オフ会レポート
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『さようなら、私の本よ!』読書会

日時:2005年11月20日(日)午後2時から
会場:早稲田奉仕園
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10月に出た大江氏の新刊『さようなら、私の本よ!』の読書会を催す。ひさしぶりの小説のためか、参加者は、まざあぐうす、サーチ、金田、かぁりぃ、木賀、スヌーピー、印南、yoshimi、ちゃまん、原、浜崎、くろすけ、いとうの13名に及ぶ。
まざあぐうすさんとくろすけさんは初参加。
読書会の前半は、スヌーピーさんの持ってきてくれた弦楽四重奏曲のCDをBGMに、順次感想を述べてもらいながら、他の参加者からも自由に質問や意見を出してもらうという形で進める。
感想は多岐に渡った。以下、メモできた範囲で挙げてみる。
- 大江さんにとって、フィクションとしての作品との折り合いの付け方(距離の取り方?)が難しくなってきているのではないか。
- 大江作品にむごたらしい事件が避けられないものとしてしばしば登場するが、それはまた一方で小説のなかで魅力的な場面でもある。
- 事件があっても登場人物が罪を問われることが少ないという傾向が大江作品にはあるが、この作品での古義人は有罪ではないか。
- ポスト911ということを意識した数少ない文学作品である。
- 古義人も繁も大江さん自身が投影されたものであり、小説を書いている大江さん自身も含めた三人の大江健三郎の姿がこの小説から感じられる。
- 北野武監督の『TAKESHIS'』のように、人に理解してもらうより自分のやろうと思うことを実行する、そういうパワーを感じる。
- 題名の「私の本」は、<私>について書く本という意味が込められており、「さようなら」はそういう本へ別れの挨拶ではないか。
- エリオットが19か20歳くらいで書いたゲロンチョンの詩は難解だが、それに学生時代の大江さんが惹かれたことは驚きだ。
- 911テロ以降、我々の日常に浸透している恐怖・不安に対し、この小説の中で行われる「老人の愚行」が風穴を開けるようである。
- 子どもたちのために「徴候」の記事を残していくというエピローグやラストの詩に希望の光を感じる。
- 『取り替え子』『憂い顔の童子』を含めた3部作のなかで一番面白かった。(この意見は多かった)
- 登場人物が、自分たちが劇中の存在であることを知っているかのように、語り合いながら物語を自分たちで作っていく、そのような小説として読めた。
- テロを肯定している小説ではないか。
- 初期の大江作品のように、同時代の空気を表現している作品である。
- カタストロフィーがないが、肯定的な終わり方が好きだ。
- 大江さんが死への準備を進めているかのような内容で、寂しい気持ちで読んだ。
- 集大成的な作品ではないか。(複数の方からこの意見が出ていた)
- 英詩の引用では従来は大江さん自身が訳すことが多かったが、最近は既存の翻訳を引用するケースが増えている。
読書会の後半では、テロのことや終章のことについて自由に討論。3時間はあっという間であった。
二次会は、高田馬場の清瀧へ。ここで贔屓チームの快勝で上機嫌のつるさんが合流。yoshimiさん持参の文士写真集など回覧しつつ2時間ほど飲み食いしたのち、数名は
いつもの焼き鳥屋で三次会。11時近くに解散。
読書会の開始から数えれば9時間に及ぶ集いであったが、けして長く感じられないのは参加された方々の魅力によるものであろう。
ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

(2005/11/21記す)
このページは大江健三郎ファンクラブの一部です。