宮崎晃★プロフィール

生年月日/1934年10月27日

出身地/東京都

出身校/東京外国語大学ロシア語科  趣味/ゴルフ

1934年 東京都荒川区日暮里に生まれる。
二人兄弟の長男。

1953年 都立北園高校を卒業後、出版社で働くかたわら新劇の演
出家を志す。4年間の社会人生活の後、東京外国語大学ロシア語
科へ入学。

1961年 大学卒業と同時に松竹大船撮影所の助監督試験に合格
して入社。

1966年 野村芳太郎監督の「おはなはん」や山田洋次監督の最高
傑作の一つと言われている「なつかしい風来坊」の助監督を務める。

1967年 山田洋次監督の「九ちゃんのでっかい夢」「喜劇・一発勝
負」の助監督を務め、脚本も執筆。

1968年 野村芳太郎監督の「白昼堂々」の助監督。

同年 30年近く松竹の看板映画となった山田洋次監督の「男はつ
らいよ」の第一作目に助監督として参加。その後計7本の寅さんシリ
ーズに助監督として参加。山田氏と脚本を共同執筆する。この頃か
ら「花くれないに」「父と子と」「青葉繁れる」などのテレビドラマの脚
本も手掛けるようになる。

1970年 脚本とチーフ助監督として参加した「男はつらいよ・望郷
篇」でキネマ旬報脚本賞、毎日映画コンクール脚本賞を受賞。
(この作品はフーテンの寅次郎が定職につくというシリーズ中の異
色作だった)

1971年 監督に昇進。第一作「泣いてたまるか」でデビュー。
コント55号の坂上二郎が役者として認められたのもこの映画からと
言われている。

1975年 戯曲『青い鳥』をベースにした「想い出のかたすみに」の監
督。出演:中村雅俊、檀ふみ、浅丘ルリ子、水谷豊ほか。撮影期間
17日で撮り上げる。

1975年 「友情」監督。松竹八十周年記念映画。渥美清と中村勘九
郎が主演。なぜかスピルバーグの出世作「激突!」と2本立て公開
だった。翌76年を転機に日本映画はプログラムピクチャーの量産
体制から大作一本立て路線へと急速に移行する。

松竹の契約監督になる。

1977年 友人の紹介により、遠藤政治監督のテレビアニメ「あらい
ぐまラスカル」の脚本を担当する。当時、共同監督だった斎藤博氏
と出会う。

1978年 引き続きアニメ「ぺリーヌ物語」の脚本を手掛ける。斎藤
監督と本格的にコンビを組んだ第1回目のシリーズ。

1979年 三本のアニメのスペシャル「怪盗ルパン813の謎」「まえが
み太郎」「あしながおじさん」の脚本を担当。

この頃、結核で入院。1980年のアニメ「トム・ソーヤーの冒険」は第
9話から参加。マーク・トウェインの別の作品からヒントを得るなど趣
向を凝らす。

1980年 NHKのドラマ「海辺の家族」の脚本。

1981年 今井正監督の劇場用アニメ「ゆき」の脚本担当。

1982年 アニメ「南の虹のルーシー」の脚本。原作の内容を大幅に
変更。ほとんどオリジナル脚本と言って良い内容に仕上げる。

1984年 アニメ「牧場の少女カトリ」の脚本。原作は一部のシチュエ
ーションのみ使用。結末も違うので、オリジナルと言って良い。

1986年放映のアニメ「オズの魔法使い」のシリーズ前半の脚本。
斎藤博氏とは珍しく別パートを担当。

同年 「青春アニメ全集」の「坊っちゃん」「放浪記」「怪談・芳一もの
がたり」「姿三四郎」の脚本を手掛ける。

1987年 アニメ「愛の若草物語」の脚本。監督は黒川文男氏。「赤
毛のアン」の作画監督、近藤喜文氏が8年ぶりにキャラクターデザ
インを手掛けるということで話題になった。

1988年 アニメ「新グリム名作劇場」の「ラプンツェル」「狼と狐」「ホ
レのおばさん」「姉と弟」「熊の皮をきた男」「うさぎとハリネズミ」「み
そさざいと熊」「妖精の名前」の脚本を手掛ける。

1989年 アニメ「あひるのクワック」のシリーズ構成と脚本。水質汚
染や捕鯨の問題など社会的なテーマを扱ったストーリーが多かっ
た。原作者からもその手腕を高く評価された。

1990年 第1回ファンタジーノベル大賞の受賞作「後宮小説」(原作
・酒井賢一)をアニメ化した「雲のように風のように」の脚本。

1990年 三度目のアニメ化となる「楽しいムーミン一家」のシリーズ
構成と脚本を担当。原作のエピソードを半年で使いきったため、後
半のオリジナル・ストーリーを作るのが大変だったらしい。92年の劇
場版にも参加。

1992年 アニメ「大草原の小さな天使ブッシュベイビー」の脚本。

1993年 「ある愛の譜 滝廉太郎物語」の共同脚本。
1994年 アニメ「邦ちゃんの一家ランラン」脚本。
’75年以降は大学の映画学科の講師をされるかたわら脚本を執筆。ファンとしては、内容の薄いドラマ作品が蔓延している現在だからこそ、宮崎さんの新作を切望しています。

 

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