スキー日記 1998



1998シーズン

そういえば... スキー!!

1998年3月2日(月) 5年ぶり
志賀高原 一ノ瀬ダイアモンド (長野県) 午後少しだけ 通算12日
天気:曇り 積雪1m
天気:晴れ 雪たっぷり。
ゲレンデ:ガラガラ リフト待ち全くなし。

僕の大学は、週2回「スポーツ実技」というのがある。好きな種目を選択する。 球技は全て(嫌い)>>(好き)なので、1年の時には(好き)>(嫌い)な、柔道とトレーニングを選択した。 「トレーニング」というのは、軽いウエイトリフティング(軽いのは僕だけ?)をしたり、ランニングをしたりする。その時教わったK先生、この先生のお言葉がなえれば、僕はこの後、スキーと全く無関係な暮らしをしていただろう。

K先生:「ishiはスキーやらないの?」

僕:「えっ? スキーですか。そういえば中学高校で、三回だけ行ったことがあるのですが、それっきりで。」

K先生:「うちの大学にはスキー教室があって、スキーは2年のスポーツ実技の選択種目の一つになっているんだけど、1年でも自由参加できるから、参加しない? 楽しいし、あんまり滑れない人でも、みんなうまくなって帰るから。」

僕:「うーん。考えておきます。」(≒モチベーション不足。∴たぶん行かない。来年行くかも)

それ以来、「スキー」という言葉が登場することはなかったのだが、2年になってスポーツ実技の種目選択がある。

「集中コース・スキー」

去年、K先生が声をかけて下さったこともあり、迷わずスキーを選択した。果たして、滑れるのだろうか。

とうとうそのスキー教室が始まる。そして場所は、始めてスキーをした志賀高原。スキーセットを持っていないので、レンタル。服装は高校1年の時に買い、1回しか着てない派手めのウエア、中学の時に買った手袋(小さめだったが、たぶんあまり使わないだろうから我慢)。

さてさて、一ノ瀬ダイアモンドゲレンデへ。滑ってみて、クラス分けをする。さすがに5年ぶりというのは、辛いです。ずっと前に滑ったときの感触をなんとか思い出そうと努力して、おっかなびっくり斜面を降りる。

クラスは上手なA-1班からスキー始めてのE班まであり、僕はC-3班だった。とりあえず、今日はこれでおしまい。あとの4日間でどれだけ滑れるようになるのだろう。



1998年3月3日(火) ビデオで滑りをチェック
志賀高原 一ノ瀬ダイアモンド周辺 (長野県) 滑走日数 1日 通算13日
天気:晴れ 雪たっぷり。
ゲレンデ:ガラガラ リフト待ち全くなし。

僕たちの班の目標は、なんと言っても「パラレルターン」。姿勢が悪く、腰が引けている(後傾姿勢)。外足だけで滑ったり、ターン中にジャンプしたりといった練習をする。

夜、講習中に撮ってもらったビデオを見る。おっかなびっくり滑っていた。


1998年3月4日(水) オリンピックコース
志賀高原 奥志賀、焼額山、一ノ瀬ダイアモンド (長野県) 滑走日数 1日 通算14日
天気:晴れ 雪たっぷり。
ゲレンデ:ガラガラ リフト待ち全くなし。

一ノ瀬からオリンピックが開催された焼額山へ向かう。

スラロームバーンへ行くと、オリンピックで使われたスタート台があった。そこから4,5本ポールが立っているので滑ってみる。その先は急斜面になっていて、降りるのが大変だった。スラロームバーンの下には、オリンピックの観客席があった。

奥志賀へ。第一ペアリフト沿いのコースで

「この緩斜面では、ポジションを確認するもよし、ジャンプするもよし... 自由に滑りましょう。じゃ、僕はこんな風に滑ります。」

先生は、2m以上の板でフィギュアスケートをしているような滑りを見せてくれた。準備体操の時、板を後ろに回して前股を伸ばしたりするが、それを滑りながらやっている。なんとも印象的。「スキーであんなことできるんだ!」いつかはできるようになりたい滑り方だった。


