風呂上がりにローリングストーンズを聴きながら、このバンドが好きだった友人のことを考える。彼は数年前に自殺したのだった。それほど仲がよかったわけではないが、学生時代からともにローリングストーンズが好きで、ベストヒットUSAでストーンズの特集などがあったりすると二人して見たりしたものだ。ギターはこちらのほうがうまかったが、アンジーの出だしのところの弾き方を教えてくれたのは彼だった。いまも一人でアンジーを弾いたり、街を歩いていて有線などで聞えてきたりすると、胸を突かれるような思いがする。
ストーンズがこんなに長く現役を続けるとは、いやメンバーが生き続けることさえ60年代には誰も考えなかったのではないだろうか。メンバーで死んだのはブライアン・ジョーンズという天才肌で子供っぽくてわがままな男だけだ。ドラッグに溺れた末の変死だった。
自殺した友人も、わがままというわけではないが、どこか気難しいところがあった。陽気にふるまっているかと思えば、ひどく攻撃的になることもあった。周りの者はそういう彼に若干気を使っていたように思う。人間には感情をコントロールできなくなることがあって、そういうときはわがままをとおさせてもらうしかない、それしかやりようがないときがある、そういう話を二人でしたことがあった。それは学生のときのことで、僕は大学1年のときに経験したうつ病の状態を思い起こしながら話していたのだが、彼のほうは具体的にどういう経験をベースに話していたのだろうか。「わかってくれたのはおまえが二人めだ」と最後に彼は小さな声で言っていた。
彼が女にもてたらしいことは、僕には多少の救いのように思われる。女は、その期間はいろいろだろうが、男に幸せを与えられると思うからだ。彼も幸せな時間を持てたことだろう。
風呂上がりにローリングストーンズを聴きながらそんなことを考えた。
1998/2/5
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