オフ会レポート

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『万延元年のフットボール』読書会&新年会

日時:2006年1月22日(日)午後2時から

会場:早稲田奉仕園

参加者:金田、サーチ、つる、HAL、yoshimi、katsumi、かぁりぃ、印南、じん、スヌーピー、真史、さぶろお、king、まざあぐうす、いとう

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初参加の方が何人かいらしたので、自己紹介からスタート。一巡後、読書会開始。

感想・意見はじつにバリエーションに富んでいた。

・文体が魅力的(グロテスクなユーモア、鮮やかな比喩、独特の視点など)

・穴ぼこに始まり穴ぼこに終わる、その間の物語だ

・登場人物が魅力的に描かれている

・重層的な構造が見事

・後期や前期と比べ、この時期の作品の文体は読みにくい

・さまざまな死が描かれるが、それは必然性があるものなのだろうか

・ラストがすばらしい

・ラストが取ってつけたようだ

・大江さんは、「本当の事」を書くために小説を書き続けているが、いまだそれは書けていないのでは

・ジン、ギー、スーパーマーケットの天皇など、発表当時の感覚からすれば大きいインパクトを与えたであろうキャラクタが、時代状況の変化により、それほどのインパクトを与えられなくなっている

・想像力による歴史観と史実に基づく歴史観ということを考えながら読んだ

・障害児の誕生に打ちのめされ、子を養護施設に預けている蜜と菜採子のさまは、リアリティを感じる

・大江さんは、言葉にできない極限状態のものを表現し続けているのでは

・若い頃に読んだときは、神経を逆なでされるような感じを受けたが、今回は小説として面白く読むことができた

・描写に生理的な嫌悪感を感じる部分がある

・女性が描かれていない

・菜採子が鷹四の側にいくことに、不快感を覚える(男性)

・いや、それはなんともない(女性)

 

この作品は発表が60年代の後半で、登場人物の経歴や物語の展開に安保闘争が関係している。そのため、安保闘争や学生運動の経験の有無によって、作品の捉え方は大きく異なるようだった。経験者にとっては運動の記憶が作品の読み取りに影響をあたえる。非経験者にとっては、安保闘争は戦後史の1ページでしかない、ということになる。そんな世代による読み方の違いも興味深かった。

読書会のあとは高田馬場で新年会(二次会・三次会)。

ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

(2006/1/23記す)


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