全体会議でDUをめぐる世界の政治状況などの分析・報告がなされ、米国のロザリー・バーテル博士(計量生物学)の基調講演「劣化ウランと湾岸戦争症候群」が行われた。2日目以降は、全体会議とは別に、DUをめぐる被害、科学、キャンペーンの三分科会で参加者らによる報告・討論などが行われる形で大会は進行した。その主な内容は、イラクや米国での被害を現地の医師や研究者、写真家豊田直巳さんや森住卓さんの写真報告、DUによる人体や環境への影響の報告や、湾岸戦争帰還兵、イラク戦争帰還兵、旧ユーゴ帰還兵らの証言、DU問題を追うイタリア人ジャーナリスト、韓国と沖縄の米軍基地のDU兵器貯蔵問題を告発する韓国人写真家らの報告、「内部被曝」をめぐる被爆者と大会参加者の交流・意見交換などが行われた。

特に注目されるのは、韓国の平和活動家であるイ・シウさんの米空軍の情報公開資料に基づいた報告で、沖縄県の米空軍嘉手納基地に01年当時、約40万発、韓国の米軍基地には総計約300万発(水原基地に約136万発、清州基地に約93万発、烏山基地に約45万発など)の劣化ウラン弾がそれぞれ保管されていたこと、現在日本と韓国に駐留している米軍が保管している劣化ウラン弾の総量や場所については公開しない方針を明らかにしていること、などの事実が明らかにされたことである18

もう一つの重要な問題は、DUによる人体や環境への影響について率直かつ真剣な議論が交わされたことである。今大会での議論で、劣化ウラン弾と健康被害との因果関係を明らかにする科学的アプローチについての共通認識が確立されたわけではないが、イラク・コソヴォなどの現地住民や湾岸戦争・イラク戦争から帰還した米兵などに対する疫学的調査の積み重ねによって事実上の因果関係が認められること、またそもそも劣化ウラン弾と健康障害・環境悪化との因果関係(あるいは、残存放射能による内部被曝や低線量被曝の危険性に対する評価)の証明責任は被害者側ではなくそれを使用した加害者側にあるという点での共通理解がさらに深められるなどの一定の前進があったと評価できる。また、この問題は、劣化ウラン兵器の国際法上の位置づけ(明文上の違法性か、事実上の違法性か)という法的な問題と並んで、劣化ウラン兵器の禁止・廃絶を求めていく運動にとって非常に大きな問題であり、今後とも問題究明に向けた慎重で粘り強い取り組みが必要であろう19

この「劣化ウラン兵器(DU)禁止を訴える国際大会」の趣旨は、「劣化ウラン兵器による世界各地の被害の実態を明らかにし、その廃絶を求めてゆくための方途を求めるため、世界各地から核被害の原点であるヒロシマに集い、@劣化ウラン兵器による各地の被害者とともに劣化ウラン兵器の廃絶を求める広汎な世論形成を図る。A劣化ウラン兵器禁止運動の科学的、法的な緊急課題を打ち出す。B劣化ウラン兵器の完全禁止に向けての一層のキャンペーンの道筋を、被害調査および補償問題の取り組みとともに構築する」というものであった20。この目的が本当にこのヒロシマでの国際大会で果たされたのかどうかを評価するにはもう少し時間がかかるであろう。だが、「劣化ウラン兵器の禁止を求める国際アピール」を1997年に発表しているラムゼー・クラーク元米国司法長官が「広島・長崎でかくも多く、かくも恐るべき苦しみを味わった日本の人々が、劣化ウランによる新たな危険に立ち上がり、このような生死にかかわる兵器の使用または製造を国際的に禁止しようといく私たちの呼びかけに賛同してくださると、確信している」21と述べた大きな期待に応えられるだけの自発的な市民による懸命な努力がなされたことだけは間違いない。また、このことは、先に述べた「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」にもあてはまることは言うまでもない。第二次世界大戦(あるいは太平洋戦争)終結・原爆投下から61年目の夏に被爆地・広島で期せずして同時に開催された、「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」と「劣化ウラン兵器(DU)禁止を訴える国際大会」という二つの大きな国際的催しは、まだ多くの課題を残しているとはいえ、原爆(核兵器)と劣化ウラン兵器の禁止・廃絶が連動した性質を持っており、この二つの問題が人類にとっての緊急の課題であることを世界に向かって訴えることが出来たという事実は大きな意義があると言えよう。

