平和問題ゼミナール |
平和問題ゼミナールのご紹介 |
平和問題ゼミナールとは、「平和とはなんだろうか」ということについて自分らの言葉で考える場である。
これまで「平和というモノは
とにかくすばらしいモノである」ということがいわれてきた。そういえば憲法の前文には、人類が後世にまでわたって追い求めるべき価値である、ということさえまでも書かれている。「平和」とはそこまで大事な価値らしい。しかしだ、それにも関わらず、いまひとつボクらには「平和」という言葉がぴんとこない。その「平和」の実現を目指してボクらは実際なにをしたらいいのだろうか。非常に大事なことはわかるが、その中身がボクらにはあまりわかっていない。中身がわからず、大事さだけがわかっている。このことは非常にゆゆしき事態とさえいえるとおもう。そんなゆゆしき状態を脱するために
、ボクらのゼミナールは設立された。その大事な価値「平和」を、ボクら自身の目で具体的に一つ一つ見ていきたいと考えている。「平和」のためにボクらがいま出来ることを考える上で、このゼミナールは役に立つのでは、と思っている。
いまできることとは、・・・・・・・
その一つは、いろんな問題点を知ることである。問題があってその解決を図るような場合には、
まずどのような問題点があるか把握することが先決であろう。実際どのように、ボクらが「平和」について考えてきたかについてだが、たとえば、ボクらは主要なテーマの一つとして、沖縄問題を扱ってきた。実際ボクらは沖縄に飛んで(沖縄ゼミ旅行、h7.4)、沖縄の現状を見てきた。その旅行ではこんな事実を知った。「米軍飛行機の騒音によって、学校の授業に支障がでている」そうである。私たちが沖縄問題を考えるとき、ふつうこんなことは考慮に入れないだろう。しかし、ボクらが知らないそんなことが沖縄の人たちには重要な関心ごとだったりする。沖縄だって、本土と同じく学歴社会である。子供がちゃんと勉強できる環境ではない、そうするとこれは大変な問題である。沖縄問題の解決がなかなか見えない要因はこんなところにもあるのではないかな、と思った。あまりにも、本土の住民と沖縄の住民の、現状についての認識が違っているのである。これでは、なかなか問題解決が進まないのも当然である。文責:ワダ
(C)1997-1998,Kimura Peace Seminar(Katsuyoshi Kawano) |