スキー日記 1991



1991シーズン

スキー初めの第1歩。 1回だけ。

1991年3月22日(金) 初スキー
志賀高原 サンバレー (長野県) 滑走日数 1日 通算1日
天気:覚えていない 雪質:よく覚えていない。(バスからホテルまでベチョ雪)
ゲレンデ:リフトに長く並んだ記憶はない。

中学2年。僕の回りにスキーをする人などいない。小学校の時、「スキーに行った」なんて言っていた友達がいたなー。などと思い出すくらいだ。「スキーなど僕には関係ない」という人間だ。

ところが、学校のスキー教室があることを母が知った。スキー教室があるということは、僕も聞いていたのだが、「関係ないや」ということで忘れていた。

母:「スキー教室あるじゃないの。行きなさいよ」
僕:「どうして?」
母:「どうしてって、良いじゃないのスキーなんて! 母さん雪好きだわ。」
(母は雪が大好き。降ってくると「積もらないかなぁー」などと言って、積もると子供のように外に出て、雪だるまなどを作るほど雪が好きな人なのだ。)
僕:「うーん。じゃ行こうかな」 あまり乗り気ではなかったのです。

スキーに行くとなると、板などは借りるとしても、ウエア、ゴーグルなどを買わなければなりません。といっても、何を買って良いのか知らない。母が友人に聞いて、初めて何を揃えればいいのか解ったのだ。

デパートのスポーツ用品店でウエアなどを買う。
(今思うと、それほど大きくないデパートでもスキー用品を売っていて、当時はスキーブームだったのかもしれません。)
全部親が買ってくれたのだが、自分の小遣い何ヶ月分にも相当する大金が、たった数日間スキーをするために出ていくが信じられなかった。

そして、今日は初スキー。初めての夜行バスで少々眠気が残っていた。 まず、スキーウエアに着替えてレンタルのブーツを選ぶ。レンタル定番の白いリアエントリーのブーツです。「大きい?」なんて聞かれたって、どうなのかよくわからない。履くと、歩きにくいことこの上ない。階段なんて、転びそうだ。

若い男の先生に教わる。いよいよ外に出てスキーを履く。履くだけでも苦労した記憶がある。 まずは、かに歩きの練習... という感じで教わった。転び方も教わって、リフトに乗る。 もちろん回数券。法坂第3リフトというシングルリフトが、僕のスキー初リフトだった。乗るのに思ったより苦労しなかったが、「降りるのを失敗すると恥ずかしいな」なんて思っていたりした。 が、何度かリフトを止めた。(ずいぶんご迷惑をかけました。と今になって思います)

プルークで止まる練習をして、その日は終わった。

かに歩きをたくさんやって、すごく疲れた。帰るまでに何とか滑れるようになりそうだな。

2000.1.23 思い出して作文

1991年3月23日(土) ボーゲンできるかな
志賀高原 サンバレー (長野県) 滑走日数 1日 通算2日
天気:覚えていない 雪質:覚えていない。
ゲレンデ:リフトに長く並んだ記憶はない。

朝起きると、足が筋肉痛。

片方の足に力を入れて曲がる、ボーゲンの練習。 止まることはできるのだが、どうしても曲がらない。まっすぐ進んで止まることを繰り返していた。

それでも、滑ることができていて満足だった。

2000.1.23


1991年3月24日(日) ボーゲンできた
志賀高原 横手山 (長野県) 滑走日数 1日 通算3日
天気:覚えていない 雪質:覚えていない。
ゲレンデ:リフトに長く並んだ記憶はない。

今日も筋肉痛。

バスに乗って横手山へ行く。すると、いきなりボーゲンができるようになった。 昨日の終わりまでできなかったのに。自由になった気がした。

2000.1.23


1991年3月25日(月) 5級検定
志賀高原 サンバレー (長野県) 滑走日数 1日 お昼頃まで 通算4日
天気:覚えていない 雪質:覚えていない。
ゲレンデ:リフトに長く並んだ記憶はない。

3日間の成果を試す、SAJ5級のバッジテスト。緩い斜面で、プルーク・ボーゲンで規定回数ターンして、止まれれば合格だ。

なんだか、ドキドキ。「昨日滑れるようになったんだ!」と思いこんで滑った。

合格。

運動が苦手だった自分が、スキーをできるようになったということがうれしかった。

2000.1.23






(C) Ishijima Seiichiro 2000
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