マスメディアで報道された大江健三郎氏に関連するニュースなど、大江氏の最近の情報を集めました。
当ファンクラブのことや私たちの作った「大江健三郎ファンクラブ通信」のことも話してくださったそうです。
PTA主催の講演会にて「言葉の力」というテーマで講演したそうです。
対談は講談社の社内ホールにて午後3時から開催されました。安藤氏が教鞭をとる多摩美の学生が多数参加したこともあってか、二階席を含め、ほぼ満席の盛況でした。
対談は、大江さんによる、受賞作『光の曼陀羅 日本文学論』についての紹介から始まりました。賞金がない賞であることから授賞を断られるのではないかと心配した、というジョークなどで場内を沸かせつつ、この作品が折口信夫への新しい視点を提供する大きな仕事であることを強調。また、今日の対談では、「独学者」となるための方法ということをテーマとしたいということも述べていました。これは、作品で取り上げている折口信夫、南方熊楠らが「独学」の人であると同時に、安藤氏もまたそうであるということ、また、いまの大学の勉強は小説を書くうえでは役に立たないこと(書くには独学が必要であること)、といったことをかんがみてのこと。
対談の中身のほうは、残念ながらうまく整理できそうにないので、メモできている範囲の断片的内容を列挙しておきます。
<大江さん>
・批評家と作家の関係(よい批評家とは、最初はよい関係でいられるが時間が経つとそうでなくなる)
・「EE」(びょうびょう)を巡る父との出来事
・光とは生の世界であり、曼陀羅とは世界のモデル。1930年代の日本に、アジア全体を総合してとらえる大曼陀羅の思想があった。それが大東亜共栄圏の思想に利用されていく。
・執筆中の小説「水死」は3月に300ページまで書いたものの、間違いに気づき業務用の大きな修正液を1ダース買って直している。
・複雑な難しいことを明解な言葉で語るのが知識人。加藤周一もそういう人。
<安藤氏>
・折口信夫に関わっていくことになったいきさつ(読んでもわからず、人の解説を読んでもやはりわからないことから、納得できるまで執念深くねばった。)
・伝承や物語を読み解くということは、納得のいくように理解したうえで、自分がそれを生み出したかのように語るということ。
・人は2つの時間を生きる。流れ去っていく時間と、滅びない時間。その交点にあるものをつかみたい。
・折口には、二面性、両義性がある。極右的であり、極左的である。
・井筒俊彦は日本が生んだ最大の知性。
CRI Onlineによると、人民文学出版社と中国外国文学学会が主催する「21世紀年度最優秀外国小説・2008微山湖賞」の授与式が、16日に北京で行われ、受賞者の大江健三郎氏が出席したとのこと。
朝日新聞によると、中国の人民文学出版社などが選出する「21世紀年度最優秀外国小説」に、大江健三郎氏の小説『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』が選ばれたそうです。
27日付け朝日新聞朝刊によると、小林誠氏と益川敏英氏のノーベル物理学賞受賞を祝う祝賀会がスウェーデン大使公邸(東京・六本木)で開催され、大江さんら歴代のノーベル賞受賞者も出席したそうです。
大江さんがすっぽかしてしまった10月4日の講演会の再開催ということで、11月16日に改めて講演会が催され、無事に終了したそうです。
沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、座間味島と渡嘉敷島に駐屯していた旧日本軍の元戦隊長やその遺族が、戦隊長が自決を命じたとする著作の記述は誤りとして、作家の大江健三郎氏と岩波書店に「沖縄ノート」などの出版の差し止めや慰謝料などを求めている訴訟の控訴審判決が三十一日午後、大阪高裁であった。小田耕治裁判長は元戦隊長側の控訴を棄却した。(沖縄タイムス2008年10月31日夕刊より)
この判決を受け、ドイツ滞在中の大江氏より次のコメントが発表されています。
高裁判決についてのコメント
大江健三郎
ベルリン自由大学での講義のためにベルリンに滞在しており、判決を直接聞くことができませんでした。いま、私たちの主張が認められたことを喜びます。私が38年前にこの『沖縄ノート』を書いたのは、日本の近代化の歴史において、沖縄の人々が荷わされた多様な犠牲を認識し、その責任をあきらかに自覚するために、でした。沖縄戦で渡嘉敷島・座間味島で七百人の島民が、軍の関与によって(私はそれを、次つぎに示された新しい証言をつうじて限りなく強制に近い関与と考えています)集団死をとげたことは、沖縄の人々の犠牲の典型です。それを本土の私らはよく記憶しているか、それを自分をふくめ同時代の日本人に問いかける仕方で、私はこの本を書きました。
私のこの裁判に向けての基本態度は、いまも読み続けられている『沖縄ノート』を守る、という一作家のねがいです。原告側は、裁判の政治的目的を明言しています。それは「国に殉ずる死」「美しい尊厳死」と、この悲惨な犠牲を言いくるめ、ナショナルな氣運を復興させることです。
私はそれと戦うことを、もう残り少ない人生の時、また作家としての仕事の、中心におく所存です。
山形新聞によると、4日に山形市内で開催された「本を読むことに始まる」という講演会で講師を務める予定だったのが、大江さんは時間になっても現れず、紹介役の井上ひさしさんがピンチヒッターとして急きょ講演を行ったそうです。
メーリングリストに投稿した感想を載せておきます。
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受賞者の岡田利規さんは演出家でチェルフィッチュという劇団を主宰されているのですが、その公演を大江さんも見に行かれたそうです。その印象を踏まえ、岡田さんの舞台演出と、小説の書き方、そして大江さん自身の小説の書き方、これらを対比しながらお話は進んでいきました。
岡田さんの本『わたしたちに許された特別な時間の終わり』に収められた2編は、いずれも視点が固定されていないという特徴がありますが、その議論もありました。大江さんはそれを「演出家の視点」と表現し、岡田さんも同意していました。つまり、 演出家が舞台の演出をする場合、舞台の一人一人の視点で物語を見る。ある人物の視点から別の人物の視点へと自由に視点を移していく。そのやり方で、小説でも視点を 固定せず、自由に自然に視点を転換していく。
大江さんは岡田さんの小説を激賞されていて、とくに、作品で描かれている女性の感 受性や知性が魅力的だと強調されていました。なんていったかな、このように日本人の女性を魅力的に描いた作品はこれまでなかった、というような感じで褒めていたと思います。僕はそこまで読みとれなかったので、もう一度読んでみようかなと思って います。
