<戦争>は遠い日の花火ではない

ある女性から聞いた話だ。

彼女は十代のとき、故郷の長野県を離れて家族とともに満州へ開拓団の一員として移住した。敗戦まぎわ、ソ連兵が攻めてくるという情報を得た開拓団の人々は、満州からハルピンまで死にもの狂いで逃げた。関東軍は開拓団を置いて逃げ出していた。実はすでに戦争は終了していたのだが、そのことを知らない開拓団の人々は逃げるしかなかった。彼女の祖父は、逃走のさなかに行方不明となり、帰らぬ人となった。

開拓団はソ連軍に遭遇し、戦争が終わったことを知らされた。そして武装解除され、ハルピンに収容された。コーリャンと、日本軍の残した切り干しダイコンしか与えられない生活が数カ月続いた。

やがて日本に帰還する日がやってきた。彼女は家族と別れ、病人を運ぶ船に付き添いとして乗り組むことになった。日本には到着したものの、船内でコレラが発生し、上陸まで1カ月待たされた。やっとのことで長野へ戻り、家族と再会したのもつかの間、数日後には、まだ焼跡の残る大阪で、住み込みで働きはじめた。

彼女の父親は軍人だった。出征し、ソ連軍に捕まり、戦後はシベリアで働かされた。森林伐採の最中、木の下敷きとなって亡くなった。このことは生還した仲間から伝え聞いたそうだ。

彼女は同県の男性と結婚し、一女と一男をもうけた。その一女というのが、いま僕の妻となっている女性だ。

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