オフ会レポート

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『「話して考える」と「書いて考える」』読書会

『「話して考える」と「書いて考える」』表紙

日時:2005年1月29日(土)午後1時から

会場:神奈川近代文学館

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誰もいないロビーで途方にくれる男(一次会:文学館見学)

 家を出たときには雨がぱらついていたのだが、みなとみらい線元町・中華街駅に着いたころにはあがっていた。

 谷戸坂の標識を見つけ、登っていく。登りの長さが予想5割増しくらいあり、少し息切れ。しかし、まわりの建物は美しく、気分が浮き立ってくる。

谷戸坂の標識(けっこう長い登り)

 登りきったところから、さらにもう少し進んだところに神奈川近代文学館があった。

神奈川近代文学館

 午後1時、待ち合わせ場所にしておいた文学館の入口ロビーに入ると、誰もいない…。一次会は自由参加ということにしてあるので、こういうこともあり得るだろうと思いつつ、少し待ってみることにする。その様子に同情してか、受付の女性が大江健三郎ファンクラブの活動についてたずねてきたので、しばし雑談。その方は、姪が松山東高校の出で大江さんの後輩にあたるとのこと。

 少し経って、yoshimiさん、続けてHALさんが到着し、ほっとする。二次会(読書会)の時間まではたっぷりあるので、来る途中にyoshimiさんが目をつけていた公園内 の雰囲気のよさそうな店で昼食をとることに。店に向かう途中、文学館に向かう加藤さんに遭遇。四人で店に入り、英国式ランチを食す。

英国式ランチ

 文学館の展示内容は、悪くなかった。近代文学館の名のとおり、明治以降の作家について、生い立ちや業績を紹介している。神奈川県にゆかりのある作家については、その関わり方を取り上げているので(どの地でどういう活動をしたかなど)、それはこの文学館の特色といっていいだろう。つるさんのお話では、ビデオライブラリーに は原爆文学を扱った黒古一夫氏監修の作品もあるとのこと。今度来たときにはぜひ見たい。

それは朗読から始まった(二次会:『「話して考える」と「書いて考える」』読書会)

 午後3時、ほぼ皆さんが会場の和室に集まる。メンバーはサーチ、金田、加藤、yoshimi、つる、HAL、印南、スヌーピー、木賀、原、kali、いとう。今回は原さんが初参加なので、簡単に全員が自己紹介。加藤さんから鎌倉のお菓子の差し入れ。加藤さん、ありがとうございます。

 読書会に先立ち、本の全体を改めて概観する意味で、冒頭の「講演をまとめるに当っての、前口上  言葉のエラボレーション」を朗読することを提案させてもらい、なかば強引に自分で「1」の部分の朗読を始めた。ここは本に登場する「弦楽四重奏曲 第15番」のBGMもあるとさらによかったのだが、文学館ではCDラジカセなどの貸し出しはしていないということでそれは実現できなかった。

 私のあと、「2」はつるさん、「3」は原さんが朗読してくださった。文章の音読には、黙読とは違う味わいがあるように思うのだ。いってみれば朗読は一種のパフォーマンスだろうし、それを聴きながら本を読むのは朗読者とのコラボレーションだ。一人で行う読書とは別の、緊張感や感覚の活性化があるように思う。

 本がTからWの四部に分かれているので、部ごとに取り上げて話をしていった。Tの文章は、政治活動もしていた中野重治と佐多稲子についての講演なので、いきおい話は政治情勢も含んだものとなった。かつての学生運動の時代に中野重治が学生たちにどのように受け止められていたという話や、親の本棚に中野重治と佐多稲子の本がひっそりとおかれていたという話など、体験的な話が興味深かった。「中野重治の美しさ」に出てくる「それは天皇を頂点とし民衆の末端までをつらぬくタテの軸の構造を、自分の理論によって批判しえても〜」(p.48)に関する自分の感想も述べさせてもらった。

 Uは子供向けの本の話。ここでは「子供らに話したことを、もう一度」の「人が癒されるのは、決して受身の出来事ではない」(p.126)というくだりが議論になった。これは経験によっても、「受身」という言葉をどう捉えるかによっても、意味が違ってくるからだろう。フィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』のすばらしさも話題になった。まだ読んでいないのだが、大江さんの紹介だけでも感動してしまう。読書会の中では出なかったのだが、「子供らに話したことを、もう一度」で大江さんが紹介している、サイードのエピソードが忘れられない。引用しておく。「その夜、別れる時、サイードさんが私の手を握ったその力の弱さにショックを受けていると、かれは、自分は戦うんだと、I fight! という言葉でしたが、鋭い声でいいました。白血病とも、政治的な状況とも戦う、というように私は受けとって、深い印象をうけたものでした。」

 Vでは、レベッカ・ブラウンの『体の贈り物』の話題が出た。大江さんの紹介のしかたもうまいのだろうが、紹介されている場面の鮮烈なこと。作者本人と会って話したことがあるというサーチさんのお話もあり、レベッカ・ブラウンの名前が強く印象に残った。

 Wに入ったころにはもう残り時間もなかったのだが、九条の会、石原都政のことなどが出たように記憶している。

 結果的に、2時間では足りなかった。3時間にすべきだったか。部屋の使用料は1時間630円。2時間で1260円。参加者12名なので、一人105円と格安であった。

参加者全員で(文学館にて)

鴨鍋に夜は更けて(3次会:新年会)

 文学館から、「おさ亭」へ移動。大人の店といった感じの鴨料理店。緊張感も覚えながらの読書会のあとということもあってか、非常にリラックスした雰囲気で鴨料理を堪能。

 テーブルにおかれた鉄鍋で鴨料理のコースを楽しむのだが、その過程も大いに楽しい。

 まずは鴨の皮の部分を炒める。鉄鍋には、鴨の皮とネギ(カモネギだね)。皮から驚くほどの量の油がしみでてきて、鍋の底にたっぷりとたまる。

鴨の皮を炒めて油を出す

皮を取り上げ、春菊と椎茸をどさどさと入れ、しんなりしたら、おろし醤油で食べる。ちなみに皮は油が抜けていて食べてもおいしくないということで捨てるものらしいが、ためしに食べさせてもらったところ、なかなかいける。みんなで残らず食べてしまった。

椎茸と春菊を鴨油で炒めて食べる

次は汁を鍋に注ぎ足し、つくね(鴨肉をひき肉にしたもの)を玉にして落とし、食べる。これによりさらに出しが汁に出るらしい。その後、鴨肉をしゃぶしゃぶ方式で食べる。写真には写っていないが、赤身だけの肉もあり、それは煮て食べる。いずれもおいしかったが、特にしゃぶしゃぶがよかった。

鴨肉のしゃぶしゃぶ

最後にうどんが投入される。しゃぶしゃぶのあたりでかなり満腹に近づいているのだが、このうどんもおいしく、どんどん腹に入っていく。汁に鴨のダシがよく出ていた。

鴨の汁でうどん

もう満腹だ、満足だ、となったところへ、ゆずシャーベットがデザートとして登場。満腹だったはずなのに、なぜかまたおいしく食べられる。甘いものを見ると、胃が活動して甘いものを入れるためのスペースを用意するようになっているので、甘いものは別腹であるという説は科学的根拠があるのだと、原さんが解説。シャーベットを見て、現に自分の満腹感がすっと軽減されたという体験をした直後だけに、その説には説得力が感じられた。

ゆず風味のシャーベット

テーブルの雰囲気はこんな感じ。楽しい一日を皆さんありがとう。

(2005/1/30記す)


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