www.snow-cream.com



9/25

やった、やったよ、給料が入ったよ。涙



9/24

日本女子陸上、初のオリンピック金メダルおめでとう。

しかし、選手を育てられない長嶋や、五輪代表にスター選手を放出しようとしないナベツネの率いるジャイアンツの優勝を祝う気にはなれない(ジャイアンツは嫌いじゃないのだけれど)。それよりもワンちゃんのダイエーが気がかりだ!



9/23

朝鮮の戦車、性能高すぎるのでは…?
木80金60で高HP・高速移動・高盾防御・長射程、弓騎兵扱いだから聖職者で治癒可能ってのはコストパフォーマンス抜群だ。キムカッファンの匂いがする…。



9/23

スペイン、つえー。宣教師、つえー。
ついでにサッカーもつえーぞ。
つーかサッカー、米国に負けていと哀しき哉。

ブラジルチームは帰国したら国民にリンチされるであろう。



9/22

「Age of Empire II」拡張パック、「The Conquerors」の日本語版を購入。
明日から夜更かしの日々ナリナリ。



9/21

「U-571」というUボートを題材にしたハリウッドの戦争映画が公開されているのだが、この映画の内容を巡り、英軍の退役兵士らが訴えを起こしたとのこと。

映画:独軍の暗号解読機エニグマを奪取するため、米海軍の精鋭がUボートに接触する。
史実:独軍の暗号解読機エニグマを奪取するため、英海軍の精鋭がUボートに接触した。

うーん。

そりゃ、訴えるわな。



9/20

2ちゃんねる世界史掲示板の、「ソ連支配下の東欧の衛星国について教えて!」スレッドが面白い。

もはやスレッドのタイトルからはかけ離れて、ロシアや東欧のアクネドート(政治的な風刺を含んだジョーク)を披露するスレッドになっているのだが、これがまた、とても秀逸なアクネドートばかりなのである。



毛沢東「我が中国に存在する反動は1千万弱ですよ。」と余裕をかます。
ブレジネフ「我がソ連もその位ですかな。マオ同志。」同じく余裕。
ホーネッカー「おやまた。私の国もまあそんなところですな。」と、これまた余裕を。
毛沢東&ブレジネフ「…」

※ホーネッカー:当時の東ドイツ第一書記。


オリンピックでハンマー投げに優勝したハンガリーの選手が記者のインタビューをうけた。
「ものすごく飛ばしましたね。秘訣はなんですか?」
「祖国への愛です。鎌を投げさせてもらえば、もっと遠くまで飛ばしてみせます!」

※ソ連の国旗を思い浮かべてみよう


ニクソンとミッテランとブレジネフが、神様に招待されて、自国民の将来について質問することになった。
ニクソン「いつになったら、アメリカ人は、みんな豊かになれるでしょうか?」
神様「10年後だね」
ニクソン「そうですか。私の任期は終わっているな。残念だ」
ミッテラン「いつになったら、フランス人は、みんな幸せになれるでしょうか?」
神様「15年はかかる」
ミッテラン「そうですか。私の任期は終わっているな…」
ブレジネフ「いつになったら、ソ連の人々は、人間らしく暮らせるようになるでしょうか?」
神様「おお、残念だが、その頃には私の任期は過ぎている」


ソ連の科学アカデミーがアダムとイブはロシア人であったに違いないと言う結論を出した。理由は以下の通り。
彼らは食べるものはリンゴしかなく、着るものはいっさい持たず裸で、しかもエデンの園から出ることを禁じられていた。そのくせ、彼らは自分たちが天国にいることを疑わなかった。


ラジオ番組「子供の疑問に答える。」で質問があった。
「ニワトリとタマゴはどちらが先ですか?」
わずかな沈黙のあと、アナウンサーが沈んだ様子で答えた。
「昔は、どちらもありましたよ。」


経済学の講義が始まった。
「先週の復習をする。イワノフ、アメリカについて述べなさい。」
「はい。アメリカは帝国主義で、少数民族は圧迫され、犯罪と汚職が横行しています。
さらに失業者が街にあふれ、人民は貧困に苦しんでいます。」
「よろしい。ではフェチュコフ。わが国の経済政策について答えなさい。」
「はい。まず、アメリカに追いつくことです。」


スターリンが小学校を視察した。
教壇に地球儀が置いてある。スターリンはひとりの生徒を呼び寄せる。
「どうして、この地球儀は斜めに傾いているんだい?」
「ぼくがやったんじゃありません。同志スターリン」
その生徒は泣き出しながら答える。別の生徒を呼び寄せる。
「さあ、言ってごらん。どうして地球儀は傾いているんだ?」
「違います。あたしのせいじゃありません」
泣きながら言う。生徒たちが次々に質問され、そのたびに身の潔白を誓う。
スターリンは担任の教師を呼びつける。
「このクラスは一体どうなっているんだ」
「同志スターリン」教師はおろおろしながら答える。
「本当に申し訳ございません。ですが、この地球儀は、購入したときからこうなっておりました。そうですよね、校長先生」
校長の顔が、見る間に紅潮してゆく。「だから私がいつも言っているだろう!」
校長が担任教師を叱りつける。
「教材を闇市場から買うんじゃないって!」


赤の広場で、泥酔者が、ウオッカの空瓶を振り回しながら、喚いた。
酔っぱらい「ブレジネフのバカ、アル中、インポのくたばりぞこない」
そこにK.G.Bが駆けつけた。
K.G.B.「同志、静かにしたまえ、お前を逮捕する。」
酔っぱらい「なに〜、俺がなにをした。あーそうか 国家元首屈辱罪か」
K.G.B.「ちがう、国家重要機密漏洩罪だ」


酔っ払っているのか、1人の男が大声でわめきながら通りを歩いていた。
「ちくしょう。あいつらのせいで俺たちはいつも腹をすかしていなきゃならない。あいつらのせいで靴もボロボロ、家も豚小屋だ。何もかもあいつらが悪い!」
その男は、すぐに警察官に捕まってしまった。
「口が過ぎるぞ。あいつらとは一体だれのことを言っているんだ!」
男はろれつの回らぬ口で言った。
「もちろん、アメリカ人の奴らですよ。」
取調べの警官たちは、一瞬驚いたように顔を見合わせ、相談していたが男を釈放することにした。
ドアをあけ、出て行く時に、男が振り向いて訊ねた。
「ところで、あんたたちは『あいつら』を誰のことだと思ったんですかね?」