1998年3月5日(木) ミルクティー
志賀高原 一ノ瀬ダイアモンド、焼額山、奥志賀 (長野県) 滑走日数 1日 通算15日
天気:晴れ 雪たっぷり。
ゲレンデ:ガラガラ リフト待ち全くなし。

今日はツアーがある。他の班とは違って、僕らの班だけ別の所へ行くようだ。

masa先生「僕は変わり者なので...」

いったい何処へ行くのか? 林の中を滑るための準備ということで、板を押しひねる練習などをする。

さて、林の中へ。一ノ瀬山の神ゲレンデの上から林の中に入る。しばらく上る。先生:「リフトの偉大さがわかるでしょ。」

滑り降りる。まっすぐにしか進めない。止まるのも大変。木に激突しそうになったりするが、誰も滑っていないフカフカで綺麗な雪に埋もれながら進むのは何とも気持ちいい。

masa先生:「あそこに赤いリュックが吊してあります。朝一で置いてきました。ウサギに僕の昼飯を食べられていないか心配です。あそこまで滑っていきましょう。」

リュックの吊してあった場所から少し滑ると、まだ誰も足を踏み入れていない広場がある。「ここで昼食をとりましょう」

先生がリュックから携帯スコップを取り出す。「ここを掘ってイスを作りましょう」  四角いテーブルを残すように回りに溝を掘り、スキーを逆さにして置き、イスとテーブルができた。

リュックから今度は携帯コンロを取り出す。ポットも。火をつけ、ポットに少し水を入れる。温まってきたところで雪を入れる。

「一時期、雪山に填ったことがありまして...」

先生はミルクティーを振る舞ってくれた。

少し冷たいミルクティーだったが、僕たちのためにキャンプ用品を準備し、密かに場所を探し、朝早くリュックの準備をしてくださり、感激だった。 こんな静かで綺麗な自然の中で昼食を食べて... スキーとはこんなにいいものだったのか!

昼食後、そこからちょっと滑ると、それまで練習していたゲレンデへ出た。

先生:「ちょっとゲレンデを離れるだけで、別世界が広がっているんです。」


後で考えても、僕がスキー好きになったのはあのミルクティーを飲んだためだとしか思えない。スキーの魅力が凝縮されたミルクティだったのか。

そして、なんとお洒落な先生か! スキーの技術だけでなく、スキーヤーとしても目標です。



1998年3月6日(金) もっと滑りたい
志賀高原 一ノ瀬ダイアモンド周辺 (長野県) 午前中だけ 通算16日
天気:晴れ 雪たっぷり。
ゲレンデ:ガラガラ リフト待ち全くなし。

5日間のスキー教室は長いと思っていたが、もう最終日になってしまった。いい先生に教わり、とても楽しかったので終わってしまうのが寂しい。

そういえば、志賀高原に来ている間は花粉症が全く出ず、快適だった。空気が綺麗なのだ。

最後に一言アドバイスをもらった。僕はエッジをもっと立てるように言われた。

masa先生:「最後なので言いますが、みなさん、よくレンタルスキーでがんばりました。予想以上にみんな上達し、驚きました。...スキーを買おうかという人は、信頼できそうなお店の人とよく相談して自分に合う板を見つけてください。...それから、本当にスキーが好きな人はオフシーズンにもトレーニングして冬に備えています。... スキーは一生続けることができるスポーツです。どうかみなさんも楽しみながらスキーとつき合ってください。」

masa先生はパラリンピックのボランティアのために志賀高原に残るそうで、バスから手を振って別れた。

またスキーがしたい。スキーを買おう。



↓ここからしばらく当時書いた文章が残っていたので、それをそのまま載せた。

書き直したい気持ちを抑え、コメントを入れた(※の文)。2001.3編集

2年後くらいに読み返すと、きっとまた直したくなるだろう。

1998年3月16日(月) Myスキー

もう、スキーを買うしかない。神田のスキー店街へ向かった。

大体6万円から7万円ぐらいの予算で、板、ブーツ、ビンディング、ストックを揃えようと思った。ブーツは少し高くても足にぴったり合う、いいものが欲しかったので、2万5000円程度のものを選んだ。3軒の店をまわって、まずブーツを選んだ。お店の人に言って、試しに履かせてもらうと、次の店に行きたくても断りにくかった。でも、たくさんのブーツを履いて、一番足に合うものを選びたかったので、店の人にはいやがられたかもしれないが、店をまわってブーツを履いた。結局、初めの店で履いたNORDICAのTREND05が一番足に合うようだったので、これにした。