第2回の大江健三郎賞は、演出家でチェルフィッチュという劇団を主宰する岡田利規氏の小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮社)に決定。大江さんによる選評は「群像」5月号に掲載されている。
大阪地裁で判決が下り、『太平洋戦争』(故家永三郎著)及び『沖縄ノート』(大江健三郎著)の出版停止、謝罪広告の掲載、慰謝料の請求はいずれも棄却された。
2007年10月26日付け朝日新聞夕刊によると、大江健三郎氏の著書『さようなら、私の本よ!』 の中国語訳『別了 我的書』 (許金竜氏訳)が、第4回魯迅文学賞の全国優秀文学翻訳賞に選ばれたという。
エドワード・サイードの足跡をたどるドキュメンタリ映画「エドワード・サイード OUT OF PLACE」の完成記念上映会が九段会館大ホールにて開催され、その会場でサイード夫人であるマリアムさんの挨拶に続き、大江さんの講演も行われた。
大江さんは、この映画の撮影の素晴らしさ、サイードとの交流、大江さんが精神的窮地から脱するのにサイードの「優情」が力となったことなどを語った。サイードの『文化と帝国主義』を引用しながら、現在進行している教育基本法改正案についても批判した。
番組は作曲家としての大江光さんにスポットを当てたもので、光さんの誕生、音楽との出会い、音楽家としての成長などを紹介していました。
対象は日本語で書かれた文学作品で刊行済みのもの。選考委員は大江さんのみ。賞金はないが、受賞作は海外でも刊行されるという。
大江氏は「憲法・小説家の一生をかけて読む」と題して講演されたそうです。
国連の推進する、アフリカからエイズを撲滅する運動「アフリカ2015」の一環として発行される"Telling Tales"という本に、大江氏のほか、アーサー・ミラー、サルマン・ラシュディ、ガルシア・マルケス、ギュンター・グラス、ナディン・ゴーディマらのノーベル文学賞受賞者が作品を無償で提供しました。大江氏が提供したのは、短編「この惑星の捨て子」です。
東京・津田ホールにて原広司氏と対談。
アサヒコムによると、加藤周一氏の呼びかけで護憲を主張する「九条の会」が結成され、大江氏も参加されたそうです。ほかに、井上ひさし、小田実、沢地久枝、鶴見俊輔、梅原猛、三木睦子、奥平康弘の各氏がメンバー。
「難関突破」(ブレックスルー)と題したエッセイを新潮に寄稿。そのなかで、これまでに突破してきた難関、そして次回作のために突破しなければならない難関について述べています。
講談社の文庫情報誌「IN POCKET」'04/4掲載のインタビューで大江氏語るところによれば、次作のタイトルは『さようなら、私の本よ!』になるとのこと。
大江氏のエッセイシリーズ「伝える言葉」が朝日新聞にてスタート。毎月第2火曜日掲載。第1回目は「伝える言葉 ―テロへの反撃を超えて―」という題で、イラク問題への日本政府の対応を批判していました。
朝日新聞に連載の「伝える言葉」によると、大江氏は3月半ば、テロ直後のマドリッドに行ったとのこと。『宙返り』のスペイン語訳の出版にともなって、出版社に招待されたものと思われます。
アサヒ・コムによると、大江氏は5日、日本外国特派員協会で講演し、小泉首相の政治姿勢を批判し、首相の国会答弁を評して「“薄笑いをする首相”として記憶されるのではないか」と述べたとのこと。
1月31日には、会場で大江氏と舟越氏の対談が開催された。
こんなことが話題になっていた。
・最近は音楽理論の勉強をしているという光氏の近況
・『「新しい人」の方へ』のこと(特に黒柳氏のことを書いたエッセイのこと。これを読んで、大江氏が自分のことをこのように理解してくれていることや世界の子供たちのことを考えてくれていることに感動し、黒柳氏は泣いたそうです。)
・中学や高校での講演のこと(講演後、感想の手紙が多数寄せられるそうです)
・『二百年の子供』のこと(話の紹介、津田梅子のこと、ギュンター・グラスのこと、日本人に「新しい人」になってほしいという願いを込めて書いた小説だということ)
中曽根元首相らと生放送番組で討論。大江氏は、イラクへの自衛隊派遣への反対を表明。
アサヒコムの伝えるところでは、大江氏は仏紙リベラシオンに「私は怒っている」と題する論文を寄稿し、イラクへの自衛隊派遣について批判しているとのこと。
大江氏が渋谷で若者にインタビューをする映像もあった。
演題は「看護が作り出す力」。
人権週間の行事の一環として福岡クローバープラザにて大江健三郎氏が講演。演題は『「読むこと・書くこと」そして「生きること」』。
『核のボタンに手をかけた男たち』(大月書店)の著者ジョナサン・シェル氏に宛てた書簡。
アサヒ・コムによると、画家平山郁夫氏や評論家加藤周一氏も受賞しているフランスのレジオン・ドヌール勲章が大江氏に授与されることが決まった。授与されるのは5段階ある同勲章の3番目のコマンドールで、22日に東京のフランス大使館にて叙勲式が行われる予定。大江氏にはシラク大統領から「格調の高い作品でノーベル賞が与えられ、知的かつ倫理的スケールが国際的に認められた」という文書が届いたという。
21日付の朝日新聞によると、大江氏はいったんは引き受けた新潟県立三条高校の講演を辞退した。講演受諾後に校長から政治的発言に配慮するよう求められたことから「自由に話せないなら、講演は無駄」(大江氏談)と判断。校長から届いた、政治的発言に配慮を求める速達には、「国旗も掲揚するし、国歌も歌う高校だ」と書かれていたとのこと。
6月に新作(「憂い顔の童子」と思われる)刊行後、「二百年の子供」にとりかかる予定とのこと。
来年6月に「取り替え子」の第二部「憂い顔の童子」を刊行予定とのこと。
12月6日付け朝日新聞によれば、ストックホルムで開催されているノーベル賞100年記念シンポジウムで大江氏が講演し、『ヒロシマ・ノート』での取材体験から「文学は同時代の人間についての証言」と述べたとのこと。また、スウェーデン王立アカデミーで開かれた文学賞のシンポジウムは「証言の文学」をテーマとし、大江氏や南アのナディン・ゴーディマ氏などが参加した。
放送では、自宅でのインタビューの模様にくわえ、『「自分の木」の下で』の内容を映像(内子町の風景や、戦後の小学校の授業や米兵にお菓子を求めて殺到する子供たちの映像など)を交えながら紹介。また千葉の中学での子供たちとの対話のようすも放映された。
大江氏がニュースステーションに生出演した。21日の放送中、大江氏は「いまの私」というテーマで文章を原稿用紙に書いた。久米氏が「明日もきてほしい」と依頼したところ大江氏は快諾し、その場で翌日の出演も決定。22日の放送では、視聴者に送る言葉として、『悟る』『始造』『capability』『とりなし』『新しい人』『ピンチの時には注意力が大切』『元気を出す』の七つを提示し、説明した。
