火について


 

 「火は、見ている人を神聖な気持ちにさせるねぇ」とは、誰の言葉だったろうか?人はなぜ火を見ると妙に歓喜勇躍したり、妙に戦闘的になったりするのだろう?火には、なんだかとても不思議な魅力があるんじゃないか、と思った。ちと古い話になっちゃったんだけど、この夏に思ったお話。

 8月の中旬、僕は延暦寺にいた。オシゴトで1週間ほどの間、軟禁されていたのである。オシゴトだから特に不自由なことはないのだが、困ったことに初体験のメニューだったためにどんな様子か分からず、事前に遊び道具をほとんど持たずに行ってしまったのだ。夜は比較的・・・いや全面的にフリーで、見事なまでにな〜んにもやることがない。宿舎である四畳半の個室でぼーっとするのは、すでに2日目で飽きていた。

 そんな8月16日は、京都五山送り火の日だった。そう、いわゆる“大文字焼き”の日なのである。テレビではニュースなんかでちょこちょこ見たことがあるのだが、もちろんナマで見たことはない。そんな送り火を、僕が軟禁(ちなみに足がないから軟禁同様なのである)されている延暦寺の目と鼻の先でやっているのだ。う〜ん、見てみたい。

 困った時は先輩頼み。車で来ていた方に、送り火見に行きましょうヨと誘ってみると、OKとのこと。その先輩も実は見たことがなかったそうな。でも、さすがに下の方まで下りていったらホネだろう。いろいろリサーチした結果、とりあえず比叡山頂で行ってみようぜ、ということになった。「煙りさえ見えないよ」なんてヒドいこと言われたけれど、けっこう諦めが悪い。

 送り火は、京都のマチを囲むように5ケ所で行われる。比叡山は東山の山筋にあるから、一番有名な東山の“大”は見えまい。そう予想して山頂バス停に行ってみると・・・案の定だ。ずっと下の方の山の中で火がチラチラしていて、キャンプファイヤーか山火事に見える。もちろん字の形なんてカケラもわからなくて、ケムリがモクモクあがっているのはわかるけど、そんなにおもしろいもんじゃない。京都のマチと大津のマチが光り輝いていて見ごたえがあり、周囲には夜景目当ての観光客やカップルは多いのだけれど、まさか送り火目当ての人はいないだろう。みんなが「あれ、大文字?」なんて囁きあっているような状態だ。まあ、送り火がなくても十分に夜景が堪能できる場所だからそれなりに面白かったものの、僕のお目当ては送り火。しかも、僕達がいる場所は南側しか視界がきかず、西側には障害物だらけでどうにもならない。だからちょっと残念だ。

 せっかくなので、そこから歩いて数分のロープウェー山頂駅まで行ってみることにした。完全なダメモトなのだが、比叡山から西側の視界がききそうなところまで行ってみようよ、ということである。真っ暗で人通りがカケラもない道を歩くことしばし。
 「舟形だ!」
 叫んだのは僕だった。木立の切れ目から、比叡山の北西で燃えている舟形の大文字が、カンペキにとらえられたのである。あとはただただ感動するばかり。

 さて、この感動というのは何に対する感動だったのだろう?ヒドい言い方すると、単に船の形にメラメラ燃えているだけである。そんなに複雑な形ではないから、小規模であれば自分でもできそうな気がするし、幾何学模様のキャンプファイヤーと思えなくもない。でも、僕は絶対にそんなことを思わなかった。たかが火、されど火なのである。なんでだろう?その時はなんとなくのモヤモヤ感が残ってしまったのだが、とにかく僕は送り火が下火になるまで、十分に堪能した。

 送り火が単なる火なのにされど火であるその理由は、なんと僕の職場に存在した。延暦寺の根本中堂にある“不滅の法灯”だ。1200年前に伝教大師最澄さまが点され、以来油を足し油を足し、ずっと守ってきた仏さまの教えを意味する炎である。それだって、言ってしまえばたかが炎。でも、“不滅の法灯”なんていう仰々しい名称がなくたって、仏さまの教えを意味しているのには変わらないし、その奥の本尊さま(ちなみにお薬師さまです)をいつでも照らしているのには変わらない。その炎が絶えないように守ってきた先人たち、そして現代の人、さらには未来の人・・・いろんな人の“思い”がつまっているから1200年間守られてきたわけである。まさに、“されど火”。

 送り火も室町時代から続いてきたというが、その当時から、送り火はお盆をシメを表す“送りの炎”だったわけだ。室町時代人が始めたキャンプファイヤーではない。僕はその思いをなんとなく感じてしまったから、妙に感心してしまった・・・?

 ちょっとした炎でも、実はそのウラにいろんな思いが込められているのかも知れない。だから、「炎は人をして神聖な気持ちにさせしむ」のかも?

 これが、この夏の僕の思い出です。

 

2002/09/10

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