さらに私たちはワイン市場のガイドさんの後をぞろぞろと着いて行く。暗い階段から1度外に 出ると小さなブドウ畑があった。どうも、 ブルゴーニュの赤ワインの品種ピノ・ノワールと 白ワインの品種シャルドネが植えられている ようで、実際に近くでブドウの生育状況を 見ることができる。もちろんNARUは とっても興味深げに座りこんでブドウ観察を していたのだが、そこにポールさんがやってきて、 「これはピノ・ノワールだ」「これはシャルドネだ」 (英語)と熱心にNARUに説明してくれる。 ポールさんは、NARUが最後尾でばしばしとデジカメを撮っていたら、 どうも、そのデジカメを(それともNARUを?)、ものすごく気に入った らしく、さかんに「そのデジカメはいいな」(英語)を繰り返す。 「いくらするんだ?」と聞かれたので、円をフランに換算して、 それを英語で・・と二人で悩んでいたら「OK、いいよ」と言ってくれた・・ ごめんなさいね。 その後ワインの試飲をする。ワイン市場のガイドさんが丁寧に説明してくれ、 それを添乗員Nさんが要約してくれるのだが、熱いガイドポールさんは、 ワイン市場のガイドさん以上にワインについて熱く熱く語っていた。私たちも もらったタストヴァン(ソムリエがよく首から下げている、利き酒用の銀色の 小皿のようなもの)に、ついでくれるままにぐびぐび。 (タストヴァンにワインを入れ、ロウソクの火に近づけてワインの色を見る そうだが、情けないことに、違いはほとんど分からない・・。) ワインは口に含んで味を確かめたら、横に置いてある樽のような桶の ようなものに吐き出すのが基本(そうしないとたくさんの試飲の時には 酔っ払って大変)なので、出す方も多いのだが、私は「何だかもったいない」 ので飲みこんでいた。 すっかり出来あがった私たち(っておいおい)はワイン市場のショップで ワインを購入し、さらに「オテル・デュー」に向かう。このオテル・デューは 1443年、ブルゴーニュ公爵フィリップ・ル・ボンの宰相であるニコラ・ロラン によって建設された建物で、現在までそのままの形で保存されている所だ。 ここは1971年まで貧民の病院として使われており、その寝台も残っている。 この施療院はブドウ畑も持っており、施療院運営のために1859年に 始められたワインオークションがあることでも知られている。 (本当はそのオークションを見に、秋にある収穫祭「栄光の3日間」の時に 来たかったのだが、それはまず無理)
まず入ると中庭があり、そこから色とりどりの幾何学模様の瓦で覆われた、オテル・デューの 本体が見える。ワイン好きにはあまりに有名な この建物に、私たちは喜び写真を撮りまくる。 続いてポールさんに案内されて、建物の中へ。 ポールさんは相変わらず熱く説明してくれ、 回りの観光客もその説明に引きこまれて熱心に 聞いていた。「貧しき者の広間」と呼ばれる 所には、たくさんのベッドが並べられていて、 そのベッドは少しだけ上半身部分のところが 起きている。昔は眠る時も少し身体を起こして 寝ていたそうで、完全に横たわるのは死んだときだけだったそうだ。しかも、 ベッドはすべてチャペルの方に脚が向いていて、「足を向けて寝られない」と いう言葉は西洋にはないのねと思ってしまった。 さらにロジエ・ヴァン・デール・ヴェイデンの描いた「最後の審判」を見に行く。 あまりにも細かい絵らしく、その絵の前を虫眼鏡が自動に動く仕掛けに なっていて、ポールさんが、「こっちからがよく見えるぞ」(英語)と、 私たちを引っ張って行ってくれた。 ![]() ![]() ![]()
さて、オテル・デューを出た私たち。 オテル・デューでちょっとお土産を買うのに 手間取ったのと、時間がないのもあり、肝心の 「ワイン関係土産屋」を走って抜けるハメに・・。 あー、ここでゆっくりしたかったのにー!!と 思いながら、泣く泣く何も買わずに昼食の レストランへ。のんびり食べた後、 「絶対また来るぞー!!」と誓って、ボーヌの街を 後にした。 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 |