横綱・曙と教育実習






 毎年この時期になると、3年前・・・すなわち、1997年の5月から6月にかけてを思い出してしまう。そんな、モノすごい組み合わせの話。

 1997年5月の両国国技館では、大相撲夏場所が開催されていた。若乃花も武蔵丸もまだ大関で、幕内には小錦の名前もあった場所だ。その場所の14日目終了時点で、トップは1敗で横綱・貴乃花。僕の応援する横綱・曙は2敗だった。曙が優勝するためには、千秋楽の横綱決戦で、本割・優勝決定戦と貴乃花に2番続けて勝つことが条件。すでに優勝からだいぶ遠ざかっていた曙を有利とする声は、ハッキリ言って皆無に等しかった。新聞の縮刷版を読んでみると、千秋楽を前にした三賞選考委員会の場で、ある委員が貴乃花を破った玉春日を推す理由に「優勝した横綱を破ったから」と言ってしまった、とあった。さすがに失笑を買ったようだが、そんなに大したことではあるまい、どーせその通りになるのだからといった雰囲気だったことが、容易に推測できる。実際に、この前の春場所でも千秋楽横綱決戦を、貴乃花がアッサリ制して優勝している。

 ところが、世の中の多くの人の期待を裏切って(?)、横綱・曙は優勝した。力強い、本当に力強い2番だったことを覚えている。僕が曙ファンだというせいがあるからだが、とにかく嬉しかった。勇気づけられるとはこのことか!と思った。

 横綱に勇気づけられたこととはなにか。実は、夏場所千秋楽のすぐ後から、僕は“教育実習”に行くことになっていたのだ。大学1年までは教員をやりたいと思っていた僕だから、実習は楽しみで仕方なかった。さんざん経験した“授業を受ける”のとは反対に、“授業をする”のだ。これで、勉強っていうモノの本当が見えるのでは?なんて生意気なことを言っている余裕があったのは、教育実習半月前まで。

 教育実習直前、僕は複雑な気持ちだった。実習はやりたいのだが・・・。この“・・・”には深いためらいがあったのだ。僕の指導教諭という方は、僕が現役時代からお噂をかねがね聞いていた、厳しい先生だったのだ。基本的に、僕は「望むところだ!」みたいな開き直りができる人なのだが、モノには限度というものがある。たかだか実習の打ち合わせで完全に先生のペースに圧倒されてしまった。マイッタなあ・・・が正直なところ。

 逃げるわけにはいかないのだが、とっても逃げたい気持ちを抱えた日々を過ごしていたころ、横綱・曙は相撲を取っていた。相変わらず下半身がもろくて、いなされるとヒヤっとすること数度。天敵・貴闘力に負けたときなぞ“弱い曙”の見本みたいな負け方だった。でも、なんとか2敗をキープして、千秋楽の逆転に望みがつながった。もし曙が優勝してくれたら、俺も実習をがんばれるかも。なんだか中学生みたいな視線を、テレビに送っていたのだ。そして、念願の曙の優勝!約束通り(?)僕も開き直った。よーし、曙みたいに千秋楽の大逆転を目指してみるか!自分のペースをキープできれば、なんとかいい結果がうまれるんでないの?それくらいの気持ちになれたのだ。

 6月。いざ実習が始まってみると、ツラい日々ではあったが、イヤな日々ではなかった。案の定、指導教諭にはさんざん叱られて、あれこれ忙しくて睡眠時間もないのに、楽しくて仕方なかった。もう1度実習をしてみたいかと聞かれると返事に困ってしまうのだが、やってもいいと答えるかもしれない。

 3年後、つまり今年のこれまた夏場所で、横綱・曙は千秋楽まで優勝争いのトップに立っていた。結局、優勝したのは魁皇関だったけれど、曙は17場所ぶりの優勝まで、あと少しだったのである。そう、3年前の優勝を最後に、優勝から遠ざかっているのだ。また夏場所優勝?とは思ったが、そう簡単にはいかなかった。

 こんな思いがあるせいか、若乃花関引退の後は、僕の中で曙関の応援熱が高まっている。

 

2000/05/27

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