「邂逅」ってほどでもないけれど(1983年頃)

 

 履歴書の「趣味・特技」という欄を、みなさんはどうしているのだろうか。趣味は別にいい。これはわかりやすい。問題は「特技」だ。何を書けというのだろう?「これは特別な技だ」と思っているものを、自己申告すればいいのであろうか?ビンの牛乳は1秒で飲めるとか、逆立ちで100mを10秒台で走れるとか、それは立派な特技だろう(変人とも言える)。でも、特技ってのはなんだ?いまいちよくわからない。

 幸いなことに、僕には「特技」と自称しているものがある。「ホルンの演奏」だ。吹奏楽・管弦楽で活躍している楽器だし、どこの学校の吹奏楽部・管弦楽部にも必ずある楽器だ。でも、どんな楽器かパッと思い浮かぶ人は多くはない。僕のはフレンチ・ホルンなのに、『アルプスの少女ハイジ』の影響だろうか、アルプホルンを思い浮かべる人までいる。違うよ、くるくるくるくるぱっとしたやつと言うと、みんな納得してくれるのが救いだろうか。だが、音まで知っている人は少ない。トランペットはわかっても、さすがにホルンはみんな知らない。なんでそんなマイナーな楽器やってるの?とまで言われたこともある。

 中学校や高校で吹奏楽部に入ってホルンを始めた人は、「人数調整の結果」というのがきっかけだったりする。だが、僕は自分からホルンをやってみたいと言った。もう楽器(ホルン)経験は12年目となったので、人生の半分をこの楽器と過ごしている計算になり、しかも僕の唯一のとりえとなってしまった。そんな僕が、ホルンと出会った時の話。


 もう15年以上も前だけれど、小学校3年生の頃だったと思う。正確な年月日どころか、だいたいでさえも覚えていない。僕は友人(小学校の友人Oだったと思うが、そこにも自信がない)と、自転車で谷中墓地を走っていた。いくら僕でも墓地で遊ぶ習慣はなかったから、たぶん自転車でドライブでもしていたのだろう。最近は狭く感じる谷中墓地だが、当時はどこまでも墓石が続く、果てしない場所のように思えた。そんな墓地を適当に走っていると、墓地の奥(行ったことのない一角)から聞きなれない音がした。そこは好奇心旺盛な小学生、音のする方に走っていってみた。

 音の発信源は、墳墓と墳墓の境の低い塀によりかかった、男の人だった。ただ、その男の人の容貌さえ覚えていない。若い人であったような気がする(ひょっとしたら、芸大生かもしれないし、実は高校の大先輩かもしれない)。その男の人が、見たこともない楽器を持っていた。それがホルンだった。だが、それはなんですかと聞いた記憶はない。ひょっとしたら音楽の教科書とかに載っていた写真を見覚えていて、この人が持っているのはホルンだと判断したのかもしれない。ともかく、僕は友人と近づいていった。

 近づいていくと、吹かせてくれた。僕が吹かせてと頼んだのかもしれない。どっちにしろ、素人がいきなり吹いてみたのだ。音が出るはずもない。友人Oも同様だ。音が出ないよと言うと、その男の人がコツを教えてくれた。すると、なんとか音が出た。ドレミファソくらいは出たように思う。それよりも素人が音を出そうというのだから、その男の人がひっきりなしにツバ抜きをしていたことの方が印象的だった。時間にして30分くらいだっただろうか、その場にいた。自分で楽器をやってるんだ、という気がしておもしろかった。

 それから時間はたって中学生になった時、ふと楽器をやってみたくなった。友人を誘って吹奏楽部に見学に行き、先生にやってみたい楽器は?と聞かれ、ホルンと答えた。さっそく先生が出してきてくれた楽器は、僕の思っていたよりもずっと大きかった。小学校3年生に比べれば、僕の体格は大きくなっている。だから、想像よりも楽器は小さくなっていなければならないのに・・・どうもよくわからない。そう考えると、墓地にいた男の人が持っていた楽器も、本当にホルンなのだろうか?ますますよくわからない。

 だが、その男の人に会えたお陰で、ホルン吹きの僕が産まれたのは確かだ。

 よく、テレヴィのお涙頂戴番組で、「あなたが会いたかった人を探してきました!」なんてやってるけど、僕の記憶のこれだけの情報では、どんなに優秀な名探偵を使ったところで、本人を特定できないだろう。その男の人だって、へんな小学生に楽器を教えたことなんか、覚えていまい。

 でも、もしその男の人にもう1度会えるとしたら、12年ぶんのお礼が言いたい。

 

1999/04/28

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