私たちに残された課題は、このようにして生まれた貴重な成果(共通認識や新しい合意・アイデア・構想など)をより確かなものとするために、これから市民一人ひとりが強い意思と創意工夫をもって、一歩ずつ前進していくことであろう(22)

 

(1)関連拙稿として「21世紀における平和秩序の構築を求めて」『軍縮問題資料』2006年9月号および「『正義の戦争』と米国原爆と劣化ウラン弾を結ぶもの−」木村 朗編著『核の時代と東アジアの平和』法律文化社、2005年を参照。

(2)拙著『危機の時代の平和学』法律文化社、2006年、の特に第1編「冷戦史の一断章−社会主義とナショナリズムの相克」を参照。

(3)「マ−ティン・シャ−ウィン氏へのインタビュー」中国新聞社編『核時代 昨日 今日 明日』(中国新聞社、1995年)、36頁。

(4)中国・重慶市で2003年12月に開催された「重慶爆撃65周年国際シンポジウム」での報告資料より。筆者も参加して報告を行った。拙稿「原爆投下と無差別爆撃−重慶から広島・長崎へ−」『長崎平和研究』第16号、2004年10月、を参照。

(5)前田哲男著『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』朝日新聞社、1987年、および同「日本が戦争の歴史に加えたこと−『9・11』への補助線」磯村早苗・山田康博共編『グローバル時代の平和学2 いま戦争を問う』法律文化社、2004年、58〜88頁を参照。また、最近新たな装いで出版された、前田哲男著『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島』凱風社、2006年、および伊藤俊哉「戦略爆撃から原爆へ−拡大する『軍事目標主義』の虚妄」『岩波講座アジア・太平洋戦争5−戦場の諸相』岩波書店、2005年、吉田敏浩著『反空爆の思想』NHKブックス、2006年、なども参照のこと。

(6)アジア・太平洋戦争が「人種(主義)戦争」であったとの指摘については、例えば、ジョン・ダワー 著『容赦なき戦争』平凡社、2001年、ロナルド・タカキ著『米国はなぜ日本に原爆を投下したのか』草思社(1995年)および同『ダブル・ヴィクトリー―第二次世界大戦は、誰のための戦いだったのか?』柏艪舎、2004年、などを参照。

(7)劣化ウラン弾問題に取り組んでいる伊藤和子弁護士によれば、元国防総省劣化ウラン兵士影響プロジェクト責任者ダグ・ロッキー氏が、すでに約1万人の湾岸戦争帰還米兵が劣化ウラン弾による影響等で死亡していると語ったという(「私の視点」『朝日新聞』2004年1月27日付)。また、劣化ウラン弾については、田城明著『知られざるヒバクシャ―劣化ウラン弾の実態』大学教育出版、2003年、国際行動センター劣化ウラン教育プロジェクト編『劣化ウラン弾―湾岸戦争で何が行われたか』日本評論社、1998年、などを参照。

(8)こうした視点から核・原爆や戦争・紛争をめぐる問題を総合的に問うている作品として、肥田舜太郎/鎌仲ひとみ (共著)『内部被曝の脅威−原爆から劣化ウラン弾まで』 ちくま新書、2005年、およびグローバルヒバクシャ研究会(編集)/前田哲男監修『隠されたヒバクシャ―検証=裁きなきビキニ水爆被災』凱風社、2005年、を参照。

(9)例えば、中村梧郎「枯葉作戦の賠償を迫られる米国−そして対日作戦計画」『軍縮問題資料』2006年5月号、山崎正勝・日野川静枝共編『原爆はこうして開発された』青木書店、1997年、などを参照。

 (10) 例えば、田城 明著『知られざるヒバクシャ―劣化ウラン弾の実態』大学教育出版 2003年、劣化ウラン研究会編『放射能兵器劣化ウラン―核の戦場 ウラン汚染地帯』技術と人間、2003年、佐藤真紀著『ヒバクシャになったイラク帰還兵―劣化ウラン弾の被害を告発する』大月書店、2006年、デニス・カイン著『真実を聞いてくれ―俺は劣化ウランを見てしまった』日本評論社、2006年、STOP!劣化ウラン弾キャンペーン編『ユーゴ空爆で使われた劣化ウラン弾が人々を苦しめている』実践社、2006年、などを参照。

