懲りない猫に訪れた運命

例の黒猫は(名前は「先生」というのですが)、家中のあちこちに小便をしていました。そういう時期が年に2回ほどありました。おそらく発情期なのでしょう。羽毛布団の上、大切な本の並んでいる本棚、食卓、パソコンのキーボードなど、やられると困るようなところに平気でするのです(いや平気かどうかはよくわかりませんが)。

そんなところに小便をしたときには当然厳しくしかりつけます。猫を飼ったことのある方ならご存じでしょうが、猫の小便というのは臭いがきつく、腹立たしさもひとしおです。場合によっては殴ったり蹴ったりと、動物愛護協会員には見過ごせないようなこともします。こちらとしては、楽しんで先生を虐待しているわけではなく、猫のトイレ以外で小便をするのがいけないことなのだということをはっきりと思い知らせるつもりでやっているわけです。半分くらいは腹立ちまぎれですが。

しかし、猫はやめてくれない。

最初僕は、猫はなんと愚かな動物なんだろうと思いました。犬だったらあれだけ叱られれば、二度とやらないだろう、それができない猫はバカな生き物だと。ところが、よく観察してみると、事情はちょっと違うようです。猫は理解しているのです。いけないことだと理解している。なぜなら、小便をしようとしていいるところへ僕が近づくと、殴られることを警戒し、いっそう近づくとさっと逃げ出す。叱られるということはわかっているのです。わかっていながら、あちこちに小便をしている。いわば確信犯。いや、猫のために弁明するならば、悪意をもってあちこちに小便をするのではなく、本能からやむにやまれずやっているということなのでしょう。猫の論理と人間の論理の衝突ということです。

そこで僕は決心しました。猫の去勢を。マンションのような密室空間で猫と人間が平和に共同生活を営むには、どちらかが折れなくてはならないということがわかったのです。こっちが小便だらけの生活になれる、という道もあるわけですが、さすがにそこまではできない。商売道具のパソコンにまでやられたのではたまりません。ここは先生に折れてもらうしかないのです。

約1万円の手術代がかかりました。朝、動物病院に連れていって、夕方には連れて帰ることができました。まだ子猫のときに家にまぎれこんできた先生は、何度か発情を迎えましたが、ついに一度も思いを達することはできずに、その能力を奪われる結果となりました。そのことについては同性として大いなる同情を禁じえません。先生よ、すまぬ。

去勢された先生は、最初の一日二日は元気がありませんでしたが、やがて若返ったようになりました。転がるビー玉にじゃれたり、家の中をものすごい勢いで走り回ったりと、子猫のころしかやらなかったことを再びやるようになったのです。彼のしぼんだ「袋」を見るたび、申し訳ないという思いが脳裏をよぎるのですが、ともかくもトイレ以外で小便をすることはほとんどなくなり、猫と人間の間の平和は取り戻されました。こっちはこの結果にまずまず満足していますが、彼がどういう思いでいるのか、あるいは何の感慨もないのか、その辺はよくわかりません。

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