10年ひと昔

 

 3月19日のこと。この日、僕は花粉に大当たりしてしまい、いつも飲んでいる市販の鼻炎薬はまるで効果を発揮せず、朝からくしゃみを繰り返していた。外回りの用事があって朝から外出していたのだが、車での移動が本当につらい。なにをしようにもくしゃみが出るので、信号を見落とさないよう、前の車に追突しないよう、走り慣れた近所を走っているにも関わらず、信じられないほどの神経を使った。めでたいことに予想外に用事が早く終わり、ヘトヘトになりながら辛くも自宅に逃げ帰った僕は、とりあえず読みそこねていた新聞を読むことにした。まだお昼のニュースが始まる前の時間だ。

 さんざんくしゃみをしたせいか、何をするにも腹が立つ。暗いニュースを見ては腹を立て、くしゃみをしては腹を立て、鼻をかんでは腹を立てる。ホントに暴れてやろうかとイライラしているところで、今度は近所の中学校から聞こえてくる喚声に腹が立った。ウチのすぐそばには区立の中学校があって(徒歩30秒ほどなのだが母校ではない)、校内放送なんかもけっこう聞こえてくるのだが、この日の喚声は異常だった。そんじょそこらの幼稚園の運動会でもこんなに騒がねえだろ、と腹を立てた。

 ふと気がついた。今日はひょっとして卒業式か?それならこの大騒ぎも納得できる。あの喚声は、お約束の“校庭にアーチを作り、在校生が卒業生をお見送り”していたからではないか?すると、テレビからタイミングよく「都内の公立の中学校では一斉に卒業式が」というニュースが流れてきた。案の定だ。まあ、卒業式なんだから騒ぎたくもなるだろう、そう思って喚声に腹を立てるのは止めることにした(実際、そんなに長時間聞こえてきたわけではないけど)。でも、自分が中学校を卒業したときに、こんなに騒いだかねぇ。確かに卒業したというのはうれしかったけど、そんなに大騒ぎをするような卒業風景ではなかったと思うけど。で、一旦帰ってからみんなとメシでも食いに行ったんだっけか?さすがに思い出せないよなあ。そんなことを考えた瞬間、とんでもないことに気がついた。この日中学校を卒業したのは、僕のちょうど10年後輩に当たる生徒だ、ということを。

 なんせ、僕が年長の人に「昭和50年生まれです」と自己紹介すると、ことあるごとに驚かれた。「昭和50年?ウソでしょ?もう昭和40年代は終わり!?」なんてね。でも、それから10年。今度は僕が「昭和60年生まれ?ウソでしょ?もう昭和50年代は終わり!?」って驚く番だ。そのうちに平成生まれが僕たちを驚かせるはずだ。

 10年ひと昔なんて言うけれど、僕が中学校を卒業したのが、そして高校に入学したのが“昔”なのか・・・確かに、現在25歳の僕の人生の、5分の2に当たる年月である。当時を思いだしてみると、比較的いろいろなことを覚えているのに、それが“昔”と言われてしまうこの現実!驚愕したというとあんまりだけど、かなりビックリした、というのが正直なところか。

 でも、10年ってやはり“昔”とするに値するほどの長時間なのかもしれない。例えば、10年前から僕が継続していることといったらホルンと千葉ロッテのファンだけである。酒もタバコもやってなかったし(当たり前だ)、スキーも毎年行くようになるとは夢にも思っていなかった。大学のことだって知ったこっちゃなかったし、車の運転も遠い世界のことのように思っていし、携帯電話もパソコンもMDも手にするなんて考えたことはなかった。それが今では・・・

 それにしても、10年を“ひと昔”と定義した人は偉い、と思う。大昔ではなく、ちょっと昔っていうのはどれくらいを指すのか?どうしても“昔”というと、かなり前のことをイメージしてしまわないだろうか。そこに“ひと昔”という便利な言葉があるのだ。10年ってのは昔とは言えないけれど、最近というわけにもいかない微妙な時間。それがひと昔なんだ、と僕は思う。

 ひと昔前、僕は高校生になった。そして、今日という日がひと昔前となる日、すなわち10年後の僕は・・・?

 現代は、世の中のいろんな物事が信じられないスピードで回転している。それがどんなにイヤだと思っても、残念ながらその中に巻き込まれてしまっているのが自分だ。拒否するとしたら、少なくとも日本から脱出せねばなるまいが、そんなにうまい話はない。めぐるましい回転の中で、自分はどう廻っているのか見失わないようにするのは、簡単なことではないだろう。そんな世界でバタバタしているうちに、また10年経ってしまうのではなかろうか。

 ふと、そんなことを思った。

2000/03/23

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