11) 拙稿「『ヨーロッパの周辺事態』としてのコソボ紛争―NATO空爆の正当性をめぐって―」『日本の科学者』2000年7月号掲載、を参照。

12) 例えば、前掲・中村論文「枯葉作戦の賠償を迫られる米国−そして対日作戦計画」、北村 元著『米国の化学戦争犯罪―ベトナム戦争枯れ葉剤被害者の証言』梨の木舎、2005年、などを参照。

(13) 「デイリー・ニューズ」(2006年9月8日)のホアン・ゴンザレス記者の記事:http://www.nydailynews.com/news/col/story/450535p-379084c.html)によれば、イラク戦争帰還兵が米国政府に対して起こしている損害賠償請求裁判に ついてのヒアリングが、96日にニューヨークの連邦裁判 所で開催された。そこで、被告側弁護士クロナンと原告側弁護士ジョージ・ツェルマとエリー ズ・ハグエル・ランサムの双方が、第二次大戦 中に原爆実験で被爆した兵士の先例であり、ヴェトナム戦争中、エージェント・オレンジ枯れ葉剤のために数多くの兵士を襲った病であり、さら には、70年代、兵士を対象に、軍によって秘密裏に行われた LSD実験の例などに繰り返し言及した。

また、今年(2006年)1月26日に、韓国のソウル高等裁判所は米国の

化学企業ダウケミカル社とモンサント社に対し、枯葉剤被害に苦しむ韓国兵等6800人に630億ウォン(75億円)の賠償を命ずる判決を下した。「韓国枯葉剤被害者戦友会は94年に米連邦地裁に提訴したが受理されていなかった。米国でも80年代にヴェトナム帰還兵らが米国政府に対して賠償請求を求めて提訴したが、結局、米連邦地裁の仲裁で85年に和解金を企業側が支払うことで曖昧な決着をすることになった。その一方で、ヴェトナムの「枯葉剤被害者の会」が2004年1月に提訴した賠償請求訴訟で、米連邦地裁は一応は受理したが、最終的にその訴えを却下している(前掲・中村論文「枯葉作戦の賠償を迫られる米国−そして対日作戦計画」を参照)

14) 日本政府は、原発の増設やプルサーマル計画の推進、六ヶ所村での使用済み核燃料再処理試運転などますます原子力開発に拍車をかけている。しかし、こうした現状には、原子力関連施設で働く労働者への日常的低線量被曝や原発事故の際の周辺住民への放射能被害の発生などの危険性があるばかりでなく、将来の日本の核武装につなげるための布石・意図的政策ではないかとの疑念があり、内外からの懸念・批判が強まっている。例えば、鈴木まなみ著『核大国化する日本−平和利用と核武装論』平凡社新書、2006年、中西輝政著『「日本核武装」の論点―国家存立の危機を生き抜く道』PHP研究所、2006年、などを参照。

15) http://www.k3.dion.ne.jp/~a-bomb/kensyou.htm

16) 『中国新聞』2006年7月16日付、を参照。

17) 前田朗 「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島(上)(下)」『軍縮問題資料』2006年9・10月号、を参照。

18) この事実については、すでに『毎日新聞』が大会前日の20006年8月2日付で報道していた。

19) 藤井雄気「劣化ウラン弾の廃絶にむけて」池尾 靖志編『戦争の記憶と和解』晃洋書房(2006年)第6章を参照。

20) 森瀧春子「放射能兵器・劣化ウラン兵器の廃絶を−『劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会』ヒロシマ開催に当たって」『軍縮問題資料』2006年9月号、を参照。

21) 前掲『劣化ウラン弾/湾岸戦争で何が行われたか』日本評論社、1頁を参照。

(22) なお、67年前に日本軍が行った重慶への無差別爆撃という戦争犯罪の被害者遺族を支援するために「重慶大爆撃の被害者と連帯する会」が広島と東京(代表・前田哲男氏、事務局長・西村重則平和遺族会代表)に結成され、今年3月に東京地裁に提訴するにいたった。この日本政府に対する損害賠償を求める画期的な裁判が10月にいよいよ開始される。今後の動向・成り行きに注視していきたい(前田哲男「裁かれる『重慶爆撃』」『軍縮問題資料』2006年7月号を参照)。

   ※本稿は、『長崎平和研究』第22号(2006年10月発行)に掲載された原稿です。