板などもその店が結構安くしているようだったので、全てそこで揃えることにした。初めてスキーを買うので、どれを買ったらいいか全くわからなかった。店のおじさんが優しく教えてくれた。
※ もっと旧モデルを捜すべきだと後で思う。

初心者用の板と上級者用の板は、堅さが違うと教えてくれた。店のおじさんが勧めてくれたROSIGNOLのPALSIONを買うことにした。ビンディングもROSIGNOLの、12000円のいいのにした。7000円のもあったが、高いビンディングの方が格好がいい。ストックはアルミのものと、もっと高級な素材でできたものがあった。今のところ、ストックは転んだときにしか使わないので、安いアルミのものにした。全部で65000円ぐらいになったが、消費税も入れて62000円に負けてくれた。
※ 最初はもっと安い板を買うべきだったと後で思う。

ビンディングを板に取り付けるのに、40分くらいかかるので、その間三省堂などをまわって時間をつぶした。スキーに付けるワックスも買った。

スキーを受け取りに行った。スキーを入れるケースもサービスで付けてくれるかと少し期待していたが、ビニールの袋に入っていた。これでは、持って帰るのも不便なので、ケースも買って帰る。ケースに入れて持ち運ぶと、思ったよりも重く感じない。これなら船橋競馬場駅からザウスまで運んで行けそうだと思った。
※ 今じゃ、車でないと行く気がしない...

家に着いて、早速スキーを履いてみた。床を傷つけないように、座布団を敷き、その上で履いた。ブーツが新しいので、店に置いてあったものよりも堅くて、履くのが大変だった。ストックの手革も堅くて、感動的だった。レンタルスキーしか知らなかったので、新鮮な気持ちだった。スキーを履いてみると、すぐに滑ってみたくなった。明後日ザウスに行って、新しい板での初滑りを楽しもうと思う。


1998年3月18日(水) 世界最大スキードームSSAWS
SSAWS (千葉県) 1日 通算17日
天気:関係なし 積雪不明
ゲレンデ:高校生多し

新しいスキーを持って、SSAWSへ行った。午前中はスノーボードの時間で、12時半から9時までスキーが滑れる。早お昼を食べて出発した。船橋競馬場の駅を降りて、20分くらい歩いた。荷物が重かったが、がんばれる距離だった。
※ 今じゃ、あの距離をあの荷物で...がんばれない。

12時半頃にSSAWSに着いた。一日券は5400で、リフト代も含んでいることを考えると安い。以前は数時間滑っただけで1万円になるほど高かったらしい。チケットは、最近スキー場でよく採用されているICチケットで、近づけるとゲートが開くようになっている。

1階のスキーラックにスキーを立てかけて、ロッカールームへ向かった。ロッカーが無料なので助かった。
※ 正直な感想だ。

着替えて、そこでスキーブーツを履き、1階へ降りてスキーを取りに行く。自分の板があるから、すぐに滑ることができる。
※ Myスキーのうれしさを表しているのだなぁ。

回転式のドアを通ると、空気がスキー場になる。ゲレンデは色のついたランプでライトアップされていて、BGMもかかっている。

新しいスキーを履いて、リフトに乗った。高速リフトという割には遅かった。14度の中級者コースを滑ったが、思った通りに板を操作できなかった。雪が違うのか、板が違うのかわからないが、なんだかよく滑った。4本くらい滑ると自分のスキーに慣れてきた。
※ 4本滑っただけで慣れるか?

