裏ミツコ
お引越し
私は今までに引越しを8回している。つまり住んだ家は9軒もあるということだ。
その家、その家にいろいろな思い出がある。
最初に住んだ家はF士見町。(私は横須賀以外に住んだ事がない。)
この家のことはほとんど覚えていない。生まれてから3歳くらいまで住んだ。
写真などを見ても間取りすらわからない・・・。でもいろいろと事件があった家だ。
「泥棒」に入られた。まだ妹・弟もいない頃の話だ。
泥棒はナイフだか包丁を持っていたらしい。父が気付いて大声を出した。
泥棒は何もとらずに逃げていった。父が「バカやろう!」と叫んだので近所では
夫婦喧嘩だと思ったらしい。なぜ父は「泥棒!」と言わなかったのだろう(笑)
目の中に入れてグリグリされても痛くない程かわいがっていたミツコちゃんに
何もなくてよかったと・・・後に両親は語ってくれた。(目の中・・・は創作)
ある寒い夜。ストーブをつけて寝ていたらいつの間にか火が消えてしまっていて
不完全燃焼を起こしてしまったらしくもう少しで一酸化炭素中毒で死ぬところ
だった。これも父が気付いてくれて助かった。
私の顔や鼻の穴が煤で真っ黒で大笑いしたそうだ。なんて親だ!
2軒目は同じF士見町。前の家からは100メートルも離れていないところ。
この家からははっきり覚えている。裏に庭もあったし井戸もあった。
父が亀を買ってきて(もらったのかもしれない)その亀に「バカメ」などという
くだらない名前を付けて(命名は父)可愛がっていたのを覚えている。
そういえばこの家にいたときは文鳥や十姉妹も飼ってた。初ペットだ。
「バカメ」のために一生懸命ミミズを取ってきて食べさせたりしていた。
私の人生の中でいちばんアウトドアにすごした時期だ。
ある日「バカメ」は旅に出た。あちこち探したけど結局見つからなかった。
今でもふと「バカメ」はまだどこかで生きてるんじゃないかと思う。
ある日、母と私と妹は「川の字」になって昼寝をしていた。
まわりがなんだか騒がしくて私が目を覚ました。窓を開けて外を見てみると
隣の家が火事である。近所に人たちが井戸から水を汲んでかけたりしていたが
そんなレベルの火事じゃない!私は母と妹を起こした。
すると母は「騒いでないで寝てなさい!」と私を叱りつけた。
懸命に揺すってやっと母が事態に気付いた。そして私に「何で早く言わないの!」
と怒った。子供心に傷ついた・・・(泣)
隣の家は全焼した。風向きに助けられて家はなんの被害もなかった。
この家には4歳から小学校2年生まで住んだ。
3軒目もなんとF士見町。最初の家の2軒隣。母方の祖母の家に引っ越した。
ここには小学校2年生から3年生まで住んだ。
この家に引っ越す日に私は「おたふく風邪」にかかっていたのを覚えている。
同じ町内、それも100メートルくらいの場所で3軒住んだ(笑)
4軒目はいよいよ他町内へ!Yヶ浜だ。当時通っていた小学校のすぐそばなので
転校もしなくていいし通学には便利だしでうれしかった♪
横須賀の一番にぎやかなところも歩いてすぐだし立地はかなりよかった。
ここには3年生の途中から3年生の終業式まで住んだ。ほんの半年ぐらいだ。
毎週金曜日キャンディ・キャンディを見ては泣いていたのもこの家だった・・・
5軒目。N坂の市営住宅が抽選で当たってそこに引っ越した。
4年生の新学期にはじめての転校を体験した。
N坂は田舎で家のまわりは田んぼだらけだった。シティ派の私にはかなり
つらいものがあった・・・。最後までどうしてもなじめなかった。
転校初日お気に入りのワンピースで決めた私は教室に入って愕然とした。
みんなGパンや半ズボンをはいていておしゃれしてる子などほとんどいなかった。
私のみんなに対する第一印象は「サル?」だった。
みんな日焼け(?)して色も真っ黒だ。
アメリカ製のワンピース。真っ赤なくつ。カールヘアー(転校を期にパーマを
かけた)キティのバック。(みんなはボロボロのランドセル)筆記用具は
シャーペン(当時はみんな鉛筆でシャーペンを持ってる子なんていなかった)・・・
私は目立った。そんな私はすぐにいじめのターゲットになった。
自慢のシャーペンを窓から捨てられてしまったのだ、男子達はにやにやして
私を見た。私は顔色ひとつ変えずシャーペンを投げた男子のランドセルを
窓から投げた。男子を泣かせてしまった・・・。私はモチロン謝らなかった。
・・・以降、私をいじめるものはいなくなった。目には目をだ!
