クロちゃんのこと

  昨日、つまり2005年4月14日、朝の5時頃に我が家の黒猫「クロちゃん」が永眠した。13年間、家族の一員としてともに暮らしてきた猫なので、彼のことは一生忘れることはできないだろう。

 彼がうちに来た正確な日付はいまとなってはわからない。おそらく1992年の6月か7月のことだろう。不定期に書いている日記を調べたら8月19日に「帰省の間、ニャンコ先生をあずかってもらうべく動物病院へ電話し、予約をした」と書いている。ちなみに、最初は「ニャンコ先生」もしくは「先生」と呼んでいたのだ。それがいつからか妻が「クロちゃん」と呼びはじめ、皆もそれにならった。

 うちにやってきたいきさつについては、以前このように書いた。「マンションの前にみゃーみゃーと鳴いていた子猫が僕の後をついてきて、エレベータに入り、ついには僕の部屋の中までやってきたことから、この同居は始まりました」。そのころの写真は見つからない。いちばん古いものとして1992年12月18日の日付の入っている写真がある。この写真ではもう成猫になっている感じだが、うちにやってきたときは子猫だった。


1992年12月18日の日付のある写真。

 クロちゃんがあちこちにオシッコをするようになったので去勢したという話も以前書いた。98年に雌猫のラミちゃんがうちに来たので、もし去勢していなければ子どもも生まれていたことだろう。やむをえないことではあったが、クロちゃんが生涯に一度も雌猫と交尾することなく終わることになってしまったことについては申し訳ないという気持ちが残る。


93年頃の写真。


これも93年頃。暑いときはこうして風の通り道で寝ていた。


これも93年。顔が若い。

 クロちゃんの性質としては、穏やかで、とても人懐っこいということが挙げられる。来客があると、ゆっくりと近づいていき、鼻をこすりつけたりする。ラミちゃんがすぐ隠れてしまうのと対照的だった。下の写真は 息子たちと、郷里から遊びに来た父だが、間にクロちゃんが横たわってくつろいでいる。

 クロちゃんは私が家で一人で仕事をしていると、よく仕事部屋にやってきては邪魔をした。机の上にのって、デンと横になるのだ。

 1998年には雌猫のラミちゃんが加わった。小さいラミちゃんをいじめないかが心配だったのだが、杞憂だった。最初は驚いている様子だったが、すぐにラミちゃんを受け入れた。下の写真は、ラミちゃんが来てまもなくのもの。ラミちゃんを抱えるようにしてクロちゃんが横たわっている。

 こんな光景もよく見られた。

 2002年くらいからだろうか、食べすぎだったのか運動不足だったのか、しだいにクロちゃんは太ってきた。いつしか二段ベッドの上に飛び乗ることができなくなり、さらには洗面台にも飛び乗れなくなっていた。今回の入院で撮ったレントゲン写真によると、心臓が小さいほうだったようなので、あまり盛んには体が動かせず、運動不足になったのかもしれない。

 それでも元気は元気であった。去年の暮れあたりからだったろうか、痩せ始め、気がつけばずいぶんと軽くなっていた。いま思えば、その時点で病院に連れて行けばよかった。痩せてきてはいたものの、元気がないわけではなかったのであまり気にしなかったのだ。

 ところが、2週間ほど前くらいからだろうか、急に元気がなくなってきた。やたらと水をほしがるものの、餌はほとんど食べない。動きも緩慢になり、尿をトイレ以外の場所でしてしまうことも増えた。トイレでするところを見ても、以前なら砂を足でかいて尿を隠していたのが、その元気もないようで、尿をするだけですぐトイレから出てきた。ベッドの下などに隠れて寝ることが増え、ときおり苦しそうな声を出すようにもなっていた。その様子に、覚悟をしたほうがよいという気持ちにさせられた。

 4月11日に動物病院に電話をしたところ、入院させたほうがよいとのこと。夜、先生が受け取りに来るというので、猫用のカゴを組み立てたところクロちゃんは自分からカゴに入っていって横たわった。以前は入るのを嫌がっていたのだが、まるで自分の運命を悟っているかのようだった。受け取りにきた先生に、クロちゃんを引き渡した。不安そうなか細い声を上げて去っていくさまが不憫だった。

  12日。病院からの電話では、採血もできないほど血圧が下がっているということだった。そして点滴で栄養補給などをしているとのこと。見知らぬ場所で一匹でいるところを思うとかわいそうに思え、家に連れて帰りたいという気持ちになる。

  13日の夜、もうだめだろうという連絡が入る。そして14日の午前10時ころに、永眠の知らせ。朝の5時頃だったとのこと。妻に知らせると、顔を覆って泣き出した。

 午後、先生がクロちゃんを届けてくれる。白いダンボール箱のなかに横たわるクロちゃん。高1の長男、中2の次男、それぞれ帰宅したときにクロちゃんの死を伝え、遺体を見せてあげる。入院していることは話してあったが、死ぬかもしれないということは言ってなかったので、二人ともショックだったようだ。子どもたちがあのように泣く様子は初めてみた。ものごころついたころから一緒だった兄弟のような存在だから、辛いことだろう。

 振り返れば彼との13年間はあっという間だったようにも感じられるが猫には短くない人生だ。クロちゃんをうちに入れてあげたときには、飢えて死ぬかもしれない状態のところを救い出してあげたという気持ちがあったものだが、いまになって思うと、彼のおかげで一家全員が大きな慰めを得ていたという気がする。彼の生涯については、家族の一員として高齢になるまで生きることができ、ラミちゃんというかわいい仲間とも過ごすことができたわけだから、よい生涯であったはずと思いたい。ありがとう、クロちゃん。そして、さようなら。(2005.4.15)

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