中級者コースは転ぶ人があまりにも多く、安心して滑れない。それに、コースの中央で立ち止まる人がとても多く、ものすごくじゃまだった。
※ 「おまえもじゃまだよ。」

特に、中高校生はマナーがよくないので困る。 ※ ほとんど80%プルークで滑っていたけど、マナーはよかったかな。

中級者コースが混んできたので、20度の上級者コースへ行ってみた。少し急に感じたが、こっちはすいていて途中で転ぶ人も少ないので、安心して滑れる。周りの人を気にすることなく滑れるので、自分のしたいターンができた。

中学生と高校生がどんどん増えてきて、リフトも混んできた。リフトが遅い上に、よく止まるから困る。リフトを止めるような人は乗らないで欲しい。
※ 「おいおい。お前だって昔止めたことあるの忘れたのか?」

ゲレンデが短いので、どんどんリフトに乗れないと、イライラしてくる。
※ おお。すごい滑走意欲! それともただ単に元を採りたかっただけ?

平日はすいているだろうと思っていたが、中高校生がこれほどいるとは思わなかった。 上級コースは中級コースよりも短いが、快適に滑ることができた。 上級コースにだんだんこぶが現れてきたので、転びやすくなった。僕も派手に転んでしまい、帽子とゴーグルをやっていなかったので、頭と眼鏡が雪まみれになってしまった。スキーを始めて頃に比べると、ずっと転ばなくなっているので、転んだときのショックは大きい。

中級コースを数本滑って、夕飯を食べることにした。原田宗典の「見学のすすめ」には、「食事がまずい」と書いてあったので、おにぎりを持ってきた。喫茶店に入ったが、そこでは食事ができなかったので、コーヒーを飲んで休んだ。お昼から休み無しで滑り続けてきたので、イスに座っても体がターンしていた。コーヒーでゆっくりできた。おにぎりを食べるのにはちょうどいい場所があったので、ゲレンデを見ながらおにぎりを食べた。

7時を過ぎると、帰る人が多く、中高校生集団はほとんど全滅していた。リフトもほとんど待たなくなった。こうなれば、思う存分滑れる。コースのこぶはとても大きくなっているが、人が少なくなったので、自分の好きなように滑ることができた。リフト乗り場ががらがらになる頃には、とても快適に楽しむことができた。

9時10分にリフトが止まるまで、滑った。終わりの時間まで滑っていられるのは、近くに住んでいる人間の特権だ。
※ うんうん。そうだ。

着替える時にはとてもすがすがしい気分だった。 SSAWSは空いている時なら、十分楽しめる。混んでいるときに行ってしまうと、ゲレンデが短いので、全く楽しめない。今度は、高校生や中学生もいない平日をうまく使って行こうと思う。


1998年3月25日(水) 手袋購入

スキーの手袋がだめになっていたので、買おうかどうしようかと迷っていた。この前お茶の水へ行ったときに見たが、5000円ぐらいする。手袋を買わなければ1回ザウスで滑れると思うと、どうも買う気がなくなってしまった。中学の時に買った手袋なので、大分小さいが我慢して使ってきた。
※ よくこんな小さいの使っていたよ。これは迷うことなどない。

外側が革なので、その匂いが内側まで浸透してきて、ずっと手袋をしていると、手が臭くなってしまうのが一番気になっていた。
※ そうそう... かなり臭かったなぁ。 よく汗かいていたし、きれいに干しておかなかったからだな。

「せっかくスキーに行くのだから」と思い切って手袋を買うことにした。

今日の夜出発なので、お昼を食べてからすぐに家を出た。いつものように秋葉原へ寄ってからお茶の水へ向かうことにした。秋葉原にもスキーの店が2軒あって、そのうちの1軒の前を通ったら、スキーの手袋を3000円で売っていた。試しに付けてみると、別に悪くなかった。
※ いや、そんなワゴンにあるような手袋ダメダメ! まともにストック持てないでしょ。

お茶の水でも安いものがあるかもしれないと思い、一応行ってみた。3軒くらい回ったが、どこも高かった。3000円という激安の手袋はなかった。結局、秋葉原の店で手袋を買った。
※ 今、あの手袋は車の雪下ろし用手袋になっています。


1998年3月??日 どうしても天然雪
斑尾サンパティック (長野県) 滑走日数 1日 通算18日
天気:晴れすぎ 春の湿雪 土出ているところ多し
ゲレンデ:リフト行列、高校生ボーダーの座り込み。