天安門事件の落書きより:
「中華人民共和国 民主少一点」

直訳:中華人民共和国は、民主化が少し足りない
真意:中華人民共和国は、(独裁的な)民の王だ
解説:「主」マイナス「一点」=「王」


「政府の調査委員会はオスタンキノ・テレビ塔火災は米国か他のNATO加盟国のテレビ塔の衝突が原因と断定した」


1937年、プーシキン百年祭にさいしてソ連最高会議は詩聖プーシキンの像を建てることを決定した。
どんな像がよいか、一般から公募することにしたところ、色々なアイデアが集まった。
歩むプーシキン、決闘に倒れるプーシキン、本を読むプーシキン、演説するプーシキン、頭に月桂冠をいただくプーシキン、と実に様々だったが、厳正な選考の結果、次のものに決まった。

プーシキンの詩集を手にしたスターリン


「スイスに海軍省ができるんだってな」
「何だって!?スイスには海がないじゃないか」
「ソ連に文化省があるんだぜ」


スターリンが占い師に尋ねた。

「私の寿命はどれくらいだ?」
「わからない。しかし、おまえは最も大きな祝祭日に死ぬだろう」
「それはいつだ」
「おまえが死ぬ日がそうだ」


アメリカの工作機械を買おうとソ連の代表団が下見にやって来た。代表団を引き連れて一通り工場内を案内した後、買付け交渉が始まった。
途中で、12時になりサイレンが鳴り響いた。外を見ると、労働者がゾロゾロと工場の外へ出て行く。
「とめなくていいんですか?労働者が外へ逃げて行きますよ。」
と、ソ連代表団が驚いて訊ねた。
アメリカ人は笑いながら、
「昼メシを食いに出るんです。また戻って来ます。」
と答えた。
なるほど1時になって、再びサイレンが鳴ると、労働者が工場に戻って来た。

「さて、お買い上げ頂くなら、この最も性能のよい機械が・・・・・・」
と、工場長が本題に入ろうとした時、代表団の団長が言った。
「いや、機械は要りません。それよりも、あのサイレンを売って下さい。」


人間、どんなになってもジョークは必要だ。



9/19

2000円札。
今に至るまで、見かけておりません。

日本国、20世紀最後の大愚策と言っておこうか。
いったいどのような経済効果を期待していたのだろうか。まさか、新しいお札が出るから、みんな使いたくなって、消費が伸びるなどと考えていたのか。もしそうだとしたら、いくらなんでも人をナメすぎだ。お小遣いをもらったガキじゃあるまいし。
しかも、別にお小遣いを多くもらったわけでもないのだ。ただ単に形が変わってるだけなのだ。これで国民が喜んでお金を使うようになるだろうという予測したのならば、それは本当に政府が国民をサル扱いしている証拠、まさしく諺の通り、朝三暮四である。

朝三暮四 ちょうさんぼし
昔中国で、猿にトチの実を朝に三つ暮に四つ与えようとしたら怒ったので、それでは朝四つ暮三つにしようと言って与えたら喜んだということから、眼前の差別にばかりこだわって結果が同じになるのを知らないこと。言葉の上だけでうまく話して、他人をごまかす意にも用いられる。
(三省堂 新明解国語辞典より)
見よ。いったいどんな違いがあるというのだ。国民はサルか?
違うというなら、2000円札発行がどのようなメカニズムで景気回復に結びつくのか、きちんと説明してほしいものだ。

結びついてねぇけどな。

自動販売機など、使われる側の準備がまったく進んでいないのに、こんなお札が出たって、誰も使いたがらないに決まっている。それどころか、使いどころがないので、誰も受け取ろうとすらしないではないか。
同じく新発行の新500円玉も、自動販売機などの準備が進んでいないので、敬遠されてはいるが、変造硬貨を防ぐというやむを得ない目的があるので、納得できる。だが、2000円札はいったい?

少々の不測の事態くらいはなんでもないが、国民をバカにした挙句に効果もなく、ただ費用と森林資源をムダにしただけ、などという失態は、これっきりにしていただきたいものである。



9/18

ところで、誰かrtspプロトコルのアドレスからrmファイルを落とす方法を知りませんか。
某所に映画「バルジ大作戦」で戦車長たちが歌っている「Panzerlied」の音声ファイルがアップされているのを見つけたんだけど、それがストリーム形式で保存が効かないのですよ。





9/17

起きたら、夕方の5時だった。こりゃ、たまらん。せっかくの3連休、まともに休もうと思った最後の日が、いきなり半日無くなってるとは…。昨夜寝た時間は朝の6時くらいだったし、少なくとも昼ごろには起きるだろうと思っていたのに…。

開き直って、寝る時間まで自堕落に過ごすことにした。テレビ見て屁ーこいてパソコンつけてAoKしてネットして。
そうすると不思議なもので、いつもより時間を長く感じ、それなりに日曜っぽく休みを満喫できたのだった。

余った時間を利用して、「Heil Hiter dir」を日本語訳する。ポピュラーかつ、"Gib fremden Juden in deinem Reich nicht Raum!"(ユダヤの外人どもに与える部屋など、帝国にはない!)とかそういう過激な言葉が満載している名(迷?)曲である。

次は何を訳そうかな。



9/16

さて、五輪開会式を観るという贅沢の代償として、昨日から泊まりで仕事してたのであります。
のんべんだらりとやって、適当に終わらせて、ネットとかぶらついて、寝たのであります。グー。

翌日。
んーよく寝た、さて帰るか、ションベンしてこよう…ん…なんだかドアにカギがかかってるな…俺かけた覚えないんだけど…ガチャ

ピーーーーー

なんと、俺様が寝ている間に、誰かがセキュリティをONにしており、そうとは知らずに中で寝ていた俺様が「不審者」として警備会社(セコムしてますか?)に通報されてしまったのだ!

