詩の力

 このところ映画『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」(作詞:覚和歌子、作曲・歌:木村弓)をよく聴いている。聴くたびにいい歌だと思うし、いい映画だったと思う。もう一度観たいという気持ちになる。
 この歌を聴いて改めて詩の持つ力ということを考えさせられる。もしこの歌から詩を抜き取ってしまったら、どうだろうか。「いつも何度でも」は、よいメロディだし、歌声も演奏も気持ちいい。しかしそれ以上のものではなくなってしまうに違いない。詩と曲が一体になってはじめてこのような感動的な歌になるのだと思う。
 メロディや歌い方こそ穏やかなものだが、「ゼロになるからだ」「死んでいく不思議」「こなごなに砕かれた鏡」といった強い言葉が散りばめられたこの歌詞は、言葉の一つ一つが弾丸のように体を貫いていくような気がする。詩の力、言葉の組み合わせが生み出す力というものを強く感じさせる。
 「詩」というと、義務教育の授業で習うような高村光太郎や宮沢賢治などの詩であるとか、新宿駅西口に立つ女性が売っている詩集とか、なんとなくふつうの人の生活から縁遠いもの、読んでもリアリティの感じられないもの、そんなイメージを持っている人も多いのではないか。しかしそれは違うといいたい。歌謡曲の歌詞も、「いつも何度でも」の歌詞も、やはりこれは詩である。そしてその詩の力が、その歌が多くの人に受け入れられるのに大いに貢献しているはずなのだ。街を歩けばいろいろな歌があちこちから聞こえてくるはずだ。詩のよしあしこそあれ、この世界は詩に満ち溢れている。詩はわれわれの生活に浸透している。
 「いつも何度でも」を作詞したのは覚和歌子という作詞家だ。公式サイトによれば中山美穂、小泉今日子、酒井法子、SMAP、沢田研二などにも詩を提供してきた人とのこと。同サイトの日記コーナーには「いつも何度でも」が主題歌になるまでの奇跡のような話も出てきて面白い。(2001.9.11)

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