『わたしの息子はなぜイラクで死んだのですか―シンディ・シーハン 平和への闘い』(大月書店、2006年)の薦め

                                            木村 朗(鹿児島大学教員、平和学専攻)

イラクに対する攻撃理由とされた大量破壊兵器保有疑惑やアルカイダとフセイン政権の癒着といった問題が、嘘と偽りに満ちたものであったという事実が今日では明らかになっている。世界中の多くの人々の反対・願いを無視して突入したイラク戦争は、間違いなく違法な侵略戦争であった。しかし、国連も世界的規模の反戦・平和運動もそのイラク戦争を結局阻止できなかった。そして、平和を心から願っていた世界中(とりわけアメリカ国内)の人々は、2001年の9・11事件直後にブッシュ米政権によって発動された「対テロ戦争」の下での愛国心や軍国主義の高揚の前に長い沈黙を余儀なくされてきた。

しかし、これまで支配的であった、このような権力とメディアが一体化した翼賛状況を徐々に変える動きが、アメリカ国内から生まれだそうとしている。その「きっかけ」となったのが、シンディ・シーハンという女性が最愛の息子ケイシー・シーハン(当時24歳)をイラクの戦場で失った「崇高な理由」を問うために休暇中のブッシュ大統領との面会を求めて2005年8月にテキサスで始めたキャンプと座り込みの抗議行動であった。本書は、アメリカと世界中の人々への根源的問いかけを発し続ける、そのシーハンの歴史に残る26日間の闘いの記録であるとともに、シーハンを先頭とする反戦市民運動の人々と小さな地方メディアが力を合わせてアメリカと世界を少しずつ根底から変えて民主主義を取り戻そうとする試みとメッセージでもある。

「シーハンの平和への闘い」を支援する形で密着報道したのが、レオン・スミスを編集長とする地元のイコノクラスト新聞であった。スミスは、それは「この新聞社の持てるものすべてをかけた闘い」であり、「新聞が草の根レベルから報道していくことができることを証明した」とそのときの心境を率直に語っている。シーハンもイコノクラスト新聞を「暗闇に一筋の光を投げかける気高い道徳心を持った新聞」と賞賛し、他のメディアにも「レオン・スミスのような志」を持つように強く求めている。また、「メディアは政府と結託してイラク戦争をごまかしています」(シーハン)、「ジャーナリズムにとって、主義を貫き、真実を追究しつづけることがいかに大切か」(スミス)などの核心をついた言葉が随所に見られるように、本書は、鋭い「メディアへの警鐘」ばかりでなく、それに騙されることのない主体的な個人の確立を訴える、メディアリテラシーの格好の教科書ともなっている。

シーハンを今回の行動に駆り立てたのは、「米兵たちは崇高な使命のために命を捧げている」「死んだ兵士の名誉を守るために戦う」という8月4日のブッシュ演説であった。これに対して、シーハンは「私の息子の命を奪ったこの戦争の崇高な理由とは、いったいなんなのですか?」「息子の名誉のために血を流すなんてまっぴらだ。息子もそう思っているはずだ」という至極当然の問いと思いをブッシュ大統領に直接ぶつけようとしたのである。こうした動きに、「戦争に反対するイラク帰還兵の会」や「ムーブ・オン」を始め、アメリカ中の平和・反戦グループも加わって、クロフォードには数千人の人が詰めかけるまでになった。シーハンがその支援者たちと猛暑のなかで座り込みを続けることになったキャンプは、いつしかシーハンの息子の名前をとって「キャンプ・ケイシー」と呼ばれるようになる。シーハンが現地から発するメッセージは、「これがイラク侵略の終焉のはじまりよ!」「私の今の仕事は、この話を多くの人にして、苦しみをわかってもらうことで、この戦争に現実感を与えることです」「このように大統領に反対している人がたくさんいるということを、知ってほしいのです。これが本当の民主主義です」など、見事に本質を突いた的確なものであり、全米ばかりでなく世界中の多くの人々の胸に響いて感動を生んだのである。また逆に、ブッシュ支持派の人々もこの地に結集し始め、そこはブッシュの反対派と支持派が直接向かい合う「戦場」、まさに「世界とアメリカの縮図」ともいうべき様相となった。

マスコミやインターネットでは、彼女に対する支持と批判が飛び交っていた。「反戦運動のシンボル」として全米メディアの脚光を浴び、特に8月17日のキャンドル行動はイラクからの撤退を求める反戦平和の闘いに全米1627ヶ所、50,000人以上が参加という空前の広がりと「うねり」をもたらした。だが、その一方では、保守派・右翼系のメディアによる強固なブッシュ擁護、シーハンに対する誹謗中傷と露骨な妨害活動も活発に行われ、ブッシュ支持派からは「シンディとオサマは仲よしこよし」「シンディはディッチ(側溝)にはまったビッチ(メス犬)だ」と揶揄された。

一方、「シンディと話し合え!」の声が高まる中で、シーハンとの面会を頑なに拒否する「戦時下の大統領」ブッシュの姿勢に、これまで追随してきたマスコミの中からも、「本当のテキサス人は隠れたりしない」という皮肉な批判の声さえ出始めた。こうした声は、ますます泥沼化するイラク占領支配という現実とともに、ブッシュ政権への逆風となり、支持率が30%台に低迷する状況をまねくことになったのである。

「反戦の母」となったシンディ・シーハンは、本当に「イラク戦争を止めさせた母親」になれるのか。もちろん、それを決めるのはアメリカ国民である。シーハンの応援にかけつけたジョーン・バエズの「ベトナム反戦運動は基本的には白人の運動だった。今度の運動は母親全体の運動ね。人種や民族に関係ないのよ」という言葉が示唆的である。

また、このことはわたしたちにも決して無関係ではない。ブッシュ政権の戦争政策をこれまで一貫して支持し続けてきた日本政府とそれを許してきた日本国民もそのあり方が根本から問われている。

                                                        (『図書新聞』2799号、2006年11月25日発行に掲載)