3月

約束の午後7時ちょうどにその駅に着いたときには、すでにSは改札に立っていた。Sは手に切花の束を持っていた。近くの喫茶店に入り、軽く食事をする。その店で洋菓子を買い、Hの家へ向かった。

その家は丘というのか小山というのか、斜面に設けられた階段を数十メートルほども登ったところにある。ここを登るのは何度目だろうか。毎年この時期に、僕は友人とともにHの家を訪問する。そこにはHの母親が一人で住んでいる。

Hの母親は我々を歓迎してくれた。花と菓子を仏前に供え、我々は線香をあげた。そしてHの母親の用意してくれた発泡酒を飲みながら、Hの思い出や、それぞれの最近の暮らしぶりなどを話し合う。Hの思い出を語るときの母親の表情には、かげりはなかった。それがかえって彼女の乗り越えたものの大きさを感じさせるように思えた。来年はHの七回忌で、近くの寺で法要を行うつもりだと母親は語った。来年もここへ来ることを約束してSと僕はHの家を後にした。

階段を下る途中でSが立小便をした。それを待ちながら、考える。何のために自分はこのように毎年Hの家を訪問するのだろうか。自分は信仰のある人間ではない。線香をあげることがHにとって何か意味のあることだとは思わない。Hの母親を喜ばせたいからという気持ちはあるが、それだけで行くわけではない。行かずにはいられない、そういう気持ちが自分の中にあるような気がする。

京浜急行に乗り、横浜駅についたときには10時を過ぎていた。Sを誘っていくつものネオンの方へ歩く。Sが外国人女性のいる店の看板を見つけ、二人してそこへ入った。ウィスキーを飲み、隣についたフィリピン人女性と話したが、あまり盛り上がらなかった。Sのほうは、珍しく積極的に振舞い、楽しんでいたようだった。セット料金で飲める1時間が経ったところで我々は店を出て、横浜駅で別れた。

一人になると、再び先ほどの疑問が沸き起こってくる。親友というほどの仲ではなかったHのことがどうしてその死後何年も気にかかり続けるのか。電車に乗っている間も駅から家に向かって歩いている間も、そのことが頭を離れない。どちらかというと自分は薄情なほうだと思うのだが、Hのことをふと思い出し、「なぜだ?」と叫びたいような気持ちになったり、立ち止まって泣きたいような気持ちになったりすることがいまもある。いまだに自分は彼の死を受け入れきれていないということなのだろうか。

駅からの家路の半ばで国道246号線に出る。吉野家を過ぎたところの歩道脇にいつも花が置いてあり、その夜も牛乳瓶に小さい花が差してあった。テレビか何かで見た、家族や仲間の死骸のもとをなかなか離れようとしない野生動物の姿が目に浮かんだ。自分も、いつもそこに花を置いている誰かも、そんな野生動物の姿とオーバーラップするような気がした。見上げると、欠けた月が滲んで見えた。

(2000.3.16)

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