胃カメラの記
 




 
今年の1月のこと。お正月は多忙な業界に身を置いている僕にとって、楽しいのは一杯のお酒である。明日もハードな仕事が待っているわけだから、飲み過ぎるわけにはいかない。それでも、やっぱりお正月だからついつい飲んでしまう。明日への潤滑油だなどと言い訳をするわけだが、やはりお正月の雰囲気はお酒が進む。そんな毎日の中、どうも気になることがあった。飲んだ後に必ず胃が痛むのだ。よくよく考えてみれば飲み過ぎの日々だったし、やっぱり飲み過ぎはいけないよな。普段は健康に全く気を使わない僕なのだが、さすがにちょっと反省することにした。

 2月になって、症状は加速度的に悪化した。お酒を飲まなくても、食事の量を控えても、それどころか食事を油抜きの精進料理にしても、とにかく食後5時間後に、締め付けられるような痛みが胃に走るようになった。最初はガマンしていたのだが、毎食ごとに症状が出るのが憂鬱である。ガマンできない痛みではない。しかし僕はもともと胃腸系がそんなに丈夫じゃない上、1月以来の飲み過ぎの自覚もあった。その上、旅行の時には間違いなく絶好調になるはずの胃腸が、2月の九州旅行の時には悲鳴を上げていたのである。症状こそ軽かったものの、「旅行=不調知らず」という僕の常識が覆った。自信喪失、もうダメだ……病院に行くことを決意した瞬間だった。

 かかりつけの医者は、とても無口な人である。インフォームド・コンセントとかまったく気にしない雰囲気で、僕の不安にも必要最低限以下しかしゃべってくれないのが問題だ。何より、いったい胃の不調の原因がどこにあるのかさえ喋ってくれない。僕の家族のかかりつけでもあるからケンカするわけにもいかないのだが、こういう人がいるから世の中ダメなんじゃねぇの?という気がする。もっとも、自分が不調だから余計にそう感じるのだろう。ともかく、胃炎か胃潰瘍を疑って病院に行ってみると、胃炎か胃潰瘍でしょうと言われた。そのどっちかを俺は聞きたいんじゃあ!はらわたは煮えくりかえっているのだが、2週間も薬を飲めば治るという。それを信じて辞去したのは3月上旬だった。

 でも、治らなかった。薬がなくなってから様子見をしていたのだが、やはりおかしい。空腹感は感じないし、締め付けるような痛みもたまに走った。そういや「薬で治らなかったら胃ガンかも」という医者の言葉が頭をよぎった。ロクに喋らないクセに、ものすごく絶望的なことを喋る医者。とにかく、薬で治らなかったら胃カメラやりましょうとは言われていたのだ。胃カメラを飲んだことない身としては憂鬱であるものの、もう選択の余地はなかった。ある友人には「あんたは腹黒いから、胃カメラ飲んでも真っ黒で何も映らないんじゃないの?」と言われた。ステキな応援メッセージである。

 前日の午後9時以降は食事不可、当日朝もできれば湯水1杯まで、という過酷な条件である……はずだったのだが、当日朝は緊張のためか、空腹感どころか喉の渇きも感じなかった。不安だらけだが、まあ死ぬことはあるまい。それよりも睡眠不足がちょっと心配である。前夜、胃カメラについてあれこれとネットで検索してみて、いろいろな知識はついたのだが、不安が完全に解消されたわけではない。他人は他人、僕は僕なのである。考え事をしているうちに、ほぼ朝になってしまったのだ。

 診察室に入るとベッドに直行して、まずは胃の動きを止める筋肉注射をする。すごく痛いのがたっぷりと注入され、不安感は増大する。

 次に胃の中の泡を消すシロップ状の薬を、おちょこ一杯ほどくいっと飲み込む。甘いけどまずい。

 それから喉の麻酔。どろ〜っとした液が麻酔薬で、飲み込まずに喉の奥に止めて5分待つように言われる。喉の奥ってどのへん?と迷っているうちに、半分くらい飲んでしまった。どろどろなので、喉がコーティングされたみたいで気持ち悪い。舌がピリピリする。これが麻酔の効果なんだろうか?

 寝っ転がっている僕の頭上に、胃カメラセットが運ばれてきた。モニタにはすでに電源が入り、床?が映っている。カラーでなかなか鮮明だ。それでも自分の体内を見るのはどうだろう?と思っているうちにさらにもう一度麻酔。今度はスプレーをシュッシュッとやるだけである。効果があるのか、甚だ心配だ。そしてマウスピースをくわえる。

 運命の胃カメラさんを、先生が消毒?している。カメラの太さは9mmなのでボールペンくらいだ。まじまじと手にとって確認してみたいのだが、そんなことが許されるはずもなく、胃カメラは口の中につっこまれた。

 その瞬間にこみ上げてくる吐き気!「ごっくんしてください」と言われたけど、できるわけない。飲み過ぎたくらいでは経験できない、壮絶な吐き気である。慣れれば楽なもんだ、苦しいのは最初だけと聞いていたが、何がどうしたらそんなウソがつけるのだろうか。喉はモノを飲み込む器官である。それでもこの苦しさといったらない。涙目になりながら辛うじて奇跡的に運良くごっくん、カメラが食道を伝って入ってゆく。

 すごく気持ちが悪い。モニタには食道が映っていて、どんどん奥に入っていくのが分かる。そのうちに空間が広がってきた。胃に到達したのである。腹黒とはいってもさすがに真っ黒なんてことはなく、きれいなピンク色だ。12時間以上何も食べていないわけだから、胃の中に何かの残骸はまったく見えない。

 カメラは十二指腸まで入っていった。1m以上もカメラがつっこまれている計算になる。看護婦さんが「一番奥を見てますので、ちょっと苦しいと思います」などと言う。そんなことを聞かされた途端、またしても壮絶な吐き気だ。しかし、吐くようなものは何もない。

 カメラはあっちこっちとつっこまれ、写真がバシバシ撮られてゆく。カメラの先端から空気と水も出るので、とにかく胃の中が気持ちわるい。涙が出て、医療ミスでカメラが胃壁をつきやぶったら最悪だよなあ、なんて思いが頭をよぎる。それよりも吐き気は止まらない。「唾が出たら、飲まずに出してください」と言われているけど、それどころじゃない。唾液なんか全然出てこない。

 そのうちにカメラがスポッと抜かれ、検査は終了した。画像はすぐにプリントアウトされて、先生があれこれ診断してくれる、という仕組みになっている。結果は問題ナシということだったが、年に一度くらいは胃カメラやりましょうと言われ、意気消沈する。この気持ち悪さを毎年経験しないといけないのか……

 検査が終わっても、まだ麻酔が効いている。舌のピリピリが取れたら食事OKということだが、とりあえず水を一口飲んでむせないか確認せよ、とのこと。喉に麻酔をしているわけだから、うっかり水でも飲もうものなら、気道に直行してしまうそうな。確かにそんなの願い下げなのだが、それよりもヘンな感じがしてとても食事どころではない。結局、食事をしたのは病院を出てから3時間以上も後だった。

 これだけ科学が発達した現代において、ボールペンの太さにカメラとライトと胃液バキュームと空気やら水やら出る装置が付き、しかもカラーでモニターに表示されるというのは、大したものなのだろう。それでも、僕にとっては苦痛と恐怖以外の何ものでもなかった。早く次世代胃カメラが登場してくれないか、そのことだけを切に祈る僕なのである。




2004/05/14


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