F1ファンかく語りき


 このホームページ上で一番手間がかっているコンテンツ、それはもちろんF1ページ。旅行記は長いけれど、まったくつれづれなるままに一気に書けるから、実はそんなに面倒な作業ではない。エッセイだってそうだ。だいたい原稿用紙で4〜8枚くらいのネタができたら、それをずらずら書くだけの作業である。ところが、F1は違う。実際に生のレースを見るわけではないが、テレヴィ観戦をし、それをホームページ上で再現するのは、そんなに楽じゃない。波乱万丈のレースあり、平凡なレースあり、ややもすると同じような表現を使ってしまい、自分の表現力に対して不満を抱く。・・・おっと、話がズレてしまった。気を取り直して、今回はなぜかどこにも書いていなかった、僕がF1ファンである理由と、F1ページについての話。

 F1コンテンツのトップ・ページには、「なんでこんなにハマっちゃったのか、理由はよく分からない」とだけ書いてある。実は、これは本当の話。理由が分からないのには根拠があって(なんじゃそりゃ?)、初めて見たのが鈴鹿で開催された日本GPだというのが問題なのだ。これが、モナコの市街地バトルや、ベルギーのオー・ルージュ駆け上がりバトルにハマったというなら、まるで不思議ではない。ところが、鈴鹿は違う。テクニカルでよくデザインされたコースだけれど、ハッキリ言ってテクニカルすぎて、打々発止のバトルはあまり期待できない。抜きつ抜かれつのバトルの少ない、平板なレースになりがちなのが鈴鹿なのである。しかも、僕が初めてF1を見た1990年の日本GPは、スタート直後の第1コーナーで、シーズンのチャンピオン争いをするセナ(Mcl)とプロスト(Fer)の2台が絡み、そろってリタイア。それでセナのチャンピオンが確定という、スタートして10秒で結果ってのはないだろ、という展開だった。ヘンなスポーツだな、ってのが正直な印象。しかも悪いことに、90年は鈴鹿が最終戦だから、レース後はシーズン・オフになってしまう。もちろん、翌年の開幕戦を心待ちにするってことなんてなかった。

 ところが不思議なもので、91年の後半戦にはしっかりと観戦を始めている。92年からは、ほぼ全レースを見ているし、それが当然のような気までしてきている。ずいぶんいろんなシーンを見たとは思うが、飽きたってことはない。ことしは4人がチャンピオンを争っているが、完全に“フェラーリ対マクラーレン”という図式となった。後半戦ヨーロッパ・ラウンドもいよいよ佳境、おもしろくなってくるところである。

 ただ、僕がF1の世界で気に食わない点がある。あまりにも、レース以外の政治的駆け引きが多いのだ。ドライバーの移籍をめぐる契約金の問題、サーキットの広告、いろいろな罰金制度・・・最近では、オーストリアGPでのハッキネンのマシンの電気系部分のシールの問題と、駆け引きと細かなルールでどんどん難しいことになってきている。レースで1番早くチェッカーを受けたところで、審議とか灰色決着とか、裁定が必要なことが妙に目立つのだ。で、裁定だけでなく提訴なんてこともあるのがF1の世界。こんなことで、技術と技術との戦いのはずが、単純にオモシロイと思えることを薄れさせていると思うのは、僕だけであろうか。

 また、どーせレースに参加するなら本気で戦ってほしいと思うのだが、どうもオーナーの中には“高く売ろう”という商業主義なヤツがいて困る。だいたい、そんなチームはやる気のかけらも見えないのが分かり、ドライバーやスタッフなど、現場がかわいそうに思えてくる。どんなに現場が一生懸命やったところで、上からのサポートなんてものはないのである。逆に、ミナルディなんかは弱小チームであるけれど、ここのスポンサーには“小さな町の個人商店”みたいなのもついているらしい。自分ではF1を戦えないし微力ではあるけれど、F1に参加したいのだ、という気概が見えるようで、こちらはうらやましい。F1、ひいてはモータースポーツというものが、文化に根付いているからだとまとめるのは、いささかオオゲサだろうか。

 話は変わって、F1観戦記ウラ話を少しばかり。この連載は、98年の9戦目からという、妙な時期から始まっているのがお分かりいただけると思う。妙な時期なのは他でもない。実は、当時僕はまだホームページを立ち上げていず、なんと僕の所属する吹奏楽団のページを間借りして連載していたのだ。それも、その時開催されていたサッカーのワールド・カップ観戦記を連載していた友人に対抗する、という理由で(笑)。なんともオカシなきっかけだが、これは本当の話。吹奏楽団のホームページに、サッカーとF1の観戦記があったのも本当の話。で、自分のホームページに引っ越してきて現在に至る、といったところなのが、我がF1ページなのである。

2000/08/10

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