しかも、警報音に動転した俺様は、いったん空けたドアを手放してしまう。俺様を外に出したまま、静かにドアは閉まった…。

ガチャン
カチッ


カギ、閉まった。

セキュリティカードも、財布も、PHSも、すべて中に置いたまま…。まさしく、海外のホテルで鍵を持たずに旅館感覚で部屋の外に出てしまい、部屋に入れず右往左往するオヤジの醜態そのもの。

罠だ

しばらくして、警報を聞きつけて警備員がやってきた。
事情を話し、中に入れてもらい、セキュリティカードと名刺と免許証を提示し、身分を証明する。
「間違って作動してしまったら、電話して知らせて下さい」とも注意された。いや、なんつーか、そもそもPHSもテレホンカードも10円玉も無いんスけどね。

帰りに、池袋セゾン美術館のとこにあるでっかい書店に立ち寄る。

易の本を探したが、とんと見つからない。
若い女性向けの「血液型占い」とか「姓名判断」とか、同じ若い女性向けでも、もっとヘヴィそうな英国占星術協会教科書とか、そういう本ならたくさんあるのだが、易経に関する本は見当たらない。古典や思想書、歴史のコーナーも探ってみたが、どうやら見込みは無さそうだ。
四柱推命など、中国っぽい占いの本はあるものの、このクラスの書店に無いとなると、こりゃ面倒だぞ…。

ついでだから辞書コーナーに立ち寄り、いちばんブ厚い独和辞典をひもとき、"Hakenkreuzpanier"の謎も探ってみた。

panier : 旗

あっさり解決。
Hakenkreuzpanierは単純に「鉤十字旗」という意味だったのだ。そうすると"furs Hakenkreuzpanier"は「鉤十字の旗のもとに」とでも訳せばよいのか。うーん、パン粉にくるむとか想像してた自分が馬鹿らしい…。しかし、おもしろい。



9/15

ああ、そうか。今日は五輪の開会式だったんだ。うーん、休日出勤の予定だったんだけど…。いいや、TV観てから仕事行こう。泊まりになるけど、明日の戦争に間に合うようにすればいいわけだし…。

というわけでシドニー五輪開会式を観る。

正直な気持ち、大変感動した。ちょっとオーストラリアに住みたくなったほどだ。
開会式の演物では、オーストラリアの歴史をモチーフにしたショーがあると聞き、白豪主義とかイギリス人の入植者がアボリジニーを人類じゃなくてサルの一種として扱い狩猟の標的にして一部族丸ごとマジで絶滅させてしまっただとか、ダークサイド・オブ・オーストラリアをどう説明するのだろうかと、いらぬ心配(期待)をしてしまったが、とりあえず杞憂に終わり、まずは一件落着。

セレモニーの初っ端に出てきたオージー牧童騎馬軍団がカッコ良かったっす。

各国選手団の入場と、聖火台への点火を見届けた後、仕事へ向かう。

ラストの聖火台で、最終聖火ランナーが点火した後、機械仕掛けで巨大な火の皿が持ちあがり、そのままナナメ上にムーヴしてスタジアムを見渡す高台にセットされるのかと思いきや、ちょっとガクガクッとして、そのまま数分間まったく動かなくなった時、ああやっちまったなと思ったのは自分だけではないはずだ(結局動いていたが)。



9/14

今、「Wir Sind Die Braunen Soldaten」というナチ軍歌を訳しているのだが。

Hakenkreuzpanierという単語がどうしても訳せない。

"Hakenkreuz"と"panier"が繋がった造語?
"Hakenkreuz"は「ハーケンクロイツ」でいいとして、"panier"が良くわからない…。
辞書を引いてみると、"paniren"という他動詞があり、「フライにするために衣をつける」とある。…うーむ。

フライの衣をつける→パン粉でくるむ、という想像と、前後の文脈から、おそらく「ハーケンクロイツで包む/くるむ→ハーケンクロイツに従わせる」という意味の表現ではないかと推理。暫定的にそのように扱う。

あの時代特有の言いまわしや用語なのかもしれない。こういうのはまずマトモな辞書に載っていないので、非常に苦労する…。それを解き明かすのも、また面白いんだけど。



9/13

あいつら、ホントに気が付いていやがらねぇ!



9/12

現状:

Son Saku[Lord of.GO]

UO三国志ギルド、呉のギルドマスター。
トレードマークは黄金の鎧、朱色のマント。
独特のキャラクター性を獲得したゆえか、現在に至るまで、UO三国志で彼と同じ金の鎧を常用する参加者は現れていない。その結果、金の鎧 = Son Saku という図式が出来あがり、錬兵では目立つゆえに瞬殺され、戦場では撹乱にさえ利用されるほどである。画面内に金の鎧と朱色のマントをつけたキャラクターが現れたら、それはSon Saku であり、All Nameコマンドでいちいち名前を確認するまでもないのだ。

であるならば:

Son Saku[Lord of,GO]

という名前が、

Son Saku[Koala Boy,GO]

…などという名前に替わっていても、実は気付かれないのではないだろうか?

実験:

今夜、23:30からの錬兵を、Son Saku[Koala Boy,GO]という名前で臨む。
呉メンバー総勢20人以上、誰かが気付くまで、永久にその名前を続ける。



9/11

帰宅途中の通勤電車で、隣に居た人の東スポを覗き見たら…

田村巨乳化パワーアップの証拠

との見出しが。今年に入って最高にイヤな気分になった。



9/10

休日出勤してお仕事をしていたら、ウチの社長の日誌メールに「ヤツが一人で仕事している珍しい光景に出会う」という趣旨のコトを書かれてしまった。
人様のこと言えるような社員じゃありませんが、現実として2ヶ月も給料をロクに払っていない会社でそういう文言をメールで全社員に回しちゃうのはどうかと思います社長。冗談にも誉め言葉にもなっておりません。