スキーに行くとなると、とても嬉しい。なんだかドキドキする。
※ 今でも、スキーに行くときはドキドキするよ。

船橋から集合場所の原宿までシャトルバスが出るので、昨日の夜8時に船橋に着けるように家を出た。船橋に着いたら、スキーを持った集団と合流した。この人たちも同じシャトルバスに乗る人たちだ。集合場所の公園でバスを待っていたが、なかなか来ない。出発時間になっても来ない。一緒に待っていた女の子の携帯電話に連絡が入った。シャトルバスが故障したらしい。みんなブーブー言いながら電車で原宿へ向かった。原宿の集合場所を確認してなかったし、パンフレットも持っていかなかったので、場所がわかるかどうか心配だった。しかし、原宿に着いてみるとそんな心配は不要だった。スノーボードやスキーを持った人がたくさん集まっていたので、すぐに集合場所がわかった。
※ ホントにひどい。連絡つかなかったらどうするつもりだったのか?

券を受け取るために並んでいたら、雨が降り出した。折り畳み傘を持っていってよかった。11時頃にようやくバスが出発した。大体1時間遅れての出発だ。中学のスキー教室、友達とスキーに行ったときも夜行バスだったので、夜行バス=スキー という印象が強くなっている。夜行列車、夜行バスが好きだ。普段は見ない、夜の景色をゆっくりと眺めることができるからだろう。
※ 夜行バスは寝られないけど、夜の景色を眺めるのはなかなかいい。

シートピッチが結構広く、隣の席が空いていたので案外寝やすかった。
※ そうかぁ?

目が覚めると斑尾サンパティックスキー場に着いていた。着替え場所のホテルがまだ開いていないので、しばらくバスの中で待っていた。受付を済ませ、ロッカールームへ行った。今までで一番汚いロッカールームだった。
※ ホント、最悪。

ロッカー代が300円かかるので、荷物を持って先に食事を済ませてしまうことにした。
※ 貧乏には辛いよねぇ。

ホテルのラウンジに行った。朝食セット(540円)を取ったが(これしかない)、パン2個にジャム、ほんの少しのポテトサラダとほんの少しのオレンジジュースだけ。あまりにもひどい。
※ そうそう。これも最悪。

こんなホテルに泊まらなくてよかった。
※ ホント、今でも同感。

着替えを済ませて荷物はロッカーへ。ロッカーが有料なので、ナップサックに水筒などをいれて持っていった。自分の板を持っていくとわざわざ借りなくていいのが嬉しい。

早速ゲレンデへ降りた。このスキー場は、ゲレンデの頂上にホテルが建っている。ペアリフトが2本だけしかない小さいスキー場だ。空いていたので、気持ちよく滑っていた。しかし、どんどん中高校生スノーボーダーが押し寄せてきて、リフトが混んできた。リフトは、この前行ったときのザウスと同じような状況になってしまった。遅いペアリフトなので、輸送力不足だ。快適にバリバリ滑るという訳にはいかない。スノーボードをやっている人がとても多い。スキー対スノーボードが大体1対6位だろう。中高校生が多く、みんなとても下手だ。下手な上に(初めはみんな下手なので、これは仕方がないのだが)マナーが悪くて、最低の集団だ。こうゆうヤツらを見ているとうんざりしてしまう。
※ どうしてここまで... というほどひどかったなぁ。

来年は、いい雪のある、高校生のいない時期を狙って、もう少し高級なスキー旅行へ行こうと思った。

午前中はすっかりイライラしてしまったので、昼食を取ることにした。ホテルで朝食を取って、「昼食はもうこんなところで食べるものか」と思ったので、ゲレンデのしたにある小さい喫茶店のようなところで昼食をとった。800円のカレーにしたが、レトルトでまずかった。しかし、冷たい水が飲み放題で、水筒にも補充できたのでよかった。

午後は最低ボーダーを無視して滑るようにし、うまく滑れるように練習した。目線が近いようだったので、遠くを見るように意識して、思い切って滑った。エッジをなるべく立てるようにし、前傾姿勢にならないように注意した。
※ うんうん。つまらないことには目を向けずスキーを楽しむが一番。