大江氏と、白川、江崎両博士が、基調講演とパネルディスカッションを行った。この模様は、11月2日にNHK教育テレビにて放映された。
婦人公論(中央公論新社)8月22日号に大江氏のインタビューが掲載されている。題名は「小説家から若い母親へのメッセージ」、近影もあり。
今月の5日に集英社から『大江健三郎・再発見』が刊行された(初版発行日は7月24日付けとなっている)。内容は文芸誌「すばる」に掲載された、井上ひさし、小森陽一両氏との鼎談と榎本正樹氏による作品ガイドに加え、大江氏の書き下ろしエッセイ「小説の神話宇宙に私を探す試み」、シンポジウム「ノスタルジーの多義性」、篠原茂氏の「読むための大江健三郎年譜」を収録したもの。すばるに掲載された数点の写真も収録。
しんぶん赤旗に、7月15日から20日にかけて6回連続で大江氏のインタビューが掲載された。その中で大江氏は、新刊の『「自分の木」の下で』に託した思いや歴史教科書問題についての意見を述べた。
昨年から今年にかけて週刊朝日に連載した16編のエッセイをまとめたもの。
「しかし私がこの手紙をあなたに向けて書くのは、私の国の若い人たちに、少なくとも自分らの意見を、時流に反しても公表してみようじゃないか、それぞれの方法で、と呼びかけたいからなのです。」―往復書簡シリーズの今回の相手は言語学者のチョムスキー氏。大江氏は、記事の中で、チョムスキー氏との交流、日米関係、沖縄問題の行き詰まり、新しいナショナリズムの台頭について語っている。
内容は、2000年11月25日に千葉県渋谷幕張中学で開催された「フォーラム「21世紀の創造」」の教育フォーラムのもようを収めたもの。
共同通信によれば、大江氏や三木睦子氏らが都内で記者会見し、「新しい歴史教科書をつくる会」による中学歴史教科書の検定申請本の内容を批判。検定の不合格を求める声明を発表した。
2月18日から23日までの四日間、東京オペラシティにて武満徹没後五年特別企画「夢想」が開催される。三日目の22日には大江健三郎氏の講演が予定されている。主催は東京オペラシティ文化財団。
今年創刊された岩波現代文庫シリーズから、大江氏の『新年の挨拶』が今月発行された(ISBN:4-00-602023-6)。
予定より若干遅れたが、大江氏の新作『取り替え子(チェンジリング)』(ISBN4-06-210473-3)がついに刊行された。342ページ、講談社刊、1900円。
今日付けの朝日新聞に、大江健三郎氏の新作『取り替え子(チェンジリング)』が11月下旬に刊行という広告が掲載された。広告によると「自らの意志で、向こう側へ行ってしまったかけがえのない友人−−。深い悲哀の中から、新生の感情を育む書下ろし長編小説」とのこと。
*刊行は12月上旬に延期になったようです。
11月11日に東京国際フォーラムにて開催される、同志社大学創立125周年記念シンポジウムに大江氏が参加する予定。インターネットでの中継も行われるとのこと。詳細は、http://www.asahi.com/doshisha125へ。
ノーベル経済学賞受賞者であるアマーティア・セン教授と大江健三郎氏との往復書簡の一回目が10月7日付け朝日新聞夕刊に掲載された。一回目は大江氏からセン教授へ宛てたもの。大江氏は、日本を含め世界的にモラルが低下しているのではないかという意見を示し、セン教授の著書『不平等の再検討−−潜在能力と自由』(岩波書店)に示された「伸びる素質」という概念を自分の少年時代の体験談をまじえて紹介しながら、日本の将来についての意見を求めた。
今日、「20世紀デザイン切手」シリーズとして大江氏と川端康成の肖像の入った切手を含む記念切手シートが発売された。
切手シート全体
拡大したところ
人民日報によれば、大江氏は中国社会科学院外国文学研究所の招きに応じて9月に中国を訪問する予定とのこと。中国では、中国科学院主催の講演活動に出席し、中国国内の著名作家と対談する。また9月に中国で出版される「大江健三郎随筆自選集」の発表式にも参加するとのこと。
ポニーキャニオンから9月20日に「飼育」のDVDが発売される。同社サイトによると、本編のほか、劇場公開時ポスター(3パターン)も収録されるとのこと。
「飼育」
■監督:大島渚 ■脚本:田村孟 ■原作:大江健三郎
■出演:三國連太郎/沢村貞子 他
1961年11月〜劇場公開作品第52回カンヌ映画祭正式出品作品。
ドイツ滞在中、子供の素朴な疑問にノーベル賞受賞者が答えるという企画がドイツの新聞紙上であり、大江氏もそれに回答した。大江氏が答えた質問は「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」。その回答がこの文章である。なお、これはTAC記念講演でも大江氏自身により朗読された。
大江氏は、社団法人日本スイミングクラブ協会主催「第1回ベストスイマー賞」を受賞した。この賞は水泳普及に貢献した著名人を表彰するもの。今回の受賞は大江氏と、女優の吉永小百合氏、脚本家の橋田寿賀子氏の三人。受賞式はホテルオークラにて行われた。吉永氏は映画撮影のため欠席、代わりに夫で共同テレビジョン会長の岡田太郎氏が出席した。
TAC(東京アスレチッククラブ)30周年記念行事として大江氏の講演会が開催された。会場は千駄ヶ谷の津田ホール。演題は”二十一世紀の人たちへ〜「地球に優しい身体」ということ”。大江氏はユーモアをまじえながら、21世紀を生きる人のモラルのあるべき姿を語った。講演のあとは撮影会、続けてサイン会が行われ、大江ファンには嬉しい一日となった。
9日付け朝日新聞夕刊によると、米ハーバード大学は8日に指揮者小沢征爾氏、作家大江健三郎氏ほか全11人に名誉博士号を授与したとのこと。大江氏に授与されたのは名誉文学博士号。ハーバード大学は、大江氏について次のように書いている。
Considered by many the finest writer in Japan today, Kenzaburo Oe creates mythical stories from intensely personal experiences. (中略)His many works include Hiroshima Notes, A Personal Matter, The Silent Cry, Teach Us to Outgrow Our Madness, and The Flaming Green Tree. Strongly influenced by the "grotesque realism" of Rabelais, Mr. Oe’s stories are touching, unsettling, painful, and tinged with black humor.