9/9

長らくボチボチと集めつづけてきた、ナチスドイツの軍歌や戦時歌謡の収蔵数が80曲を越えた。
とっても反社会的な趣味である。少なくとも履歴書には書けない趣味だ。

カネさえあれば、ヨーロッパやアメリカに出かけていって、そういうレコードを買って、吸い出したいんだけどね…。歌詞の採録とその和訳も少しずつ進めているが、なにせ難解なドイツ語のこと。もともと、まともなドイツ語の教育など受けていないので、ただ単語を全部訳して、その意味を文章全体でまとめて理解し、だいたい言ってることを推理するという、研究者が見たら卒倒するような超訳方法。が、ナチ軍歌は直接的でウラオモテのない歌詞ばかりなので、隠喩や微妙な表現を理解できなくても、結構訳せてしまうところが凄い。

「民衆はバカだから単純なフレーズを繰り返し聞かせることが肝要だ」と語った総統閣下の思想が、ここにも影響しているわけだ。ナチズムって素敵ね。

例えば、違う歌でも似たようなフレーズがたくさん登場する。特に多く登場するのは、「marschieren(行進)」「Kamerad(戦友)」「vorwarts(前進)」など。大勢の人間が一糸乱れず、胸を張り肩をいからせ、後ろを振り返らずに早足でズンズン進んでいくようなイメージで統一されている。

また重要な点は、すべてにおいて徹底した全体主義の基調が貫かれていることだ。
党の綱領、国家や総統への忠誠が歌われている軍歌には、一人称の「Ich(私)」という表現がほとんど見当たらず、代わりに「Wir(我々)」という表現が多用されている。

つまり、一人の兵士が戦闘の苦しさをまぎらわすために朴訥と歌うよりも、大勢でダーッと歌うほうが気持ちいいように計算し尽くされているわけなのだ。「個」を否定するというより、まったく考えさせず、その集合としての概念の「全体」だけが歌われ、それだけが頭に残るように設計されている。

例を挙げよう。ナチスの私兵集団として発達したSA(突撃隊)の行進歌である。SAは厳密に言うと軍隊ではないのだが、SAの統率者レーム(のちに粛清される)は「灰色(国防軍)は茶色(SA)に取って替わられるべきである」とも主張していたくらいだから、ある意味でナチスドイツ時代の軍隊を象徴していたと言っても良い。

SA Marschiert
突撃隊行進歌

1.
Durch deutsches Land marschieren wir,
ドイツの国土を進撃する我ら
Fur Adolf Hitler kampfen wir.
アドルフ・ヒトラーに従い闘争せし我ら
Die rote Front, brecht sie enzwei!
共産主義者同盟をぶち壊せ!
SA. marschiert, Achtung! Die Strase frei!
突撃隊は行進する、見よ!道を塞ぐものは無し!

2.
So stehen wir im Kampf allein,
我ら拠りしはただ闘争のみ
Durch Blut geschweist sind unsre Reih'n.
血の中で結ばるる我らの隊列
Den Blick nach vorn, die Faust geballt!
前を見つめ、拳を固めよ!
Die Strase dann von unserm Schritt erschallt.
通りの後には我らの足音が鳴り響く

3.
So manchen braven Kamerad
勇敢なる同志たちよ
Legten wir schon ins kuhle Grab.
我らを冷たき墓に横たえよ
Wenn auch so manches Auge bricht,
いくつもの目が閉じられようとも
Wir furchten Reichsbanner und Rotfront nicht.
我ら帝国の旗を畏れ、共産主義を否定する!

4.
Und ist der Kampf auch noch so schwer,
そして闘争もまた困難なれど
Wir wanken, weichen nimmermehr!
我らよろめき、屈すること、もはや無し!
Wir fordern Freiheit, Recht und Brot,
我ら自由と権利とパンを要求し、
Fur Deutschlands Zukunft gehn wir in den Tod.
ドイツの未来のために命を捧ぐ

5.(1を繰り返し)
Durch deutsches Land marschieren wir,
ドイツの国土を進撃する我ら
Fur Adolf Hitler kampfen wir.
アドルフ・ヒトラーに従い闘争せし我ら
Die rote Front, brecht sie enzwei!
共産主義者同盟をぶち壊せ!
SA. marschiert, Achtung! Die Strase frei!
突撃隊は行進する、見よ!道を塞ぐものは無し!

MP3

この徹底ぶりはすごい。
そもそも軍歌とは、軍隊という個を抑圧した組織の歌なのだから、当然といえば当然なのかもしれないが、おのれを指す言葉はすべて「我ら」、おのれ以外を指す言葉も「同志」で統一し、個を明確にしない。そして、一個の人格を与えられている固有名詞は、何を隠そう「アドルフ・ヒトラー」ただひとつのみ。

日本の軍歌だと、過去の勝ちいくさを叙情的に述べたり、一人の兵士の体験をつづって歌ったりするものも多く見られるのだが、さすがに元祖・全体主義国家の歌だ。世界観が違う。ただ「我々」のみが、そこに存在する。デカルトではないが、「我々思う、ゆえに我々在り」てなもんだ。

ナチスドイツの軍歌の魅力とは、半世紀以上前の歌謡とは思えないようなスマートさのみならず、そのヤバイモンを取り扱っているかのようなドキドキ感と、こういう未知との遭遇めいた、異なる文化圏(しかも最高にクレイジーな)への接触にあると思う。訳がそろったら、サイトを設けて、MP3をアップして大々的に公開したいものだ。

で、誰かいいレンタルサーバ知らないかね?



9/8

オ〜スチン・パワ〜ズ!

