グリンチ

 家族で映画『グリンチ』を観てきた。テレビコマーシャルの雰囲気から、『グレムリン』のようなストレートな娯楽映画を予想していたのだが、そのような面も備えつつもさらに奥深いものを感じさせる映画だった。奥深い、というのも当てはまらないか。なんというか、主役であるグリンチが精神的に異様に病んでいるさまが描かれていて、それが印象深かったのだ。

 簡単にストーリーを紹介しておこう。フーヴィルという架空の小さな街がある。そこに住むフーという人々は、ネズミのような顔をした人間。彼らは平和に暮らしているのだが、山の上に住むグリンチを恐れている。グリンチはもとはフーヴィルの子供として育ったが、ほかの子供とは違って体は緑色で、全身毛むくじゃら。クリスマスのパーティでフーの子供たちにいじめられ、山の上で一人住むことになった。以来グリンチはクリスマスを何よりも憎むようになっていた。そしてある年のクリスマス…、というふうに物語は進んでいく。こういう説明だと、なんだか弱々しいグリンチのイメージが湧くかもしれないが、人間離れした力、運動神経、そしてマッドサイエンティスト(キチガイ博士)風の頭脳の持ち主なのだ。

 強く印象に刻まれたのは、グリンチの超躁病的な暴れ方、そして極端な自虐性。たとえばグリンチが自分のスケジュール帳を見ながら独り言を言うシーンでは、4時半からは自己嫌悪の時間だからなあなどと言ったりするのだ。街から聞こえてくるクリスマスソングが嫌だからといって、4つのジューサーにガラスや金属をぶちこみ、道路工事で使う削岩機に乗って飛び跳ね、しまいにはシンバルを打つ巨大なサルのおもちゃにシンバルを叩かせ、自分はそのシンバルの間に頭をつっこむ。フーヴィルの電話帳を手に崖の上に立ち、アルファベット順に一人ずつ名前を読んでは「○○が大嫌いだー」と絶叫する。そういったことを主演ジム・キャリーのいつもの、いつも以上の躁病的な過剰な演技でやるのだ。童話やファンタジーの評価のしかたとして「ちょっと毒がある」という言い方はよくされるが、この映画は毒があるどころではないのだ。それでいて全体としては、子供向けの心温まるクリスマス映画というまとめ方になっているのだから始末が悪い。かなり大人の観客も意識した作りなのではないだろうか。ご覧になられた方は、どう思われただろうか。(2000.12.28)

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