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このラ・デファンス地区は、オフィス街と言ったようなところで、ホテルの すぐ横には広場があり、そこに1989年にフランス革命200周年を記念して 造られた「新凱旋門」がある。ホテル自体はクニットという、元・展示会場の中 (今は狭くて使われていない)にあり、オフィスとお店と共存といった雰囲気だ。
早速ホテルの中に入り、荷物を待つ、と、何か揉めているので、「?」と思って いたら、同じツアーの人の持っていたワインが割れて、それが他の人の スーツケースにかかっている。「ウチのスーツケースは大丈夫?」と思って 見ると、私のスーツケースベルトに少し紫の染みが・・。まあ割れたのが 「シャンベルタン」(高いワイン)だったので、まあいいかーと思っていると、 ドミニクに(今日私たちの荷物を運ぶ時に手を怪我したらしい)チップを出そう、 という話になり、早速チップを払う。私は日本から持って来ていた和紙の小さな 人形のしおりを一緒に渡してもらった。 ドミニクとは今日ここでお別れ。安全に楽しくこの旅が出来たのも、気のいい 名ドライバー、ドミニクのおかげだ。ドミニクの走った距離は、 旅行3日目306km、4日目361km、5日目202km、6日目198km、 そして今日7日目472km、と、仕事とは言え、ものすごい距離である。 またいつかドミニクの運転で旅がしたいなあ、そのときはフランス語で話でも したいものだよ、と思いつつお別れする。 Merci beaucoup.Au revoir! (ありがとうございます。さようなら。) さて、部屋に入った私たち。夕飯までしばらくくつろぐ事にする。 ホテルの部屋は、側転が軽く3回はできそうなくらい(ってどんな表現だ)、 広い広い部屋で、間違いなく私が泊まった事のあるホテルの中で1番広い。 部屋もバスルームもキレイで、「すごいねえ」と感動しているとコンコココン、 コンコン、とリズミカルにドアをノックする音が。ポーターがスーツケースを 運んで来たのだ。確認して出ると、そこには他の人のスーツケースもたくさん。 「君のはどれ?」(英語・・だったような気がする)と聞かれたので、 「This,and・・(ってもっとまともな示し方はなかったのか、とほほ・・)」 と示すと「OK」と、それを置いて次の人の部屋へがらがらと行くので、 慌てて「メルシー ムッシュウ!」と言うと「De rien.(いいんですよ)」 と返事があった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 夕食は9時。ツアーのみんなと食べる最後の食事なので、と持ってきた水色の スーツを着て、まだ明るい中、5Fのレストランへ行く。同じ席の方々と、 シェアしましょう、ということで白と赤、それぞれ1本ずつワインを頼み、 楽しく話しながら食べる。この度、一緒のツアーになった方々は、皆さん良識の ある素晴らしい人たちで、そのおかげで本当にステキな旅だった。これが一緒の 最後の食事で、日本に帰ると、またそれぞれの生活になって、もうみんなで 会うことはないんだろうなあ、と思うと、少し切ない。 さて、トイレに行きたくなった私、ウエイター(ギャルソンか?)に、 「ウ ソン レ トワレット?(トイレはどこですか?)」と尋ねると、 そのウエイターは隣のウエイターに何やら話し、そのウエイターが (ちょっと酔ってて、何語かよく分からなかったんだけど)説明してくれた。 ・・・やっぱ、通じなかったのか・・?と思う私。まあトイレにはたどり着けた のでよしとする。
食事が終わってしばらくすると、明日地下鉄に乗る人のために、とNさんが地下鉄の駅まで案内してくれる。 夜(かなり遅い)の「新凱旋門」の広場は、まだ人が 結構通っていて、遠くにライトアップされた「凱旋門」 が小さく見える(凱旋門と新凱旋門は一直線なのだ)。 案内されてエスカレーターを降り、駅へ。 軽く酔っていたせいか、思ったほど怖くなく、 「すぐ乗れるように」と、NARUは売り場で地下鉄の 切符を買った。 同じツアーの人が「さっき(夕方)はもっと人がいて、脚のない人とかが、 お金ください、って感じでいたよ」と言っていた。そう言えば、今までは そのような光景を見ることがなかったなあ、と思い、そうか、ここはパリで、 ここは駅だもんね、と気づく。夜道をぞろぞろとホテルに戻り、明日のために 早めに(ってもう十分遅いのだが)寝る。 明日のパリの天気予報は、晴れ。 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 |