おバカ映画でした。
大英帝国の本性、ここに見たり。
パックス・ブリタニカだの、ゴッド・セイヴ・ザ・キングだの、上品ぶってはいるが、アレがヤツらの本性だ。つまり、どうしようもなく、お下品でお下劣で、夜はもちろんのこと、許されるものなら昼間っからだって、ちんちんとかが好きなのである。きっと。

たぶん、この映画を心底楽しめるのは、イギリス人と幼児だけだろうな。幼児には、とにかくうんことかちんことかおしりとかが好きで好きでたまらない時期があり、それを肛門期と言うのだそうだが、この映画はまさに肛門期を絵に描いたような作品なのだった。しかも、秘密基地とか、悪の博士とか出てくるし、全編にわたって原色バリバリのサイケデリックな世界が繰り広げられ、歌い、踊り、撃ちまくり、柔道チョップが乱れ飛ぶ…。

断言する。この映画は子供向けだ。
…親にとっては悪夢だが。

以下、散文。

冒頭で女性にモテモテのオースチンがロンドンの街じゅうをキャーキャー追っかけられるのは、「ビートルズがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」かな? 街並みからファッションまで、ユニオン・ジャックが咲き乱れるビジュアルは、とてもおバカ…いや、ファッショナブルである。

30年の冷凍睡眠から覚めたドクター・イーブル。核ジャックで国連を恐喝しようとするが、その要求金額が「100万ドル」。「失礼ですが、もう少し金額を高めに設定したほうがいいのでは?」と部下にツッコミを入れられて一億ドルに修正するシーンは、ああそういえば、昔はスパイ映画で100万ドルって言ったら国家を脅迫できるような金額だったんだねぇ…と、隔世の感をしみじみと噛みしめることができて面白い。

ちんちんのソーセージをかじったり、オッパイの牛乳ビンからミルクがドバドバ出たりするホテルのシーンは、ベタでクドイけどなんか好き。

オースチンに倒されて絶命したドクター・イーブルの組織の科学者、ヒラ戦闘員。その家族や友人の元に故人の訃報が伝えられるシーンは、ヒーローものの番組を見ていた人なら、きっと一度は想像する場面だろう。でもくだらないから誰もやんなかったんだよ。けどやっちゃったのねこの映画。

ときどき、思い出したように入るCMキャッチのようなカットも、どうしようもなくくだらなくて、よさげ。

すべてにおいてバカと下品で満ちてはいるものの、ホロリとさせる部分もある。30年も氷漬けにされていて、すっかり変わった世の中に溶けこめず、やることなすこと浮きまくってしまうオースチンとドクター・イーブル。その姿が、そこはかとなく郷愁をただよわせていて、笑いとともに、ほんのちょっぴり涙も誘う。

うん、この映画いいよ。気に入った。おげれつ帝国イギリス万歳!

…いや、きっとねぇ。こんなふうにこの映画を気に入ってしまった私は、まだ肛門期を抜けきってない幼児なんだろね。



9/7

「タクシー」を返却すると同時に、今までずっと見ようと思って見なかった「プライベート・ライアン」と「オースチン・パワーズ」を借りる。
深刻そうな戦争映画とおバカ映画。たぶん一方は絶叫しながら人が死んで、もう一方はゲタゲタ笑いながら人が死ぬんだろうな。

てなわけで「プライベート・ライアン」。

冒頭のDデイ(ノルマンディ上陸作戦のシーン)が凄い、凄いという評判を耳にしたが、噂に違わぬ凄まじさだ。

海岸へ近づく上陸艇。神に祈るもの、目を見開いたまま動かぬもの、叱咤するもの、嘔吐するもの。笛の音。上陸開始。開く鉄の扉。発砲音も無くドイツの機関銃弾が飛び込む。先頭の兵隊が頭を砕かれる。戦死。秒単位で死体ができる。海に落ちる兵士。背嚢は重たい。浮かび上がれない。銃弾がシュポシュポと水中に飛び込む。水中で弾に当たる。緩慢にもがく。死ぬ。海岸。水の中よりさらにひどいロシアン・ルーレット。空気を切り裂いて飛び交う銃弾。炸裂する砲弾。ちぎれる腕。足。はみ出る内臓。断末魔。ママを呼ぶ声。這い回る衛生兵。爆音。モルヒネ。煙。舞い上がる砂。血。血の海。血で海が染まる。海が赤く染まる。

音も映像も超一級の出来映えである。
頬をかする銃弾の小さな唸りや、戦闘で発生する火薬の熱を、自分の顔の皮膚に感じた。これは本当だ。本当に、自分が銃弾の雨の中に居るように感じたのだ。なんて凄い映像だろう。

おそらく、今後数年間、すべての戦争映画は、このオマハ・ビーチを基準にして作られるだろう。「あのオマハ・ビーチと比べてどうか?」「オマハ・ビーチを作れるか?」これが合言葉となるのだ。

なんつうか、

スピルバーグは、人が死ぬ表現に関しては、文句無しの天才なのですな。

「インディ・ジョーンズ」にしろ、「シンドラーのリスト」にしろ、この人の描く「死」は、ひときわ惨たらしくて、しかもまったくひどい話なのだが、あろうことかコミカルに描かれているだ。「インディ・ジョーンズ」に出てくる悪者の端役の死に様や、「シンドラーのリスト」におけるユダヤ人虐殺シーンの、SS将校が奏でるリズミカルなピアノの音と共に鳴り響く銃声がいい例である。

映画の内容は…アメリカ人なら誰でも涙を流さずにはおられない、たぶん。アーリントン墓地の映像は、自分が「誰のおかげで生きているのか」というメッセージを強烈に発している。ただし、アメリカ人限定。日本人ならば、硫黄島やガダルカナル島で玉砕する日本兵の姿、バンザイ・クリフで身を投げる民間人の姿などが必要だろう。映像は凄惨だが、ドイツ人と戦って死ぬアメリカ人の姿を見て心の底から「惨い」と思える人間がアメリカ人以外に果たして何人いるのか…。少なくとも自分は「うひょーオマハビーチすげー! ティーガー最高!」とかそういう方向でしか見れなかったのデスが。
残念なことに、そういった意味で、世界共通で普遍的な反戦メッセージが含まれているとは思えない(アメリカ人はそう思っているのだろうが)。

