ダヴィンチの生涯
| 1452年 | 4月15日の夜、公証人(弁護士兼会計士)セル・ピエーロ(Ser Piero) と カテリーナ(Catherine) の息子として誕生する。ヴィンチ村とその郊外で幼少期を過ごす。 |
| 1464年 | 義母アラビエーラ死亡。 |
| 1466年 | 父親に連れられてフィレンツェへ行き、ヴェロッキオの工房の徒弟となる。 |
| 1473年 | ヴェロッキオの「キリストの洗礼」(ウフィッツィ美術館蔵)で天使の絵を描く。 |
| 1476年 | 「受胎告知」を描き始める。1479年完成。 |
| 1480年 | 「聖ヒエロニムス」を描く。 |
| 1481年 | 「東方三博士の礼拝」(ウフィッツィ美術館蔵。未完成。)を頼まれる。 |
| 1482年 | ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロ宮に移る。 |
| 1483年 | 「岩窟の聖母」(ルーブル美術館蔵)を描き始める。 |
| 1484年 | 「白貂を抱く女性」を描く。 (ボッティチェリが「ヴィーナス誕生」を描く。) |
| 1490年 | サライが弟子になる。 |
| 1495年 | ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会(下の写真)で「最後の晩餐」を描く。 |
|
|
| 1496年 | 数学者のパッチョーリ(Luca Pacioli)と親しくなる。 |
| 1499年 | フランス王ルイ12世の侵攻により、ルドヴィーコ・イル・モーロが没落したため、ミラノを後にする。数ヶ月間マントヴァとヴェネツィアを旅した後、ふたたびフィレンツェに戻る。 |
| 1502年 | 建築家であり、軍事技術者でもあるチェーザレ・ボルジアに雇われる。法王軍の軍事総監督として、ボルジアやマキャベリと一緒にロマーニャ地方を旅する。 |
| 1503年 | フィレンツェに戻り、ヴェッキオ宮殿の「五百人の大広間」で「アンギアリの戦い」を描き始める。 |
| 1504年 | 「モナリザ」(パリ ルーブル美術館蔵)を描き始める。父セル・ピエーロが死亡。(ミケランジェロが「ダヴィデ像」を完成。) |
| 1506年〜1508年 | フィレンツェとミラノを行き来する。 |
| 1508年 | フランスの王、ルイ12世に雇われて5年間ミラノの首都ロンバルドに住む。 |
| 1509年 | 「聖アンナと聖母子」(ルーブル美術館蔵)を描く。フランチェスコ・メルツィを養子にする。 |
| 1513年 | ミラノを離れ、フィレンツェを通り、ジュリアーノ・ディ・メディチの後援の下でヴァチカンのベルヴェデーレ宮殿に三年間住む。 |
| 1516年 | ジュリアーノ・ディ・メディチが死亡。 |
| 1516年 | メルツィを連れてローマからフランスへ。フランソワ1世の後援の下で残りの人生を過ごすことになる。 |
| 1519年 | 5月2日アンボワーズ城の近くのクルーの館(Clos Luce)で死亡。聖フロレンティン教会で葬られる。 |