沖縄の基地を全部なくしてしまうことが「沖縄問題」の唯一の解決であるにもかかわらず、それを日本人は本気で考えていない−大江健三郎
いつかその矛盾は95年の時点とは違う形で爆発するだろう−目取真俊
「沖縄の『魂』から」の連載を終えたばかりの大江氏が沖縄在住の作家目取真俊氏と対談、『論座』7月号に掲載された。対談の一部は5日の朝日新聞にも掲載された。
「私は三十歳の時に初めて沖縄を訪れ『沖縄ノート』を書きました。(中略)しかしあの時の年齢の二倍を越えるまで生きて、思い出すと悔いの残る本になりました。時事的なエッセイは必要な問題を端的につかまえて、その解決を示さねばなりません。」
朝日新聞夕刊紙上にて大江氏のエッセイ「沖縄の『魂』から」がスタートした。全八回の予定。内容は”30年ぶりの「沖縄ノート」”ともいうべきもので、いまだ解決しない「沖縄問題」を正面から取り上げたものになるらしい。(冒頭の文は「沖縄の『魂』から」の「はじめに」より)
朝日新聞の朝日賞が今年で70回を迎えるのを記念して開催されるシンポジウムにて、大江健三郎氏が記念講演を行う。
日時:5月19日(金) 午後1時から
場所:東京 有楽町朝日ホール(マリオン11階)
テーマ:『知』をめぐる私の意見
入場料は無料。聴講希望者は往復はがきに郵便番号、住所、氏名、電話番号、年齢、職業を明記し、〒104−8011 朝日新聞文化メセナ部「朝日シンポジウム」係へ。5月8日必着。定員600人。
鄭義氏からの返答への返事として、大江氏の「未来に向けて」が掲載された。大江氏はベルリンでのギュンター・グラス氏との交流や学生たちとの語らいを紹介するとともに、中国と台湾の問題について意見を述べた。
大江氏から、中国の作家で米国に亡命中の鄭義(チョン・イー)氏に宛てた文章が朝日新聞の夕刊に掲載された。その中で大江氏は、鄭義氏の新作『神樹』の感想を述べ、それにつなげて、日本で進行している「柔らかいナショナリズム」への憂慮を語っている。一方で、「私らには思いも及ばぬ柔軟で普遍的な身のこなし」の日本の新世代に対する希望も述べている。
今月20日ドイツへ発った大江氏は、24日にベルリンで記者会見し、ベルリン自由大学の客員教授に就任したことを明らかにした。来年2月まで週二回、比較文学研究所で「日本作家の現実」をテーマに講義する予定。(25日付け朝日新聞夕刊より)
ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀への創造」(読売新聞、NHK主催)東京セッションが日本教育会館・一ツ橋ホールで開催された。大江氏、利根川進氏が基調講演を行い、養老 孟司氏をコーディーネーターとして「科学者と作家が共有する教育論」というテーマで両ノーベル賞受賞者の対談も行われた。大江氏は12日の関西学院で開催された西宮セッションにも出席している。
内容は大江健三郎氏からテツオ・ナジタ氏への返信。
内容は大江健三郎氏からテツオ・ナジタ氏への書簡。
八重洲ブックセンター本店にて、下記の日程でサイン会か開催される予定。
日時:7月14日(水) 17:30〜18:30
問い合わせ先:TEL 03-3281-1811
小説『宙返り』の出版を記念した講演会が、29日6時30分から有楽町マリオン11階の朝日ホールにて開催された。大江氏は、一旦は辞めた創作活動を武満氏の死をきっかけに再開したいきさつ、「宙返り」という題名を付けた理由、小説のモチーフの背景にある時代認識などを1時間にわたって語った。講演後は、なごやかな雰囲気の中、ロビーにてサイン会も行われ、若い女性ファンが「ツーショット」写真を要望して大江氏が快く応じるという一幕もあった。
23日付の朝日新聞によると、柳美里氏の小説によってプライバシーが侵害されたとする原告と柳氏との間で争われた裁判の判決が22日に東京地裁で出された。この裁判では双方の側から、大江氏を含む作家らの陳述書が出されているとのこと。大江氏はその中で「(モデル)を傷つけ苦しみを与えた時」は、「幾度でも書きなおして、この現実社会にそれで傷つき苦しめられる人間を」作らないようにすべきだと主張している。
15日付の朝日新聞夕刊に、「未来に向けて 往復書簡」と題された、大江氏からスーザン・ソンタグ氏宛の書簡が掲載された。その中で大江氏は、周辺事態法をめぐる動きやオウム真理教の復活、弱体化したジャーナリズムの風土などの国内の状況に触れ、「超国家主義」の復活に対する危惧を語った。そして、「国民的気分においては」軽蔑語となってしまった「民主主義者であることと知識人であることとを引き受けなおして生きる準備ができた」と述べた。
12日付の日経新聞の40面に大江健三郎氏のインタビューが掲載された。大江氏は、いったんは小説をやめると宣言した自身が、その後の親しい友人や肉親を失った体験から再び小説に向かうことになった心の変化や、新作「宙返り」に込めた思いを語った。「幸い、あと二つ新しい小説のアイデアが見つかったので、その二つは書けると思う」と今後について語る大江氏。
大江氏と我々の同時代は、まだ終わってはいない。
いま私は小説に、「魂のこと」をする場所を作りたい−−−長らく待たれていた新作「宙返り」が6月10日、講談社より発行された。上下巻、各2200円。献辞には「永遠の武満徹に」とある。刊行を記念して6月20日には午後1時から2時まで丸善津田沼店、午後4時から5時まで三省堂神田本店にてサイン会が開催され、6月29日には有楽町マリオンで講演会が開催される。
朝日新聞1999年5月19日付け夕刊に大江氏のインタビューが掲載された。それによると新作『宙返り』は6月10日、講談社から刊行されるとのこと。インタビューで大江氏は新作に込めた思いを語るとともに、「できれば、もう二つ小説を書きたい」と創作への意欲を表明した。
週刊朝日1999年1月15日号に大江健三郎氏と井上ひさし氏の対談「世紀末 びっくりしたこと」の二回目が掲載された。大江氏は「この百年を見わたして、日本人が世界の芸術シーンで本当に注目されたのは、小澤(征爾)さんと黒澤明さんですね」と二人を評価。核兵器の問題については「新しい人間が生まれてきて、世界をなんとかすることを、僕は希望しています」と語った。