実際、けっこうアメリカ人にしかわからん話だ。この映画を見るためには、以下のような予備知識が必要となる。

  1. 原題は「Saving Private Ryan」。「プライベート」とは、英語で「二等兵」という意味を持っている。訳せば「ライアン二等兵の救出」とでもいったところか。
  2. 1943年、同じ船に乗り組んだサリバンという5人の兄弟が、日本軍の魚雷攻撃を受けて全員戦死するという事件が起きた。5人の息子を一度に失ったサリバン家の人々に全米の同情が集まり、兄弟が同じ部隊に配属されることを禁ずるサリバン法という法律まで出来た。
  3. ゆえに映画では、軍の上層部が、4人兄弟のうち3人までもが戦死したライアン家に同じ轍を踏ませてはならぬと、末っ子のライアン二等兵を救出する指令を出したわけである。
ドイツ人にとっては、憤懣やるかたない映画に違いない。劇中に登場するドイツ兵が、みな一様にスキン・ヘッドなのだ。これは、現代のネオナチを連想させるための演出ではないか。第二次世界大戦当時のドイツ軍で、頭を剃るヘアスタイルは、国防軍にも武装SSにも存在していなかった。主人公たるジョン・ミラー大尉らが配属されている師団や、その軍装など、極めて細かいところまで考証が行き届いているのを見ると、おそらくスキン・ヘッドは確信犯に違いあるまい。まったくもって、度を越えた侮蔑表現としか言いようがない。ナチスドイツの非人道的行為を擁護する気はまったくないが、だからと言って歴史的事実をねじ曲げてまで、特定対象(ドイツ人)を貶める表現が許されて良いのだろうか?

終盤に登場するティーガーI戦車は、なかなかの出来映えのレプリカ戦車。ソ連のT-34を改造したと思われるが(参考サイト1 2)、むしろ評価されるべきは、その造形よりも、カメラワークや音響を含めた「歩兵にとって圧倒的な恐怖の対象」という戦車の存在を描いてみせた演出手腕である。こんなもん迫ってきたら、さぞかし怖いことだろうな。

戦闘の表現においては、まず間違い無く、ここ数年で最高の映画だ。「MATRIX」がアクション映画の基準を飛躍的に高めたのと同じように、「プライベート・ライアン」は戦争映画の基準を高めた。映画人には悪夢のような作品である。ただ、どんなに悲惨な戦いが繰り広げられて、それが今を生きている人々の礎となっているのだと教えられても、「それってアメリカ限定でしょ」という冷めた感想が出てしまうのは如何ともしがたい。

以上のように、この映画には、独善的とも言える面があり、その部分が見る者の目を冷ややかにしてしまう。だが、冒頭30分のオマハ・ビーチのためだけでも鑑賞する価値はあるだろう。



9/6

「易経」にハマっている。

易経とは、儒教の経典のひとつで、森羅万象のすべての事象を表す法則が記されている、とされる書物である。

要するに、易占いの本。

なんでまたそんなモノを読み始めたかと言うと、P.K.ディックの「高い城の男」というSF小説にインスパイアされてしまったのだ。

この小説、"ドイツと日本(とイタリア)が第二次世界大戦で勝ってしまったら?"という歴史IF世界を舞台に、大日本帝国とドイツ第三帝国の冷戦構造を描いているのだが、登場人物たち(おもに日本の占領下で生きるアメリカ人、もしくは日本人)がやたらと易経を読むのである。

とにかく、何かあるたびに、彼らは筮竹(ぜいちく)をしごいたり、コインを投げたりして、易を立て、古代中国の聖人のご託宣に頼る。

易経が啓示する謎めいたメッセージを、彼らはおのおのの境遇に重ね合わせて、自分が直面している問題を解決するための助言を探ろうとしているのだが、「アメリカ人がコインをはじいて易を立てる」という秀逸なビジュアルが気に入ってしまったのだ。

…で、自分も同じようにコインをはじいて易を立ててみたいなぁ、と。
あわよくば易者になって生活の糧として潰しが利くかもしれない(妄想)、そこまで行かなくても女の子相手に「俺、占いが出来るんだよ。いや手相とかそんなセクハラっぽいやつじゃなくて。易占いだよ。コインを投げるだけで占えるんだよ。ほらやってみよう」とかそんな感じで仲良くなれたりなんかして(さらに妄想)

そんなわけで購入した「易経 上・下」二巻。
ある程度は予想していたのだが、もともと古代中国の「思想書」なので、買ったその日からアナタも易者! てな感じでわかりやすく占いのHow toが書き記されているわけが無かった。第二水準ですら出そうにない漢字が続出し、演繹や帰納では計れない論理や思考が満ち溢れている…。どうやら、陰陽思想の体系や大まかな形を理解するにしても、かなりの時間を要しそうだ。

しかし、興味の糸口というか突破口が「コインはじいて易を立てたい」なので、とにかく易の立て方だけでも先に知ってしまいたい。極論を言うと、そういう占いの方法だけ知ることができれば、それで良い…嗚呼、深遠なる陰陽の摂理を理解せずして、その恩恵たる卜占の術のみを得ようとは…これこそ小人のなせるわざ。古代の聖人も草葉の陰で泣いていることだろう。

また本屋に出かけて、易の解説書みたいなのを探してみるつもり。



9/5

ギャッ! リュック・ベッソン監督の「タクシー」を借りたが、日本語吹き替えバージョンだった!

萎える。

ビデオ屋に叩き返して料金タダにしようかと思ったが、自分もパッケージを手に取った時、バージョンを確認したかどうか記憶が定かでないので、とりあえずヤメる。

内容。うーむ、期待したほどではなかった。B級映画ですな。
それにしても、フランス人のドイツ人に対する敵愾心は相当なものだ。改造プジョーに乗ったフランス人が、ベンツに乗ったドイツ人(悪者)を抜き去るってのが、この映画の小気味イイところなのかもしれない。

だいたいが、フランスでコンコルドが墜落したとき、ほとんどのフランス人が、フランス人乗務員の死だけを悼み、乗客のドイツ人団体のことなんか、外交問題に発展しねぇかなぁ、あいつらコレでイチャモンつけてまた侵攻とかしてくんじゃねぇかなコノヤロウ、ぐらいにしか考えなかったのは賭けてもいい…おっと、失言。

さて、「タクシー」。カースタントは大したものだが、カメラワークは最低もいいところ。市街を時速190kmでカッとぶクレイジー・タクシーなら、それ相応の見せ方があろうに。「目にも止まらぬ速さで走っていった」「ナンバープレートなんか見えなかった」とは言うものの、そんなに速いように見えないのは致命的である。SEでカン高いエンジン音を鳴らしつつ、カーブを減速しながら曲がる図を高空のヘリから俯瞰で見せるなんて、スピード感欠如しまくりだ。

カースタントのほとんどがクラッシュ・シーンに費やされており、速そうに見えるドライビング・テクニックがほとんど開陳されていないのが問題かと…。

あと、登場人物の顔のやたらめったらなアップはヤメてほしい。
B級映画なんだから、そんなに顔のキレイな役者を使っていないのに、あばたの浮いた顔を画面いっぱいに写すのはマズいでしょう。序盤で、空港に急ぐタクシー客のオッサンのブツブツ顔を、これでもかこれでもかとアップにしてたのは参りました。

「タクシー2」、大丈夫か?



