『宙返り』をめぐって:大江健三郎、かく語りき

表紙

宙返り=転向

若いころに、いつか技術がつき、主題がはっきりしたら書こうと思った転向についての小説です。(読売新聞によるインタビュー)

新しい人

僕たち”古い人”が考えているのとは違う”新しい人”に若い人たちがならなければ、今の苦しい日本の状況は抜けられないと思います。(ダヴィンチ99年8月号インタビュー)

オウム事件

オウム事件も主題になりました。(中略) 教祖が転向した教団を舞台に、残された信者の側から『宙返り』について書こうと思った。(読売新聞)

オウム事件を繰り返してはならない。それには、指導者と信者の両方の側の内面に想像力を働かせていく必要がある。(1999年6月12日、日経新聞インタビュー)

僕はあるセミナーで、麻原さんが法廷でとるべき2つの態度があると話しました。1つは、オウム真理教および自分の指導とそこから引き起こされた犯罪のすべてを正しいとする主張です。(中略) もう1つは、教義も行動もすべて間違っていたことを宣言して社会と被害者に謝罪し、教団を解散するという態度です。(中略) しかし僕の予想は間違っていたんです。麻原さんは裁判が行われていることを認めない。裁判全体を無化してしまうんですね。(ダヴィンチ)

信仰のない者の祈り

実は、小説は、師匠が死に、ほんの五行ほどで終わる予定でした。(中略) 母の一周忌に行く途中、突然、生き延びた者たちのことを書こうと猛烈に感じ、終章を書いた。この章に僕の新しい出発点が現れている。敗北主義は乗り越えたと思う。(読売新聞)

小説をやめたらキリスト教に入ると思い、それへの最後の抵抗としてスピノザを読んだ。この思いも、どこかで引きずっていた。(読売新聞)

これで教会から自由になったと思う。(中略) 自分の技術は全部使ったし、これまでのテーマもすべて投入した。ですから否定されても、これが僕のすべてです。(読売新聞)

人間のあり方を総合的にとらえて自分を磨いていくことを”魂のこと”をするというふうにいいたいと思います。神なしでも”魂のこと”をする場所を作る”新しい人”の決意で小説は閉じられるわけですが、僕にとっては”神なしでも”の部分が重要です。僕はずっと”信仰を持たない者の祈り”ということをいってきましたが、それは信仰を持つ可能性があるという意味を含んでいたわけですね。『宙返り』を書いて、そういう気持ちから切り離されて、本当に自由になった気がします。(ダヴィンチ)


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