パン屋でパンを買う

 

 僕は、あまりパンを食べない。もともとご飯好きだということもあるのだが、パンはいくら食べてもお腹にたまった気がしないので、どうしても敬遠気味である。別に嫌いなわけではないし、おやつ程度に菓子パンを1〜2個買って、ペロペロっと食べることはある。でも、どうしても胃にたまる感じがしないので、主食として食べることがないのだ。三食というスパンで考えてみても、もちろん朝食からご飯でいきたいし、好きなので昼食は麺類(パスタからラーメン・うどんそば等あらかた好き)でいきたい。夕食もやっぱご飯だよなぁ・・・(和洋中華問わず)。そんなわけで、僕の食生活からパンは完全に疎外されていると言っていいだろう。ホントに僕ってパンを食べないよなぁ。そんなパンを、今回はテーマにしてみたい。

 コンビニバイト時代、僕は“日配品”と呼ばれる部門の発注を任されていた。日配品というのは、お弁当やパンにお惣菜といった、毎日配送されてくる商品のことである(それ以外は週1〜3回の配送なのだ)。もちろん菓子パン類からサンドイッチまで、パン類のすべてを担当していたから、パンそのものが縁遠い存在ではなかった。新規登録されたパンが美味しそうかどうか、それは現物を見てみなければわからないこともあったけれど、我らがバイト先は、バイトもお客さんも“マニア”がかなり多かったので、不思議な商品は案外売れた。だから、“他の店にはまず置いてなさそうな逸品”なんてのが、店にはけっこう存在していたのである。

 ところが、そんな“逸品”を自分たちで食べるかというと、まるでそんなことはない。もともと“逸品”は数量を絞っていたせいもあり(1日3個ほどという商品が多かった)、僕の口に入ることは滅多になかった。すると、どうしても買うとなると定番商品の、何度も食べたことがある商品に偏ることになる(一番多かったパンは、毎日18コも発注した上にほぼ完売していた)。まあ、僕は同じ商品を続けて食べても平気なので、特に苦もなく食べていたことがあったが、どうしても“決まった味”しか知らないことになってしまっていた。当時はまるでそんな自覚はなく、食べたいものを食べていただけだったが、結局は自分の食域を狭めていただけだったと言えるのではなかろうか。もちろん、食べ飽きる直前までいってしまったため、他のコンビニ等でパンを買おうという意志はまるで起きなかったのも自然な流れだ。そう、そもそもの失敗は“コンビニで売っているパン”が、僕の味覚の基準になってしまったことなのである。パンの味はコンビニのパン。それがすべて、というような“パン食生活”だったのだ。注意していただきたいのは、別にまずいと思っていたわけではない。むしろ、パンそのものが食べ慣れないものであったのだから、けっこう美味しいやと思っていたほどである。強引なフォローではないので、念のため。

 ところが、そんな僕の価値基準を根本から覆すような事態が起こった。“パン屋さん”の登場(?)である。もう何年も前のことなのだが、僕たちの吹奏楽団が練習に使っていた施設(その後練習会場を変えたので、現在使っている施設ではない)の近くに、パン屋があった(今でもあると思う)。新規開店したわけではない。前からお店があるのは知っていたが、特に買おうと思わなかったのだ。そのときはたまたま空腹だったのか、何気なくいつも買っているようなパン(カレーパンだったと思う)を買った。・・・それが非常に美味だったのだ。たぶん、というか間違いなく美味を感じた理由は“焼き立てだった”ということだろう。何の料理でもそうだが、出来たてはうまいと感じるものだ。だが、これはコンビニパンでは味わえない感動!それで僕は“パンの美味しさ”を思い知ったのである。やれやれ、のんきな話だ。

 その後も、相変わらずそんなにパンを食べる生活をしていない。ご飯を食べ、麺類を食べ、せっせとアルコールを消費する生活が続いている。だが、パンを食べるときは、なるべくパン屋を利用しようと心に決めているのである。コンビニのパンには申し訳ないが、やはり歴然とした味の違いがあるのではないだろうか。それに、陳列されたパンをトングで挟み、トレイに載せてレジに運ぶというこの一連の手順・・・!さすがにご飯を自分の手で茶わんによそう“ご飯屋”などというシロモノはないので、パン屋で味わう一瞬は、とても貴重な時間なのではなかろうか。ただ、そんなにパンが好きならパン食に変えれば?という御意見もあろうかと思うが、それは断じてダメだ。パンとご飯なら、僕は躊躇せずご飯を選ぶ。ご飯党に入会しようという意志まではないのだが、断じてご飯が優先なのだ。これだけはどうしても譲れないのだ。

 だが、それをふまえた上でのパン食は、悪いものではない。それはなぜかと考えてみると、大原則である“ご飯が好き”という点を破り、あえてパンを食べようとしている自分の存在に気付くことができる。僕は“一生パンを食べてはいけない”という決まりができたとしても、きっと苦にすることはあるまい。それなのに、パンをうまいと感じているここには、ひょっとしたら“破戒的行為”が含まれているかもしれない。その言い訳として、パンはパン屋で買うのがよいなどということを自己主張することで、自身が行っている破戒についての、いわば例外をつくろうとしているのかもしれない。ならば僕がパンを食べることは破戒そのものなのに、それに四の五の理由をつけることで、自己弁護をしているだけに過ぎないのではなかろうか。パン屋で買おうとコンビニで買おうと、パンはパンなのに。それでもパン屋がいいというここに、自己的な矛盾を見い出すことができるのではなかろうか・・・?

 と、邪推にもほどがある展開をしてみたけれど、パン屋さんで買うパンってのは、ホントにおいしいと思う。普段、パン屋で買っている人はそんなことを思わないだろうが、普段パンを虐げた食生活を送っているぶん、とみにそんなことを考えている。

 さて、西暦2001年も間もなく終わろうとしている。今年に執筆したエッセイは全部で14本となった。去年よりはちょっと多いくらいだが、あいかわらず執筆ペースに大きなばらつきがあるのがやや問題か。でも、2002年も特に方針を変えたりするつもりはないので、今後ともノホホンとしたおつきあいが、みなさんとできれば幸いです。

 よいお年を。

 

2001/12/25

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