9/4

歴史的小話をひとつ。

東洋の神秘、ニンジャ。
戦国時代には武将たちの影のエージェントとして暗躍し、また徳川時代にはお庭番として知られ、恐れられてきた彼ら。その彼らの、最後の諜報活動をご存知だろうか?
なんと、ペリー率いる黒船艦隊に忍び込み、船内から文書を盗み取ってきたことがあるらしい。
恐喝的な砲艦外交をしにきた提督のことである。アジアの小国にそんな諜報能力は無いと、艦の警備もそれほど厳しいものにしていなかったのだろう。そんな慢心に助けられた面もあろうが、まぁ快挙は快挙だ。しかもニンジャ。素晴らしい。
盗み出された文書は、さっそく当時の幕府の最高頭脳の手によって解読され、その内容が明らかとなった。それは以下のようなものだった。

フランス女は料理が上手
イギリス女は掃除が上手
アメリカ女はベッドが上手

東洋の神秘、ニンジャが、黒船から命がけで入手した文書とは…ただのアメリカンジョークだった。
なんとも、堅苦しい日本の国際感覚を象徴するかのようなエピソードであり、時代の終わりを感じさせる一幕、滅びゆく幕府とニンジャへの挽歌とも言えるような悲喜劇なのであります。

まーなんと言うか、その米国では、ニンジャが市民の間でこんなことになってるっつーのが、歴史の面白いところなのでありますが。



9/3

ビデオで「ガタカ」を観た。

「そう遠くない未来」。遺伝子技術が発達し、生まれてくる子供の遺伝子をデザインすることが可能となった時代。遺伝子を検査することにより、死亡推定年齢から死因まで瞬時に判別可能となった時代。

宇宙開発を担う超エリート部局、ガタカ。その職員の中でも優秀な成績を収め、宇宙飛行士に選抜された男、ジェローム。すべてにおいて優秀な彼は、とある秘密を持っている。彼はジェロームではないのだ。彼の本当の名前はビンセント。
ビンセントは、両親の気まぐれにより、自然出産で生まれてきた男である。宇宙飛行士になる夢を持つビンセントだが、遺伝子的に「不適格」な彼は、就職先すらもままならない身だ。面接やテストを受ける前に、すでに遺伝子でふるいをかけられてしまうのだから。

そんな彼が星に届くために取った行動とは、エリートの遺伝子を買い取ることだった。エージェントを通じて紹介された「適格者」ジェロームの遺伝子とアイデンティティを買い、彼の身分を偽ってガタカに入りこむ…方法はそれしかない。
ジェローム・ユージーンは、最高の遺伝子の持ち主で、高い知能、優れた体力、不死に近い寿命を持っている。だが、事故で半身不随となり、車イスで不遇の生活を送る身だ。ビンセントは彼の身分と遺伝子を使う代わりに、彼を養う契約を結ぶのである。その日から"ジェローム"ビンセントと"オリジナル・ジェローム"ユージーンの奇妙な共同生活が始まった。

宇宙ロケット打ち上げが迫る中、ガタカで殺人事件が起こる。
現場近くで採取されたまつ毛は遺伝子鑑定により、「不適格者」ビンセントのものであると判明した。ガタカ内に紛れ込んだ不適格者ビンセントを容疑者と断じ、捜査を進める警察。しかも、捜査官の一人は、ビンセントの弟であり、遺伝子デザインを受けて生まれた優秀な適格者アントンだった…。

非常によくまとまった映画である。モダンな美術と演出がうまくマッチしていて、魅力あふれる画面作りに成功している。このセンスを見るだけでも価値のある映画だと言えよう。
この映画をジャンル分けするとしたら、おそらく「警鐘SF」とでも言うのだろうか。SFは、新しい技術や思想が興るたびに、それが作り出す怪物を描いてみせ、社会への警鐘を鳴らしてきた。これはSFの伝統とも言えるお家芸で、古くは「フランケンシュタインの怪物」から、全体主義を告発した「1984年」、核戦争と冷戦時代を憂えた「渚にて」「博士の異常な愛情」などなど、etc。

「ガタカ」はヒトゲノム技術と、遺伝子による差別を強く警告する。「今や差別は科学的だ」というセリフや、ビンセントの弟アントンの遺伝子を、両親の希望を聞きながらにこやかにいじくる医者の姿は充分にショッキングだ。
だが、不適格者のビンセントはガタカの業務をこなして、宇宙飛行士に選ばれるまでになっているし、暴力性がないはずの適格者が殺人を犯し、ビンセントはアントンを度胸試しで打ち負かす。このような点を見ると、この映画が発しているメッセージは、差別そのものよりも、持って生まれた運命の否定、努力とチャンスの肯定といったところだろうか。

「不可能じゃない。可能なんだ」

ヒロインのアイリーンに対し、ビンセントが強く語る言葉。アメリカという国は、チャンスの平等にきわめて敏感な国だ。チャンスと、それをつかむ努力を奨励してやまない国民性は、あの国の好ましい面のひとつである。たぶん日本の監督がこの映画を撮ったら、適格者の非人間性と冷たい優秀さだけがクローズアップされて、「リング」や「らせん」や、「パラサイト・イヴ」のような異形のホラーものになってしまうに違いない。漫画「風の谷のナウシカ」で、優生種のヒトの卵を虐殺してみせた宮崎駿あたりにアニメ化させたら、もっと大変な事態になること請け合いだ。アメリカという国の映画だからこそ、冷たい中にも希望や温かみのある未来が描けるのかもしれない。

以下、思いついたことを書き散らしてみる。

肌の色ではなく、遺伝子によって差別される「ガタカ」の世界だが、エリートの集団たるガタカの中に黒人の姿が見当たらないのはどういうことだろうか。ほとんどが白人、たまに日本人か中国人、韓国人っぽいアジア人がちらほらと見えるのみ。黒人がキャスティングされている役どころを見ると、クラブのホストや医者など、どれも人に奉仕するサービス業ばかり。はたしてこれは、全体的にいびつなエリート社会を描き出すための意図的な演出か、それとも?

