金縛りに関する夢の中での考察

 昨日、寝ているときに金縛りになった。そのさなかに考えたことがなかなか面白いと思うので、記録しておきたいと思う。

 寝ているときにフッと目が覚めて、目覚めているのに体がものすごい力で押さえつけられたかのように動けなくなる――これが一般にいわれる「金縛り」の実態だと思う。誰かに足を触られている感じがするとか、視野の外にはっきりと誰かがいる気配がするとか、誰かが布団の上にのしかかっているように感じるとか、そういう感覚が伴うという話もよくきく。

 昨日の金縛りのとき、自分はこう感じた。「俺はまだ夢の中にいる。いま目覚めていると感じているのは、夢の中で見た夢からの目覚めだ」と。夢の中の自分がさらに寝て夢を見る、いわば「夢の入れ子構造」ともいうべきことが可能なのかどうかはわからない。夢の中の論理だから、厳密には追求しないでもらいたいのだが、ともかくそれが可能だとして話を進めたい。

 まず現実世界の自分がいる。その自分が寝て見る夢のことをここでは「一次夢」と呼ぶことにしよう。一次夢の中には別の自分がいる。その自分が夢の中で寝て夢を見るとする。その夢を「二次夢」と呼ぶ。

  • 図 夢の入れ子構造
  •  さて、その夢の入れ子状態において、二次夢から覚めたとする。するとそれまで二次夢の中にあった意識は一次夢のほうに移行する。このとき一次夢の自分は、夢の中にいるにもかかわらず「目覚めた状態」という自覚を持つ。目覚めたから体を動かそうとする。しかし体は動かない。なぜなら、現実にはまだ体は眠っているからだ。意識は目覚めてはっきりしているのに、体が動かない。この驚きと不安が金縛りとしてわれわれが経験するものだ。言い換えるなら、意識の次元の錯誤が金縛りの正体ということになろうか。これが夢の中で考えたことだった。

     いまになって考えてると、おかしい部分もある。一次夢の中で動かそうとするのは、一次夢の中の肉体であるはずだ。だったら、一次夢の中で覚醒している自分は問題なく体を動かせるはずだというのは、すぐにも出てくる疑問だと思う。しかし、夢の直感を擁護するわけではないのだが、一段だけステップをあがれば現実世界へと戻れる一次夢においては、現実世界の肉体というのは夢の世界の肉体と直接的に結びついているといえるのではないだろうか。寝ているときでも五感は低レベルながらも活動していて、たとえば、寝ているときに周りで鳴っている音楽が夢の世界に影響を与えるということがある。あるいは、寝ている人の足に猫がじゃれつけば、夢の中でその人はライオンに襲われているシーンを見ることになるかもしれない。そんな具合に、一次夢の世界は現実世界と紙一重で接している。だから、一次夢の自分が、現実世界の肉体を動かそうとするということもあるだろう。実際、夢を見ながら現実の肉体を動かすということはよくある。そういうことが、二次夢から覚めたばかりに一次夢の自分にはできないのではないだろうか。ちょっと苦しいネ。

     夢の中では非常に魅力的だった事柄が現実世界に持ち込んだとたんに色あせて見えてしまうということは、よくあることだ。今回の夢の入れ子構造理論もまたその類か。(2001.12.14)

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