松村禎三さんの思い出

「松村禎三氏の死を惜しんで〜心からの感謝を込めて」

 松村禎三さんが旅立たれた。『序奏と協奏的アレグロ』をはじめとする沢山のオーケストラ曲、「巡禮〜ピアノのための」などのピアノ曲、熊井啓監督「海と毒薬」「深い河」「日本の黒い夏」、黒木和雄監督「浪人街」「父と暮せば」などの映画音楽、芝居の付帯音楽、そして、たった一曲のオペラ「沈黙」を残して。
 若い頃、結核を患っていらっしゃって、この7〜8年は酸素のボンベを手放すことの無かった松村氏は、併発される病気を克服されながら入退院を繰り返されていたが、終の病床でも新しい作曲の構想や予定を口にされていた。天に召された8月6日の翌日、ご自宅の仕事場に横たわる松村さんにお別れをしてきた。いつものように小首を傾げたまま穏やかに休まれていた。
 私が1995年、芥川也寸志さん作曲の「ヒロシマのオルフェ」を東京室内歌劇場の公演で手がけたとき、終演後も帰られることなく、感想を述べられるために楽屋口で待っていてくださったのが、最初の邂逅であった。その折り「作品の持つメタファーが、正しく視覚化されている」と、大変褒めていただいたのを今も鮮明に思い出す。若い頃の結核の治療の影響で、少しばかり片方の肩を下げられて、小首を傾げて立たれる松村さんの姿がそこにあった。
 それ以来、新国立劇場での2000年の「沈黙」のプロダクション。2003年のザ・カレッジオペラハウスでの公演。翌年の歌曲を集めたコンサート。2005年の新国立劇場への招聘公演、大阪凱旋公演。ずっと松村さんと共に「沈黙」という時間を共有させていただいたように思う。
 大柄な体躯で、歯に物を着せぬ物言い、しっかり相手の目を見据えて、納得のいく答えが出るまでは、相手を離さない。こういった執拗なまでのこだわりは、書かれた作品にもよく現われている。構造的に骨太で、その一方歌謡性に富んだ美しいメロディー。室内楽的な響きから、トーンクラスターに至るまでの幅広いダイナミックレンジ。それらの特徴は、構想から初演まで13年を数えたオペラ「沈黙」の中にも、好く生きていると思う。
 遠藤周作氏の原作からオペラ用の台本を作る課程で、様々な方に声を掛け、或いは実際に執筆された台本を手にされても、納得いかず、結果、奥様である久寿美(くすみ)さんと骨格を練り、お二人で書き上げた台本に作曲。松村さんは決して多作の作曲家ではないが、作曲の筆は速く、初演までの13年間は、まさに新しいオペラを実現するための産みの苦しみに費やされた。作曲の委嘱をしたサントリー音楽賞と縁のある指揮者、若杉弘氏、演出家、鈴木敬介氏の力を得て1993年に日生劇場で初演される。
 それだけ多くの人の手と時間を経て完成した「沈黙」は、しかし、その音楽の緊張感や集中力の高さゆえ、直ぐには松村氏の満足のゆく公演には辿り着けなかった。95年の改訂、再演を歴て、我々は沈黙と出会う。 
 ザ ・カレッジオペラハウスの「沈黙」の上演に至る過程では、こんなエピソードもあった。ロドリゴの捕縛に至るシーンでは「焼けるような陽光が足りません。転換にもっと時間が必要なら、明日の朝までに必要な秒数分を作曲します。」 また、終幕の踏み絵のシーンでも「もちろん作品は最終的に作曲家の手を離れるものです。でも私の眼の黒いうちは、このままの演出では許せません。」「神から射す光は一箇所からでなければなりません。」「あの照明では私には神が感じられません。」 何度となく交わした言葉の数々。先ほどまで疲れたように客席に崩れ落ちていらした松村さんが、すっくと立ち上がられ、拳を握り天空に突き上げ「こうやって神に訴えるのです」と演じられる。自分の作品を実現させるための執拗なまでのこだわり、明快な見識。作品のために力説されて、必須であった酸素ボンベをの口を3時間近く開けるのを忘れて、栓をしたままで、稽古に立ち会われたこともあった。それは、上演を準備する我々がたじろぐほどの激しいものだ。我々もまっすぐに作品と作曲者に向かい合った。我々にとっても幸せな時間であった。ましてやそれを再び東京に持っていき、我々が作品にどう向き合ったかを示すことができたのだから…。
 やがて迎えたザ・カレッジハウスでの公演をご覧になり「作品の背中を見たような気がしました」と、ホットした表情をされた松村さん。奥様の久寿美さんも陽気に「禎さんが望んでたように、やっと実現できたわ。嬉しくって今晩、死んじゃってもいいくらい」と談笑された
 ザ・カレッジオペラハウスで、松村さんが望んだとおりに言葉が明瞭に聞き取れ、高い芸術性を保ちながら、娯楽性すら示すことの出来た「沈黙」。「素晴らしい作品だけれど、一回見ればもう結構」ではなく、重い内容ながら、繰り返し再演を望まれ、何度も観客に足を運ばせる作品としての転生に立ち会った我々は、この「沈黙」を再びいつか世に問う使命を持っているのかもしれない。
 松村さん、心から、ありがとうございました。安らかに天上でお休みください。貴方の作品と思いは、今も生き続けています。(2007年9月6日)