やれるところからやる

世の中(社会)は結局のところ個人の集まりだ。世の中が悪くなったのだとしたら、それはその世の中を構成している個人が悪くなったということだろう。しかしともすれば僕らは自分と世の中を別のものとして考えてしまう。 たとえば政治の腐敗を嘆く人は多いと思うが、そういう腐敗した政治家を選んでいるのは僕らだ。腐敗を憎むなら、すこしでも腐敗から縁どおい人を選別して投票すればいいのに、実態はそうじゃない。企業ぐるみ選挙、地縁・血縁がらみの投票などで、選挙の結果が決まっている。そんなことでは政治家が腐敗して当然だと思う。

環境問題もそうだ。ゴミの増加、大気汚染などをうれうなら、そういうことに繋がる生活スタイルをまず自分から改めるべきだ。使い捨ての製品や過剰包装の製品を買わない。車は乗らない。物を大切にする。そういう生活スタイルに変え、子供にもそれが当たり前と思わせる。周りの人にもさりげなく主張する。

官僚の腐敗について怒っている人は多い。しかし天下りやら接待やらは、日本的な慣習の延長線上にあるように思える。規模はいろいろあるにしろ、似たようなことは日本の企業の中では珍しくないのではないだろうか。接待をしてくれた業者に便宜を図るとか、情実で人事が決まるとか。私人がやっても問題ないが公務員なら法律に反するということもあるだろう。しかし行為の根底にある心根が同質なのだとしたら、僕らはその根底の部分から見直していく必要があるのではないか。

世の中をよくするには、自分がまず変わらなくてはならない。僕にはそれができているだろうか。自分が望むような世の中にふさわしい生き方を自分はしているだろうか。残念ながら、できていない、していない、いまのところは。しかし、やれるところからやりたいと思う。あなたもひとつ、どうですか。

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