ゆきて帰りし物語

ゆきて帰りし物語とは、トールキンの『ホビットの冒険』に出てくる本の題名で、その内容は『ホビットの冒険』の主人公ビルボ・バギンズが自らの冒険を書き綴ったもの。その何十年か後の物語という設定で書かれた『指輪物語』は、いうまでもなく映画『ロード・オブ・ザ・リング』の原作である。

ところで、この「ゆきて帰りし」という言葉。これが頭に残る。

考えてみると、冒険や旅というものは、行って帰ってくるか、行って帰ってこないか、その二種類しかない。行って帰ってくる旅は、多くの場合、ハッピーなものだろう。いろいろあったが戻ってこれたよかったよかった、というわけだ。そして帰ってくることのできなかった旅、あるいは帰ってくることを選ばなかった旅は、どんな旅であっても悲しみがともなうのではないだろうか。唯一の例外は、いまの場所にいられなくなって旅立つ、新天地を求めての移動か。それは旅とは言わないかもしれないが。

『ホビットの冒険』では、主人公ビルボは帰ってくることができた。しかし何十年かの後、『指輪物語』においてビルボはふたたび旅に出てしまう。そして故郷に帰ることはなかった。その旅は「ゆきて帰りし」ものではなかった。『指輪物語』の主人公で、ビルボの甥にあ たるフロド・バギンズもまた、大きな使命を担っての旅に出るわけだが、その旅はどうであったか。長い長い旅を経てフロドは故郷に戻る。しかしビルボと同じく、帰ることのない旅に再び出発してしまう。帰らざる旅には悲しみがともなう。このようにな終わり方が、この物語にいっそうの余韻を与えるように思う。

人生はしばしば旅にたとえられる。ならばこの旅は「ゆきて帰りし」ものなのか、それとも「ゆきて帰らざる」ものなのか。

人は時間をさかのぼることはできず、生まれた瞬間から老いていく一方だ。そして世を去った人に、残された人が会う方法はない。そう考えるなら、人生は一方通行であり、「ゆきて帰らざる」旅だ。 また、こんな見方も可能だろう。人は無から生じ、無へと帰る。これなら「ゆきて帰りし」旅となる。

あなたならどちらの見方を選ぶだろうか。(2003.6.2)

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