朝日新聞1月18日付け夕刊にペルーの作家バルガスリョサ氏宛ての手紙「未来に向けて」が掲載された。その中で大江氏は、対立するものに対する「不寛容のシステム」を目指す傾向が日本において見られると指摘し、それに抗うことのできる存在としての知識人層に対する期待を表明した。手紙の中で大江氏は「四年ぶりに刊行する長編の最後の書きなおしをやっている」と述べ、次作の刊行が近いことをうかがわせた。
12月発売の1999年1月1‐8日合併号に大江健三郎氏と井上ひさし氏の対談が掲載された。「世紀末 びっくりしたこと」と題されたこの対談は、ともに昭和16年に国民学校に入学した同世代の二人が20世紀の出来事を振り返るもの。大江氏は、米国のケネディ大統領が暗殺されたときに奥さんのゆかりさんが「ケネディが暗殺されはったよ」と深夜に自分を起こしにきたこと、ビートルズを誉める武満徹氏にビートルズを知らないと大江氏が語ったとき光氏がピアノでイエスタディを弾きはじめことなど、自らの体験に促して、20世紀のさまざまな出来事を語った。
読売新聞社、NHK主催の、ノーベル賞受賞者を迎えてのフォーラム「21世紀への創造」東京第3セッション(11月18日、専修大学)と札幌セッション(11月19日)に大江健三郎氏が参加。12月7日付け読売新聞によると、東京第3セッションで大江氏は知識人を「他人に対して寛容な人」と定義し、「原発や環境など様々な問題に対して原理原則を持ち、現実を見ていける人だ」と語り、不寛容なシステムへの反対していく決意を語ったとのこと。札幌セッションの基調講演で大江氏は、自身のウィリアム・ブレイクの、科学を賞賛しつつ疑いもする思想を紹介し、「科学とは何か」を科学者と市民とが対話して考えていく必要性を訴えた。また、立花隆氏の司会で、ノーベル生理学・医学賞受賞者の利根川進氏と大江氏との対談も行われた。
大江健三郎氏は長男の光氏とともに9月27日、テレビ朝日『新・題名のない音楽会』に出演。ノーベル賞受賞時のエピソードや友人であった音楽家の故武満徹氏との交友のエピソードなどをユーモアを交えて語った。番組では、武満徹氏作曲「弦楽のためのレクイエム」、光氏作曲「二月のレクイエム」より「けんか」「さよなら」、同「ITAMIおもいで」、バッハ作曲「マタイ受難曲」より「アリア 私の頬の涙」が演奏された。
9月2日付けの朝日新聞夕刊にアモス・オズ氏からの返信が掲載された。往復書簡の連載はこれで終了。
9月1日付けの朝日新聞夕刊に、7月16日に掲載されたアモス・オズ氏からの書簡に対する返信が掲載された。
7月16日付けの朝日新聞夕刊に「未来に向けて 往復書簡」と題したアモス・オズ氏から大江健三郎氏への書簡が掲載された。第二信は9月掲載の予定。
アモス・オズ氏は『スムヒの大冒険』『現代イスラエルの預言』などの著者。過去30年にわたりイスラエルで平和運動をしてきたという。
7月8日、大江健三郎氏と光氏が、NHKの昼の番組「スタジオパーク」に出演。少年時代、学生時代、ノーベル賞受賞当時の様子、光氏の誕生が作品に与えた影響、新作のことなどをユーモアを交えながら語ったほか、光氏のミニコンサートも行われた。
6月7日、東京オペラシティコンサートホール<タケミツメモリアル>にて「新しい大江光」が催された。第一部は大江健三郎氏の講演、第二部が大江光氏の曲のコンサートという構成で、大江氏の友人であった武満徹氏にちなんでタケミツメモリアルと名付けられたこのコンサートホールを埋めつくした聴衆は約2時間半のこの催しを堪能した。
大江健三郎氏の講演は「新しい人」と題されたもので、武満徹氏や伊丹十三氏の思い出、米国プリンストンでの生活、インドとパキンスタンの核実験のことなどを語った。核の問題について大江氏は、次のようなビジョンを示した。この困難な核状況は、いまの我々には解決できるとは思えない、しかし自分は、これから出てくる「新しい人」によってこの問題が解決されることを信じる、と。
プリンストンでの読書三昧の生活の中、聖書から「新しい人」という言葉を探しながら通読した大江氏は、「エフェソスの信徒への手紙」(エペソ人への手紙)にその言葉を見つけたそうです。手元の聖書で調べてみると、どうもそれはこの一節のようです。
「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。(エペソ人への手紙、第2章14節−16節)
全集『大江健三郎小説』(全十巻)に付録の小冊子に連載されたいた『私という小説家の作り方』が、新潮社から単行本として刊行された。
朝日新聞29日付けの夕刊によると、右翼団体の抗議により日本国内で未刊となっている大江作品「政治少年死す」がイタリアで無断で出版されたとのこと。出版したマルシリオ社は、大江作品の翻訳権を管理しているオリオンとの出版契約内容を勘違いしたと非を認めているそうだ。
8日付けの夕刊に寄稿した文章で、大江氏は、元『世界』編集長、元岩波書店社長の安江良介氏との交際を回想し、安江氏の生涯には「豊かな達成がある」と述べた。
『ヒロシマノート』の旅で、広島を訪れていた安江氏と大江氏は、原爆の死者たちへの灯ろうを流すとともに、安江氏は亡くなった幼い娘の名前を灯ろうに書き、大江氏は「どのように生き延びるか生き延びさせればいいかわからない、生れたばかりの息子の名を書いた」。それを安江氏がしかったという。
この寄稿の最後で大江氏は次のように書いている、「もうひとり痛ましく苦しい死をとげた友人についても、わたしはやはりわが友、わが友たちの生は見事だったと再認して、自分の生の残りを励ます」。「もうひとり」とは伊丹氏のことだろうが、これは大江氏が伊丹氏の死について公に語ったはじめての言葉なのではないだろうか。
大江氏の高校時代以来の友人であり、義兄であり、大江作品を原作とする映画『静かな生活』の監督でもある伊丹十三氏が12月20日夜、事務所のある都内のビルから飛び下り自殺した。