おかげで私にくっついてくる友達がすぐ出来た。
いじめられはしないもの全くなじめないまま4年間が過ぎた。
中2になってすぐにまた引越しだ。とってもうれしかった。
クラスで送別会を開いてくれてその時(小学生の時に泣かせた男子に)
「転校してもあんまり大暴れするなよ」と言われた。大暴れって・・・!
こんな私の転校を泣いてくれる女の子までいて転校を喜んでいた私はちょっと
複雑な気持ちがした。・・・はっ、うれし泣きされたとか・・・?
6軒目はH見町。両親がこの町でバイク屋をはじめたので
その近くに引っ越した。お世辞にもきれいとはいえないアパートだ。
ここには中2から2年間住んだ。
初哺乳類ペット、ゴールデンハムスターの「ラッキー」を飼ったのがこの家だ。
親が昼間いなかったのでよく友達を呼んで遊んだ。
7軒目。同じくH見町の一軒家で過ごした。ついに家を買ったのだ!
まさに狭いながらも楽しい我が家って感じだった。
この家に引っ越して妹・弟の夢がかなった。
犬を飼ったのだ(当時私は犬嫌い・・・)。北海道犬の「いち」だ。
いちを飼ってから私の犬嫌いはすっかり直り、よくこの家のまわりを散歩した。
ここで書いておくがうちの家族は5人。全員がものすごく物持ちで引越しの
荷物は相当なものだった。過去8回の引越しで業者を頼んだ事は一度もない。
バイク屋に集まってきてくれてた人たちがみんなで引越しを手伝ってくれていた。
その方たちにほんと感謝している。とにかく父のオーディオセットはすごかった。
レコードなんて1000枚以上あったし、すごい重さだっただろう・・・
次がいよいよ家族の引越しでは最後(であろう)8軒目だ。
同じくH見町内へのお引越し。バイク屋の2階に住む事ができるようになった。
ここは駅まで1分だし、商店街のド真ん中だしで快適だった。
最初の頃は夜中でも家の前を車が通るのでうるさかったがすぐ慣れた。
ここには20歳から22歳まで住んだ。この家から22歳のとき、お嫁に出た。
9軒目は22歳から現在まで住んでる、またもやH見町(H見町だけで4軒目)
もう12年近く住んでるので(年がバレちゃうね)この家が私の中で一番長く
住んでることになる。(今までは最高5年)
私のファザコンっぷりは有名で、昔から実家から離れたくないので
横須賀の人としか結婚しない!と明言していた。が、まさか同じ町に住む人と
結婚するとは思わなかった。実家から徒歩5分は大満足。
1軒家で平屋。家の周りにはずーっと庭があって桜の木や梅の木もある。
池には金魚(10年もの・20〜30センチに成長)、アライグマも遊びにくる。
30センチくらいのモミの木を庭に植えたら今では屋根よりも高くなった。
毎朝、鳥たちが餌を食べにくるし・・・クワガタもいる。
自然もあるのに駅も近いし・・・なかなか環境はいいのではないでしょうか。
我が家の引越しに携わってくれた皆さん、ほんとにありがとうございました。
やっと落ち着きました(笑)










