聴いたこともないアーチストのCDだったが、ポリスのEvery Breath You Takeという曲のカバーが入っていたので図書館で借りてきた。ジュリアナ・ハットフィールドという名前の女性シンガーのビューティフル・クリーチャーというタイトルのCDだった。
いっしょに借りてきたキース・リチャーズのソロアルバムは最後まで聴くことができなかったのに、ジュリアナのCDは日に何度も聴くようになった。昔はキース・リチャーズのソロは大好きだったのだが。年齢によって音楽の好みも変わるということだろうか。
ジュリアナ・ハットフィールドの音楽は、そのCDについてだけいうならば、パンクくずれのけだるいアコースティックロックといった感じの曲が多いのだが、おんなおんなした感じが全体に満ちていて、それが心地よいように思う。もちろんメロディやアレンジなどがいいのだろうが、この飽きのこない感じは、性的な要因があるように思う。ささやくような歌声、シャウトしたときのかわいらしい感じの声の絞り出しかた、そういったそこかしこにそれが感じられる。ジュリアナという名前からしてそうだ。ジャケットの写真からすると、本人はボーイッシュなタイプのようだが。
Every breath you takeは邦題は「見つめていたい」といって、80年代のはじめくらいに世界的に大ヒットした曲だ。自分もシングルを買ったはずだ。君が息をするたび、歩くたび、君のことを見つめている、というような歌詞なのだが、この歌詞についてはちょっと考えさせられることがある。当時学生だった自分は純愛の歌としか捉えられなかったし、歌をかいたスティングのところへも「すてきな愛の歌をありがとう」というような手紙がたくさん届いたそうだ。しかしスティングがいうには、これはそういう愛をたたえるような歌ではなく、愛する相手を束縛してしまう姿を批判的に描いたものなのだ。確かに歌の半ばで、わからないのかい、君はオレのものなんだ、というような歌詞も出てくる。そういう歌であるということをインタビューでスティングが語っているのを読んでも、僕はそれがよく理解できなかったものだ。
ところが、だ。今回ジュリアナがカバーしたこの曲を聴いていると、かつてよりはだいぶよく作者の意図がわかるような気がするのだ。それは一つには、ジュリアナがそれを意図して、曲の意味をより強調するようにアレンジし、歌っているということなのかもしれない。重くゆがんだ音のエレクトリックギターによる伴奏にそういった意図が感じられないではない。もう一つの理由としては、自分の成熟ということもあるだろう。人が人を束縛することの悲劇ということが、学生時代にはわからなかったが今はわかっている。かつてと今とではそういう違いがある。成熟というより、単に経験の積み重ねというべきか。
Every breath you takeという曲は、愛による束縛を批判的にとらえたものではあるが、それは客観的に突き放しての批判というのとは少し違うと感じる。そのように愛してしまわざるをえない人間(自分も含めての)の哀しみというか愚かさというか、それを表現しているように思う。少なくともジュリアナ・ハットフィールドはそのように歌っていると僕は思う。
ウェブでこの曲の歌詞を検索していたら、替え歌としてEvery Bomb You Makeというのがあるのがわかった。これは英国の80年代のテレビ番組であるスピッティング・イメージで作られたものだという。この番組には政治家やアーチストなど有名人に似せた人形が出てくるのだが、顔つきに極端なデフォルメがほどこされていて、写真を見ただけで笑えてくる。ここにその替え歌の歌詞が元歌といっしょに出ているのだが、こんな歌詞だ。お前が爆弾をつくるたび、仕事を得るたび、失恋するたび、すべてのアイリッシュが目覚めるたび、オレは見ている(監視している)。この歌詞を番組ではサッチャーやレーガンの人形が歌ったそうだから、英国人の皮肉というのはすごいものだ。
Every breath you takeという曲はいろいろなことを考えさせてくれる。
(2001.3.1)
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