11月30日の朝日新聞朝刊に大江氏の「誇り、ユーモア、想像力」と題される文章が掲載された。「どうして人を殺してはいけないのかと若者が問いかけ、同席した知識人たちは直接、問いには答えなかった」というテレビの討論番組についてのエピソードで始まるこの文章は、子供が自然に備えている人間らしさへの芽、誇り、ユーモアを育てようと呼び掛けている。
途中、学校の歴史教育をゆがめようとしている論壇、マスコミの動きを批判する部分があるのだが、そのページに下には批判の対象であるはずの渡部昇一氏や谷沢栄一氏の著書の広告が掲載されているのは、どういう巡り合わせなのだろう。朝日新聞が意図してやっていることなのだろうか。
映画『マルタイの女』のロードショーに先駆けてテアトル新宿にて開催されている伊丹十三フェスティバルの一環として、25日同映画館にて伊丹十三氏と大江健三郎氏のトークショーが催された。
トークショーは伊丹氏の質問に大江氏が答えるという形で行われた。日本発の小説において、どのように<オリエンタリズム>を克服するか、援助交際に見られるような退廃から日本が立ち直るにはどうすればよいのかといった質問に大江氏は誠実に答え、人間として人に寄りかからずupstanding(まっすぐ立っていること)であることが大切であると繰り返し述べた。「upstandingしている女性になんか、私は援助しようとは思いませんよ。立っているんですから」といったユーモアも随所に登場し、場内が沸くシーンも多く見られた。
30分間のトークショーののち、大江氏の小説を原作とする伊丹監督作品『静かな生活』が、原作者・監督同席のもとで上映された。
ちなみに僕はこの日、このホームページを通じて知り合った大江ファンの方の紹介で大江さん本人にお会いすることができ、大江氏から『新しい京都駅』という写真集を頂いた。
8月23日の朝日新聞朝刊「窓」欄によると、27日からブダペストで開催される欧州日本研究学会で大江氏が講演を行う予定とのこと。この学会は1973年から3年ごとに開催されているもので、今回は42カ国から約五百人の研究者が参加する予定。
予想に反してもう一回分の掲載。このエッセイで大江氏は、プリンストンでの生活を振り返りつつ、いまの日本の右傾化・保守化を憂えている。記事とともに掲載されている写真では、「超越者と信徒について描く小説『宙返り(仮題)』の執筆の手を休めて」いる様子が写されている。
5月23日付け朝日新聞によると、大江健三郎氏がアメリカ・プリンストン大学での昨秋からの客員教授の期間を終えて、23日に帰国した。滞在中に小説「宙返り(仮題)」の執筆を進め、帰国直前には米国芸術アカデミーの外国人名誉会員に選ばれているとのこと。
ジャズ、料理、外国語−軽い話題に終始していた今回の「エルム」は、帰国を控えた大江氏の心情を反映したものなのだろうか。氏が帰国するため、おそらくこれが最終回ということになろう。
アフリカ系アメリカ人としてはじめてノーベル文学賞を受賞したトニ・モリソンとの交流を紹介するこの文章の中で大江氏は、プリンストン日本語学校での講演のことや、大江氏が現在書き進めている小説のことに触れつつ、文学の復興への期待を語っている。
大江健三郎氏は、2月16日(日)2時30分から、プリンストン日本語学校で『私が子供だった頃』と題して、学生、親、一般を対象に講演を行う。会場はRider University, Student Center Theater。一般公開。入場料無料。大江氏談「自分の受けた教育、またそこからどのように自分を新しい世界にみちびいていったか、を外国語との関係もあわせながら話したいと思います」。問い合わせ先:小野 Tel 609-683-7624 又は 609-275-8444, E-mail ono@crisp.net
大江健三郎氏は、1月26日付け朝日新聞にて日本の国際社会の中でのあり方についての提言を行った。提言は、極東有事という言葉で日本の軍備の必要性を強調する政治家の姿勢を批判。冷戦後もなお核状況に不安が残っていることを指摘し、ナショナリズムを乗り越え、核廃絶およびアジアとの共生の道を選択することの必要性を訴えている。
大江氏は来年2月13日、5時半からペンシルベニア州立大学において"My Life and Literature"(私の人生と文学)と題した講演を行う予定。 その後、歓迎会も行われるもようだ。問い合わせ先:Steven Heine, Chair, East Asian Studies Committee, Penn State University, University Park, PA 16802, 814-865-3403, sxh23@psuvm.psu.edu
「夜明け近く、目覚めると暗がりに宙づりにされているようで、それは強い雨風にもみしだかれるエルムの葉音が下方からつたわってくるからだ。」
秋の深まるプリンストンから大江氏の『エルムの木陰より』の第二回が届いた。『芽むしり仔撃ち』と『ヒロシマ・ノート』の仏語訳が出版され、フランスの一部の新聞で、『ヒロシマ・ノート』が日本人としてのナショナリズムにおける原爆の告発であるという書評をされたとのこと。それに対して大江氏は、被爆者の体験は「人類レベルの普遍性」を持っており、自分はそのことを『ヒロシマ・ノート』以来話し続けてきたと述べる。ヒロシマ、この運命の街よ。
(10月30日付け共同通信ニュース速報および時事通信ニュース速報より)
米国の人権団体「中国人権」は、政府転覆罪に問われている王丹氏の無条件釈放を中国政府に求める公開書簡に大江健三郎氏、東ティモールの人権活動家ジョゼ・ラモス・ホルタ氏らノーベル賞受賞者を含む世界各国500人以上の著名人が署名したと発表した。書簡は「公正かつ人道的精神に基づき、人権を保障するとの自らの約束を守れ」などと訴えている。
ある方から寄せられた情報によると、11月22日金曜日午後6時、ニューヨークの世界貿易センターのBorders書店に大江健三郎氏がやってくるとのこと。サイン会が催されるのだろうか?
