ある手術の話

 はたしてこんなことをウェブで公開していいものかどうか迷うのだが、何か記録を残しておきたいという本能でもあるようで、その衝動を抑えきれない。そこで、自分が受けた包茎手術についてここに記しておこうと思う。

 誤解のないよう最初にはっきりと断っておきたいのだが、自分はもともと包茎ではない。だから本来なら包茎手術など受ける必要はないのだ。しかし、あるいきさつからそういうことになってしまった。そのいきさつから説明しなくてはなるまい。

 あるとき、亀頭の首まわりが赤く腫れていることに気付いた。そしてそれは、性行為の際に少々痛んだ。たまたま激しかった行為によってできたもので、いずれ直るだろうと、当初は考えた。しかしそれは直らず、何週間もそのままだった。

 泌尿器科で診てもらったところ、余っている皮のせいだという。以前はこんなことはなかったと反論すると、歳をとると皮膚の弾力が失われくる、そのせいだ、よくある症状だという。○日後に手術しようとも言われた。いままで一度も手術など経験したことがなく、突然の話でもあったから、しばし躊躇したのだが、以前から世話になっている医者の言葉なので、信じることにした。

 当日、指定の時刻へ病院を訪れる。外来の受付はとっくに終わっている時間だ。受け付けには私宛てのメッセージが紙に書いて置いてあった。ナースセンターへ行くようにとある。ナースセンターへ顔を出し、名を名乗ると、そこにいた看護婦が私を診療室へと導いた。

「まわりの毛を剃りますから、ズボンを脱いでください」

 言われたとおりにすると、看護婦が何かを陰部へ塗りつけて安全剃刀で毛を剃りだした。なんだかしみるのだが、直視する気になれなかった。終わったのを見てみると、なんとシェービングクリームを使っていた。しみるはずである。

 次に手術室のほうへ。まず、更衣室で全裸になり、渡されたスソの短い白い服に着替える。それは各部が外せるようになっているので、手術個所を必要に応じて露出できるのだろう。今回の手術ではスソをめくるだけだろうが。その姿で手術室の手術台の上に横たわる。部屋には医師一人と看護婦一人。

 手術台は十字架のような形だった。腕を水平に伸ばすように言われ、それぞれベルトで固定された。両足もベルトで固定。まさにハリツケにされたような具合だ。手術中に暴れたりすると医者の手元が狂って危険だから、ということだろうか。私は2000年前にハリツケになった男のことを思い浮かべた、というのは嘘で、私が思う浮かべたのは人造人間にされるべく手術台に拘束された仮面ライダーの苦しむ姿だった。上を見ると大きなライトが二つある。テレビの手術シーンなどでおなじみの奴だ。これで手術個所を明るく照らすらしい。

 最初に行われたのは、消毒だ。コップにたっぷり入れた消毒液がペニスに塗りたくられた。医師の手つきは少々荒く、痛かった。そして麻酔が注射された。どこに注射されたのだろう。最後まで自分は現場を見ず、始終天井をにらみつけていたので、詳細は不明だ。痛いことは痛かったが、通常の注射とそれほどの違いはなかった。

 それからほどなくして執刀が始まった。何を使っているのだろうか。シュッ、シュッという音がするだけで、痛みはない。そして何か焦げるような臭いがしてくる。レーザーメスを使っているのだろうか。基本的には痛みはなかったのだが、ときどき麻酔のかかっていない個所がやられる瞬間があり、そのときはうめいてしまう。それも痛みというほどのことではないのだが、場所が場所だけに、刺激が強く感じられるのだと思う。ときどき医者が看護婦へライトの位置を変えるように指示する。ちなみに看護婦は若くてかわいい女性で、それが始終手術個所を注視している。妙なシチュエーションだ。

 30分くらいその作業が続いたように思う。作業は縫う工程へと進む。これがまた長かった。2、30分くらいやっていたのではないか。この段階ではそれまでの緊張感は失せて、医者は世間話をしだした。こちらもそれに応じて、たまには看護婦も話しに参加する。話している内容はまったくの世間話なのだが、こちらはペニスを露出し、医者がそれを縫っているという状況下でのことで、なんだかおかしかった。

 縫い終わったら、そこにグリースのようなものを大量に塗り、それを包帯で巻いた。そのあたりの状況は一瞬だけ見た。ペニスの胴回りをバラ線で巻いたように、縫い糸が取り巻いている痛々しい姿が目に入った。

 すべて終わって病院を出たときには、二時間近く経っていた。

 二日後、経過を診るために再度病院へ。ペニスはかなり腫れていたのだが、それはすぐに治るとのこと。糸は1、2週間くらいで自然に落ちるとも言われた。

「大事な話だけど、治ってもヤったらだめだよ。一ヶ月はヤったらだめ。2週間くらいできれいになるけど、ヤったら傷が開いちゃうからね」

 この話が一番ショックだったかもしれない。

(2000.12.1)

[戻る]