「青空」について

 ブルーハーツというロックバンドの代表曲の一つである「青空」(作詞・作曲:真島昌利)に、こういう歌詞がある。

 生まれたところや
 皮膚や目の色で
 いったい、このぼくの何がわかるというのだろう

 有名な曲なので知っている人も多いはずだ。

 この歌詞がいわんとすることは明白だと思う。しかし、ネットを見ていたら、変な解釈をしている人がいた。生まれたところや皮膚や目の色から、いろいろなことがわかりますよーというのだ。

 そりゃ、いろいろなことは、わかるだろう。しかし、わからないことだっていっぱいある。というよりも、わかるのはその人のほんの一部分だけであって、残りはまったくわからない。

 たとえば、どういう家族構成であるとか、どういう友達がいるとか、どういう音楽が好きだとか、どういう趣味があるとか、そんなことはわからない。想像はできるが、本当のところはわからない。誰を愛し誰から愛されているか、誰を尊敬し誰に尊敬されているか、そんなことはわからない。どういう善をなし、どういう悪をなしたか、そんなことはわからない。生まれたところや皮膚や目の色では、そんなことはわからない。

 そして、わからないというのに我々は人を差別する。差別してきたし、いまも差別している。友達づきあいで差別し、就職で差別し、結婚で差別し、あれやこれやで差別する。

 米軍の攻撃によってイラクの民間人が1万人以上死んでいるという。なかにはテロリストもいたかもしれないが、そうでない人や子どもや赤ん坊も大勢いただろう。彼らはたまたまイラクの地に生まれてしまったということだけで殺されてしまったわけだ。どんな人かもわからないのに、イラクの地に生まれたということだけで死もやむなしと米国の指導者たちは考えたということになる。

 生まれたところや皮膚や目の色で、人をわかった気になり、人の扱いを決めてしまう、人生を決めてしまう、命を奪ってしまう。そういうことのまかり通っている世界だから、「いったい、このぼくの何がわかるというのだろう」という言葉が出てくる。

 ちょっと話を広げたが、「青空」がいいたいのはそういう方向のことだろう。いうまでもないことだという気もするが、別の受け取り方をする人がいるのであれば書いておいたほうがよいと思い、書いた。(2004.10.12)

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