ところどころにSFマインドをくすぐられる小道具が配されている。遺伝子チェッカーがその最たるものだが、個人的に結構イケてたのが電気自動車。スタンドでガソリンを入れる代わりに、スロット状の充電ソケットに電源コードを差し込むのである。その電気自動車のデザインがまた、最先端科学とは思えないクラシックな外観を備えているのがたまらない。

でもやっぱり、天高く打ち上げられるロケットが一番。あれはSFファンの原風景ですな。

ビンセントがジェロームの遺伝子を偽るためのいろいろな行動が、ちょっとしたコン・ゲームになっていて面白い。指先の採血チェックをごまかすために、オリジナル・ジェロームたるユージーンの血の入った指サックを使ったり、尿検査をかわすために尿袋をつけたり、櫛に髪の毛を残しておいたり、手垢やフケをキーボードにふりかけてみたり。その半面、ビンセントの遺伝子をうっかり残留させないために、毎朝シャワールームで徹底的に垢を落とし、病的なまでに清潔を心がける。身分を偽るというのも大変なものだ。ましてや遺伝子など。

よくできた脚本だが、不満はある。例えば、ラストシーンでのユージーンの行動。ビンセントに対する友情だけでは説明できないだろう、あれは。もはやオリジナルのジェロームはビンセントであり、自分は不要だということだろうか? それならば、ユージーンがそう確信するシーンが欲しかった。例えば、知能の高いユージーン以上のことをビンセントがこなしてみせるとか。「体を貸すかわりに夢を見せてくれた」とユージーンは語るが、果たして彼もビンセントと同じように星の夢を見ることができたのか、それとも別の夢なのか、描写がいまいち足りない。

土星のタイタン基地には、遺伝子チェッカーが無いのだろうか? 土星ではユージーンの血や尿は調達できないと思うのだけれど…。もしあっちでチェックされたらビンセントはどうするつもりなのだろうか。

アントンの描写にいまいち不満あり。殺人事件の捜査官の一人がアントンだ、ということにラストシーン近くまで気付けなかった。だってみんな服装も顔も一緒っぽいんだもん。汗。せめて「アントン捜査官」とか名前で呼んでくれるシーンがあれば…。劇中で、自分が指名手配されていることでパニックを起こすビンセントに、ユージーンが「ばれっこない。誰も顔なんか見ない」と語っていたが、いや、まったくその通りだった。

ふと思ったのだが、ユージーンとアントンのキャラクターを統合してしまったほうが、シナリオ的に深みが出てきたのではないだろうか? 不適格な兄ビンセントと、優秀な弟ユージーン・アントン。何をやっても弟に勝てない兄が、事故で未来を失った弟を世話しながら、弟の遺伝子を偽ってガタカに潜入する。兄の苦闘、今まで兄を見下してきた弟が初めて感じる屈辱、葛藤、劣等感…。
こうすれば、ラストシーンに兄と弟の和解という側面が出来あがり、より一層の感動が得られたのではないだろうか? そして、ユージーンの行動も。

こういった映画は、概して安直なディストピア描写を行いがちなだが、「ガタカ」はそうしないところが良い。ラスト、宇宙船に乗り込もうとするビンセントが、抜き打ちの尿検査で不適者であることがバレてしまうが、検査技師はその結果を黙殺する。あるいは、技師もまた不適格者で、すでにビンセントが遺伝子を偽りつづけていることに気付いていたのだろうか? 「自分の息子があんたに憧れている。でも遺伝子に問題があるんだ」このセリフがそれを匂わせている。つまり、遺伝子に問題があるにも関わらず、星への夢を成し遂げたビンセントに憧れていると。深読みしすぎかな。

とまぁ、いろいろ書けてしまう「ガタカ」。なかなかお勧め。



9/2

とあるサイトのBBSに、ロシア人女性による原潜沈没事故に関する興味深い見解が載っていたので転載しよう。

>@事故の顛末について
>一般的な報道では、事故直後からのロシア軍自身による乗員救出作業の段取りが悪くて結局
>タイムオーバーになってしまった、ということが言われているが、そもそもそれ自体怪しいと思う。
>乗員の安否に関してはけっこう早期に見切りをつけて、何か他のことを先にゴソゴソやっていた
>ような気がしてならない。でもってそれが乗員生存の可能性と引き換えになるほどのことだったら
>まだしも、ロシアの場合、意外とくだらないものを躍起になって始末しようとするケースが
>往々にしてありがちなのが困る。いずれ真相がバレるかもしれない。
>
>A注射事件について
>諸外国のマスコミはあのおばちゃんを「体制の犠牲者」として同情的に演出していて、それは
>発言の字幕翻訳の抑えぶりにも表れているのだが、原語を聞くに、おばちゃんはおばちゃんで
>実はかなり強烈にやばい存在で、ああでもしなければ場がおさまらないだろうというのもまた
>事実だと思う。まあ、あんな風におおっぴらにやってしまうのは確かに問題だが。

もう、なんじゃこりゃって感じで凄まじいお隣さんであります、ロシア。
つくづく思うのだが、あの国は産業革命以降に欧米諸国が培ってきた合理的思考の外にある国なのだろう。思考の形態という意味では、むしろ我々日本人のほうが、西欧及び米国のそれに近いと言えるのではないか。

だからと言ってロシアが野蛮であるとか、そういう意味ではないけれども、およそ我々の理解しがたい異文明が存在しているという現実をしっかり認識して、その上で付き合っていく覚悟が必要だろう。

それでも、そんな彼らが核を持っているという事実には、不気味さを感じざるを得ないのが正直な気持ち。



9/1

場所がバレすぎたので移動。イェー。




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