夕方頃には、悪雪と自分のスキーに慣れて、楽しく滑ることができた。速いリズムで滑ることもできて、スキー教室の時よりさらに上達したと思った。
※ 最初の頃は、1日滑るだけで劇的に滑りが変わるよね。

夕飯は、ホテルで食べたくなかったので我慢した。帰りのバスはハイデッカーの新型車だった。隣に座る人がいたが、一番前の席だったので最高だった。かっこいい運転席も見える。
※ このバスだけは最高だった。

滑り疲れたせいで、すぐに寝てしまった。軽井沢のドライブインで山菜そばを食べた。500円で今回のスキー旅行で一番安い食事だが、他とは比べられないほどおいしかった。おみやげの山菜漬けを買った。

早朝、新宿に着いた。5時までバスの中で寝ていた。五反田経由で帰ってきた。朝御飯を食べお風呂に入ったが、疲れていたので、ベッドで3時まで寝てしまった。

※ いわゆる、「安かろう、悪かろう」の典型。でも、なるべく安くして多く滑ってやろうという心構えが良いですな。


1998年3月30日 そしてSSAWS
SSAWS (千葉県) 滑走日数 1日 通算19日
天気:関係なーし! SSAWS雪
ゲレンデ:混み気味 リフトで行列

シーズンの終わりを感じたので、SSAWSで滑ることにした。ここなら、いつでも同じ雪だ。

もうちょっと滑りたいと思う人が多いのだろうか、春休みということもあるのだろう、結構混んでいた。次は、大学生の特権を使って、もっと空いているときに行きたい。


1998年4月22日 ガラガラSSAWS
SSAWS (千葉県) 滑走日数 1日 通算20日
天気:関係なーし! SSAWS雪
ゲレンデ:ガラガラ

今日は、学校はお休み。さぼったわけではない。運良くお休みになったのだ。これはもう、SSAWSへ行くしかない。きっと空いているに違いない。

予想は的中した。ガラガラ。滑り放題。 リフトで待たないから、ガンガン滑る。最高だった。


1998年5月6日 味しめてSSAWS
SSAWS (千葉県) 滑走日数 1日 通算21日
天気:関係なし SSAWS雪
ゲレンデ:



1998年5月20日 今日もSSAWS
SSAWS (千葉県) 滑走日数 1日 通算22日
天気:関係なし SSAWS雪
ゲレンデ:



1998年5月27日 またもやSSAWS
SSAWS (千葉県) 滑走日数 1日 通算23日
天気:関係なーし! SSAWS雪
ゲレンデ:



1998年8月2?日 日本のSSAWS
SSAWS (千葉県) 滑走日数 1日 通算24日
天気:関係なーし! SSAWS雪
ゲレンデ:

1ヶ月間中国へ行っていた。帰ってきてSSAWSへ行った。 日本にSSAWSがあってよかった。

前回でスタンプが6つたまり、キャンペーン期間中だったので1日券を2枚もらった。 これは結構お得だ。今日はそのうちの1枚で滑った。


1998年8月2?日 だってSSAWS
SSAWS (千葉県) 滑走日数 1日 通算25日
天気:関係なし SSAWS雪
ゲレンデ:リフトに行列あり

夏なのに、涼しい、いや寒い。-3℃だ。冷凍庫に首を突っ込んだときの気持ちよさ。だってSSAWS。


1998年10月4日 シーズン最後のSSAWS
SSAWS (千葉県) 滑走日数 1日 通算26日
天気:関係なし SSAWS雪
ゲレンデ:




振り返ってみると

スキー教室でお世話になったmasa先生の影響は大きかった。今でも林の中で飲んだミルクティが忘れられないし、フィギュアスケートのような滑りも1つの目標にしている。

8回もSSAWSへ行っている。片道 徒歩10分+電車+徒歩20分でよく行ったものだ。 SSAWSは上手い人が多い中、あれほど下手でよく行く人は他にいなかったかも。 (2001.3)

滑走日数:15日(山6日+SSAWS 9日)




(C) Ishijima Seiichiro 2001
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