「ベトナム解放・統一30周年記念訪問団に参加して」

                木村 朗(鹿児島大学・平和学専攻)

日本ベトナム友好連絡会議(JVPF)のベトナム訪問団の一員(鹿児島からの一行は、自分も含めて総勢10名)として4月27日から5月2日の6泊7日間の日程で、解放・統一30周年記念日に沸くベトナム(ハノイ、ホーチミン)を訪問してきた。短期間にベトナム南北を往復するというあわただしい旅行日程ではあったが、一人だけを除いてあとはみな初めてのベトナム訪問であったこともあって、すごく刺激の多い旅となった。以下、個人的な印象も混ぜながら、簡単な報告をさせていただく。

28日の午前中に訪れたタイビン省にある枯れ葉剤被害児童リハビリセンターではセンターの所長・副所長ばかりでなく、タイビン省労働局副長官も同席のうえ、センターやのタイビン省内の枯れ葉剤被害者の実情(訓練機器の不足や収容人員の少なさなど)などについての説明を受けた。その後、センター内を見学させてもらい、入所している被害児童の一人ひとりに対して学用道具を贈呈した。入所している児童の表情は比較的症状が軽いこともあってか明るく見え、特に、私が個人的に持参した「なわとび」が好評で、すぐにそれを使って遊んでいる姿を見ることが出来たのは嬉しかった。また訪問記念として、訪問団一行の一人ひとりのナンバープレートをセンター入口の表示板に貼ってもらったばかりでなく植樹も行った。そして、センターからさほど離れていない場所にある被害児童家庭に慰問に訪れた。「被害児童」とはいっても30過ぎの男性であったが、センター入所者とは違って被害の症状が重くて、身体・言語能力などもいまだに子ども程度であるとのことであった。国から受けることの出来る援助額は月額12ドル程度であって、それだけでは生活(ベトナムでの平均月収は2〜3万円程度)は大変であるとの父親の説明にうなづくばかりであった。

ハノイの越日友好協会(VIFA)を訪問し、そこでのミーティングではデュオング博士のドイモイ政策についての報告を受けたが、これまでの経済発展に対するベトナム側の自負と隣国である中国への対抗意識が印象に残った。

30日のホーチミンでのベトナム解放・統一30周年記念式典へは残念ながら団長以外の者(副団長であった私も含めて)は正式参加することはできなかった。しかし、花火やコンサートなど盛りだくさんの行事が組まれた前夜祭に日本空の参加者も含めた世界中の国々から来た人たちと一緒に参加したり、記念式典に参加して出てきたばかりのベトナムの方から小旗をもらったり、式典終了直後に会場である統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)を訪れて写真を撮る機会も得たことで、自分たちも解放・統一30周年記念式典に参加しているという実感が十分にもてた。

この他にも、ハノイでの水上人形劇の鑑賞や革命博物館・ホーチミン廟の見学、ホーチミンでの戦争傷跡博物館の見学やベトナム南部にある旧解放軍基地クチでの地下トンネル体験、さらにメコン川のクルーズ体験など、何もかもが新鮮な驚きであり非常に満足のゆくものであった。お二人の通訳の方(ハノイでのフォンさん、ホーチミンでのマインさん)のユーモアやバイク・自転車・自動車・人間が混然一体となったベトナムの交通事情なども忘れられない深い思い出となった。ベトナム戦争終結後30年を経て戦後復興を成し遂げてさらにたくましく発展し続ける一方で、枯れ葉剤被害や不発弾被害などの形で今日にいたるまでも続く深い戦争の傷跡も残る、現在のベトナムの光と影を心に刻むことができた。そして、私を含めた参加者全員が名残惜しい気持ちを抱きながら、ベトナムから日本への帰国の道に着いたのだった。