2001春 大・仏蘭西物語編
(その21)





 G.H.MUMM社を後にし、すぐ前にある、
 「シャペル・フジタ(フジタ礼拝堂)」に行く。
 ランスで1番有名な日本人、画家の「藤田嗣治」が
 洗礼親であるG.H.MUMM社のルネ・ラルーの
 依頼により設計し、自らの手で描いた
 フレスコ画やステンドグラスが内部にあるのだ。
 そのステンドグラス、フジタが人類愛を
 願って広島の原爆をテーマにして描かれた
 ものだというので、広島在住の私たちは興味を
 持ってみたのだが、どれがそうなのか、(て言うか多分全体がそうらしい)
 ちんぷんかんぷん。しかしそのフジタも、フランスが何十年も後に核実験を
 やるとは思わなかっただろうなあ、とその小さな礼拝堂を後にした。
 (ちなみに、「H」が発音できないというフランス人のためなのか、この入り口
 には「HUJITA」ではなく、「FOUJITA」とあった。)

 バスに乗り、「さて、パリに向けて出発かあ」と思っていると、添乗員Nさんが
 「今日のおまけ、ってことでエペルネーに行きます」とのこと。エペルネーは、
 ランスと並んで有名なシャンパンの産地である。きゃー、やったー!と喜ぶ私。
 バスは一路シャンパン街道と名のつく(細い)道を通ってエペルネーに向かう。



 途中の景色は、ゆるやかな丘一面に、シャンパンのブドウの畑が広がって
 いて、眼下に小さな街や村も見えて、それは雄大で美しい。時々ある村の
 家には、シャンパンの看板がかかっていて、「ここでもシャンパンを造ってる
 のねえ」とまた感激。日本ではシャンパンと言えば大手のものが多いのだが、
 やっぱりファンとしては小さなところが造ったものも飲みたいのだ。
 「うーむ歩きたい」と思いつつ景色に見とれていると、バスは小さな道へ、
 シャンパンの製法を完成させた功績者として有名なあの「ドン・ペリニヨン」の
 墓に行くのだ。

 ものすごく細い道を、横の家の壁に車体を当てる
 こともなくドミニクは通り抜け、バスは墓のある
 教会の近くへ。降りて少し歩くと、古びた小さな
 教会があり、扉を開けて中へ。清楚なその教会の
 奥に、ドン・ペリニヨンの墓、であることを証明する
 石碑が埋められていた。
 「この下に埋められているんですね。」
 とNさん。間違えて踏みそうなんだけど、それは
 いいのだろうか、と思いつつ、石碑を見る。
 私たちの他には観光客がいないところを見ると、あまり知られてないの
 だろうか?。静かな道をバスへと歩いた。

 バスは再び発進して、エペルネーの街へ。
 もういたる所にシャンパンメーカーが並んでいて、
 もちろん見学ができるところもたくさんある。
 ここには先ほど見た「ドン・ペリニヨン」の名のつく
 シャンパンを造っている、モエ・エ・シャンドン社
 もあり、「ドン・ペリニヨン」の像もある。
 そんな訳で、降りて歩きたい気分も高まるので
 あるが、それは無理。
 バスは今度こそ、パリへ向かうのであった。

 

 「パリかー。もうちょっと田舎をぶらぶらしたいわあ」と思いつつ、寝たり
 起きたりしていたら、あっと言う間に道路にどんどん車が増えて来た。段々と
 周囲の景色も騒がしくなって来て、「ああ都会だわ」と思ったらバスが止まった。
 渋滞にはまったらしい。しかも「今日はこの近くで全仏オープンやってるんで、
 それでこんなに混んでるのかもしれないですね」とNさん。のろのろとしか
 動かない高速道路をかなり時間をかけて抜け、やっとホテルに、と思ったら、
 そこは別のホテル。どうもドミニクが間違えたらしい。で、バックして本当に
 今日止まるホテル「ソフィテル クニット ラ デファンス」へ。


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