「カーネギー・レイクをへだてた広葉樹の森の朝焼けから、窓をおおう、ハルニレに近いエルムの葉むらが色濃くなる夕暮れへと、大学のアパートで日を過ごしている。」
10月2日の朝日新聞夕刊に『エルムの木陰より』と題する大江氏の随想が掲載された。その中で大江氏は、プリンストンでの生活の風景を織り交ぜながら、戦後民主主義や丸山真男氏について語っている。
この随想は随時掲載されていくとのこと。
NHK教育テレビで表題のドキュメンタリ番組が放映された。大江氏と日本・韓国の知識人との対話を中心に、プリンストン大学での大江氏の生活ぶりを紹介する映像も織り交ぜた内容となっていた。対話の相手は、元沖縄タイムス記者で沖縄ノートにその名前も登場する新川明氏、成田闘争にも関わった労働経済学者の隅谷三喜男氏、韓国ハリム大学教授で日本での生活も経験している池明観(チ・ミョンカン)氏、国際経済学者で大江氏とともに平和構想懇談会にも参加した坂本義和氏の以上四氏。対話は大江氏の渡米直前に行われたもので、戦後日本の民主主義のあり方や、アジアとの共生といったことがテーマとなっていた。大江氏がインターネットについて言及する場面もあり、氏は「日本の若い人たちがナショナルな枠組みを越えるための道具となり、また、一市民がグローバルに発言する場ともなっている」とインターネットを評価していた(もしかして大江さん、このホームページもご覧になったのでしょうか?)。
番組の最後で大江氏はこのように語った。
「(武満徹氏や丸山真男氏など)戦後の優れた人たちが亡くなっていきましたが、私どもの年代はその人たちのことを知っているわけです。これを若い人たちに伝えていく、メディエーター、媒介者として、私は自分の生涯を終えたいと思っています」
(8月10日付け時事通信ニュース速報より)
大江氏は米ニュージャージー州のプリンストン大学での一年間にわたる講義のため米国へと出発した。同大学では客員講師として日本文学を学ぶ学生を対象に週一回の講義を行う。前半は自分の作家としての形成過程について、後半は作曲家の武満徹や恩師渡辺一夫ら十人の日本の知識人の姿を紹介する。
大江氏は滞米中に新作の執筆を開始する予定で、「これまでは個人の魂の救済を書いてきたが、それを集団や社会のコンバージョン(回心、転換)という大きな文脈の中に置き、二十一世紀をどう生きるかを考えたい」と語っている。
「本当に小説を再び書こうという気持ちをもったのは、作曲家の武満徹さんが亡くなった時。武満さんの魂に僕の人生の結論を示すとすれば、やはり小説によるほかないと考えています」-7月15日の朝日新聞夕刊に、大江健三郎氏のインタビューが掲載されました。そこで大江氏は、一昨年の断筆、それ以後のスピノザを読む毎日、そして見えてきた新しい書き方について語っています。
「具体的な物語はまだありませんが、世紀末の状況のなかで魂の問題を考えている人たちを書きたい。僕のこれまでの作品の総体に対して、自分としての人生と文学の結論を示したい」と語る大江氏はオウム事件にも言及し、大江氏が繰り返し取り上げてきた「運動体の挫折」というモチーフがオウム真理教事件とも響きあうと語りました。三人称による新しい表現を求めるという大江氏の次作が期待されます。
(6月27日付け共同通信ニュース速報より)
27日に公開された来年度の中学校教科書(3年生の英語)に大江光さんが登場している。脳に障害を負いながらも作曲活動を行い、広島でコンサートを開くまでの生き方が英語で紹介されるというもの。
(6月20日付け共同通信ニュース速報より)
12日から19日に日を改めて開催された日大工学部での大江健三郎氏の講演会には12日を上回る約2400人の聴衆が集まった。大江氏は「ゆるやかな絆」のテーマで人間関係などについて語った。講演が1週間遅れになったことについては「私の記憶違いによるもので本当に責任を感じている」とおわびを繰り返した。講演後の記者会見でも「表現者として完敗だ。田舎の母にも怒られた」と反省。また会見では「日本人とは何か、これが日本人である、というテーマで書いてみたいという気がしてきた」と長編小説執筆への意欲を見せ、その動機について「賞をもらったことが大きな動機になっている。自分の言うことに耳を傾けてくれる人が外国にいることを感じている」と語った。
(6月13日付け共同通信ニュース速報より)
大江健三郎氏が12日に予定されていた福島県の日大工学部での講演を忘れて「無断休講」という形になった。会場には学生や市民が約1500人が詰め掛けていたが、講演中止の知らせにがっかり。これは大江氏が日程を一週間後と勘違いしていたためだったらしい。講演は19日に改めて開催される予定。
(5月14日付け朝日新聞ニュース速報より)
大江健三郎氏がイタリアの文学賞「グリンザネ・カブール」国際部門の今年度の受賞者に決定。大江氏は、6月1日にイタリア北西部のアルバ郊外にあるグリンザ ネ・カブール城で行われる表彰式に出席する予定。同賞は一九八二年創設。これまで国際部門では、ドイツのギュンター・グラス氏や中南米文学の第一人者であるカルロス・フエンテス氏らが受賞している。 大江氏はまた、日伊両国の著名人が後援する日本の紹介行事「イタリアにおける日本95/96」の一環として6月4日にミラノ大学で講演する予定。
(2月29日付け毎日新聞ニュース速報より)
