コンクール!
 



 平成15年夏、人生初めてコンクールに出場した。

 唐突にコンクールなどというとビックリするだろうが、「全日本吹奏楽コンクール」に出場したのである。コンクールのシステムを細かに説明するとあんまりなのでものすごく簡単にすると、吹奏楽の世界のコンクールには中学・高校・大学・一般・職場の各部門があるのだが、(都大会などの)地区予選を勝ち抜くだけでけっこう大変で、少なくとも地区の上位1ケタ(東京都の場合、中学は上位6位まで)に入らないと、本選にさえ進めない。さらにそこで上位になると全国大会へのキップということになるが、正直、夢のまた夢である。僕が出場したのはコンクールの都大会予選。連盟費払って参加費払えばどの団体でも参加できるモノだから、特に自慢できるものではない。そんなコンクールに、一般(社会人)部門で出場することになった。今年から所属した団体がコンクールの出場を年間行事に入れているためなのだが、正直、僕はまったくコンクールに魅力を感じていなかった。団として出場するのだから特に文句があるわけではないのだが、それでもコンクールっていうもの自体に半信半疑だったのである。とかいっておきながら、と話は展開するのだけれど、この夏はなんやかやでコンクール漬けの日々を送ってしまったので、今回はそんな話。

 吹奏楽ばかり15年もやっておきながら、それまでにコンクールに一度も出たことがない人というのはけっこう珍しい存在であろう。僕のように中学で楽器を始めた人は、多くが中学でコンクールに出ているはずであるし、中学では出場しなかったとしても、高校で部活を続けていればかなりの確率でコンクールに参加できる。中学・高校ともにコンクールに出ない方針の学校を渡り歩く人は、けっこう珍しいハズ。別に自慢することではないのだが、僕はそんな学校に中学・高校とも当たってしまったわけだ。もっとも、中学校は僕が入部したときが創部2年目で、僕が卒業した年からコンクールに出場しているので、僕が現役だった頃とはずいぶん事情が変わってしまった。後輩たちは例年B組(40名以下)で銀賞(2位ではない)を取っているので、けっこうがんばってくれているようだ。

 と、後輩の動向はチェックしているものの、だからといってコンクールってものには相変わらず魅力を感じないままでいた。もちろん出場団体にはいろんな目標をもってやるところがあるわけだが、賞というものが絡むし、上位ならば都大会と全国が待っているわけである。なんだか賞狙いな気がしてしまい、純粋に音楽を楽しめるだろうか、という疑問があったわけだ。賞を狙ってひたすら楽器をやるならイヤだな、と思っていた。幸いなことに僕が入った吹奏楽団はそんなことなく一つの目標としてやっているわけで、自分としては一つのイベントでベストを尽くし、それでついでに評価と賞をもらうような感覚でできたのが幸いだったかもしれない。こんなことを書くと怒られそうな気がするのだが、それ以上のことは考えなかったのだから仕方ない。結果は銅賞、出場34団体中29番目の得点だったわけだが、それでも自分のバンドの音が出せたわけだから、最終的な結果はけっこうどうでもいいわけである。

 そんなことをやっているときに、ひょんなことからある中学校の部活指導の依頼が入った。コンクール前の追い込みの時期に顧問(=指揮者)が入院してしまい、どうにもならないから助けてもらえないか、という依頼である。去年も指導したことがある学校なので、あまりの緊急事態ということで依頼を引き受けた。本来なら今年は依頼がないことになっていたのであるから、どんな曲をやるかも知らないまま、本番わずか10日前に某中学校(母校ではない)に赴いた。

 コンクールというものに疑問を持っている自分が、コンクールに出る中学校の指導をするわけだからオソロシイ。でも、自分の団と同じく、結果よりもその中学校の音を作ることを目標にやってみたのである。さすがに時間がないので僕だけでは面倒を見ることができず、いろいろな線から総勢5名で指導したのだが、特に事前に打ち合わせをしたわけではないのに、どの講師陣も「バンドの音を作る」ことを目標にやった。正直、賞を狙いに行くならそれなりのやり方もある。だが、コンクールでやるのはわずかに2曲だ。その専門家を作ったところでいい賞を取れても別の曲に応用できるとは限らないし、楽器が上手くなんかなれない。結局、基本的なことを再確認しながら、なるべく応用がきくような指導に終始した。なんだか基礎がイマイチだったこともあり、いきなり応用や賞狙いができるような状況じゃなかったのも幸い(?)したのだが。

 毎日のように中学校に通い、生徒に接した。毎日練習するということは、中学生にとっては当然のことかもしれないが、社会人からするとものすごく懐かしく、うらやましい光景である。しかし、毎日同じ曲ばかりの練習であるわけだから、どうしても飽きてしまう。それをムリして練習し続ければ、結局“練習したって楽しくないじゃん!”ってことになりかねないわけだから、その兼ね合いが難しい。さすがに生徒がどんな気分で(やる気満々?飽きちゃった?疲れてる?)楽器に触れているのかくらいは見ればわかるから、それにあわせて指導するのは本当に難しいのだが、それでもせっかくのコンクール、一生懸命やったことが少しでも活かされるように!

 自分のコンクールから2日後、運命の中学校コンクールである。なんとかバンドの音ができてきたかなという状態ではあったが、結果はあえなく努力賞(全5賞のうちの4番目)という、大変に厳しいものであった。今年は全体的に激辛な評価だったのだが、審査員から戴いたコメントには「おっしゃるとおり」というものが並んでいた。結局、自分の指導したことが通用しなかったわけだが、それよりも生徒にはあまりにも悲惨な結果(例年銅賞、良くて銀だったから過去最悪)となってしまった。生徒は「ありえないよ!」などと怒る子あり泣く子ありだった。ただ、その中でも「自分としてベストを尽くせた」「楽しかった」と言ってもらえたのが唯一の救いである。半分が初心者の1年生で、生徒はよくやってくれたと思う。

 こうして、賞というものをあまり意識せずに音楽をやっていたわけだが、そんな中で“賞もいいものかも”という思うことが一つだけあった。そのことに触れないわけにはいかない。

 今年、ある中学校が初めてコンクールに出場した。今年の4月に顧問の先生が吹奏楽部を創設し、舞台に立ったのである。人数はわずかに10人、そして全員初心者の創部3ヶ月だから、課題曲だけで精一杯であったそうだ。顧問は連盟に「課題曲だけでの出場はダメか?」と問い合わせをしたそうで、結局自由曲も演奏したそうなのだが、打楽器はゼロ、欠けてるパートは数知れずでの出場だったそうである。一見、無謀な参加なわけであるから結果は「努力賞」、結果だけ見れば一番下の奨励賞でなかっただけマシ、といったところだろうか。

 ところが、顧問は堂々と胸を張っていらっしゃった。出場しなきゃ取れなかった賞だもの、みんなで取った賞なんだもの、努力の結果もらえた賞なんだもの……と。

 僕が嫌いで軽蔑さえしていたコンクールだったわけだが、ひょっとしたらコンクールを誤解していたのかもしれない、と初めて思った瞬間だった。どうしても、物事をある一面からしか見ていないと、その面が絶対であるかのようなことを感じてしまう。それがずっと続いてきたわけだからなおさらだ。物事はいろいろな見方をせねばならないとは言うものの、なかなかできるものではない。それを反省させられた瞬間だった。

 吹奏楽コンクール。そこに詰まっているものを感じたからこそ、やっぱ音楽っていいものだな、と余計に思った夏だった。
 





2003/08/22

Back to menu page