このところブルース・スプリングスティーンを聴いている。CDからMP3に落としたものをiMacで再生しているわけで、再生リストにしたがって、クラプトン、U2、ブルース・スプリングスティーン、最後はベートーベンの月光という順番で鳴っていく。 この組み合わせを許容する人は、ロックミュージックファンの3%くらい、クラシックファンの1%くらいはいるのではないだろうか。そういう人はメールをください。
それはさておき、ブルース・スプリングスティーンだ。聴いているのは、妻がプレゼントしてくれたTRACKSというCD4枚のボックスセットだ。これはこれまでのアルバム制作において作り、アルバムの主題との関係で収録されなかった、そういう曲を集めたものだ。できが悪いから収録されなかったというのではないということは、聴いてみれば明らかだ。というか聴けば聴くほどそれがよくわかる。だからこのCDを繰り返し繰り返し私は聴いている。このボックスセットのことは、雑誌でその存在を知り、一度だけ妻にちらっと話しただけだったのだが、妻はそれをよく覚えていてくれて、あるときにプレゼントしてくれたのだった。私にとってすばらしい贈り物となった。
ブルース・スプリングスティーンは、それほど多くはないがベストテンに入るヒット曲をもち、米国の音楽業界ではボスの愛称で呼ばれ、いわばロックミュージックの代表的アーチストの一人といってよい存在だ。しかしその魅力は、ファン以外の人にはかなり偏った形で理解されてしまっているように思える。というのも、彼がメジャーな存在からいわば超メジャーな存在へとなるきっかけが、「ボーン・イン・ザ・USA」という絶叫型の曲の大ヒットだったからだ。また、彼の初期の代表曲が「ボーン・トゥ・ラン」(明日なき暴走)というスピード感溢れるロックンロールだったからでもある。彼をあまり聴かない日本のロックファンはハウンドドッグの大友康平を何倍かしたような存在がブルース・スプリングスティーンだと理解しているかもしれない。それはまったくの間違いだとは思わないが、ブルースの一面を捉えた見方にすぎないのだ。たとえて言うなら、彼には、大友康平だけでなく、尾崎豊も佐野元春も入っている(日本人アーチストで言うならばの話だ)。
アーチスト(芸術家)という言い方は、ブルース・スプリングスティーンには似合わない気がする。その言葉のイメージよりももっと職人的、悪く言うと芸人的な感じがするのだ。その歌の内容にあわせてあるときは絶叫し、あるときはささやくように歌い、あるときは苦しげにうめいてみせる。けなしているように聞こえるだろうか。しかし彼の歌は、ぎりぎりのところでくさい芸能にはならず、リアリティのある表現として人の心を打つものになっていると思うのだ。
それはなぜだろうか。一つはヴォーカリストとしての圧倒的な表現力だろう。そして米国文学の伝統を感じさせる簡素でイメージに富む歌詞、最後はメロディそのもののよさ。これじゃ、結局全部いいと言っているだけだな。まあ、もしあなたが、ブルース・スプリングスティーンというと「ボーン・イン・ザ・USA」を連想するという人ならば、彼にはその逆方向の、ゆったりとした曲調で、切ないような歌詞の、すばらしい曲もたくさんあるということを伝えたい。私が彼に惹かれる最大の理由は、そこにあると思う。沈んだ気持ちのときにそのような曲を聴くのは、貴重な慰めだ。そういう部分では、自分が大江健三郎の作品を好むのに似た感じがある。
「ボーン・イン・ザ・USA」のことを挙げたのは、ヒットした曲であるし、絶叫型の曲でもあるので、もしかしたら「おいらはアメリカ生まれさ! 車でぶっ飛ばそうぜ、ベイビー」みたいな感じで受け止めている人もいるかもしれないと思ったからだ。その題名からか、この曲はレーガン大統領の選挙にも利用されたりしたらしいのだが、歌詞をよく読んでみれば大統領が喜ぶような能天気な米国称揚の歌でないことがわかる。誇らしげに「オレはUSAに生まれた!」と叫んでいるのではなく、「このような悲惨なUSAにオレは生まれてしまったのだ」というやるせなさからの絶叫が、この歌の姿といっていいだろう。
ブルース・スプリングスティーンの魅力という話に戻ろう。静かな切なさを感じさせる作品がよいといった。ヒットした曲でいうと「ダンシン・イン・ザ・ダーク」などはそうではないだろうか。TRACKSでなら1枚目の「アーカンソーの女王」、4枚目の「サッド・アイズ」だとか「ルース・チェンジ」、「ブラザーズ・アンダー・ザ・ブリッジ」など。そんな歌の切なさが、夜などに一人で聴いていると胸のうちに染み込んでくるように感じられる。そのように慰めを感じている人は私一人ではないはずだ。
その一方で、ある種の高揚感を覚えさせるすばらしい曲も多い。「ボーン・トゥ・ラン」がその代表か。「ボーン・イン・ザ・USA」もそうだろう。TRACKS1枚目の「都会で聖者になるのはたいへんだ」、「サンタ・アナ」なども。「サンタ・アナ」はTRACKSの中でもとくに気に入っている曲の一つだ。高揚感といっても、けっしてストレートなものではない。上質のロックだけが持っている奥行きのある高揚感とでも言おうか。正確には曲を聴いてもらうしかないのは当然のことだが、なんというか聴くものを圧倒するような魅力がこの曲にはあると思う。その冒頭近くにこういう歌詞がある。
Where the Giants of Science fight for tight control(科学の巨人たちが覇権を競った場所)
Over the wildlands of New Mexico(ニューメキシコの荒地をめぐり)
Sam Houston's ghost's in Texas fighting for his soul(テキサスのサム・ヒューストンの亡霊が彼の魂のために闘っている)
イメージの化学反応とでもいうべきものが感じられないだろうか。
深夜、彼の曲を聴いていて、何か書いておきたい気持ちになってこの文章を書いた。(2000.12.29)
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