小説の断筆宣言をしていたノーベル賞作家の大江健三郎さんが、二十九日、東京都新宿区の千日谷会堂で行われた作曲家の武満徹さんの告別式(二月二十日死去、六十五歳)でのお別れの言葉で、武満さんからオペラを作ろうと呼び掛けられ台本を二作書いたが、武満さんのめがねにかなわなかった経緯を明らかにし、「本だけを読んで余生を終わろうと思っていたが、(武満さんの)霊前に立つには小説家としてでなければ」と決意したことを遺影に語り掛け、「長編小説を書いてささげようと思います」と作家復帰宣言を行った。
(2月23日付け読売新聞ニュース速報より)
第四十七回読売文学賞の贈賞式が二十三日午後六時から、東京・丸の内のパレスホテルで行われ、受賞者の日野啓三、村上春樹、竹内銃一郎、安岡章太郎、三浦雅士、伊藤一彦さんの六人に正賞のすずりと副賞二百万円がそれぞれ贈られた。選考委員の大江健三郎氏は「現代日本文学の水準を守ろうとする読売文学賞が、これらの受賞者を積極的に選んだことに、本当に気持ちのよい思いを抱いています」と祝辞を述べた。続いて受賞者を代表して小説賞の日野啓三さんは「戦後五十年を生きた私たち各世代の文学者は、これからもそれぞれ魂の危機の時代の中で書き続けたい」とあいさつ。
(1月11日付け共同通信ニュース速報より)
大江健三郎氏が選考委員の一人である芥川賞の第百十四回の受賞者は沖縄出身の又吉栄喜氏に決定した。沖縄出身の芥川賞作家は三人目(沖縄復帰後は初めて)。
(12月5日付け朝日新聞ニュース速報より)
世界の知性四十八人が一堂に会する朝日新聞社と米ウィーゼル財団共催の大型国際会議「希望の未来」は五日、会場を東京から広島に移し、「二十一世紀への遺産」をテーマに、ノーベル賞受賞者のフォーラムが開かれた。科学者たちは、科学が切り開いた巨大な可能性と負の遺産に言及し、議論は「人類と核兵器」へと発展した。 作家の大江健三郎氏は「このままの核状況が続けば、二十一世紀の人類は滅びるしかない」と述べ、被爆者たちの心を礎に核廃絶への道筋を探ろう、と訴えた。
「僕は若い頃、とても暗い人間でした。ねずみが暗い中をあちこちに頭をぶつけているようなぐあいだった。それが障害のある子供を持つようになって、人間がしっかりしてきたんです。日々いろいろな苦労をしていかなくてはならないので−もっと大変な苦労をされている方はいっぱいいらっしゃるとは思いますが−困難があっても乗り越えられる、そう思えるようになりました」
大江氏は、息子のこと、音楽のこと、母のことなどを真摯に、ときにはユーモアも交えながら語った。司会の黒柳氏とは若い頃にラジオ番組で知り合った仲。黒柳氏によると、そのとき大江氏は「僕は絶望しています、僕は絶望しています」と何度も言っていたとのこと。
共同通信によると、NHK広島放送局制作の「響きあう父と子−大江健三郎・光の三十年」が、米国以外のテレビ番組を対象にした国際エミー賞の芸術ドキュメンタリー部門賞を受賞。この番組は、昨年9月18日、NHKスペシャルとして放送されたもの。
共同通信によると、13日、ノーベル文学賞作家を招いて福岡市内で開かれたフォーラムで、大江健三郎氏はナイジェリア出身の1986年のノーベル文学賞受賞者ウォーレ・ジョインカ氏と対談。ジョインカ氏はナイジェリア軍事政権によるケン・サロウィワ氏ら9人の処刑について「人道に対する犯罪」と批判し、日本政府が抗議すること、市民が政府に圧力をかけることを呼びかけた。大江氏は「一人の市民である小説家として(ショインカ氏の話を)けっして忘れないでいる」と語った。
「私は自分で運動を組織するだけの強い人間ではありません。そこで、私の行動は主に文学の中を通じてのものでした。過去を思うとき、私は自分の中に、苦痛にさいなまれる子供の顔を見いだします。未来を思うときは、自分の中に弱い父親の姿を見てしまいます。」(大江健三郎) 12月の国際会議<希望の未来>を前に、ともに出席予定の大江氏とウィーゼル氏が対談を行った。対談は10月下旬にニューヨークで行われ、11月9日の朝日新聞に掲載された。上記の発言はこの対談からの引用。
大江氏は、12月に東京と広島で開催される大型国際会議に出席する予定。 東京会議は国連創設50年、国連大学創立20年を踏まえ、12月4日に渋谷の国連大学国際会議場で「過去からの教訓」をめぐって話し合う。広島会議は5日から8日まで、広島国際会議場で「希望の未来」をテーマに開く。出席は大江健三郎氏のほか、世界各国のノーベル賞受賞者、メディア関係者、政治家など。朝日新聞社とウィーゼル財団の共催。
このシンポは朝日新聞名古屋本社発刊60周年を記念して名古屋市で開催されたもの。テーマは「過去への責任―記憶と忘却と」。日本とドイツの政治家、作家らが、これまでの五十年を振り返った。 大江健三郎氏以外の出席者はモニカ・マロン氏、ホロコースト決定の地にあるバンゼー記念館のゲルハルト・シェーンベルナー館長、姜尚中・国際基督教大準教授。司会は三島憲一・大阪大教授。
大江氏は、フランスの核実験に対する大江氏の行動を批判したノーベル文学賞作家クロード・シモン氏にあてた反論を、26日、仏・ルモンド紙と朝日新聞に寄せた。
1985年のノーベル文学賞受賞者の仏作家、クロード・シモン氏は21日付の仏ルモンド紙上で、フランスの核実験を批判して十月に南仏で予定されていたシンポジウムの出席を取りやめた大江氏に反論した。
多摩市の読書会グループ「著莪(しゃが)」が結成十周年にちなみ、ノーベル文学賞受賞作家大江健三郎氏の文学についての連続講演会を開催。文学研究者らが最新作や、大江文学の核心の一つを成す天皇制とのかかわりなどを題材に五回にわたり論を展開する。会場は京王線聖蹟桜ケ丘駅から徒歩一分のザ・スクエアビル二階の多摩市立関戸図書館会議室。
講演者と講演内容は以下のとおり。