チャイナドレスと戦場のメリークリスマス

上海での1週間で僕たち3人は疲れ切っていた。暑さ、湿気、人混み。寝泊まりしているホテルも居心地がいいとは言えなかった。ホテルとは言っても、僕たちが泊まっていたのはドミトリーといって、大部屋にベッドが数十も並んだだけのものだ。冷房はかかっておらず、シャワーも共用。それもコンクリートの打ちっ放しで、水しか出ない、そんなシャワールームだ。飲料用の水がポットに入れて部屋の隅に置いてあったが、塩素がきかせすぎてあって、飲んでいるうちに喉が痛くなるしろものだった。日々大量に流れ出る汗で失われる水分を、僕らは食事どきのなま暖かいチンタオビールと、街頭で売られているライチーで補った。

そろそろ移動すべきだ。そう判断した僕らは、上海から汽車で2時間ほどのところにある杭州へ行くことにした。西湖という有名な観光地を擁する町だ。ぐったりとした体にむち打つようにリュックを担ぎ、巨大な汽車に乗り、車中で中国人と筆談+身振り手振りでの会話をそれなりに楽しみ、杭州へ到着したのはちょうど昼ころだった。

駅からホテルを目指して僕らは歩き出した。強い真夏の日差しの下、リュックの重量が何倍にも感じられた。2、30分も歩いたところで、忍耐力のメーターはレッドゾーンを振り切ろうとしていた。もうどうでもいいから、路上に座り込んでしまえ! という精神状態に達した瞬間、目の前にホテルがあるのに気づいた。僕らが目指している安ホテルではなく、一級の観光地にふさわしい一級のホテルらしき外観を誇る立派なホテルだ。「ここで一休みしよう」異論を挟む者はいなかった。

自動ドアを通った瞬間、エアコンで快適に冷やされた、湿気のない空気が体を包み込んだ。地獄から生還した気分になった。ホテルの内部は外観の印象を裏切らない豪勢な、そして品のある作りだった。長身の美しい女たちが数名、優雅な身のこなしでロビーを歩いていた。彼女たちは光沢のあるチャイナドレスを着込み、歩を進めるたびに、足もとからふとももの半ばあたりまである細い切れ込みからわずかに肌を露出させるのだった。地獄から生還したばかりでなく、自分は天国にまで来てしまった。

リュックを下ろし、ロビーの一角にあるソファに深々と腰掛けた僕らは、それぞれ好みの飲み物を注文した。ほどなくして出てきたそれらは、当時の中国としては珍しく、十分に冷やされていた。涼しい空気、よく冷えた飲み物、涼しげなチャイナドレスの女性たち−−ほとんど恍惚となっていた僕らの耳に、心地よい、懐かしさを伴うBGMが聞こえてきた。聞き覚えのあるピアノの旋律。坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」だった。その曲が終わるまで、僕たちの恍惚は続いた。

もしかしたらそれは、日本人然とした僕らの、疲れ切った様子を見ての、ホテルマンのサービスだったのかもしれない。僕らはちょっとした幸福感を胸に、再びリュックを背負い、ホテルをあとにした。チャイナドレスに後ろ髪を引かれる思いで。それからほどなくして僕らは目的のホテルへ着き、狭く硬いベッドへと身を投げ出した。

(1999.2.11)

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