ヤマの残照(万字炭山編)

 8月に、北海道に行った。まだまったく手をつけていないけれど、詳しくは『1999北海道ノート』にアップするとして、そこには書かないつもりの、ちょっとしたことを書いてみたい。

 その北海道旅行中に、“万字炭山”というところを訪れた。とっても地味なところで、ヤマ自体は昭和45年に閉山となってしまって、いまは炭住の跡もほとんど残っていない。さらに、以前は“万字線”という国鉄の路線が万字炭山まで来ていたが、これも昭和60年に廃止されてしまい、面影はすっかり少なくなっている。そんな廃線跡を探しに、友人Tsと車でやってきたのだ。廃線跡探しの詳しい内容は『北海道ノート』に譲って、ここではそこに惹き付けられる理由を探してみたい。

 僕が「重箱の隅つつき病」であることは今に始まったことではないが、些末なことを知りたい、と思うことが多い。「ヤマ」という職場のこともそうだ。北海道には多くの炭鉱があり、良質の石炭が産出されていたのだ。炭鉱を中心として炭住が広がり、街が形成されてゆく。何もなさそうな単なる山の中が、街となってゆくのだ。もちろん、街のほとんどの男は炭鉱労働者。坑の奥で何が行われているのか、僕は強烈に知りたい、と思った。

 去年の北海道旅行で、「夕張石炭資料館」を訪れたことは、すでに『1998北海道ノート』に書いた。石炭の採掘という仕事、なぜか100人単位で犠牲になってしまう事故、そんな職場の魅力、そして閉山後の周辺の変化。どれも知りたいと思っていたことを、去年は確認できた。だから、今年は実地を見に行きたい、との思いがよけいにあったのかもしれない。二日酔い直前の状態で、「万字炭山と、万字線を探そう」と決まったのだ。

 万字炭山周辺に住んでいる方には悪いけれど、万字を訪れようと思ったのは、まったくのウケ狙いでしかない。2度と行かないような地味なところに行ってみよう、それで鉄な人々の笑いを取れれば・・・その程度の、軽い気持ちで出発が決まったのだ。

 ここも詳しくは『北海道ノート』に譲るけど、旧万字線の終点・旧万字炭山駅は、崖の中腹のちょっと広いところにあった。「旧万字炭山駅跡」の碑が建っていた。ところが、どうも様子がおかしい。その1駅前の旧万字駅から、路線が絶対に来られない位置なのだ。その日は分からず終いで戻った。戻ってから再度確認すると、なんと「駅跡の碑」が本当の駅跡にないことが判明!あまりの衝撃に、なんと翌日も旧万字炭山駅跡を探しに、現地を訪れてしまった。さすが2日連続の調査、目的の場所はすぐにわかった。前日も、まさにその場を通っていたのだが「ここではない」との先入観から、肝心なホームの残骸を見落としてしまっていたのだった。

 ホームは1面だけ。旧駅舎が残っており、中には人がいたが、いったい何をしている人なのかは分からない。駅構内は草ぼうぼうで、広い空き地になっているのが往時を偲ばせるが、どの山が本当の“万字炭山”なのか、よくわからない。全部そうなのだろうか???足元はボタと思われるものがたい積している。

 本当の駅の跡に碑を立ててもらえない万字炭山駅。小雨の降り続く旧万字炭山駅跡は、物音一つしないヤマの中だった。今となっては忘れ去られてしまった職場と、忘れ去られてしまった町。廃線跡探しが成功した感動よりも、ヤマは僕にため息のつき方を教えてくれた。

1999/09/09

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